第六十話 修羅場

「言いたいことはそれだけか」


 先程と変わらず、酷く冷たい声のままルークは言う。レスカは何も答えず、口をつぐんだままだ。


「リンネイは、間違いなく俺を愛してくれていた。俺だってそうだ。あの時道に迷い、傷だらけだった俺を、彼女は救ってくれたんだ」


 ルークは顔を上げないままだったが、目線はしっかりと目の前の二人を捉えていた。


「俺たちは惹かれ合った。年齢なんて関係なかった。それから程なくしてリュードが生まれた。そして一年と少しが経った頃、ライルの里は襲撃され、リンネイは俺達三人を庇って死んだ。それだけだ──それだけのことだ」


 それだけのこと──ただそれだけのことだ、とルークは繰り返した。まるで自分に言い聞かせるように。


「……それだけのことだって?」


 愛し合い、子供までもうけた女性の死が、「それだけのこと」だというのか。


「兄さん……おかしいよ、兄さん」震える声でネスは言う。「どうして、どうして『それだけのこと』だなんて言いながら、そんな顔をするんだよ」 


 涙こそ流してはいなかったが、ルークの顔は丸めた紙屑のように、皺くちゃで見るに耐えないものだった。それはネスが今まで見たことのない、兄のだった。


「俺が、俺がしっかりしないと……俺が気丈に振る舞わなければ、子供たちはどうなるんだ。あの子達は……目の前で母と姉を殺されたんだ。俺が……俺が」そう言ってルークは右手のひらで顔を覆った。


「──すまない」




 誰も言葉を発することが出来なかった。三人とも下を向き、聞こえてくるのはリヴェとリュードの楽しそうな笑い声だけだった。



「兄さん」


 意を決してネスは口を開いた。


「兄さんがレスカの母さん──リンネイさん、それにリヴェとリュードを大切に想っていることはよく分かった。でも……どうしてそれなら、兄さんは世界の終わりを望むの?」


 ルークが所属しているのは、世界の終焉を助長する組織──「無名むめい」なのだ。大切な子供二人を抱えているのに何故、そんな組織に所属しているのか、ネスには理解が出来なかった。


「俺が……俺が、弱いからいけないんだ。こんな世界……リンネイのいない世界でなんて。生きていたくないんだ……」


 一度言葉を切り、マグカップに口をつけて、多少の落ち着きを取り戻したルークは、先程よりもゆったりとした口調で続ける。


「死にたいんだよ、俺は。でも、子供たちを残して、俺だけ命を絶つなんて出来っこない。ましてや二人を道連れにするなんて、もっての他だ。だから……世界の方が滅びてくれれば、終わってくれれば全て解決するんだよ」淡々とした口調でルークは続ける。「だから俺は……故郷を滅ぼして、母に手をかけてまで神石ミール浅葱あさぎを奪おうとしたんだ」


「そんな身勝手な!」


 堪えていた感情を爆発させ、レスカが立ち上がった。身を乗りだし、向かいの席に座るルークに、今にも殴りかかりそうな勢いだ。

 そんなレスカの両肩を掴み、彼女を制しながらネスは言う。


「兄さん、いつからそんなに弱くなったの」


 ネスの記憶の中の兄はいつだって正しくて、真っ直ぐで、曲がったことが嫌いで、弱者には手を差しのべ、誰からも慕われる、そんな存在だったのに。


「俺はずっと弱いさ。ネス、お前は強いな。お前が知らなかっただけで、俺の本性なんてこんなもんだ。父さんは俺の本性に気が付いていたんだろうな。だからお前を破壊者デストロイヤーの後継に選んだんだ」


(父さんが俺を後継に選んだのは、そういう理由だったのか)


「いけないな。つい感情的になって──話しすぎてしまったな。これも父さんの血のせいだな」


 そう言ったルークの顔は、能面でもなければ紙屑のようでもなく、ネスの知っている、感情を持つ昔の兄の顔になっていた。


「父さんの──血? って、なんのこと?」


 ネスはふと、ブエノレスパで翁が言っていた「お主にはシムノンと同じ賢者の血が、脈々と引き継がれておるんじゃ」という言葉を思い出した。


(同じ意味なのか?)


