第五十四話 君の好きなところ
派手な色のゴーグル状のサングラスをかけ直し、身に付けている薄いグレーのつなぎの襟を正すと、男はすくっと立ち上がった。
「俺と君がこうやって会うの、何年ぶりか知ってる?」
「覚えていない知らないどうでもいい」
「即答! その上、早口だなぁ」
不機嫌そうに顔を逸らしたアンナの頬を、男は軽くつついた。
「四年ぶり。サンリユスで会って以来だよ。あの時はさせてもらえなかったから、えーっと、かれこれもう……」
「それ以上言ったら斬り捨てるわよ、ミカエル」
「おー、怖い怖い」
尖った耳を持つこの若い男はミカエル・フラウン。五日前、アンナがレンと戦った後に連絡を取った、あの男だ。
見かけには爽やかなエルフなのだが、性格がかなり難有りである。
「それで、頼んであった調べ事は?」
「お任せあれ。ちゃんと調べたよ」
アンナは怪我の治療と、もう一つ、「無名」の本拠地と構成メンバーを調べるよう彼に頼んでいた。本当に五日で調べたのだから、情報屋としての彼は、なかなかに優秀である。
情報屋としても一流のミカエルは、怪我の治療に関しては超がつくほどの一流である。
「それで、ホテルは?」
「
「流石だねえ。それじゃぁ行こうか」
ノルの「ムーンパゥルホテル」同様──いや、それ以上にこのナゼリアの「色衣」は一般人が簡単に宿泊することが出来ない、五つ星の中の五つ星ホテルなのである。
それにしてもこの二人が並んで歩くと、かなり目立つ。アンナの手配書の写真は二十年前のものなので、髪は短く瞳もまだ血色。今の彼女と見比べて、それが同一人物であると見極めることは難しいが、その道の者──分かる者には分かる。
(──アンナ・F(ファイ)・グランヴィだ)
(──あの殺し屋、何を堂々と)
ノルの町では、アンナが定めた「条例の内の一つ」によって、彼女が「アンナ・F(ファイ)・グランヴィ」本人であると気が付いても、声を掛けたり、直視することが禁じられていた──が、この町ではそうもいかない。アンナが殺し屋だと気が付いたものは彼女を睨み、そうでない者は、彼女の美しさに目を奪われ振り返る。いくらこの町の住人達の人柄が良いといっても、それに関してはどうしようもなかった。
勿論、それに気が付かないアンナではない。視線は鬱陶しいが、変装を全くしていない自分も悪いと言えば悪いのだ。変に絡んでくるやつは殺せばいい、というのが彼女なりの考え方だった。
一方のミカエルはというと、アンナと同様に目立つ。何が目立つかといえば、彼のその端麗な容姿。エルフの中のエルフ、といったところだろうか。すっきりと柔らかい目元にすらりと高い鼻、その下に添えられた薄い唇──は、擦れ違う女性達を魅了する。
アンナ同様、ミカエル本人もまたこんなことには慣れっこなので、全く気にかける様子はない。
たわいない会話をするうちに、二人は「
部屋の内装は、日の光が入り込むときらきらと反射し、目映い──眩しすぎるほどの白色でまとめられている。壁から天井にかけては勿論のこと、調度品や小さな小物類、シーツやカーテンに至るまで、全てが真っ白だ。
真っ白なソファに腰掛け、ウェルカムドリンクに口をつけながらミカエルは言う。
「それで、何回やらせてくれるんだい?」
「言い間違えているわよ」
アンナが睨むと、ミカエルは「えー」と残念そうに口を尖らせた。
「いつも思うんだけどさ、ミカエル」アンナは鬱陶しそうに髪をかき上げながら言う。「あたしのどこがそんなにいいのよ。こんな、死んで当然な女の」
ミカエルとアンナは、それなりに長い付き合いだが、彼女がこう言ったことを聞くのは初めてだった。いつも用件だけ済ませてさっさと去っていく──一緒にいる時間が濃厚なことに対する裏返しなのか、いつもあっさりと、霧のように彼女は姿を消す。ミカエルにとってアンナはそんな存在だった。
「君の好きなところを言えってことかい?」
「そういう解釈……」
「えーっとねえ」ミカエルはアンナが話しているのを遮って言う。「一つ、そのつっけんどんな態度。犯したときとのギャップが堪らない」
「ぶっ!」
らしくもなく、アンナがウェルカムドリンクを吹き出した、その音である。ごほごほと彼女はむせ込んでいるが、お構いなしにミカエルは続ける。
