スズカケの咲く城で

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スズカケの咲く城で

 馬車の窓から外を見ると、ちょうど城門をくぐろうとするところだった。鉄の柵には細やかな装飾が施され、中央上にはウラタナス侯爵家の紋章が掲げられている。

 普通の馬車が二つ並列しても余裕で通り抜けられそうな門をくぐって何度か曲がると、ようやく真っ直ぐな道が現れた。道の両側にはスズカケの木が一列に植えられ、緑が目にまぶしい。

 馬の放牧場や季節の花々が咲き誇る庭園を通り過ぎるとようやく前方に大きな城が現れた。

 ウラタナス城だ。


 城にだんだんと近づいていき、ふと城の玄関に視線をやると両開きの扉のそばに小さな人影が二つ。執事らしき装いをした男性とドレスを着た少女。

「え?」

 一瞬目を疑って目をしばたいたが見える景色は同じ。見間違えるわけがない。少女はこの城の主であるウラタナス侯爵の長女、ヘレナ・ウラタナスだ。

 普通、呼んだほうが身分が高い場合は呼ばれたほうが来訪してから姿を現すものだ。私のような男爵家の娘相手ならなおさら。

 馬車のスピードも心なしか上がり、ようやく玄関に馬車が横付けされる。待っていた執事に馬車の扉を開けてもらうのももどかしく思いながら地面へ降りた。

 そこに立っていたのはやはり予想通りの人物で、薄茶色の髪を結い上げ、真珠のような肌と琥珀をはめ込んだよりも美しい透き通った瞳に、動きやすそうなグリーンのドレスをきれいに着こなしている。

「ヘレナ様!ごきげんよう。こちらで待っていただかなくても……」

「ようこそいらっしゃいました、ルイーズ。何をおっしゃいます。私、本当は門のところで待っていたかったのですけどメイドたちに止められてしまいました。だからせめてここで、と」

 ヘレナは顔をほころばせながらそう言って、ドレスの裾をちょんとつまみ軽く膝を折った。

 私たちが挨拶している間に執事が御者を馬房に案内する。そのスマートさに思わず心の中でうなってしまった。

 ヘレナに促されて私は城に足を踏み入れた。白い石でできた壁に、窓にはこの国の宗教をモチーフとしたステンドガラス。左の壁に沿うようにチェストが置かれ、その上には目に鮮やかな花々が生けられている。天井をさりげなく見上げると、小さいウラタナス家の紋章がたくさん描かれているという細やかさだ。

 部屋を二つ通り抜けると、そこは応接室のようだった。壁には大人が両手を広げた二倍くらいの幅のあるタペストリーがかかり、中央にはガラスの机とそれを挟んだ二脚のソファー。こんなに大きくてまっすぐなガラスなんて、一体いくらするのか想像もつかない。暖炉もかなり大きく立派に作ってある。

 さすが侯爵家、うちのような男爵家とは城の内装もわけが違うと思っていると、ふいに奥に続く扉から一匹の白いテリア犬が走り出てきた。その勢いのままに私の足に絡みつくと思いきや、一歩空けたところで立ち止まる。しつけがちゃんとされているようだ。

「こらっ、ここまで出てきちゃダメでしょう。ごめんなさい、驚かしてしまいましたか?」

 前半は犬に対して、後半は私に対して言ったヘレナはテリアをこっちにおいで、と呼びよせ、かがんで優しく抱き上げる。

「いえ、大丈夫です。ブランちゃんですか?かわいいですね」

「そうでしょう。ありがとう」

 愛犬を褒められてヘレナはにこっと微笑み、そのままソファを指し示した。彼女は自分の犬をことのほかかわいがっていると社交界でも有名なのだ。

 二人で対面するようにソファに座ると、静かにメイドがやってきて紅茶と焼き菓子を置き、また静かに部屋を出て行った。

 テリアことブランちゃんはヘレナの膝の上で丸くなっており、ヘレナはその背中を優しくなでている。

「本日はお越しになっていただいて、まことにありがとうございます。どうぞ、お召し上がりになって。お口に合うかしら」

「こちらこそ、ご招待ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、いただきますね」

 勧められ、紅茶で軽くのどを湿らせてから焼き菓子を一口いただく。途端に口の中にしつこくない砂糖の甘みと小さく刻まれたドライフルーツの酸味が広がった。香ばしい香りがするのは焦がしバターを混ぜているのだろうか。外側はさくりと歯が入るのに内側はふんわりしていて、それもまた美味しい。