「なんだ、お前、ブースの血族の特性を知らないのか?」

「特性? なにそれ?」


 そんなもの、ネスは聞いたことがなかった。ひょっとしたらアンナは知っているのかも知れないが、面倒臭がりな彼女のことだ。きっと知っていて教えてくれなかったという可能性が極めて高い。


「ついでだから教えてやろう──『みず』は全てを映し、反射させる鏡のようなものだ。それは時に人の心をも映す。相手は自分自身とと向き合って会話をしているように錯覚するんだ。そのせいで心の底に隠しておいた感情を、露にし、吐露させてしまう」


「──だからか」

「なんだ、他にも思い当たる節があるのか」

「ありありだね……」


 母さん……シナブルにエリック、アンナにエディン、それにウェズもそうだった。彼等は皆、揃ってネスに過去を打ち明けたのだった。


「きっと俺には耐えられない。人の弱い部分を吐露されまくって、それを一緒に背負っていくなんて、俺には無理だ。お前は強いな、ネス」

「そんなこと、ないよ」


 共に背負っているつもりなんて、ネスにはなかった。ただ彼等が、自分に話すことによって楽になるのなら、いくらでも聞こうと、そうとしか考えていなかった。


「ネス、いつまで掴んでるの。痛い」

「あ、ごめんレスカ」


 レスカの肩を掴みっぱなしだったことを、ネスはすっかり忘れていた。恨めしそうにネスを睨むと、レスカは息を吐いて椅子に座った。


「もうこの話しは終わりでいいの?」


 声のトーンからして、レスカが怒ったままであることは、すぐに分かった。


「言いたいこと、言ってもいいかしら」

「レ、レスカ、頼むから落ち着いてくれ」ネスは片手でレスカを制しながら言う。「もう殴ったら駄目だよ」

「わかっているわよ」


(……あんまり説得力がないんですけど)


 瑠璃色コバルトブルーのレスカの目は、いつも以上につり上がっている。そして大きく息を吸うと、彼女は大声で叫んだ。


「あんたみたいなイケメン細マッチョ、父さんだなんて認めないんだからっ!」


 と。


 レスカは、淡いグレーのノースリーブから伸びる、ルークの腕を指差して言った。


「いや、何言ってんだよレスカ」


 確かにルークは、「イケメン」と称される顔立ちではあるし、細身ではあるが筋肉質な体でもある。


 しかし、だ。


「今そういう空気じゃないからさ……」


(……なんつーこと言うんだ、こいつは)


「君が認めようが認めまいが、俺が君の新しい父さんであることは、変えようのない事実だ」

「いや、兄さんも真面目に返さなくていいからさ」


 ネスは頭の中で状況を整理する。


 レスカの実母リンネイとネスの実兄ルークが子を成し、婚姻関係があるかどうか、定かではないが──仮にあるとなると、二人は夫婦だ。


(ってことは、俺はレスカの義兄ってことか!?)


 更にリヴェとリュードは甥ということになる。


(ちょっと待てよ……)


 レスカの実母と共に死んだという姉は、エディンの恋人──レイシャなのだということを、ネスは思い出した。


(恋人ってことは、結婚はしていなかったんだよな……? 仮にエディンとレイシャさんが結婚していたら、俺はエディンとどういう関係になるんだ……?)


 脳内でバラバラだった紐が複雑にこんがらかり、ネスの頭はパンク寸前になっていた。


「娘が一人増えたな……」

「娘って言わないでよ! 認めないって言っているでしょ!」


(この話の落下点が見えねえよ、俺)


 テーブルに肘をつき、頭を抱えるネスの後頭部を、渇いた音と軽い衝撃が襲った。どうやらレスカがネスの後頭部を叩いたようだった。


「帰るわよ、ネス」

「は?」


 席を離れ、庭で遊ぶ二人の弟たちに別れの挨拶を告げに行ったレスカと、ハーブティーを優雅に飲み干すルークの間で、ネスはうろたえた。


「ネス、聞きたいことは聞けたのだろう。だったらあの子の言うように、もう帰れ」

「兄さん……」


 ほんの少し前まで感情的だった兄の声は、いつの間にか冷たく抑揚のないものに戻っていた。


「いくらお前が俺を説得しようと、俺の決意は変わらない。世界を終わらせ、俺はリンネイに会いに行く」


 何も言えなかった。

 死人に会いに行くなんて。

 口から出かかっていたネスの言葉は、喉の奥に押し込まれることもなく、その場で消滅した。


「お前が神石ミールを持っていないことはわかっている。レンが戦姫いくさひめから奪ったみたいだからな」

「……アンナが?」

「そうだ。お前とはここでお別れだが、その内、神石を奪い返しにやって来るのだろう。その時は──」


 ルークは真っ直ぐにネスを見据える。

 ネスも真っ直ぐにルークを見据えた。


「その時は、容赦しない。俺は俺の望みを叶えるため、全力で戦う」



 リヴェとリュードへ別れの挨拶を済ませ、ネスとレスカは船着き場へと帰路を急ぐ。

 急ぐと言っても二人の足取りは、沼にはまったかのように重く遅い。


 道中、二人は一言も言葉を交わすことはなかったが、船に到着した時、レスカは一言だけぽつりと本音を漏らしたのだった。


「あの人、父様とうさまに似てた……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る