「一つ、その整った顔も体も素晴らしい。他の女とは比べ物にならない。一つ、人を寄せ付けないほど芯の強い性格。親しい中になるとデレてくれるのが最高。一つ気品溢れる素晴らしい所作、流石は一国の姫というだけのことはある。犯したときとの──」
「あたしが言いたかったのは、そういうことじゃ、」
「君といると、救われる心地になるから」
またしてもアンナの言葉を遮ったミカエルは、先程までとは別人のような低い声で、彼女を見据えて言った。
「いつも苦しんでいる君の傍にいると、ちっぽけなことに苦しんでいる自分が、救われたように錯覚させてくれるから」
ミカエルは、アンナの「苦しみ」を知っている。情報屋として知っているのではない。一人の男として、ミカエルは「それ」を知っていた。それは昔、アンナ自らが彼に漏らしたからだった。
アンナにしてみれば忘れ去れたい、過去の──汚点。
「
それに対してアンナは何も答えない。
別に酷いなんて、思っていない。
口には出さないけれど。
「君が今何を考えているか当てようか」
「結構よ」
「そんな顔をしていたらわかるさ。いつだってそうじゃないか」
「言わなくていい」
「俺に初めて抱か、ぶっ!」
コーヒーテーブルの上にあった、ガラス製の灰皿が、ミカエルの顔面に直撃した。というよりも、アンナが投げた灰皿が直撃した、と言ったほうが正しいのだが。
「全く……何年前の話をしているのよ」
「じゅう……ごめんごめん。流石にソファは投げないでくれ」
(本当にこいつは油断も隙もありゃしない)
「わかった、わかったよ。そんなに睨まないで……それで、『どちらから』済ませるんだい?」
アンナは入口まですたすたと歩いて行き、ドアの外側に「ルームサービスお断り」の札をかけると、部屋の四方に結界を張った。これで誰も入ってくることは出来ない。
「無名の情報からお願い」
「はいよ」
ミカエルは順番に説明をした。無名の構成メンバーの主要格は五人いること──その五人に、アンナの兄レンやネスの兄ルーク、それにあのクロウという少年が含まれていること。主要格達は、改造型の人型アグリーを二人連れていること──それにアグリーを自由に操る術を持っていること。
「本拠地はわかったの?」
浅く腰掛けたソファに前のめりになり、アンナは向かい合うミカエルとの体の距離を縮めた。それに対してミカエルは嬉しそうに口笛を吹く。
「どうして引っ込むのさ!」
ミカエルの行動が不愉快だったので、アンナは無言で身を引いた。
「仕事をしてよ」
「ちぇ……」
ミカエルによると、無名の本拠地はバルム大陸ズコ地方の
「……ミカエル、まさか」
「うん、行ってきたよ」
あろうことか彼は無名の一人を自ら追跡し、その本拠地を突き止めたという。
「なんて危ないことをするのよ」
語気を強めてアンナはミカエルを睨む。「もしも何かあったら──」
「なに、心配してくれてるの?」
ミカエルは静かな声でそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。
「そりゃあ、多少はね。でも、勘違いしないでよ」
突き放すように言うと、ソファから立ち上がったアンナはベッドに腰掛けた。
「服は?」
「全部ね」
黒いドレスの肩紐に手をかけ、胸が半分ほど露になったところで「あ」とアンナは思い出す。
「先にシャワーを浴びるわ」
「どうぞ」
手早くシャワーを済ませ、真珠色のガウンに袖を通し、アンナが部屋に戻ると、ミカエルは煙草を吸いながら立ったまま新聞に目を通していた。アンナは足早に彼の前を通りすぎ、ベッドに腰掛ける。
ミカエルはアンナがバスルームから出てきたことに気が付くと、煙草の火を消し新聞を畳んで、彼女の後ろに続いた。
「お願いします」
緩く縛っていた腰紐をほどき、アンナはゆっくりとガウンを脱いだ。露になる白く滑らかな背中。それとは対照的に、傷だらけで赤く
そんな痛々しい傷を上から順に確認して、ミカエルは頷く。
「仰向けになって──それじゃあ、始めるよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます