第五十三話 失礼極まりない男

 ライランデ半島より南東に進んだ先にある港町、ナゼリア。


 気候もよく、海にも面し、豊かで恵まれたこの町は、年中多くの観光客で賑わっている。食事も美味しく、住民の人柄もよい。


 そんな街中のオープンカフェのテラス席。真っ白なパラソルの下で、長い足を組み憂鬱な顔のアンナは、空になったコーヒーカップを見つめながら溜め息をついた。


 血色の髪、エメラルドグリーンの瞳、それに右腕の禍々しい刺青。

 彼女の左の肩から腕にかけて、それに両足にびっしりと巻かれた包帯。嫌でも目につくそれは、行き交う人々やカフェの店員達の視線を奪わずにはいられなかった。


(殺し屋……アンナ・F(ファイ)・グランヴィだよな……)


 アンナにコーヒーを運んだ若い男のウェイターは、彼女の隣のテーブルを片付けながら、目の端でチラリとその姿を盗み見た。目が合おうものなら、噛み殺されてしまいそうだ。


(この町でよくもこう、堂々としていられるもんだな。ここは騎士団の駐屯地だっていうのに……)


 当のアンナはそんなことを知ってか知らずか、周りの視線など気にするまでもなく、ウェイターに二杯目のコーヒーを注文した。この店のノンカフェイン・コーヒーは彼女の口に合ったようで、ついついニ杯目を注文してしまったようだった。



 あれから──イザベラと別れたアンナは、例の男──ミカエルとの約束したこの地に、丸々五日かけて到着した。


 運の悪いことにアンナは、イザベラと別れた半時はんとき後、例の地震による地割れに巻き込まれた。実兄レンとの戦闘で満身創痍だった彼女は、いつもなら避けられたであろうその自然災害を、避けられなかったどころか察知することも出来ず、不意を突かれるように、足元をすくわれるように──あっという間に巻き込まれた。


 右腕から湧き出す黒い炎を操り、なんとか挟まれた場所から抜け出したものの、体の左半分──肩から胸部、腹部、足先まで、アンナは痛々しいほどの大怪我を負った。

 大怪我に大怪我を重ねながらも、己の傷の処置を慣れた手付きで済ませた彼女は、三日間体を休めた後、丸々二日かけて、今朝ナゼリアに到着した。


(流石に痕が残りそうな怪我だったし……ミカエルに頼んでおいて正解だったか)


 と考えたところで即座に否定する。


(あいつに頼んで正解だったことなんて、今までただの一度もなかったんだったわ)


 アンナがミカエルに初めて出会ったのは、かれこれ十九年も前のことだったが、どれだけ月日が流れても彼の、どこか食えない態度が受け入れられなかった。


(治療の腕はいいんだけれど、それ以外の全てが問題ありなのよ、あいつは)


 そんなことを考えながら手元のコーヒーカップに口をつける。


(そういえばイザベラは一命をとりとめたのかしら。デニアは「イザベラを見つけたから、ブエノレスパに連れて行くよ」と通信をしてきたけれど、その後連絡がなかったし──)


 と。


「おやおやおやおや? そこに御座おわしますのは、ひょっとしてひょっとして戦姫いくさひめ様?」


 戦姫、と呼ばれ、アンナは顔を上げた。


 そこにいたのは見覚えのない顔の男だった。騎士団の制服、腕につけた腕章──あれは団長を示すものだ。


「初めまして、アンナ・F(ファイ)・グランヴィさん。僕はミルスラ・ミント。第十二騎士団の騎士団長だ」


 自分と同じ色の瞳にペパーミントグリーンの長髪。自分よりも少し年上に見えるティリスの彼、ミルスラは、後ろに控える部下の制止を無視し、アンナの目の前まで来ると、スッと右手を差し出した。


「はい、握手。仲良しになりたいんだよ、あなたとは」

「……」


 敵意は無さそうだ。しかし。


「昔、ベルリナ・ベルフラワーに同じことを言われて、ややこしい魔法をかけられたことがあるのよね」

「心外だなあ。僕はあんなに性格悪くないよ。それに僕は『穏健派』だよ。ああ、これはベルリナと一緒なんだけどね」


 右手で口元をそっと隠し、クスクスと笑うミルスラの仕草は、なんとなく色っぽかった。

「……ベルが穏健派?」

 アンナは訝しげにミルスラを睨んだ。「そんなわけないでしょ。あいつは……」


 そう。


 十一年前の「騎士団壊滅事件」。あの時、アンナは事件が終結する直前まで、ベルと対峙していた。

 第二騎士団本部──当時十六歳だったエディンを連れて、その場所に踏み込んだアンナは、ある一人を除いて全ての団員の命を取り、最後の最後にベルと対峙した。

 追い詰めて追い詰めて殺しかけたその時──父エドヴァルドからの連絡が入った──こうして、前代未聞の大事件は終結したのだ。



「ベルリナはね、素直じゃないんだよ」ミルスラはアンナの向かいの席に腰掛けながら言う。「君のことが大好きで、実力も認めている。好きすぎて、かまって欲しくて、意地悪なことを言っているだけなんだよ」


