Coup d'etat. 下剋上。

NUKO

Art. 恋人を、君に。

「暇だー」

 後者の端っこ、美術室。イーゼルに立てかけられた真っ白な紙の前で、私は暇を持て余していた。暇といっても、ビバ!暇!という感じではないほうの暇である。マジ、ヤルコトネー、チョベリヒマー。な暇だ。

「あー、そうっすねー。」

 そしてそれに応えるのは、今ここにいるもう一人の美術部員、ヒグラシくんの生返事。とてつもなく分厚い本を読んでいる。私が読んだら目次ですでに寝ちゃいそうなくらいのやつ。題名は……「相対性理論によって導かれる猪木」なんやねんそれ。

 残念ながら私には、絵の具のにおいと美術室特有のあのカビ臭さを感じながら本を読みつつ物思いにふけるとかそういう文学少女的要素は一ミリもないので、適当に椅子をがたがたやることにした。椅子二本足だけで何秒耐えれるか。スタート。

「大体、計画からして無理があったんですよー。」

「無理?」

 後ろにゆーらゆーら。あぶね、バランス取れバランス。あわてて前に重心移動。

「だってそうでしょう、『あなたの理想の恋人、想像で描きます』って言ってもだれも来るわけないじゃないっすかー。来る=寂しいやつっていう方程式がすでに立っちゃってるんすよ。」

「おっふ。言うねー、君も。」

 おっと、今度は前に体重かけ過ぎた。やべー。一瞬ぐらっとしたが立て直す。現在、十秒ほど。いい感じだ。

「で、それなのになんでヒグラシくんはシフト参加したんだい?ほかの部員はみんな逃げちゃったから、二人でシフト回すことになるの分かってたはずなのに」

 それがずっと疑問だったんだよねー。っと前、前。

「えっとそれは、そのですねあの……」

「やべ、後ろにかけ過ぎた。慌てて重心を中心に戻す。だんだんきつくなってきた。体力ねーな私。」

 突然慌ててどうしたんだ?私、なんか変なこと言ったかな?

「先輩、口に出す声と心の声逆です。」

「あ、ゴメン。」

 言いつつも、全神経はバランスをとることだけに集中。時間の方はもう少しで四十秒、四十四秒というクラス最長記録保持者のマエダさん(バスケ部)に、あとちょっとで勝てる…っと

「あー無理限界!」

 ガタタン!と椅子が四足立ち。あるべき姿に戻った。

「たはー、やっぱ無理だね。うん!」

 でもやはり椅子にむりをさせるのはよくないね。学校の備品なんだからさっ☆と負け惜しみしてみる。

「で、なんて言った?」

「はあ……いえ、いいです。てかまずこの企画の見直しをしましょう?理想の恋人を言ってもらって想像で描くって、いくら何でも寂しいやつオンリー過ぎです」

「寂しいやつ向けだからな。学園祭を一人で寂しく回っているあわれな子羊ちゃんにせめてもの慰みをと思ってだな」

「言い方ァ!」

 とにかくですね、と前置きしてから

「寂しいやつがここに来るんだ、っていう図式をまずはどうにかしないといけないわけですよ。ここに来たのが見つかってあとでクラスで何か言われたらどうしよう、と考えてここに来れていない人たちもいるわけじゃないですか」

「ふむ。一理通り越して千里ある」

「距離の里と説得力の理は別物です。……そんなことはどうでもいいんだった。この出し物のコンセプトを変えて、例えばカップル向けにするとかじゃないと、いつまでたっても人は来ないと思いますよ」

「そうは言ってもなー」

 大体、人があんまり来ないようにあえてこの企画にしたからなー、とは言えない。どうすれば人がたくさん訪れてくれるかを、おそらくさっき読んでた本で学んだであろう相対性理論を持ち出してまで熱く語っているこの後輩を前に言えるわけがない。

「言えるわけがないッ…!私がッ…!心置きなく惰眠をむさぼるためにッ…!この企画を立案したなどッ…!言えるわけがないんだッ…!」

「言っちゃってますが」

「だああ漏れてたああああああ!」

 アレーオカシイナー?どっから漏れたんだこの本音はー?

