第百話 必ず殺すと、そう決めてここに来たから
アンナの足首の外側で、
「行くよ、黒椿。頼むわよ、陽炎」
改めて黒椿を握り直し、後腰の陽炎にそっと触れた。
──ギュンッ!
レスカと退治しているレンとの距離が、一気に縮まった。左手の上で大振りな
「レスカッ!」
──叫び、投擲した。
アンナの声よりも槍の気配を察知したレスカは、後転してそれを躱す。炎の槍はレンとのレスカの間を通り抜け、洞窟の壁に直撃した。大きく抉れた岩壁を見てレスカは息を呑む。
──キィンッ! キンッ!
「気のせいかしら、兄上。その左腕、切り落としてなかった?」
ブエノレスパでの儀式の後、
「ああ、これか。これは義手──というよりも、化け物の腕だ」
「化け物?」
ぶつかり合っていた刃を強く押し込み、それをレンが弾いた瞬間、アンナは左拳を彼の頬に撃ち込んだ。バキッ、という嫌な音の直後レンの口から血が滴る。
「人が喋ってるときに、顔を殴るんじゃねえよ!」
レンの反論もお構い無しに、アンナは同じ拳で今度は鳩尾を殴り付けた。刹那、レンの刃が振り下ろされる。
──キイイイィン!
ぶつかり、弾き、またぶつかり合う。耳をつんざくその音の最中、レンは懲りることなく口を開く。
「お前も見てきたんじゃねえのか? テーベの身体再生。あれの応用だ」
「応用……ということは兄上、その左腕はもう──人ではないということね」
人型のアグリーの中でも、テーベにだけ施された身体の再生能力。特殊な縫合糸を使い体を縫い合わせれば、人型のアグリーの体は再生するのだが、テーベの体はそれとは違う。斬られても貫かれても、勝手に体が再生するのだ。
──最も、今となっては灰も残らぬ彼女の体。アンナの黒い炎によって完全に消滅してしまった、ルーク直属の部下テーベ。
「よくわかってるじゃねえか! 触りたければ触っても良いんだぞ!」
「誰が」
ブンッ、とアンナの左足の回し蹴りがレンの首に迫り、
──ゴオォォォォッ!
放たれたそれは寄り集まった炎の渦となってアンナを襲う。
「っ……!」
身を横に反らしてそれを回避するも、がら空きになったアンナの懐に、レンの左拳が炸裂した。
「がッ……! うぅっ……」
「効くだろ?」
よろけた体を地に突き刺した黒椿で支えるも、直後に吐血。アンナは頭を振りレンを見据えたが、思うように体に力が入らない。
「なん……で」
左腕一本が人型のアグリーと同等のものになっただけなのに、この腕力。完全な人型のアグリーはここまで強くなかったはずだ。
「ああ、この力のことか?」鼻で笑いながらレンは続ける。「あいつら人型のアグリーはアレだ、力を使いこなすのが下手だったんだ。折角強靭な肉体を与えてやったというのに……力を生かしきれなければ弱者も同然。その点俺は慣れるのが、というよりも馴染むのが早かったんだよなあ。だからこうして、」
──キイイイィンッ!
「人の話は最後まで聞けと、親父に散々言われて育っただろうが!」
「もう人じゃないんでしょ、兄上は!」
横に薙いだ黒椿が、レンの腹部を掠めた。少し触れただけにも関わらず、傷口からはパッ、と血が溢れ出る。
「相変わらずの切れ味だなあ、黒椿は!」
「祖母上も殺したがってるのよ、身内殺しの孫をね!」
アンナが祖母アリアから受け継いだ黒椿。抜群に斬れる、血を吸いすぎた殺人刀。
「さっさと殺して、この馬鹿みたいな計画も止めるのよッ!」
「ならば早く殺してみろッ! 俺を殺せば右腕の呪いも解けるんだしなあ!」
後転してレンと距離を取ったアンナは、両足を広げて踏ん張ると、あろうことか黒椿を槍のようにレンに向かって投擲した。掠めただけであれほどに斬れる刀だ。顔を青くしたレンは、己の刀で黒椿を地に叩き落とした。
「──なっ!?」
刹那、黒い炎の大波がレンを襲う。飲み込まれれば最後、跡形も残らぬことは身をもって知っていた。
「馬鹿め! これほどに黒炎を出しては、お前の体も保たんだろうが!」
黒い炎がレンの眼前に迫った──その瞬間。
──ズバンッ!
「う…………なっ……!?」
目の前の炎は消え去り、レンの背後から現れたアンナ。陽炎を抜いた彼女は、音もなく彼の背後に回り込み、背中を斬りつけた。そして──
──カンッ──ドッ──…………。
足元に転がっていた黒椿の柄を蹴り上げて左手で掴み上げると、そのままレンの胸を貫いた。
「誰が炎で消してやるもんですか……兄上。殺すときはこの手で斬ると、ずっとそう決めていたのよ、あたしは」
うつ伏せに倒れたレンの横にアンナは立ち尽くす。黒い炎を出しすぎたせいか、息をするだけで肩が大きく揺れている。
「仇を……みんなの、仇を」
「早く……殺せ……殺してくれ」
うっすらと微笑んでいるレンの顔は、アンナからは見えない。陽炎を後腰にしまった彼女は、両手で黒椿を握りしめる。
「もう、迷わない」
「ああ」
「みんなの、仇を……」
「早く」
「っ…………祖母上、フォード、フェル……」
「アンナ」
「あに、うえ……」
「……早く」
「うっ……うぅ……」
「……早く殺せ!」
「う…………ああああああぁぁぁぁぁっっ!」
アンナの叫びと共に黒椿はレンの心臓に向けて振り下ろされる。両目から溢れ出した涙が、彼女の頬を濡らしていた。
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