第十六話 あたしの正体
声の主は、立体映像と共に現れた。
すらりと背が高く、短く明るい金髪の女性は、怒っているというよりも寧ろ得意気な表情で腕を組んでいる。アンナと同じ色の瞳──どうやら彼女もティリスであるようだ。
「お久しぶり……っていうかアンナ、どうして髪伸ばしてるわけ? 昔からあたしには『そんなもの仕事の邪魔になるだけだ』って言い続けていたくせに。あんたがしつこいから、あたしはこんなに短くしているっていうのに」
現れるやいなや、彼女はよく喋った。
「そんなこと言ったかしらね」
「言ったわよう。まあこれはこれで男ウケもいいし、気に入っているんだけどね」
そして彼女は漸くネスの方を向いて、にこやかに微笑みかけた。
「あなたがネス・カートスくんね」
「はい。ええと、あなたは……」
「挨拶が遅くなってごめんなさい。あたしはマリーローラーン・F(ファイアランス)・グランヴィ」
「マリーローラーン……?」
「そ、マリーって呼んでね」
「マリーさん?」
「ええ、アンナの姉よ」
「はいいいぃっ?」
「姉上、喋りすぎよ」
「あ、姉上?」
二人の顔はあまり似ていなかった。アンナが妖艶で色気の溢れ出るような美人なら、マリーは快活で周りを引き込むような魅力のある美人だった。顔は似ていなくとも体型はそっくりで、見ているこっちが恥ずかしくなるようなバランスのとれた美しい体。ただ違うのはマリーの右腕に刻まれた刺青はアンナの
「あたしは母親似だからね。この子は父親似で目付きが悪いから怖いでしょ?」
あんまりじろじろ見られると照れちゃうわ、とマリーはまるで読心術でも使いこなしたかのような口ぶりで、ネスに向かってウインクをした。
「それで姉上、一体何の用よ」
面倒事はごめんだと言わんばかりの口調で、アンナは深くソファに腰掛けた。
「あなたご指名で仕事が入っているの」
そんなアンナの不機嫌さを分かっていてなお、マリーは明るい語調で続けた。
「サンリユス共和国」
マリーがそれだけ言うと、アンナの目の色が変わった。悟りきっているような呆れているような、そんな雰囲気の目。
「計百六十五名の議員の暗殺」
「またか……。四年前にも同じ仕事をしたわよ」
「同じ事を繰り返す愚かな国ですもの」
「姉上、代わってよ」
「無理よ。あなた指名の仕事でも代われるものと代われないものがあるのは、わかっているでしょう? これは圧倒的に後者なのよ」
アンナとは対称的なマリーの人格のせいで、ふと忘れてしまいそうになるが、彼女もまた殺し屋。アンナは自分の事を『殺し屋の一族』と言ったことをネスは覚えていた。
「あたしだって無理よ。こいつの傍を離れるわけにはいかないわ。この仕事の重要度はわかっているでしょ?」
「わかっているわよ。それなら大丈夫」
マリーは落ち着いた口調だったが大事なことを思い出したようで「そういえば」と、少し大きな声を上げた。
「家督の件だけど」
とマリーが言うと、アンナはソファにもたれ掛かり天井に向けていた顔をゆっくりと彼女の方へ向けた。
「父上は何て?」
早口にアンナが言うと、マリーは首を横に振った。
「死にたいのなら跡継ぎを産んでからにしろ、ですって」
「別に誰も死にたいなんて言ってないんだけど……相変わらず話の通じない人ね」
口を挟まずにじっと聞き入っていたネスだったが、二人の会話の中に出てくる、どうも引っ掛かる単語。それにここまでの道のりで接してきた人々の言動。そのバラバラのピースを頭の片隅で組み合わせていくと、一つの解答が導き出された。
「……まさか」
手元の黒色の電子カードに目を落とす。そこには十三桁の数字と、長ったらしいアンナのフルネームが表示されている。
マリーは自身を『マリーローラーン・F(ファイアランス)・グランヴィ』と名乗った。どうしてそこで気が付かなかったのだろう。