「すごく美味しいです!」

 お世辞ではない言葉が口をついて出た。パティシエの腕ももちろんなのだが、素材本来のおいしさをうまく生かしているように感じる。

「良かったわ」

 ヘレナが嬉しそうに微笑み、やはり彼女の微笑は美しいと再確認した。

 ところで、なぜ私のような男爵家の娘が伝統あるウラタナス家のご令嬢に城に招待され、仲良く焼き菓子を頬張っているかと言うと、時は少しさかのぼる。

 一か月ほど前、ある伯爵家でパーティーが開かれ、畏れ多いことにそこに私も伺わせていただいた。

 パーティーも中盤にさしかかるころ、私は一緒に来ていた両親とはぐれていた。派手に着飾った人があふれる中親を探していると、ある少女が目に留まった。上質な生地で作られたドレスを身にまとい、視線をさまよわせながら歩いていた。一人で。

 あー彼女もはぐれたのか。そう思い見つめていると彼女がこちらを見て目が合い、その顔が記憶の片隅から一つの名前を引っ張り出してきた。ヘレナ・ウラタナス。一度肖像画を見たことがある。

 しかしなぜ彼女が一人でいるのだろう。ウラタナス侯は国内屈指の大貴族で、彼女にはお付きの者がたくさんついているはず。はぐれてしまうなんてことがあるのだろうか。お付きが無能なのか、それとも彼女が抜け出してきたのか。いや、まさかあのお姫様がそんなことをするわけないか。

 特別ウラタナス家に顔を売りたいわけでもないし、関わると多少めんどくさいことになるかもしれない。さっさと離れようと思い会釈してそのまま立ち去ろうとしたのだが、なぜか彼女はずんずんとこちらに近づいてきた。こうなったらもう逃げられない。

「ごきげんよう?」

「ごきげんよう、ヘレナ姫」

 お互いに軽くスカートをつまみ、膝を折る。

「まあ、わたしのこと、ご存じ?」

 ウラタナス家の姫君の美しさは国内で知らない者はいませんよ、と返すと彼女はほんの少しだけはにかんだ。

「そんな、ありがとうございます。申し訳ございません、私、あなたの名前を存じ上げていなくて」

 彼女はすまなそうにそう言うが、向こうが私の名前を知っているわけがない。身分が違い過ぎる。

「オロン男爵家の長女、ルイーズと申します」

「ルイーズ様ね。どうぞ、よろしくお願いいたします。……あの、いきなりで申し訳ありません、私の家の者がどこにいるか、ご存じ?」

 やはり迷子か。しかしウラタナス侯爵をこの会場ではまだ目にしていない。なんせ広い上に人が多すぎる。

「いえ、おみかけしてはいないのですが……よろしければご一緒に探しましょうか?」

「まあ、いいの?」

 いいも何も、この状況で「知りません、ごきげんよう」など言えるわけがない。それに今他にするべきこともないし、少しくらいこのうっかりさんな姫君と一緒にいてもいい気がした。

「ええ」

「よかった。ありがとう」

「……いえ、そんな」

 姫君はほっとしたように顔をほころばせて感謝の言葉を口にする。

 その身分ならここにいるたいていの貴族は揉み手しながら探すのを手伝うだろう。なにしろウラタナス家に恩を売れるし、小さい不祥事くらいならそれでもみ消せるかもしれない。いや、それどころか彼女からそこらへんの人を捕まえて探させてもいい。しかしそうではなく、同性で同年代の私に声をかけた。

 そして、さっきの安心したような顔。

 大貴族のくせにおごらない、血の通った姿がやけに印象に残った。

 その後すぐにウラタナス侯爵、つまりヘレナの父親が見つかったので一緒にいた時間は長くない。彼女の中身を垣間見てもっと彼女を知りたいという気持ちもなくはなかったが、私たちの邂逅はそれで終わりだと思っていた。もう縁は切れたのだと。

