第十五話 俺の正体

 食事を終えるとアンナは「そういえば」と、思い出したようにネスを見て言った。


「あんたに言わなきゃいけないことが二つあるんだったわ」


 食器類が片付けられたテーブルの上では、甘い香りのする紅茶が湯気を立てている。ティーカップの絵柄は、淡いブルーと濃いブルーの花が全面に描かれた見事なもので、ネスはふと母の持っている傘を思い出した。


 母さん──


 そういえばアンナは先程、母は元陸軍特攻隊の総隊長だと言っていた。父とは戦場で出会ったと言っていたから、母は逃げる側として戦場にいたのではなく、戦う側としていたわけか。


「二つのうち一つは、ここに来る前に話していた事か?」


「ふうん、察しがいいわね。じゃ、あんたの身長が急に伸びた点についてから話すわ」


 アンナは足を組み直すと、ティーカップに口をつけた。なんとも優美な仕草だった。


「レノアさんはライル族ってことは聞いて……なかったのね」


 アンナはネスが驚き目を丸くしたのを見て、一旦話を中断した。


「ラ……ライル族だって?」


 ライル族──「せかいのおわり」にも登場する、あまりにも有名な戦闘民族。その殆どは過去の戦争で滅びたとされているが──


(母さんがその生き残りだっていうのか?)


「ライル族はもう殆ど生き残ってないわ。あたしが知っているだけでも……そうね、両手に収まるくらいかしらね。戦争で滅んだというより、滅ぼされた、と言った方が正しいんだけど」


 話が逸れたわね、とアンナは再びティーカップに口をつけた。


「あんたの父さんは特殊な血族だけど、一応人間ではあるから、あんたは人間とライル族のハーフってわけ。ライル族は十五歳から肉体が急激に成長するんだけど……ってここまでついてこれてる?」


 ティーカップごしにちらりと向けたアンナの視線とぶつかった。「冷めるわよ」と、カップを指差されたが、とても口をつける気にはなれない。


「正直、上手く整理できない……食事の後に聞いて正解だった」

「そう」


 整理できるわけがない。いきなり自分が純粋な人間ではないと言われたところで、すぐに実感が湧くはずもなかった。


「子供の頃、体が人より小さくて悩んだことはなかった?」

「現在進行形で悩んでるよ」

「そ……さっきも言ったけれど、ライル族は十五歳から急激に体が大きくなるの。ハーフのあんたは少し成長が遅かっただけで、これからぐんぐん背が伸びるかもしれないわよ」

「それはありがたい話だな」


 長年の悩みが解消される。これほど嬉しい話はなかった。



 しかしネスはまだこの時点で『成長』の本当の意味を理解していない。



「二つ目の話に移るわ、心して聞きなさい」


 アンナはさっきまでよりも低い声で言うと、ネスの顔を見て目を瞑り、小さく息を吐いた。

 ネスはごくりと唾を飲み込んで、アンナが口を開くのを待った。


「ガミール村を襲った犯人に当てがあるわ」


 瞑った目を細く見開いて、下を向いたままでアンナは言った。


「なっ……なんだって──それは──」


ブース神力ミース使い」


 アンナは短い言葉で、ネスに応じた。


ブース神力ミースはその神力ミース量によって、氷や霧へ『状態変化』が可能なのよ。その水の神力ミース使いはあたしが知っている限りじゃ、世界に三人しかいない」


 ごくり、とネスは再び唾を飲み込んだ。


「それは──」


「シムノン・カートス、ルーク・カートス、そしてネス・カートス」


「それはどういう意味だ」


 声が震えた。ネスは立ち上がり拳を握りしめた。


「父さん、兄さん、そして俺の三人しかいないだって? それじゃあ──」


(それじゃあ犯人はこの中の誰かってことじゃないか)