 私の脳内の本音貯蔵庫に慌てて緊急連絡。「やばいっす本音漏れちゃってるっす。急いで故障した部分を見つけて」「アノネー、カレー食べたいの!」だめだ話が全く通じねえ。あとカレーは美味しいよね。

「そうだったんですか……あれ?でもさっき暇だ暇だって騒いでたような……」

「あー、あまりにも人が来なさ過ぎた。予想外。計画の破綻。まさか初日も終わろうとしてるのにいまだ一人すら来ないってのはね……いやー、少しばかり寂しいもんだねえ」

「部長…元気出してくださいよ、流石に終了までには一人くらい来ますって……」

「あと昨日うっかり徹夜するの忘れててさ。全然眠くないの。だから暇」

「前言撤回。自業自得ですね。」

「えー酷いー。頼むよおーお客さんがじゃんじゃんバリバリ入ってくるような企画考えてよ頼むよおー」

「………まあ、一応考えてありますよ」

「やったー、大好きひぐえもーん!素敵ー!」

「ひぐえもんはやめてください」

 こほん、と咳払いしてから、ひぐえもんは不思議なポッケ……からじゃなくてリュックからスマホとプロジェクターを取り出した。ほんとはダメなんだぞ、スマホ。

 そしてプロジェクターが黒板に投影する画像のピントを調整すると、肩をすくめてから某知恵の実社の創設者風なそぶりで話し始める。

「えー、今回私が提案するプロジェク「すいませーん!」

「はい、なんでしょうか」

 咄嗟の営業スマイル。ひぐえもんのプロジェクト提案(笑)は、突如教室へと入ってきた男女によって中断された。涙ぐむひぐえもん。いそいそとプロジェクターを片付け始めるその背中には心なしか哀愁が漂っている。

「あのー、ここで理想の恋人の絵を描いてくれるって話を聞いたんですけどー」

「はい、理想の恋人を言ってくださればお描きしますよ」

「ほらほら、やっぱ本当だったでしょー?」

 女の子の方は甲高い声だ。はっきり言って少々うるさい。でも美少女。文句のつけようのない美少女。明るい茶髪は天然の色か。染めてたとしたらヒグラシくんと共に生徒指導室行き確定である。一方の男は……うん。まあまあ。特にこれといって特徴のない感じ。卒業後クラス会とかやったらお前誰だっけってなるタイプ。

「ふーん。じゃあ二枚お願いします」

「分かりました。ではそこにある椅子におかけください。ではこれからいくつか、理想の恋人の特徴について聞きますので「あ、いや聞かなくていいです」

 そう言って、男は隣にいる女を見て、満面の笑みで

「だって今隣にいる人をそれぞれ描いてもらえばいいんだもんなー?」

「ねー♡」

 女の方も笑顔になった。

 これはまごうことなきバカップルだった。

「……先輩。ちょっとちょっと」

 ヒグラシ君がこの教室と美術準備室をつなぐ扉から顔をのぞかせてちょいちょい、と手を振った。なんだろう。

「ちょっとすいません、一旦彼と話してきますね」

 カップルにそういって席を立つ。ヒグラシ君は、私が準備室に入るとまるで何かから追われるようにすぐに扉を閉めた。

「…なに?どうしたの?」

「先輩ッ……!」

 真剣な目。いつものヒグラシ・アイは死んだ魚のそれにそっくりなので、そのギャップに少々戸惑った。そしてヒグラシ君は目をぎゅっと閉じて顔をゆがめ泣きそうな表情になる。えっちょま、ここで泣かれたら気まずいやつやん。

「もう無理ですッ…!限界ッ…!この企画やめましょうッ……!ぼかぁもう、これ以上あいつらを見れませんッ……!」

 …。

 ……。

 ………。

 …いろいろと言いたいことはあったが、あえてこの言葉だけを口にすることにした。


「それな」


 美術部の催し物は、初日午後にしてすでに破綻しかけていた。

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