第9話 挿話 お金について
「えぇー」と途端に絵里が不満げな声を上げたが、それを義一と二人で笑って受け流した後、義一がまた紅茶のお代わりを取りに行き、そして戻ってきて準備は万端と、私たち二人のカップに紅茶を注ぎ入れた後、自分のにも入れて、そのままカップを手に持ち、書斎机の前に座るのだった。
「さてと、じゃあそうだなぁ…ふふ、琴音ちゃんは、どうやらあの動画を見たようだから、今度、今の所予定している日付としては、六月あたりに出す予定の本があるのは…知ってるんだよね?」
「あ、うん。えぇっと…」
と、私は自分のノートを覗き込みつつ本の題名を口にした。
そんな中、チラッと絵里がテーブル越しにノートを覗き込んでくる気配を感じていたが、別に絵里に見られるなら構わなかったので、そのままにしておいた。
義一は少し照れ臭そうに、何の理由だか感謝を述べてから先を続けた。
「…ふふ、そう、その本の中でね、前回の江戸時代の国学者の何人かを取り上げた本よりも大分大著になってしまったんだけれど、そもそもお金って何なのかっていうのを何章かに分けて書いたんだ」
と、そう口にしつつ、義一はおもむろにホワイトボードに何やら書き込み始めた。
んー…まぁ、それを今ここで描写する事はまだ無いだろう。義一が私に説明する上で、自分なりに分かりやすく整理する為だけのための板書だったからだ。
私もこの時は、ただ眺めているのみだった。因みに絵里も、あからさまに興味無さそうに、テーブルに肘をついて顎を手に乗せて眺めていたが、しかしそれでも視線をホワイトボードから逸らすことは無かった。
「だからまぁ…琴音ちゃんの疑問に答える意味でも、今ちょっと、その本の中身に触れつつ話させてもらうね?」
「うん」
と、後々にまたプレゼントされるだろうと図々しく期待していたが、それよりも先に今、直接本人の口から説明されるというのは、願ったり叶ったりだった。
今義一が自分で触れたが、一つ前の本も、勿論話の中で触れたように貰った訳だったが、読書家と自負している私からしても、新書サイズとはいえ、300ページを越える文量と内容の濃さが相まって、読み切るのは中々に難しい本だった。
だが、事前にこの宝箱で義一本人から話を聞いていたので、その分、勿論自分としてはと留意は入るが、それなりに理解して読めたんじゃないかと思っている。
だから、今回も同じ効用があるのを期待するのだった。
私の返事を聞いた義一は、一度ニコッと笑うと、そこからは”教師モード”にスイッチを切り替えて、滔々と話し始めた。
「えぇっと…今から僕が話す内容っていうのはね、おそらく…というか、間違いなくね、一般的な社会通念とはかけ離れてると思うから、琴音ちゃん、それに…ふふ、絵里も、そのつもりでちょっと聞いててね?」
「ふふ、うん」
「はーい」
と私に続いて、絵里が間延び気味に返事をした。
義一はここでまたニコッと一度すると話を続けた。
「さて、あの動画を見てくれたようだから、今日本が過去に十年以上に渡ってデフレって状態にあるのは分かるよね?」
「うん」
「ふふ、良かった。じゃあえぇっと…うん、さっき話を聞いた限りでは、理解してくれてるみたいだし、デフレ自体の説明も簡単で良さそうだな…」
と、例のごとく、また周りを放ったらかしにして思考にダイブしていたが、今回はこちらから突っ込まなくても自力で戻ってきた。
「じゃあ早速、さっきの君の質問に合わせる形で話そうかな?