「ルーク・カートス」


 あの時──ガミール村でレノアと対峙していた時と同じ、冷やかな声。底無しに冷たくて、手を伸ばしても絶対に触れることのできない、彼女の一面。


「今、なんて……」

「九割方、ルーク・カートスが犯人だと思うわ」


 以上よ、質問は? と言うアンナと目が合った。


「なんで……なんで兄さんが犯人だと思うんだ」


 思ったより冷静な自分に違和を感じてしまう。母の無惨な姿の画像を見た時は、あんなにも取り乱してしまったのに。


「一つ目の理由。あんたはあたしと一緒にいたから違うとして、シムノンは絶対にこんなことしないわ」


 その言葉は断定的で、アンナは表情には出さないが、ネスの父シムノンのことを心底信頼しているようだった。


「もちろん、シムノンに兄弟がいて、あたしの知らない水の血族がいるのかもしれない。そいつらが犯人だってこともあり得るわ」

「父さんに兄弟はいないって聞いてるけど」

神力ミースの血族に兄弟がいないなんて、本当かどうか怪しいところだけど、まあ、いいわ」

「……続きを」

「二つ目の理由。ルーク・カートスが犯人であり得る最大の理由は、とある組織にルークが身を置いているということ、その組織が神石ミールを狙っているということにあるわ」

「この前言っていた『他所の刺客』ってのと関係があるのか?」

「ええ。ふうん、なかなか鋭いわね」



 他所の刺客。



 村を出発する直前、アンナがダフニスを指して言っていた言葉だ。それを言うとアンナは「よく覚えていたわね」と、感心したようだった。

「ダフニスはおそらく格下ね。仕える主人がいるはずよ」

「ひょっとしてアマルの森で俺達を尾行して、見張っていたのもこいつらか?」

「多分ね」

「何人いるんだよ……」


 恐ろしくなり、ネスは体が震えた。ずっと追いかけられ見張られる。アンナはすぐに慣れると言っていたが、気味が悪くて仕方がなかった。


「詳しい情報はまだわからないわ。それを調べる為にこの町に来たのよ」

「情報屋に?」

「そうよ。あとは物資の調達ね」


 アンナは紅茶を飲み干しソファから立ち上がると、ストールをしまい、脇に置いていた二本の刀を装備した。


「どっか行くのか?」

「情報収集と物資調達。あんたも来る?」

「いや……」


 折角他の町に来たので、散策はしてみたかったが、今はそんな気分になれなかった。一人で気持ちの整理をしたかった。


「そう。日が暮れるまでには戻るわ」

「ああ」


 アンナが出て行き部屋のドアが閉まると、ネスはその場にへなへなと座りこんだ。足に力が入らなくなった。




 ネスは這うような格好でバスルームに辿り着くと、身に付けているものを脱ぎ捨て、壁にもたれ掛かり、座ったまま熱いシャワーを浴びた。



 どのくらいの時間そうしていたのか分からないが、ある程度の落ち着きを取り戻すと、ネスは体を拭いてベッドに仰向けになった。天井に向かって腕を伸ばし、掌を見つめる。


「あれ……」


(俺の手、こんなに大きかったっけ?)


 そこから伸びる腕も、なんとなく太くなっているような気がする。


 何も考えたくなくて、目を瞑った。しかし脳裏には、先程突き付けられた嘘みたいな事実が嵐のように駆け巡っていて、落ち着くことなど出来そうになかった。


 完全な人間ではない自分。故郷を襲い、母をも奪った兄。その兄は俺の持つ神石ミールを狙っている。ということは、兄さんは──


「兄さんは世界を滅ぼしたいのか……いや……」


 そんな訳がない。兄はいつだって正しかった。間違ったことや曲がったことが大嫌いな、正義感の溢れる、それこそ賢者に相応しいような、尊敬出来る兄だった。


 兄が十七歳で村を出るまで、ネスは兄にべったりだった。父同様、心の底から兄を慕っていたし、兄のようになりたくて、その背中ばかり追いかけていた。

 その兄が、世界の終わりを望む組織にいるだって? 馬鹿馬鹿しい。きっと何かの間違いだ。アンナを疑っている訳ではないが、偽の情報を掴まされている可能性だってあるわけだし。


 仰向けの姿勢から、ごろんと寝返りを打った。肌触りの良いシーツが、湯上がりの汗ばんだ体にまとわりついて気持ちが悪い。ネスは湿った体をタオルでもう一度拭き、再びベッドに仰向けになった。





 ネスが目を覚ますと、時計の針は七時を指していた。時間のわりに外は明るく、いつの間にか閉められたカーテンの隙間から細い光が射し込んでいた。

 ベッドから体を起こし、自分がシャワーを浴びた後何も身に付けずに寝入っていたことに気が付いた。服を着ようようと立ち上がったが、妙に体が重い。ひとまず下着を身に付けようと、右足を上げた。


「……? …………!!」



 一度目を閉じて、もう一度開けた。



「……うわあああああああああああああっっっ! なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁあ!」



 ネスの叫びを聞きつけ、隣の部屋からバタバタと駆け寄ってくる音がした。


「どうしたの!」


 アーチ状の入口の所に、慌てた表情のアンナが──




「あっ」

「……え?」




 二人の目が合った。そのままならよかったのだが、アンナの視線は自然とネスの体へと向けられる。


「……………!」


 目線が下へと向けられる。




「いっ…………やああああああああああああああああああああっっっ!」




 アンナの顔はみるみるうちに紅潮し、部屋の入口から姿を消すとすぐに怒声が飛んできた。


「あんた朝っぱらから一人で何やってんのよおっっ!」

「知るかよぉっ! 俺だって好きでこんなことになったんじゃねえよ!」

「説明しなくてもいいわよ! とりあえずそれ、どうにかしてよ!」

「どうにかって言われてもなあ!」

「いやあっ! ちょっとやめてよぉっ!」


 それにしたってアンナのこの慌て様──意外だった。これ程の美人が男慣れしていないはずがないと、ネスは勝手に思い込んでいたが、美人過ぎるが故、高嶺の花だと誰も手を付けず、ここまできてしまっているのかもしれない。殺し屋として見てきた死体は数知れず、男の裸を見るのか初めてだとしたら……。


「まさか、う……うぶなのか?」


 裸のまま一人呟くと、くだらない妄想で頭がいっぱいになり、折角落ち着き出していた体が、またしても硬直してしまっていた。


(まさか、初だなんて、そんなはずないですよねえ、アンナさん……?)


