第六十七話 女心、男知らず

 レスカ・ライル・ユマは十五歳になったばかりの、ライル族の少女だ。


 彼女の家系は一族の族長を代々担う、謂わば破壊者デストロイヤーの任を引き継ぐ選ばれた家系なのである。


 先々代の破壊者であり、彼女の父ランディル・ライル・ユマは、九年前に戦で散った。彼が死んだことにより、破壊者を引き継ぐはずだった長男のラジュールも、同じ戦で命を落とした。


 レスカが三歳の時──つまりは十二年ほど前、ライル族の里は何者かに襲撃された。その時、レスカの二番目の姉レティアを含む数十名が命を落としたことにより、族長を引き継いでいた先代破壊者(デストロイヤー)で長女のレイシャはある決断をした。


『滅ぼされる前に、匿わねば』


 レスカを含め他の家系からも数名の子供達が、里から程よく離れた場所に作られた隠里に匿われた。それを統括していたのがローリャ・ライル・ローズ──彼女の伯母だ。これがレスカが九歳の時の話。


 そしてそれから二年後、不穏な動きをする奴等がいるとの情報を掴んだ族長レイシャは、隠里の子供たちを解き放ち、ライルの里に近寄らせないよう処置をとった。全ては数少ないライル族の絶滅を阻止するためだった。


 里から離れ生活が安定してきた頃のことだ。

 伯母であるローリャは一度ライルの里の様子を見てくると、隠れ里から連れてきた子供たちに言い残し、姿を消した。

 ローリャが里に戻ったちょうどその頃、ライル族の里は二度目の襲撃に合っていた。救い出した幼子たちを連れ、彼女がレスカ達の所に戻ると、家の中はもぬけの殻──誘拐、所謂人身売買というやつだった。戦争の道具として、ライル族は高く売れるのだ。


 ローリャは、死力を尽くして皆を探したがおよそ半数は見つからず──今に至る。


 一方のレスカはというと、仲間達とバラバラに売られた船の上で一人、全身血にまみれて呆然としていた。自分を売ろうとした者達を皆殺しにした彼女は、行き場を失い途方に暮れていた。


 そこへ通りかかったのが、エディン率いるミリュベル海賊団の船だった。狂戦士だった彼女は、そこから一人の海賊として生きていくことになる。


 しかし彼女は知らない。エディン・スーラがライル族であるということを。彼女がそれを知ったとき、きっとエディンに迫るだろう──子を作らせろと。

 命を大切にしないライル族は、滅びるべきだとエディンは唱える。しかしレスカはその逆で、数を増やして繁栄させるべきだと叫ぶ。


 レスカがエディンの正体を知り得るとするなら──きっとそれは、どちらかが死ぬ時なのだ。 




「どういうこと……」


 船長室のドアの外で目を見開き立ち尽くすレスカは、思いがけず耳にしてしまった事実を、受け入れることが出来なかった。


「レスカ! お前、いつからそこにいたんだ!」


 エディンの叫び声にレスカは肩を震わせた。実際のところ彼女は、エディンの声に怯えたのではなく、その見たこともない表情に怯えていた。

 怒り狂い恐ろしい、というものではなく──絶望の淵に追いやられ、何かを覚悟したような、そんな男の顔だった。


(どうして……そんな顔をするの、エディン)


 勿論レスカには何故エディンがこんな顔をするのか、分かるはずもない。


「レスカ、頼む……いつから話を聞いていたのか、教えてくれ」

「ごめんなさい……聞くつもりはなかったの。エリックさんが外にいるのを見かけたから、終わったのかなって思って、それで……」

「そんなことはいいんだ! レスカ頼む、お前はいつから話を聞いていた」

「エディン、どうしてそんなに必死なの?」

「──っ……それは」


(明らかに怪しい。何の話をしていたのだろう。よっぽどアタシに聞かれたくないことを話していたってこと?)


 言葉に詰まったエディンを押し退け、レスカは船長室に踏み込んだ。困惑するネスとウェズの横を通り抜け、彼女はアンナの前で立ち止まった。


「……アンナさん」


 つり目の端に涙を溜めて、レスカはアンナの肩を掴んだ。


「どうして!」

「な、なにが!?」


 アンナも若干困惑気味だ。


「妊娠五ヶ月って……無名が襲撃して来た時、あんなに暴れ回って……! いいと思ってるの!?」

「いや、ごめん……自分でも気が付いていなかったからさ」

「そうだとしても! 駄目じゃない! もっと体を大事にしてよ! ほらまたそんな格好をして……体は冷やしちゃ駄目なのよ!」


(どこのお母さんだよ……)


 突っ込みを入れたい気持ちを押さえて、ネスは無限空間インフィニティトランクからブランケットを取り出し、アンナの膝に掛けてやった。


「あ……ありがとう」

「あらネス、気が利くじゃない」


 女子二人に褒められ、「はぁ、どうも」と声を漏らし、ネスはちらりとアンナの腹を盗み見た。


(全然分からない……元々細身だからなのかな)


「それよりも!」


 体ごと大きく振り返ったレスカは、キッと目一杯目をつり上げて、エディンとウェズを睨んだ。


「なに、二人ともファイアランス軍にいたの?」

「う」


 エディンが唸り声を上げた。


「それになに、騎士団壊滅事件。ブエノレスパでその話題が出たとき、何も言わなかったじゃない、ウェズ」

「う」


 ウェズも同じような唸り声を上げた。


「いつもそうやって、アタシは蚊帳かやの外。はあ……もう慣れたけどね……。後で詳しく聞かせてもらうわよ、御二人とも」

「お、おおぅ」


 ウェズは返事をしたが、エディンは何も言わなかった──言えなかった。


(その話からしてくるということは、レスカは俺がライル族だって話は聞いていなかったのか……よかった)