そもそもデフレというのは、お金の価値が上昇するってことなんだけど、お金の価値が上昇するっていうのは、お金の供給が足りてないからって話になって、じゃあそのデフレから解消するためには、貨幣供給を増やせば良いんだって解決策が結構強い意見として出てくるんだけれど…」
「うん」
「でね、ここでまず一つ根本的な所を掘り下げたいと思うんだ」
とここで義一はホワイトボードに”貨幣”と書き込んだ。
「さて…そもそも貨幣って何だろう?」
「貨幣かぁ…」
と、これには絵里も同時に相槌を打った。
「少し話がズレるかもしれないけれど、僕らの生活に当たり前のようにある、貨幣という存在。さっき琴音ちゃんは疑問を述べる中で、僕の講演の内容自体には賛成してくれてたけれど」
「えぇ」
「貨幣が果たしてそもそも何なのかが分かっていないから、あの議員たちにも話したような簡単で単純な事が今までなされずに、ずっと延々と経済政策を間違い続けて来ちゃったんだと考えが至ってね、それでお金の本質について本を書いてみようと思ったんだよ」
「なるほど」
「えぇっと…さて、貨幣というのは一般的に、『現金通貨』と『銀行預金』と言われているんだけども…」
「…うん」
「実は僕らは普段現金を使っているからあまり実感がないけれど、現物としての、目に見える形でのお金というのは、実は全体からするとごく僅かしかなくてね、そのほとんどは銀行預金なんだ」
「あぁ…」
と絵里が口を開いた。
「なるほど、給料なんかは銀行振込だし、普段使いは預金から使う分だけ下ろしたり、私なんかは公共料金とかも全部銀行からだもんね」
と言うのを受けると、義一はコクっと笑顔で一度頷くと話を続けた。
「そう、その通り。ふふ、話が早くて助かるよ。…さて、何だか絵里が嫌々な表情を浮かべ始めたから話を続けよう。
でー…今絵里がチラッと言ってくれたけれど、主に貨幣というのは今は銀行預金の事を指すんだけれど、急な預金の引き出しに備えて、銀行は中央銀行、日本で言えば日銀だね?中央銀行に一定額の準備預金を設ける義務があるんだ。それを日銀当座預金っていう…ふふ、頑張ってついてきてね?」
「ふふ、うん」
と、ノートを取りつつ私は笑顔で返した。
義一が今まで普段暮らしていて聞き慣れない単語を、話しながらホワイトボードに次々と書き入れて話してくれてたお陰もあって、今の所余裕でついていっていた。
「さて、とまぁ今そうは言ったんだけれど、さっき絵里が言ったように、給料だとか何だとかの処理は銀行預金でやり取りされている中でも、根っこをたどれば結局は現金通貨ではあるから、話が急に戻るようでこんがらがるかも知れないけれど、ここからは、そもそも現金というのは、何との交換が保証されているのか?何で支払い手段としてみんなが疑問を持たずにお金を使っているのか?それについて話してみようと思う」
「うん」
「この話というのはね、まぁ…お金ってそもそも何なんだっていう単純な疑問なだけに、長い間論争になっていた話ではあるんだ。例えば…」
とここでおもむろに、義一が一枚の一万円札を何処からか取り出して、それをチラッと見せつつ続けて言った。
「これは一万円札だけれど、何でこんな紙切れにみんな価値があると思っているのか…?」
「…ふふ、うん、それは言われてみれば、確かに不思議な話だよね」
と私が返す中、絵里も黙っていながら何度も頷いている。
「でしょ?今だとICカードなんかにチャージなんかしちゃうし、こんな風に実際に目に入らなくなってくると、益々お金って何なのかってなってくる。あれはただ単なる電子信号だからね。
ふふ…さて、実はこの話というのは、お金に深く関わっているはずの、経済学者の先生たちですら、明確に分かっている人というのは少ないみたいなんだねぇ」
「ふーん…」
と絵里がここで合いの手を入れた。
「何だか経済学者って、お金の専門家ってイメージがあるのにねぇ」
「ウンウン」
と私も同意すると、義一は少し愉快げに見せつつ話を続けた。
「まぁ、そんな感じだから色んな説が今だに出てきてるんだけれどね?色々と僕なりに調べてみた限りで、一番説得力がありそうな説を話してみようと思う。
何で人々に通貨が受け入れられているのか?これはね…実は急に話が飛ぶようだけれど、税金と関係してくるんだ」
「税金…」
「そう。有史以来、人間の歴史が始まって以来、国家に人々は様々な形で『租税』を納めてきた訳だけれど、この税の支払い手段として、国家が法定しているから価値があるって説なんだ」
カキ…カキ…
「要は、通貨の価値を保証しているのは、徴税権を有している国家だということになる」
「ふんふん…」
絵里はどうかは知らないが、私自身少し話が微細に渡っている気がして、元々お金という、何度も自分で恥じなく言ってるが、普段から毛嫌いしている無粋に思える話題なだけに、中々スッと頭に入れるようにするには、この時点で骨が折れていたが、だがしかし、それでも義一が言っていたというのもあるが、かなり重要な話だというのは直感的に分かっているつもりなので、何とか頑張って理解しようと努めていた。