『アンナリリアン・F(ファイアランス)・グランヴィ』
カードにはそう表示されていた。
殺し屋の一族、ファイアランスというミドルネームに、グランヴィという姓。それに身に纏った高貴な空気。そういえばダフニスは、アンナのことを
「ご無沙汰しております、姫。マリー様の言い付けで参りました」
一人の男が音もなく現れた。
濃紺のスーツに同系色のネクタイ。 オールバックの短い髪は明るい星空のような色をしている。瞳は彼女達と同じエメラルドグリーン。
「あたしが仕事の間、シナブルにネスを守らせるという意味でいいのかしら」
アンナが首を反らせてシナブルと呼ばれた男に顔を向けると同時に、ネスは震える指でアンナをを指差した。
「アンナが、アンナが姫って……」
アンナの後方にいたシナブルは、下げていた頭を上げるやいなやネスを直視した。いや、睨まれたと言った方が正しいのかもしれない。
「無礼な奴。この御方を何と心得る」
──怖い。アンナに睨まれた時と同じくらいの破壊力だ。
「いいのよシナブル。こいつは元々こういう奴よ」
「しかし、姫……」
「教えてあげれば? アンナのことだから、どうせ説明してないんでしょ? シナブル、この坊やに教えてあげなさいな」
「マリー様……」
シナブルはアンナを一瞥し、彼女が溜め息をついたのを確認すると、ネスの正面に立った。
「よく聞け、
「は、はあ……」
「この御方はファイアランス王国が国王エドヴァルド・F(ファイアランス)・グランヴィ様の御息女、アンナリリアン・F・グランヴィ様──次期国王になる御方だ」
「じ、次期国王?」
「そうだ!」
「シナブル、余計な説明しすぎよ」
アンナが厳しく言い放つと、シナブルは「申し訳ありません」と、黙りこんだ。
ネスが予想していたアンナの正体──八割方は正解だったと言える。しかし次期国王という称号は予想だにしなかった。一国の姫だと正面から言われてみれば確かに頷ける、そんな風貌ではあるが──
「マリーさんやお兄さんがいるのに、どうしてアンナが王位を継ぐんだ?」
長女であるマリー。アンナにとっての兄が、マリーにとって兄なのか、それとも弟なのか定かではないが、末っ子が王位を継ぐなんて余程の事情があるのだろう。
──しまった、とネスが後悔した時には手遅れだった。兄という単語は、アンナの前では禁句なのだった。『お兄さん』とネスが言った刹那、アンナとマリーが同じ表情になった。マリーはそんな妹を気遣ってか瞬時に彼女に視線を投げたが、アンナの目は床一点に向けられ、その冷たい表情が変わることはなかった。
「うちの家系は代々『血色の髪を持つもの』が王位を継承するという決まりがあるのよ。あたしも、弟のレンも……」
「姉上!」
アンナはマリーに向かって怒鳴った。彼女にしては珍しく、大きな声。
「あたしはあなたと違って秘密主義者じゃないのよ。知りたがっている者には知識を与えるわ」
マリーはネスに視線を飛ばす。彼女とアンナの顔は似ていなかったが、初めに見たマリーの柔らかな表情が、次第にアンナの氷のような表情に近づいていることは明白だった。
「そんなことはどうでもいいわ。姉上、仕事の話の続きをしてよ」
そんなアンナも苛立っているのか、険しい表情になりつつあった。
彼女の後ろに控えたシナブルは相変わらずネスに睨みをきかせているし、部屋全体の空気が重く、張り詰めているような感覚になった。
そんな空気を打破するかのように、マリーが両手を胸の前でパンパンと打った。
「暗い暗い暗ーい! なによこれ、お通夜みたいになっちゃったじゃない」
「姉上が話を逸らすからでしょ」
とアンナはマリーを睨んだ。
「あたしじゃないわよ、ネスくんよ」
とマリーはネスを指差した。
「ええっ! シナブルさんだろ」
とネスはシナブルに向かって叫んだ。
