第五話 呪われた腕

 日付が変わる頃、ネスはベッドに潜り込んだ。


 アンナとレノアはまだ飲み交わしているのだろう、リビングから笑い声が漏れてくる。二人ともやたらと酒に強いようで、途中までジュースで付き合っていたネスだったが、アンナに質問攻めをしたあと「明日は早いわよ」という彼女の言葉に背を押され、一人早めに就寝した。



(それにしたって驚くことが多すぎたよ……)





「失礼なことを承知で聞くが、アンナ……一体いくつなんだ?」

「年齢?」

「うん」

「十九」

「嘘つけい! さっき二十年ぶりって聞こえたぞ!」

「……空耳?」

「いやいやいやいや! 低レベルな誤魔化しかただな!」

「あ゙?」

「いや……」

「人間じゃないもの」

「え?」





「人間じゃない……か」


 目を開いてネスは呟いた。アンナは人間ではない。エルフと人間のハーフ「ティリス」という種族らしい。


 ティリス、というのはアブヤドゥ王国よりも南にある栄華を究めた王国「ファイアランス」を中心に多く見られる、エルフの次に美しい種族である。瞳はエルフと同じエメラルドグリーンだが、尖った耳を持たず、髪の色も様々だ。

 本で読んだことはあったが、本物に会う日がくるとは思ってもみなかったネスは、にわかに興奮した。





「ティリスってことは……不老不死か」

「不死ではないわ。身体能力が高いだけで、ほとんど人間みたいなものよ。それに」

「それに?」

「ティリスは五年で一つ歳を取るから不老でもない」

「てことは、アンナはえーと」

「年齢計算してんじゃないわよ! あたしらにとっての五年なんて、人間にとっての一年みたいなものなんだから、年寄り扱いしたらぶっ殺すわよ!」


 ネスはアンナに片手で首を絞められた。





「いつか本物のエルフに会えるかな……」


 ベッドから出て、本棚から一冊の本を取り出した。壁一面には大きな備え付けの本棚がある。本好きのネスの為に昔父が作ってくれた力作だ。


 ゆっくりとページを捲り、幾度となく読み返したページを開く。エルフという存在は、ネスにとって憧れの存在であった。彼らは美しく、特別な魔法を使い、おまけに不老不死だ。エルフに会うというのもネスの夢の一つであった。





「さっきダフニスにその腕斬られたよな? 完治してないか?」

「この腕、呪われてるから」

「…………」

「…………」

「え、終了? 説明不足ですって!」

「はあ? 男がいちいち細かいこと言ってんじゃないわよ」

「あんなのを見せられたら、気になるだろ!」

「元々彫ってた刺青に……呪いを植え付けられたのよ。右腕が傷付くと、あたしの命を食って自動回復する。……これでいいかしら」

「呪いって……誰に?」

「……実兄だよ」

「…………」

「もういいでしょ」


 伏し目がちにアンナは言った。





「好奇心でくだらないこと聞いたよな、俺……」


 本を戻して再びベッドに潜り込んだ。


「あ」


 ダフニスのこと聞き忘れていたことに気が付く。あいつは一体何者だったのだろうか。



(まあ、また明日にでも聞けばいいか)



 目を瞑ってネスは眠りについた。





 シャワーを浴びてたっぷりと湯が張ってあるバスタブに浸かる。ぐっと腕を伸ばし、しばらく浸かった後アンナはバスルームを出た。何も身に着けないまま全身鏡で自分の体を見る。そして左脇腹にある一つの傷にそっと触れる。


 今まで数え切れないくらいの傷を負ってきたが、この傷だけは綺麗に治療せず、敢えて傷跡を残していた。



(……大丈夫。またすぐに会える)



 体と髪を乾かし下着を身に着けると、レノアが用意してくれていた可愛らしい、フリルの塊のような寝間着が視界の隅に入った。折角用意して貰った物である。一応広げてはみたものの、やはり無理だと判断してそのまま放置することにした。


「……嫌がらせのつもりか」


 自分の 無限空間インフィニティトランクから真っ白なガウンを取り出し身に着けると、アンナは用意された客間に向かった。



 アンナはこの村全域に結界を張っていた。出ることは出来るが、入ることは出来ない種の物だ。

 この村の全域──半径二十キロ程度なら、何の問題もなく結界を張ることが出来る程度の実力を、アンナは持っていた。結界は引き伸ばせば引き伸ばすほど精度が落ちるが、流石に破って入って来る奴はいないだろうとアンナは考えていた。

