第九十九話 秘密(4)
アンナがレスカの元へ駆けつける、ほんの数分前のこと──
「全く、世話のかかる奴ね」
アンナは肩にルークを担ぎ、耳を澄ませながらも不機嫌そうな面持ちで歩みを進めていた。彼女の首には銀の細い鎖に繋がれた青色の
「置いていけば……よかったじゃないか……」
「うっさいわね。あんたにあの場で死なれたら、ネスに会わせる顔がないじゃない」
ルークの腹の傷をアンナは睨む。彼の部下であるアグリーの少女──テーベによって風穴の開けられた腹。
「それにしても……なんなのよあの子。アグリーの肉体は自動再生しないんじゃなかったの?」
先程の戦いでアンナはテーベの両腕、それに首を斬り落としていた。にも関わらずあの少女はルークに襲い掛かった際、首も腕も元通りになっていたのだ。
「テーベは……特別なんだ。ボスが……色々と手を加えたらしい……」
ルークの腹を貫いた直後、アンナは黒い炎でテーベの肉体を完全に消し去っていた。黒い炎を浴びたものは何であれ、完全に存在を消される──テーベが再生する心配はもうなくなっていた。
「ボス、ねえ……どんな奴なのよ、一体──」
「う……ゲホッ! ゴホッ!」
「ちょっと、しっかりしなさいよ!」
ルークの負った腹の傷には、応急手当で包帯が巻いてあるだけだ。どくどくと止めどなく血は溢れ続け、更には吐血。彼の身に付けているライトグレーの服は真っ赤に染まり上がり、裾からは血が滴っていた。
「全く、困ったわね…………ん?」
アンナの視線の先に、見覚えのある男の背。短い金色の髪に長く尖った耳、それに騎士団の制服。
「運が良いわね」
言いながらその背に近寄る。相手もアンナ達に気が付いたようで、立ち止まりくるりと振り返った。
第二十一騎士団長 ファヌエル・フランネルフラワーだ。
「……戦姫」
「あら、その呼び方は意外ね」
十一年前の騎士団壊滅事件の首謀者であるアンナのことを、毛嫌いする過激派の者であれば、彼女のことを
先程、洞窟の入口でのファヌエルの態度からして、アンナは彼が過激派──彼女を毛嫌いしているのだろうと確信していたのだが。
「お前を緋鬼と呼ぶと、総団長が怒るからな」
「……へぇ」
このファヌエルの言い草に、アンナは数ミリほど口角を上げた。
「ねえファヌエル、こいつの傷を治してやってくれない?」
「断る」
「なんでよ」
舌を打ったアンナは、目を細めファヌエルを睨む。両腕が自由であれば、十中八九胸の下で腕を組み、彼のことを威圧していたであろう。
「敵だろう、そいつは」
「さっきまではね」
「というと?」
「寝返ったようなもんよ、ねえルーク?」
「……あ、ああ」
流石に納得がいかないのか、ファヌエルは怪訝そうに眉をひそめている。
「仕方ないわね」
アンナはルークをそっと地に座らせる。そしてファヌエルとの距離を詰めると彼の肩に手を置き、耳元で──
「 、 」
──囁いた。
「なっ……!」
「図星なのね」
「ど、どうしてそんなことをお前が……」
目と口をこれでもか、というほど一瞬だけ開いたものの直ぐに閉じ──ファヌエルは明らかに動揺していた。アンナが口にした言葉は事実であったが、人に知られるようなヘマはしていないはずだ。
「あたしの夫は凄腕の情報屋よ。このくらいの情報、全員分仕入れてくるわよ」
「……エリック・ローランドか」
「エリック・F(ファイアランス)・グランヴィね」
口元を歪め、アンナは軽くファヌエルの肩をたたく。
「ファヌエル、それじゃあ頼んだわよ。ルーク、しっかり治してもらいなさいよね」
「……仕方ないな」
「……恩に着る」
じゃ、とアンナが二人に背を向け、歩み出そうとした瞬間だった──
「いや…………いゃあああああああぁぁぁぁああッッ!」
絶叫が響いた。
「「……レスカ!」」
アンナとルークの声が重なる。立ち上がろうと足に力を入れたルークは、その場で咳き込み体を前に折った。
「馬鹿! 何してるのよ! あんたはここにいなさい!」
「しかし……俺の娘だ……」
「うっさいわね、今来られても足手まといよ! 怪我が治ってから来なさいよね!」
言い終える頃には、アンナは既に駆け出していた。
(レスカ──!)
アンナはレスカの実力を認めている。戦闘民族の血が流れているだけあって、レスカは戦いにおいて己に相当厳しい。若干十五歳とは思えぬほど、敵に対しては残酷で辛辣。油断を見せないその出で立ちに、アンナは幼き頃の自分と姿を重ねるほどであった。
(──見えた!)
エメラルドグリーンの瞳が捉えたのは、戦闘民族の少女、それにその腕に抱えられる血塗れの海賊、そして──
「……兄上」
──今度こそ必ず息の根を止めると、己に誓った兄の姿。
背中の刀、黒椿を抜刀し右手で握りしめた。左手も同じく固く握り、拳に
──ゴオオオオオォォォォッ!
その左拳から深紅の炎が放たれた。兄──レンは軽く体を捻ってその攻撃を避けながら、最愛の妹の姿を愛しげに見つめた。
「探したわよ、兄上」
「来たか……」
レンから離れた位置で、ざりっ、とアンナが地を踏みしめる。一瞬だけ視線を反らし、それをレスカとエディンへと向けた。
「──えっ」
レスカの腕の中で横たわる、胸から血を流すエディンの姿。
「うそ……よ。なんで……なんで……」
レンが拳に
「アンナさん……」
「……レスカ、どういうこと」
「アンナさんは知ってたの? エディンがライル族だってこと」
「……ごめん」
アンナが初めてエディンに会った十一年前、彼がファイアランス軍に入隊したいと、フィアスシュムート城にやって来たあの時はまだ──彼は己の姿を偽っていなかった。
目にも鮮やかな橙色の髪を風に揺らし、悲しみに満ちた
「取り込み中に悪いが」
レンの放った
「──なら邪魔すんな!」
──バリバリバリバリ! バリバリ!
立ち上がったレスカが、レンと同様に拳から
「アンナさんっ!」
月欠を構えレスカが飛び出したのは、アンナがエディンと向き合う時間を作る為だった。レスカを振り返ったアンナは黙って頷くと、エディンの頬に触れた。
「……ばかじゃないの、あんた」
レスカに正体を知られたら最後──自分がレスカの前で
「……本当にばか。ねえ、エディン」
涙声で名を呼ぶも、応える者は誰もいない。
(もう、誰も失いたくないのに──!)
「──ふざけやがって」
エディンの目をそっと閉じてやる。洞窟の角へ彼の体を寝かせると、アンナは立ち上がる。因縁の兄との決着をつけるため、死した友に背を向け、彼女は一歩──また一歩──前に進む。
「殺す。絶対に。だから、見ていて」
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