 ネスは部屋の入口から顔だけ出して様子を見てみたが、アンナのいる気配はなかった。自分の寝室に引っ込んでしまったようだ。このままではどうにもなりそうになかったので、指摘されたモノを一人、ネスは服を着て部屋を出た。予想はしていたが、やはり今まで着ていた服は少しだけきつくなっていた。


 アンナが使っている寝室のドアをノックすると、ゆっくりとドアが開いた。目が合うやいなや、ものすごい形相でアンナが睨み返してくる。


(今までにないくらい、すごく怖いんですが!)


「や、やあ」


 ぎこちなく手を上げてみたが、その後の言葉が見つからなかった。


 アンナは顔の赤みこそ引いたものの、いつもの強気はどこへいったのか、恥ずかしそうに体を小さく縮こめている。引き締まった腕で自身を抱き締めてネスとの間に壁を作っているが、ダイアモンドネックの間から覗くその谷間────ネスは、どうしようもなく彼女を押し倒したい衝動に駆られた。

 その黒いドレスの下の白く透き通った体に、まだ誰も触れたことがないのだと考えれば考えるほど、自分がそれを独占したいという欲望に駆られ、胸が苦しくなった。


「……済んだの?」


 体勢はそのまま、アンナは小さく呟いた。


「一応済ませました……」

「……ふうん」


 ちらりとネスの下半身に目をやると、アンナは大きな溜め息をついた。


「肉体の急激な成長に、精神が追い付いていないのね」


 アンナはようやく寝室から出てくると、食べかけの食事がそのまま放置されたテーブル脇のソファに腰掛けた。


「で、朝っぱらから一人で何をやっていたか聞いた方がいいのかしら?」


 掴んだフォークで皿の上のソーセージをぶすりと刺し、口に運ぼうとしたアンナは、何を思ったのか途中でそれを止め、隣の真っ青なコーヒーカップに手を伸ばした。


「急に体が大人になっていたから驚いたんだよ」

「だからって、あんな大声出さなくてもいいじゃない……」

「それは謝るけどさ……というか、朝っぱら? 今は夜だろ?」


 ネスはアンナの正面に腰掛け、同じ色のカップに口をつけたが、冷めきっていて、とても飲む気にならなかった。同じように感じたのか、アンナも顔をしかめてカップをソーサーに戻した。


「疲れていたのね、あんた半日以上寝ていたわよ」

「はいぃ?」

「だから今は午前七時半」

「ホントに?」

「ええ」


 半日寝ただけでこんなに体が成長するなんて、一晩中寝ていたらどうなってしまうのだろうか。

 そんなネスの心配をよそに、アンナは足元に置いていた紙袋から木製の少し大きめの箱を取り出した。


「はい、これ。開けていいわよ」


 箱は丁寧に置いたくせに、ひどくぶっきらぼうに言い放ったのは、彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。


「なんだ?」


 箱の外側に付いている金具を外し、蓋を持ち上げると、中には真新しい飛行盤フービスが入っていた。


「それ、使っていいから」

「え、あ、ありがとう」

「貸していたのは返してね。あれ、特注品だから」

「特注品?」

「高いの。あんたにあげるこれも、まあ良い値段のものだから」

「そんなもの貰っていいのか?」

「ええ。あとはあれね」


 部屋の壁沿いに置いてある、茶色い三つの紙袋を指差してアンナは言った。


「体が大きくなることはわかっていたから、一応大きさの違う服を買ってきたわ」


 この人は見かけによらず面倒見が良いようだ。


「靴とかその、他のものは自分で見たほうがいいだろうと思って買ってないから。これ、自由に使って」


 テーブルに投げ出されたのは真っ黒な電子カードだ。


「そんな、金くらい自分でどうにかするからいいよ」


 カードを押し返したが、アンナはそれを手に取ろうとしない。


「そのくらいさせてよ。上限額はないようなものだから、好きに使って」


 カードには十三桁の数字と、長ったらしい名前が表示されている。一瞬目を疑ったネスだったが、もう一度それを確認しようとした直後、リリリリ、という電子音が鳴り響いた。


「なんだ?」

「さ、さあ?」


 再び、リリリリ、と電子音が響く。先程より音が大きく、それはどうやらアンナの右耳のピアスからしているようで、彼女は少し不快そうに耳を押さえた。


「通信だろ? 出ないのか?」

「う……」



──リリリリ、リリリリ!



「もう、いつまで無視するつもりよ!」

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