 ダフニスはとっくにこの村から出ていたし、結界の外側に一つ──二つ嫌な気配の奴がいたが、入ってくる気はなさそうだった。



 客間の鏡台の前で肌の手入れをしながらアンナは考える。



(無事にブエノレスパに辿り着けるかしら。最短ルートで何事もなかったとしても……いや、何事もない、なんてことはないわよね)



 追手が行く手を阻むことは、分かりきっていた。



 二本の愛刀、黒椿と陽炎の手入れを済ませ、それらを抱いてベッドに入る。もうこうやって眠ってきたのだ。男と寝る時は狭く厚い結界を張るので、流石に刀を抱いて寝ることはないのだが。


「おやすみなさい」


 一人呟いてアンナは眠りについた。



 


 アンナの張った結界の外側。


 太い木の枝に一人の男が腰かけていた。暗闇に溶けてしまいそうな漆黒の髪。素肌の上に直接着ている革製のジャケットもズボンも同じく黒い。闇の中で、彼の真っ赤な瞳が不気味に浮かび上がっている。


 男はズボンのポケットからラミネートチューブを取り出し、右手の人差し指から親指の内側にかけてそれを塗った。そして指で輪を作り、右目でそれを覗きこんだ。


「……寝たな」

「はい」


 隣の枝に立っている男が、首筋の獣傷のような刺青を触りながら頷いた。


「今私達二人で寝込みを襲えば、 れるんじゃないですかねぇ? クロウ様」


 彼は、ふふふ、と笑い声を添える。


「馬鹿め。この結界の中には入れない。そんなことだからあの女に殺られたんだろうが、ダフニス」


 クロウと呼ばれた男──少年の顔が月光に照らされた。少しだけ幼さの残る顔立ちに、不似合いな鋭い目をダフニスに向ける。


「ワ ザ ト ですよ~、クロウ様。アタシが簡単に殺られる男に見えます~?」

「見えるな。お前が敵うような女ではない。俺でも敵うかどうか分からん」


 右手を引っ込め立ち上がり、クロウは夜空を見上げた。


「あら、いつになく弱気な発言ですこと」

「馬鹿野郎。あの殺し屋を甘く見るな。命取りになるぞ」

「何度も命取られてますから~。それにしても首を落とされたのは久しぶりだったからびっくりしちゃいましたよ。ありがとうございます」


 踊るような口調のダフニスは、見るからに上機嫌であった。


「ふん」

「これがレン様だったら絶対助けてくれませんものねぇ。クロウ様はお優しい」


 そう言ってダフニスは顔の前で両手を組んで、クロウにウインクを飛ばした。やはり機嫌が良いようであった。


「ところで、ねぇ、クロウ様。アタシにもスコープチューブ貸して下さいよ~」

「…………」

「クロウ様ってばぁ」

「…………」

「無視しないで下さいよ~!」


 クロウは振り返ってダフニスを凝視した。彼は腕を組んで目を細め、いかにも不機嫌そうな表情を浮かべた。


「……な、なんですか?」

「ボスに頼んで、お前を俺の部下から外してもらおうかと思ってな」


 そう言うとクロウは、左耳につけたピアス型の通信機に手を当て、通信を始めた。磁気嵐でも発生しているのか、接続に時間がかかっている。


「え、ちょっと待ってくださいよクロウ様~。アタシを外したらエウロパも一緒に外れるってことですよ! いいんですか? クロウ様、エウロパお気に入りでしょ? ね、ね!」


 ダフニスがあたふたとしている間に通信が繋がった。


「俺です。はい、はい。ネス・カートスは神石と浅葱を手にしたようで。はい、引き続き追跡を続けます。それと──」


 クロウはダフニスを見た。ダフニスは首を横にぶんぶんと振り、両手で×印を作って「ダメダメダメダメ~」と小声で繰り返している。


「……いえ、何でもありません。はい、失礼します」


 クロウは通信を切って、そのまま太い枝の上に横たわった。今夜はここで、ダフニスと交代しながら件の二人を見張らなければならない。


「流石はクロウ様~。話がわかるわ~!」

「ふん……まぁ……エウロパを他の奴の下に置くのは惜しいからな」


 安心しきったダフニスの口調が耳障りであったが、彼の言うことは図星であった。あのエウロパを他の奴等の下に置くくらいなら、この喧しい男を部下のままにしておいたほうが幾分かマシというものである。


「先に休む。二時間経ったら起こせ」

「はあい」


 クロウは小声で呟き、ダフニスから視線を外した。明日になればエウロパと合流出来るのだ。それまでの辛抱だと己に言い聞かせ、目を閉じた。


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