第四話 少年のそれは夢か、幻想か
テーブルには手の込んだ、レノア特製の料理が並べられていた。食欲を唆る香りがネスの鼻腔をくすぐる。しかしそれはとても二人分とは思えない量で、よく見るとカトラリーも三人分用意してあった。グラスも皿も三人分。まるで今日この時に、アンナが来ることをレノアは分かっていたかのようだった。
「さあ、座って。あ、手を洗ってからね。冷めないうちに食べましょう」
冷えきった空気の中、奇妙な誕生日パーティーが始まった。
ネスは母とアンナに聞きたいことが山ほどあったが、二人の会話が想像以上に盛り上がり、口を挟む隙がなかった。
「二十年ぶり? あれからそんなに経つの? 早いわねえ、これだから私も老けるわけねえ」
レノアは先程までの真っ青な顔が嘘のように、楽しそうに声を弾ませている。
「そんなこと言って。全然お変わりないですよ」
(え……二十年ぶりって、アンナ……? いくつなんだ?!)
「アンナちゃんこそ昔のままねえ。まあ、そりゃそうか。でもいくらか表情が柔らかくなったわね」
「そうですか?」
「うん、だってあの頃は本当に鬼みたいだったもの。目もギラギラしててさ」
レノアは手にしたグラスをぐいっと煽り、それを乱暴にテーブルに置いてアンナを睨んだ。
「でもまあ、あの戦争は悲惨だったけれど……起こっていなかったら、ネスもルークも生まれていなかったわけだし。それ以前に私も、あの人と出会えてなかったわけだしね」
「……」
(って兄さんの名前まで出てくるの!?)
声に出して突っ込みを入れたい気持ちを抑え、ネスは恐る恐る顔を上げ母の顔を見た。
「────!」
顔を上げたことを直ぐに後悔した。母の顔は、ネスが今までに見たこともないくらい、怒りと恐怖に染まった表情を張り付けていた。緊張のあまり口の中が渇ききり、ネスは声を出すことが出来ない。
「アンナちゃん、それについては私も感謝しているけど……」
「それ以外は感謝していないと?」
「当たり前でしょ? こっちは親兄妹皆殺しにされてんのよ」
レノアは笑顔を崩さないまま、使っていたナイフをアンナに向かって勢いよく投げた。ヒュン──とナイフは空を切り、アンナはそれを二本の指で止めた。
「あら、右目を潰すつもりで投げたんだけどなあ」
「あの頃に比べたら鈍っていますよ」
冷たい声で言葉を吐き、アンナはナイフをテーブルに放った。
室内は不気味なほど静まり返っている。
(なんだよ、このかんじ……)
身を刺すような空気に、ネスは耐えられなくなって口を開いた。
「母さんもアンナも、少し落ち着けよ」
「あら、母さんは落ち着いているわよ」
「あたしだって落ち着いているわ」
意地っ張りな二人の顔を呆れ顔で見つめながら、ネスは溜め息をついた。
「ところでアンナ。詳しい説明、してくれるって言ったよな?」
「はいはい」
分かっているわよ、と言いながらアンナは目の前のフルーツカクテルを一口、口に運んだ。
*
その後食事が一段落したところで、レノアがコーヒーを運んできた。品のある白い角盆の上にはコーヒーの他に焼菓子が三人分、小皿に乗せられている。
「さ、どうぞ始めて? 私も同席するけど構わないわよね?」
「ええ、どうぞ」
レノアもアンナもどこか喧嘩口調だ。罵り合いが始まる前に話を済ませておこうと、ネスはまず一番気になっていたことをアンナに尋ねた。
「とりあえず俺は具体的に何をすればいいんだ? その、『せかいのおわり』とやらを止めるために」
言い終えてネスは、じっとアンナを見つめた。
「
「……分かったわ」
短く答えたレノアはサッと立ち上がり、足早に退室をする。リビングの扉が閉まるのを待って、アンナは口を開く。
「あんた、絵本の内容覚えてる?」
「うーん……あまりはっきりとは覚えていないけど」
「そ……後半にね、『神は特別な力と、それからもうひとつ与えました』……っていう箇所があるのよ。その
アンナが首から下げている青い石のペンダント──その鎖を掴んでネスの方につき出す。眩い光を放つそれは、どう見ても安価なものではないのだろうと想像ができた。
「あたし達はこれを『
「証……」
「宝石みたいに見えるから、これ目当てに寄ってくる輩も時々いるのよね」
アンナが言葉を切ると同時に、「おまたせ」と、レノアが大きな箱と小さな箱を一つずつ運んできた。大きな箱は床に置き、小さな箱はコーヒーテーブルの上に置いた。
木製の小さな箱をアンナが手に取り蓋を開ける。
「うわ……」
箱の中には、黄金色に輝く石のついたアンクレットが入っていた。バンドの部分は見たこともない革製で、黒々としたそれが一層石の美しさを引き立てている。
「あんたの父シムノンが前の所有者よ。あいつが立場というか……地位を
「地位?」
ネスは僅かに首を右に傾げた。今までの話を頭の中で整理する余裕など、皆無であった。
「全くあの自由人が……。ねえ、レノアさん」
「……そうね」
と、レノアは短く答えると口を噤み、それ以上何も言わなかった。
「とにかく、この神石は破壊者以外の者に持つことは出来ても、所有することは出来ない」
「……? 持つことと所有することの違いはなんだ?」
ネスにはアンナの言葉の意味が理解出来なかった。
「触ることは出来るんだけど、持ち続けることは出来ないの。それが違いよ。信じられないかもしれないけれど、この石は然るべき者が所有しないと命を吸われるのよ」