「昔だったら、租税は年貢という形で、お米だったり何だったりした訳だけど、それが米だろうとお札だろうと、それは何でもよくて、というか、支払い手段の物自体に価値、意味があるんじゃなくて、それを国家がキチンと保証しているかだけが問題なんだ。逆に言うと、国家が無かったり、あっても徴税権が弱かったりすると、その貨幣の価値も弱まっちゃうって事だね」
「フンフン…」
と、一応というか、ノートに書き込みつつ、私的にはここまで理解しているつもりだが、その様な反応をしていると、ここで「ふふ」と義一が笑みを零した。
何だろうと思い顔を上げると、ここで義一はまた頭を掻いて見せつつ続けて言った。
「んー…ふふ、さて、ここからは、さっき予告していた様に、徐々に社会通念から離れていくんだけれど…二人とも付いて来てね?」
と、何気なく絵里まで巻き添えにしたのだが、本人の本心がどうだったかはともかく、
「えぇ」と私とほぼ同時に絵里も返事を返すのだった。
「ふふ、ありがとう。さて、今触れた様に、通貨、貨幣というのは納税手段として使われるのが前提なんだけれども、それ以外、個人の預金だとか、企業の取引、投資などなど、普通に暮らしていれば分かるように、別にお金を現実には、税金を払う為だけじゃなくて、それ以外に多様に使っているよね?」
「えぇ」
「だから、国家はその分余計に通貨を流通させなければいけないんだけれど、その為に、人々の間にお金を残すために、国家は税収よりも多くの財政支出をするという手段に出るんだ。
…ふふ、ここまで話を聞いてくれた時点で分かると思うけれど、税収よりも支出の方が多い事を『財政赤字』と言うよね?」
「あ、あー」
と、私と絵里は思わず同時に声を上げた。
「要は、財政赤字が無いと通貨が流通しないって話なんだね」
と義一も自分で話しながら楽しそうに、愉快そうに話を続けた。
「まぁ…僕が言った様な話というか、説というのは、さっきも言った様に、当然僕が突然想像…ふふ、もしくは妄想で言ってるんじゃなくて、結構昔からこういった説はあったんだ」
と言うと、義一は一旦書斎机に向かい、乱雑に置かれた多数の中から一冊の、これまた遠目からでも分かるほどの分厚い古書を手に取ると、その表紙をこちらに向けた。
「二十世紀初頭に、ゲオルク・フリードリヒ・クナップ というドイツの経済学者がいて、日本語にすると『貨幣国定学説』という、まぁこの本なんだけれど、これなんかを筆頭に…」
と、今取った本をまた元の位置に戻すと、またホワイトボードに向かい、また話しながらちょくちょく書き入れていった。
「それから影響を受けた、有名なケインズ、時期を同じくして、これまた有名なシュンペーター、ラーナー、ハイマン・ミンスキー…と、あとの二人は一般には有名では無いだろうけれど…」
「いやいや、前の有名だってのも、私は知らないけれど…」
と絵里がボソッと呟くのが聞こえて、義一には届かなかったようだが、それが聞こえた私は、良いのか悪いのか分からないが、クスッと思わず微笑んでしまうのだった。
「まぁ、近代を代表する、大経済学者たちが、僕が今言ったような説を基礎にお金というのを考えているというんで、んー…ふふ、何も僕個人だけが、珍説に飛び付いたって話じゃ無いって事だけ言っておくよ」
「ふふ、えぇ、分かった」
「さて、ここで一つ、最近でも僕と同じ説に賛成して本を出している人がいるから、今の時代にも合うというのを証明する意味でも触れてみたいと思う。
さっき出したミンスキーの弟子である、L・ランダル・レイっていう、ミズーリー大学の教授がいるんだけれど、その人が出した本に、原題は、Modern Monetary Theoryって言って、直訳すると『現代貨幣理論』っていう、そのまんまの題名のがあってね、その中でレイも僕と同じ事を言ってるんだ。
『そもそも財政赤字は異常な状態ではなく、正常な状態だ』とね」
「んー、なるほど」
「…ふふ、まぁ琴音ちゃんはそうやって、余計な括弧つきの常識、先入観に頭が侵されていないからすぐに納得してくれたけれど、大体この時点で普通の人は、『こいつ頭おかしいんじゃ無いか?』って思うと思うんだよ。だって、『財政赤字なのが正常な状態なんだ』って堂々と言ってるんだからね…なぁ、絵里?」
「…へ?」
と、話を振られるとは思っていなかったらしく、気の抜けるような声を発していたが、やはり付き合いが長く、これに限らず過去にも何度も同じようなことがあったのか、すぐに何かを察したらしく、絵里はわざとらしく大袈裟にむくれて見せつつ返した。
「…もーう、”また”私が一般人代表にされてるのね?まぁ…確かに、今ギーさんが短く纏めた言葉をそのまま受け取れば、確かに『コイツ、何言ってんだ?』って思うかもしれないけれど…」
「…ふふ」
“また”の部分が気になりはしたが、今はスルーした。
「でも…まぁ、その前の説明を聞いてる限りでは、結構割合とすんなり理解出来たから、私個人としては異論は無いよ」
と悪戯っぽい笑みを浮かべつつ言うのを聞いて、「そっか」と、義一も明るい笑顔で応えるのだった。
そんな二人の様子を見て、私も自然と笑顔を零しつつも、
…ふふ、義一さんと十五年以上も関係を続けてる時点で、充分絵里さんも”良い意味で”普通じゃないと思うけれど…
という感想を覚えるのだった。
「じゃあ、ここにいるみんなの意見が一緒ということで、話を先に進めようかな?