 数日後、ウラタナス家からオロン家に一通の手紙が届いた。

”オロン家の姫君をウラタナス家にご招待したいと思っております。ご都合いかがでしょうか。”

 大体そんな内容だった。両親の、ウラタナス家とお近づきになれるかもしれないという期待。私の、ヘレナ個人に対する興味。断る理由はなかった。

 そうして今、ここにいるというわけだ。

「ねえ、本はお好き?」

 ヘレナに問いかけられ、さまよっていた思考をこちらに引き戻す。

「そこそこ、ですね。ヘレナ様はどんな本を読むんですか?」

「私? 異国への訪問記と……犬の本かしら。ね、ブラン」

 ヘレナが膝の上で眠っていたブランを優しい手つきで胸に抱きあげる。当のブランは眠りを中断され、ムーと抗議するように鳴いた。

「犬、お好きなんですね」

「ええ、かわいくてあったかいもの。それにいつも素直。ルイーズ様は犬はあまりお好きではない?」

「好きではないというか……嫌われてるんです、犬に」

 そういうとヘレナがふっと吹き出した。彼女は慌てて弁解するように片手を振る。

「わ、笑ったわけじゃないのよ。でも……たまにいるわよね、そういう方。でも諦めないで。いつか犬たちもわかってくれるわ」

「……そうだといいんですが」

「犬は賢いから、ルイーズ様が犬嫌いでないのならきっと分かり合えるわ。ほら、試してみない?」

 そう言うなりヘレナはソファから立ち上がり私の隣に立ち、腕に抱いていたブランを差し出した。当の本人、いや、本犬は一体何なんだと目をキョロキョロさせている。

「鼻に手の甲を近づけてみて」

「いいんですか、そんな……」

 そんな簡単にヘレナの愛犬を触っていいものなのか。戸惑う私に対しヘレナは大丈夫と言うように笑顔でうなずいた。

 そうこうしているうちにブランがまた眠たそうな目をしたので慌てて手をさしだす。ブランはしばらく鼻を小さく動かしながら手のにおいを嗅いでいたが、すぐに鼻をフンと鳴らしてそっぽを向いた。

「うーん、やっぱり」

「まあ、ご、ごめんなさい。この子、普通はなつくんですけど……あっ、失言でした。ブランがあなたになつかなくても落ち込まないで、お願い」

 愛犬が客人にいくらか失礼なことをしてしまったことを焦るようにヘレナは言葉を重ねる。

「でも大丈夫、いつか絶対にあなたのことが好きな犬が現れるわ」

「あの……そこまで必死に慰めていただかなくても……」

 犬に嫌われても日常生活は送れるものだ。それにしてもヘレナは貴族にしては珍しくきちんと本音を言うなと感心したら、口が勝手に動いていた。

「ヘレナ様は良い方ですね。私、こんな素直な方は初めて見ました」

 言ってから今自分が放った言葉の意味を遅まきながら理解し、血の気が引いた。こちらとしては嫌味を言うつもりはなく本当に素直な人だと思ったからこその発言だったが、十分嫌味に聞こえる内容だ。これでヘレナの、ひいてはウラタナス家の機嫌を損ねたら待っているものは社会的な死だ。

 ヘレナを見やると、きょとんとした顔をしている。今ならまだ弁解できるかもしれない。

「あ、あの! その、別に――」

「そうね」

 焦る私にかけられた言葉は、意外にも肯定だった。さっきまで座っていたソファに軽く座りなおしながらヘレナは微笑む。少し寂しそうに。

「そうね、素直な人は私たちの社会にはいないわ。みんな本音を言わずに暇さえあれば腹の探り合い、どんなに互いを嫌っていようと表面はにこやかだわ。

 それに気付いてから、私は素直に、無邪気にいるように心がけました。おかしな話よね。全てをわかったうえで無邪気にふるまうというのは無邪気であるということなのかしら?」

「ヘレナ様……」

 ヘレナは一体、今までどんなものを見てきたのだろうか。

 パーティーで迷子になっているヘレナを見た時、私は他の貴族たちからしたらウラタナス家に恩を売るのに絶好のチャンスだろうなと思った。実際、過去にそういうことがあったかもしれない。