「……俺で構わないのでマリー様、話の続きを」
最後にシナブルは溜め息をついた。
一同の視線を浴びたマリーは大袈裟に咳払いをし、少し得意気な表情になった。
「三日後」
それだけ言って口を閉ざした。
「はあ? えらく期限が短いじゃない」
「あなたがあたしの通信を無視し続けていたからでしょう? 直ぐに出てくれていたら余裕だったのに」
「う……」
言葉に詰まるアンナ。
「サンリユスの帰りにうちに寄りなさいな。皆の命日に間に合うように。あなたのことだから墓参りなんてしてないんでしょ?」
「失礼ね、毎年行ってるわよ。家に顔を出していないだけ」
「嫌なことを思い出すから?」
マリーが問うたが、アンナは何も答えなかった。
「あなたは過去にこだわりすぎなのよ」
アンナは何も答えない。
兄を憎み、どのような理由かは分からないが、家にも寄りつかないアンナ。しかし、マリーと仲が悪いという感じはしなかった。荒っぽく遠慮のない二人の会話のは
「まあいいわ。とりあえず詳しい資料はシナブルに預けてあるから」
「……わかったわ」
「じゃあそろそろ切るわね。ネスくん、シナブル、アンナのことをよろしくね」
じゃあね、とマリーが手を振ると通信は途切れ、彼女の立体映像は消えた。手を振り返す間もなかった。彼女も彼女で忙しいのだろう。
「うるさい人でしょ」
足を組みシナブルの方へ右手を突き出しながら、アンナはネスを見た。本当に煩わしいと思っているのなら、そんな顔はしないだろうという表情だ。
「妹思いの優しいお姉さんって感じだったけどな」
アンナが突き出した右手に、シナブルがやや厚めの紙束を静かに乗せた。受け取ったアンナは下の方からパラパラと目を通し、それをもう一度繰り返した。
「何が百六十五名よ。二百二名いるじゃない」
不満そうな声を上げるとアンナは右手の中でその資料を燃やした。どうやら全てを記憶したようだ。
「殺しのリストか?」
「そ。議員秘書や新聞記者、雑誌記者まで入っていたわ。徹底して外部に情報を漏らさないつもりなのね、あの国は」
アンナは立ち上がるとソファに立て掛けていた二本の刀を腰と背中に差し、いつもとは違う語調でネスの名を呼んだ。
「ごめんね」
(──やめてくれ)
「あんたを守ると言っておきながら、あたしは……」
(──そんな弱々しい声を出されたら俺は)
「ごめん……」
(──俺はあなたを守りたくなるじゃないか)
視線を落としたままのアンナと目を合わせることはできないが、その横顔を見るだけでネスは胸を締め付けられた。
この人にこんな顔をさせてはいけないと、心の底からそう思ったのだ。
「大丈夫だって、そう簡単に死ぬかよ」
「シナブルさんだっているんだし、心配すんなって」
「……そうね」
この気持ちは何だろう。俺の心の中にいるのは間違いなくサラなのに、この人の表情に影が差すと、どうしようもなく手を差し伸べたくなる。手を伸ばして抱き締めたくなる。この気持ちは──
「シナブル」
「はい」
そんな俺の気も知らずこの人は──
「あたしが留守の間、こいつに稽古でもつけてやって」
「承知しました」
「六日後の夜には帰るわ。朝になってもあたしが戻らなかったら、ネスを連れてアリュウに向かって。エディンに話はしてあるから」
「承知しました」
それだけ言うとアンナはバルコニーの窓を片側だけ開けた。
「アンナ!」
「なに?」
振り返った彼女はいつもの彼女だった。
「気を付けて」
「ああ」
ドレスのポケットに両手を突っ込んだまま、バルコニーの手摺に飛び乗ったアンナは、全身で風を受け止めると勢いよくそこから飛び降りた。
ネスが駆け寄った時には、ずっと先の建物の上を、
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