第八十七話 決戦前夜

 幸せの色に染まる挙式会場を、遥か遠い建物の屋上から眺める二つの人影。

 目付きの悪い男は赤銅色の長髪と枯色かれいろのコートの裾を揺らしながら、感慨深そうにその光景に見入っていた。


「カリスト、お前もこれ使うか?」


 言いながらスコープチューブを差し出す──レン・F(ファイ)・グランヴィ。


「いやー、いいっす」


 顔の前で手をヒラヒラと振る男──カリスト。癖の強いスカイブルーの短髪にくりくりとした金色の瞳。素肌の上に簡素な革のベストを直接羽織り、ゆったりとしたハーフパンツという軽装。彼のあるじに対する態度も、服装に比例するかのように軽い。


「レン様の妹の結婚式なんて見ても、しょーがないですもん」


 そう言って欠伸を一つ。


「やはりレダではなく、お前を連れてきて正解だったな」


 レダは勘の鋭い女だ。ひょっとしたら自分の企みに気が付いているかもしれない──危険すぎると判断したレンは、レダの代わりにカリストを連れてアンナの花嫁姿を覗きに来たのだった。


「綺麗だなあ……」


 自分もあの場に並び、共に祝福できたならどれだけ幸せだっただろうと、心の中でひとりごちる。


(叶わぬ願いだと分かっているから、こうして覗いているわけだが──)



「さてと、そろそろ帰るか」

「へー、もういいんですか?」

「ああ」


 殺される覚悟はとうに出来ていたが、これで心置き無く旅立てる──とは、流石に口に出さないが。


「俺を殺して早く幸せになれよ、アンナ」


 小声で呟いた彼女の兄としての本心は、国民達の拍手喝采に飲み込まれて、消えた。





 夜も更け、そっと寄り添う二人を月明かりが照らしている。


 ここはアンナの私室──螺旋階段を上った先の半二階になっているベッドスペース。

 アンナとエリックはベッドの縁に腰掛けながら指を絡め、カーテンの隙間から覗く月をぼんやりと眺めていた。



 挙式と披露宴は滞りなく終了した。披露宴といっても小規模なもので、挙式に出席していた親族に臣下──ネスにベルリナ、それにミリュベル海賊団が出席したのみであった。


 ファイアランス王国は自国の祝賀事に、他国の王族は招かない慣わしだった。巻髪に生花を散りばめたアンナの、美しいアイスグリーンのカラードレス姿を拝めたのは、ごく一部の人間だけだったということだ。




「いよいよだね……アンナ……」


 アンナの血色の髪に顔を埋め、彼女の腰に手を回すエリック。寄り添っていた体をぴたりとくっつけ、物悲しい声で彼女の名を口にする。


「目的は必ず果たすわ……でも……」


 彼女の言う目的。十八年前に家族と臣下、それに多くの国民を殺した兄──レンをこの手で殺すこと。そして、無名から神石ミールを取り返し、せかいのおわりを止めること──である。


 アンナからすれば、せかいのおわりを止めることよりも、兄を殺すことの方が重要であった。彼女の中でははあくまでも神石ミールを取り返すことなど、造作もない──と言ったら大袈裟ではあるが、それほど大変なことではないだろうと思っていた。


「ちゃんと殺せるか、この期に及んでも不安なることがあるの」

「ちゃんとって?」

「……ブエノレスパを飛び出して、兄上を追って……殺せると確信できる所まで追い詰めたのに、出来なかった」


 体を横倒しにし、こてん、とエリックの膝に頭を乗せるアンナ。彼の身につけるガウンをきゅっと握り、力無く吐露をする。


「父上にも言われた通り、あたしは最後の最後で甘いのね」


 今回だけではない。過去にも何度か同じようなことがあった。その度にアンナは、あと一歩というところで、レンを殺し損ねていた。


──否、殺したくない理由があった。


「君はまだ、兄上と分かり合えるかもしれないと思っているのかい?」

「思っているから、殺せなかったのよ」


 ひょっとしたら何か理由があって、皆を殺したのかもしれない。ひょっとしたら何か理由があって、自分にあんなことをしたのがもしれない。

 そんな不明瞭な理由にすがり、塵の一粒のような希望に願を込めて。アンナは兄を殺す手を止めてきたのだった。


「君が兄上を大切に思っていることは、分かっているよ」


 膝に乗るアンナの頭を撫で、髪をすいた。


「でもね、変な期待はしない方がいいと思うよ。俺は君を為に……何も出来なかったけど、今の──これからの君に忠告をすることくらいは出来るんだよ」


 彼女を救おうとし、死んでいったフォード。失敗したシナブル。諦めたエディン。

 エリックはどこにも当てはまらない。彼は何もしていない。ついた傷を出来るだけ癒し、寄り添い、励ますことはできた。しかし、毎日のように愛し合い、彼女の本質を見続けてきた彼には、自分が死力を尽くしたところで、彼女の傷が塞がるとは思えなかったからだ。


「殺すと決めて、それを口に出し続けるのなら、ちゃんと殺さないと駄目だ」

「わかってる、それでもあたしは……」

「アンナ」


 エリックの膝から身を起こし、肩に掴みかかるアンナ。「ごめん……」と彼から目を反らすと立ち上がり、ベッドの傍の大窓の前で頭を垂れた。


「わかってる……わかってる。今度こそ、絶対に仇をとるわ」


 両手で己の頬をぱしんと叩き、気合いを入れる。


(思い出せ……思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。兄上は皆に何をした? あたしに何をした? 殺したいほど憎いと、恨み続けてきたはずでしょ? 昔のような仲の良い兄妹に戻れるなんて考えるな)



「大丈夫、大丈夫よ。絶対に殺す」


 言ってアンナは拳を握り壁を叩く。その手を取り彼女の体を引き寄せると、エリックは彼女の体を抱きしめた。


「無事に、帰ってきてくれ」

「ええ」

「帰ってきたら、子供の名前を一緒に考えよう」

「そうね」


 少しだけ開いていたカーテンをアンナはしっかりと閉じると、倒れ込むようにエリックの腕の中に飛び込んだのだった。




「眠れない……」


 間もなく日付が変わろうかという時間になっても、ネスは眠れずにいた。


 なんとなく一人でいるのが怖かった。こんな時、真っ先に頭に浮かぶのはアンナの顔だった。



 彼女に、会いたい。



「って、何を考えているんだ俺は」


 身を起こしたベッドの中で頭を掻きむしり、アンナの顔を振り払う。明日のことが不安で眠れないからと言って、結婚したばかりの女の部屋を訪ねるのは、流石に常識外である。


(きっと取り込み中だろうしな……って、俺はまた何を考えているんだ)


 己の頬をビンタして叱咤。これからのことに思考を巡らせる。明日はいよいよ無名の討伐に出発するのだ。


神石ミール、取り返せるかな……ちゃんと兄さんを説得出来るかな……いや違うだろ、俺が、。世界も、アンナも、救うんだ」


 決意を新たにネスは拳を握る。彼の責任感と正義感は、故郷を離れたあの時とは比べ物にならないくらい膨れ上がっていた。


──しかし、膨れ上がり張りつめたモノは、いつかは萎むか弾けるか──どちらにしても維持し続けることは出来ないのだ。





 彼はまだそれを知らない。


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