 それはヘレナに優しくしたいからではない。ヘレナという道具を通して自分が良い思いをしたいだけだ。

 それが悪いことだとは一概には思わない。みんな自分の領民と領地を守るために必死だし、そのために権力者とつながりを持つことが有利になるだろう。馬鹿正直なだけではやっていけない。

 それはわかるけど――そういう大人の事情を鑑みた上で考えても、物心ついた時からずっとそう扱われるというのは、ヘレナにとってはあまり嬉しくないことだろうな、と思う。

「もうそろそろ、この振る舞いも限界になってきたわ。やはり私もいずれ、したたかで表面を取り繕うことしかしなくなるのかもしれない。それでも」

 ふっとこちらを見るヘレナの瞳に暖かい光が宿った。

「私は、私の未来が楽しみよ。どうなるかはわからないけれど。……それでも私は未来をあきらめたくないの。どこまでも自分の幸せを追求し続けるの。だって、そっちのほうが面白いでしょ?」

「……」

 あと数年もすれば親に決められた男に嫁がされ、その後も夫の愛人に見下されながら暮らすことになるかもしれない。自由な外出は許されず、城に軟禁されるといっても過言ではない生活。

 彼女は十中八九、そういう人生を送るのだろう。それが大貴族として生まれた女性の運命だ。

 それでも、その未来をわかった上で幸せになろうと――強く生きようと。

「あらやだ、興覚ましだったかしら」

 黙ってしまった私を見て、はっとしたようにヘレナが口に手を当てる。

「そんなことないです! 私--」

 そう言いかけたところで扉が遠慮がちに叩かれた。

 話を中断させてしまったことを気遣うようにヘレナがこちらを見やるが、あまり扉の外の人を待たせるのも申し訳ないのでひとつうなずく。

「どうぞ」

 それを見てヘレナが返すと、扉が開いて恭しくかしこまるメイドが現れた。私たちの親より少し若いくらいの年齢で、使用人用のドレスをきっちりと来て軽く微笑んでいる。失礼かもしれないけれど、笑顔というお面をつけているようだ、と思った。

「お話し中申し訳ございません。そろそろ家庭教師のお時間でございます」

「知らせてくれてありがとう。お礼にと言ってはなんだけど、焼き菓子食べない?」

「ありがとうございます。申し訳ございませんがいただけません。失礼します」

 表情を動かさないままそう言うと、一礼して扉の向こうに去っていった。

 メイドの手本というような人物だ。しかし、いくら主人が相手とはいえ、淡泊すぎやしないだろうか。ヘレナは菓子まで勧めたのに。

「彼女、真面目で信頼できるの。頼んだことはすべてきっちりやってくれるし、仕事も丁寧なの」

 真面目だから身分できっちり線を引くの。悪い人じゃないの。

 そんなヘレナの心の声が聞こえてくる気がした。

「ヘレナ様。本日はお招きいただきありがとうございました。とても楽しかったです」

 遮るように話し出すのは最大のマナー違反だとわかっていても、聞いていたくなかった。といっても話そうと思って話し出したのではなく勝手に口が動いていた。どうやらヘレナ相手だと調子が狂うようだ。少し考えて、付け足す。

「それと私、ヘレナ様のような考え方、大好きです」

 私の言葉にヘレナは少し目を見開き、ありがとうと微笑んだ。


 玄関口で別れのあいさつを交わし、馬車に乗り込もうとしたところでヘレナが小さい声で私を呼び止めた。

「お願いがあるのだけれど」

「私にできることならなんなりと」

 声が小さいので自然と互いの距離が近づく。琥珀色の瞳の中に散らばる星のようなきらめきがきれいだった。

 ヘレナは恥ずかしそうにほほをほんのり染め、数秒ためらったのち意を決したように言った。

「私のお友達になってくださらない?」

 その言い方でヘレナは友達がいないんだろうな、と思った。まあ、その身分なら仕方がない。いてもせいぜい親にあてがわれた身分相応の”お友達”だろう。

 友達になれば彼女の笑顔をもっと見られるのだろうか。きっと私たちは気が合うはずだ。

 緊張した面持ちで返事を待つヘレナに、私はできるだけ嬉しそうな顔で微笑んだ。

「喜んで」

 大貴族のお姫様だって、一人くらいは本音で話せる相手がいたってバチは当たらないだろうから。

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