 なんだその理屈は、とアンナは眉間に皺を寄せ、頬杖をついてミルスラを睨んだ。

「あたしはあいつの部下を全員……ほぼ全員、殺したのよ? それなのに大好きだって……どういう理屈よ。意味がわからないわ」

「実力の無いものが死ぬのは当然。弱いから殺されたのだ。強ければ生き残れた……これは穏健派全体の意見なんだけどね」

「……そういうこと」


 そもそもアンナは、ミルスラの言う「穏健派」というものが存在していることに驚いていた。自分とエリック、それにエディンの三人で──まあ、エディン殆ど何もしていないし、当時、翁に「エディンが関わったことは口外するな」と釘を指していたのだが──世界中に点在する二十四団ある騎士団の内、十五団をほぼ壊滅させたあの──「騎士団壊滅事件」。恨みは嫌と言うほど買ったが、あの残虐行為を認めている騎士団長達が存在しているというのか──?


「アイザックなんて、君に強い憧れを抱いて、人間のくせに騎士団長まで這い上がった強者つわものだからねえ。シウラークだってそうだ。生き残った奴も、事件後に着任した奴も、君に憧れていたり、尊敬している奴は多いんだよ」


 僕もその内の一人なだけさ、とミルスラは笑った。


「……騎士団長」


 後ろに控えていたミルスラの部下の一人が、そっと近寄ってきて彼に耳打ちをした。「そろそろ戻りませんと──」

 あまり周囲に気をかけていなかったが、気が付くとアンナ達のいるカフェの周りには、野次馬の群れが出来上がっていた。有名な殺し屋と騎士団長が、何を話し込んでいるのか、皆興味深くて仕方がないようだった。

 ミルスラに流される形で、アンナもつい話し込んでしまったが、そもそも──


「ミルスラって言ったかしら? そもそもあなた、こんなところで何をしていたの?」


 突然現れて、友人のように親しげに、自分の話したいことをベラベラと口にした彼。


(初めて会うのに、なんだろう、本当に馴れ馴れしい奴だわ……)


 アンナはコーヒーカップに口をつけ、中身を飲み干した。彼女がソーサーにカップを戻すと同時に、ミルスラは立ち上がった。


「ブエノレスパで騎士団長の緊急集会があってね、その帰りなんだよ」

「緊急集会?」

「そ、君のお兄さんのせいでね。神石ミールが強奪されただろう? これから騎士団としてどう対処するかの話し合いがあったのさ──世界が終わる前に」


 明るい調子で話していたのに、最後の「世界が終わる前に」という言葉だけ、ミルスラは語調を強めてアンナを睨んだ。


 そう、睨んだのだ。


 穏健派、と言っていたくせに、彼はアンナを睨んだ。

 心底汚いものを見るような目で──


 それでアンナは理解した。


「君のことは同じティリスとして尊敬しているけれど、君のお兄さんのしたことは、絶対に許されることではないんだよね」ミルスラは先程と同じく、強い語調で言う。「だから君には彼の──レンブランティウス・F(ファイアランス)・グランヴィの妹として、破壊者デストロイヤーとして、きっちり落とし前をつけてもらう」


「言われなくてもそのつもりよ」



(こいつはやり場のない怒りの矛先を、あたしに向けているのか。責任感の強い、騎士団長のお手本のような奴だわ)



「そのうち翁から連絡があると思うよ。それまでにその怪我を治しておいてよね」

 そう言ってミルスラはアンナに背を向けた。

「ちょっと待って」アンナは立ち上がり、ミルスラを呼び止める。「聞きたいことがあるの」

「何?」

 振り向きもせずにミルスラは言う。

「イザベラ・インパチエンスはちゃんと生きてる?」


 レンとの戦闘に巻き込まれ、負傷した第九騎士団長イザベラ・インパチエンス。彼女にちょっとした借りが出来てしまったアンナは、第四騎士団長デニア・デュランタに、イザベラを保護するように頼んだのだった。


 勿論、ミルスラはそんな経緯を知らない。


「イザベラ? ああ、死にかけていたらしいけれど、なんとか持ちこたえたみたいだよ。ガブリエルが治療したみたいだったし」

 早口で答えるとミルスラは、「もう、いいかな? 僕も忙しいんだよ」と言って歩き出してしまった。


(本当に、出来の良い騎士団だわ)


「ありがとう。ミルスラ・ミント第九騎士団長」


 ミルスラが去っていくと同時に、二人の周りにできていた野次馬の群れは、少しずつばらけていった。


「自分から近寄って来ておいて、あの態度。女性に対して失礼極まりないな」


 アンナの背後で聞き覚えのある声がした。


 声の主はアンナの肩にそっと触れ、その手をするすると彼女の胸の上まで滑らせる。


「そうは思わないかい? なあ、アンナ」


 言い終えて彼は、アンナの胸に触れた。


「あんたの態度の方が、よっぽど失礼じゃない?」


 その手を払い除けたアンナは、後ろにいる彼に向かって、勢いよく後頭部で頭突きをした。

「──くぅぅぅっ……ったぁ……」

 頭突きを食らった男は、鼻を押さえてその場に屈み込んだ。

「痛い! でも嬉しい!」


(もう嫌だわ、この馬鹿……)


 アンナは下を向き、大きく溜め息をついた。

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