 エディンは一人胸を撫で下ろした。


「ところで、アンナさん」


 怒りをぶちまけて幾分落ち着いたのか、レスカはアンナに向き直り、彼女の顔を覗き込んだ。


「結婚式のことも気になるんだけど──それより、あれってなに?」

「……なんのこと?」

「ベルリナ団長が言ってたじゃない、『最後のあれ』って。あれって何なの?」

「な……な……っ!」

「アンナさん?」

「レスカっ、ちょっと来なさい!」


 今日何度目だろう、アンナはまたしても顔を真っ赤にし、レスカの首根っこを掴んで部屋の隅へと連れて行く。


「なあ、俺も気になってたんだけど、何なんだ『あれ』って」


 部屋の隅で小声で何かを話し始めたアンナ達を尻目に、ネスはエディンとウェズに問い掛けた。


「「馬鹿かお前っ!」」


 問い掛けられたエディンとウェズは、同時に叫ぶ。二人揃ってアンナと同じような顔をしている。


「ちょっと、来い!」


 そしてレスカがされたのと同じように、ウェズに首根っこを掴まれたネスは、女達とは反対側に引きずられて行く。


「ったあ……なんだよ!」

「なんだよじゃねぇよ、お前はよっ!」


 何故だかウェズは怒っていた。エディンは溜め息をつき、目を合わせてくれない。


「いいか、女にはな……その、なんだ……あれだ、」


「ええええ! なにそれぇっ!」


 レスカの大声により、ウェズの説明が一時中断する。


「大声出さないでよ!」

「ごめんなさい……え、アンナさんそれって──なの?」


 後半は小声になり聞き取れない。勿論ネスの耳はそちらに向いている。


「だから────」

「お片付けってこと?」

「ばかっ! 違うから! そっちの意味じゃないから!」


 ちらっと後ろを確認したアンナと視線がぶつかった男二人は、赤面して顔を伏せた。


「何なんだよ一体」

「ネス、お前本当に知らないのか……」

「だから、なんのこと、」


「ええええ! そ、そうなの!?」


 またしても中断される会話。

 レスカは口をぱくぱくさせながら、ネスに向かって走ってきた。


「な、なんだよ」

「ごめんネス……まだ無理だったみたい……」

「はあっ!? レスカ、どういう意味よ!」


 小走りにアンナが近寄ってくる。しかしどうやら男達と目を合わせるつもりがないらしい彼女は、伏し目がちに距離を詰める。


「アンナさん、ちょっと……」


 そう言ってアンナの手を取り、ネスから離れるレスカ。

 何やらごにょごにょと話をしている。


 今のうちだと言わんばかりに、ネスはウェズに説明の続きを催促した。


「はあ……分かった、分かったよ」



「色々とすいませんでした……」


 ウェズから全ての話を聞き終え、ネスは縮こまって頭を下げていた。


「女性がそんなに大変だとは、知りませんでした……」

「ふん、分かればいいんだ」


 腕を組み、得意気なウェズのこの口振り。


「お前、男だよな」


 とネスが言うと、ウェズは「俺は男だが、女性の味方だ」などと、あからさまに格好をつけた台詞を吐いた。


 因みに男三人の顔はまだ赤い。


「……おい、ネス」


 背後から、ぬっと伸びてきたのはアンナの腕だった。顔は──言うまでもなく、恐ろしい。


(これは絶対に怒られるやつだ……!)


「なんでしょうか……」


 ネスはアンナから目を逸らし、よそよそしい態度をとる。


「とぼけるなよ……。あんた、レスカに何をしたのよ。故郷に大事な子がいるんじゃなかったの?」


(すみません、本当に怖いです!)


「い……いやあ、それは……なあ、レスカ」


 レスカに助け船を出すも、肝心の彼女は下を向き、もじもじと恥ずかしそうにスカートの裾を握りしめている。


「おおおおい! レスカ! 何とか言ってくれ! でないとアンナに殺される!」


 そんなネスの首筋を撫でる冷たい視線が、背後に二つ。


「おい、ネス」

「は……はい、なんでしょうかウェズ様……」

「お前が、レスカに、何をしたって?」

「いや、それは」

「おい、ネス」


 冷えきった視線をウェズから向けられている最中、同様の視線がエディンからも向けられる。


「お前、うちのレスカに何をしたって……?」


(怖いから! みんな怖いから!)


「それは……あれです……その、レスカ頼む、助けてくれ!」

「みっともないぞネス!」


 両手を掲げ、掴みかかってくるウェズの攻撃をひらりと躱し、ネスは入口のドアノブを握る。


「ひとまず、逃げる!」


 言って、細く開けたドアの隙間からするりと身を滑らし、ネスは駆けた。


「ああ! てめぇ! 待てこの野郎!」

「待ってウェズ! アタシが説明する、ちゃんと説明するから!」


 やっと口を開いたレスカは、ネスのいなくなった室内で一人、覚悟を決めた。



「酷い目にあった……」


 悪いのは自分だと分かってはいたが、流石にあの状況で──レスカが口を閉ざしたままの状況でネスが何を話そうと、アンナ達から殴られる結末は回避出来なかっただろう。 

 

「まあ、殴られて当然なんだけどな────あれ、エリック?」


 ネスの視線の先に、船縁ふなべりに肘をつきウトウトと船を漕ぐエリックの姿があった。その周りに人気ひとけはなく、彼の存在だけがぼうっと浮かび上がっているように見える。


(あのままだと、海に落ちるんじゃないのか……?)


「エリック」


 柔らかな寝顔を向けるエリックに、ネスはそっと声を掛けた。

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