「命を吸われるって……はは……そんなお伽噺じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい」
ネスは力なく笑い、勢いよく椅子から立ち上がった。
「あら、神話を元にした絵本──せかいのおわりと、何が違うのかしら?」
アンナの言葉を背中で聞きながら、ネスは黙ってキッチンへ向かった。水でも飲んで落ち着きたい気分だった。
キッチンへと続く薄いカーテンを潜ると、ネスは流し台へ駆け寄った。蛇口を捻ると勢いよく水が流れ落ち、それは排水口に渦を巻きながら吸い込まれていく。生き物のようなその渦に一瞬ネスは釘付けになった。
側に置いてあったグラスに水を注ぎ、それを一気に飲み干しすと、自分の鼓動を確かめた。
どくん、どくん、と心臓が暴れている。
(俺は一体どうしたいんだ? アンナの言っていることは嘘じゃなさそうだし……)
詳しく話を聞けば聞くほど、アンナの言葉に嘘など感じられなかった。ネスは既に心の隅の方で、彼女の言葉を信じ始めていた。
(神石を持ってアンナに着いていく、か──)
いつかは自分の夢を叶える為に、広い世界を見てみたいと思っていた。そのタイミングが今なのかどうか、ネスには分からなかった。踏み出すために必要な、あと少しの勇気が足りない。
洗面所に行って顔を洗い、ネスはリビングに戻った。
「どう? 決心ついた?」
試すような口調でアンナは言う。出されたコーヒーに口をつけ、焼菓子に手を伸ばしているところだった。
「外の世界に出ればあんたの夢も叶うんじゃない?」
「夢……そんなもの俺にはないよ」
人に言えるほどはっきりとしたものではなかった。何となく恥ずかしくて、それに近づくことさえ恐れていた。
「そんなつまらない嘘、あたしには通用しないわよ。自分の夢を人に語ることに何を恥じることがある。理解できないわ。人に言えない程度の夢なんて、ただの子供の幻想よ」
ぐさりと突き刺さるような一言だった。
「幻想だって? ふざけるな! 人を馬鹿にするのも大概にしろ!」
思わず声が大きくなる。ネスはアンナに詰め寄り、その顔を睨み付けた。
スッとアンナがソファから立ち上がる。ネスの方がアンナより背が低いので、見下ろされる形になる。
「ふん、そんなにムキになるくらいなら……自分の心に正直になりなさい!」
アンナはネスの胸倉を掴み、ぐいと持ち上げると、そのままネスの体を床に叩き付けた。叩きつけられたネスの全身に、ビリビリと痛みが走る。
「痛えな、何すんだ!」
「こんなもんで痛いなんて騒いでいたら、とてもじゃないけど賢者になんてなれないわよ」
腰に手を当て仁王立ちするその姿は、なんとも言えない威圧感に満ちている。冷え冷えとした視線に気圧され、目を合わす事ができない。
「な……どうしてそれを」
誰にも言ったことなかったのに、と消え入るような声でネスは呟いた。
「シムノンが昔言っていたのよ。『俺の息子は俺みたいな賢者になりたいなんて言うんだぞ』ってね」
「父さんが?」
「ええ、『子供の夢だが何かあった時は手を貸してやってくれ』とまで言っていたわ……図々しい奴でしょ?」
フフフと、ずっと押し黙っていたレノアが笑い声を漏らした。
「まあ、あの人のことだもの。受け入れてやってよアンナちゃん」
「もう慣れっこですよ」
「なに、それはあの人との付き合いが私よりも長いから、そのくらい言われなくても分かっているということ? つまりはあの人に好意を抱いているということかしら?」
レノアは終始笑顔であるが、またしてもアンナに向かってナイフを投げた。
「そういうの、被害妄想って言うんですよ。あたしにそんな気は全くありませんからご安心を」
飛んでくるナイフを、ひらりひらりと躱し終えると、アンナは壁に刺さったナイフを回収し、レノアに手渡した。
「で……ところでさ、神石については分かったけど、こっちのデカイ箱はなんなの?」
「ああ、ごめんごめん。すっかり忘れていたわ」
部屋の隅で置き去りにされたままの、黒塗りの大きい方の箱へアンナは足を進める。傍で屈み込み、箱を開けると中には刀が一本入っていた。彼女はそれを手に取って立ち上がると、流れるような動きで鞘から抜いた。
「綺麗な直刃……あんたに持たすのが勿体ないくらい。流石は
「浅葱?」
「こいつの名よ。優れた刀には名が授けられる。昔シムノンが使っていたものよ」
アンナは浅葱を鞘に戻すとネスに手渡した。想像したよりも重く、手にした瞬間、ネスは刀に縛られるような感覚を覚えた。
「それを腰に下げ、神石を身に付けたらあんたは正式に破壊者よ。降りかかる火の粉はあたしが払うから、安心しなさい」
「冗談じゃない。女に守られながらの旅なんて、恥ずかしすぎるだろ」
神石のついたアンクレットを右腕に付けながらネスは言った。
「アンクレットなのに、なんで腕に付けちゃうわけ?」
「おしゃれのつもり」
「……まあ、いいわ」
そう言ってアンナはすっかり冷めきったコーヒーを飲み干した。
「あたしに守られるのが嫌なら、自分の身くらい守れるよう、訓練しながらの旅を所望するってことね」
「望むところだ」
ネスは浅葱を抜き、その刃に触れてみた。これからよろしく頼むぞと心の中で念じると、先程の縛られる感覚から解放されたような気がした。
「訓練だろうがなんだろうが受けてやる。賢者にだってなってみせるさ」
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