さてと、さっき現金通貨と預金通貨ってのがあるって話をしたと思うけれど、次は、預金通貨がどういったプロセスで作られていくのかって話をしていこうかな?」
「うん」
「ここでえぇっと…」
と、また義一はホワイトボードにメモを書き込みながら続けて言った。
「一般的には、銀行というのは、個人や企業が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として、貸し出しを行なっていると思われているんだけれど…」
「え?違うの?」
と、絵里が思わずと言った調子で、少し食い気味に口をはさんだ。
義一はニコッと一度笑みを浮かべると先を続けた。
「うん、実はそうなんだ。これはね…」
と義一はここで、書斎机の上から一枚のプリントを手に取ると、それを覗き込みつつ続けた。
「これはね、イギリスの中央銀行である、イングランド銀行の機関紙でね、お金に関する初歩的な論文が載っていたのから引用したものなんだ。
で、今さっき言ったように一般に思われている話というのに反論というかしていてね、実際にどうしているのかというと、銀行というのは、元手から貸し出しを行っているんじゃ無くて、貸し出しによって、後から預金が生まれるってことなんだ」
「…え?」
と、ここで思わず、顔が合ったので同じ心境だろう、絵里も意味が分からないと言いたげな表情を見せていた。
「それってどういう事?」
「ふふ、うん、いきなりこれだけ言われても意味がわからないよね?じゃあ説明するね。
これを初めて、それこそこの論文を読んで初めて知って、僕も驚いたんだけれど、これが銀行家の間では常識なんだって書いていたんだ。
…んー、まぁ、しつこいようだけれど、過去の政策を見る限り、日本の中央銀行が果たして分かっているのか疑問しかないけれどね」
「…ふふ」
「例えばね…」
と、ここで義一は簡単な図式を書きつつ話した。
「例えば銀行が、A社の預金口座に1000万円を振り込むには、単にA社の預金口座に1000万円と記帳するだけでいいんだ」
「んー…?」
と、まだスンナリと納得いかない様子を、絵里と一緒に表現すると、それには別に取り合わずに、義一は想定内だと笑みを浮かべつつ、一度手元の資料を机に戻してから話を進めた。
「ふふ、まだこれだけじゃあ納得いかないよね?もう少し待ってね。
えぇっと、これまた著名な経済学者で、ジェームズ・トービンという人がいてね、こうして記帳するだけの事を称して、『万年筆マネー』と呼んだんだ」
「万年筆?」
「うん。昔は銀行業務といえども手書きだったらしくてね、万年筆で書き込んでいたというんで、そこから名前を付けたようなんだ。銀行員が万年筆で書き込めば、そこで預金が生まれるという事でね。
今だと流石に手書きではないだろうから、まぁキーボードでカタカタ打ち込むだけって事で、『タイピングマネー』って、僕は今度出す本の中で書いたんだけれどね」
と言いながら、空中でタイピングの真似事をしてみせた。
「なるほど…?」
と、一応納得してみせたが、まだまだ話が途中なので、全面的には賛意を示さなかった。絵里も同じだ。
それも想定内だったのだろう、義一はそのまま淀みなく先を続けた。
「まぁ後々で纏めるから、今は取り敢えず話を続けるね?
預金通貨というのは、銀行が生み出していて、何も外からの貯蓄などの目的で開設された口座によって生まれるものじゃない、元手となる資金の量に制約されずに、原理的には幾らでも貸し出しが行える…とまぁ、これまた社会常識では受け入れ難い話だけれど、かなり重要な点だから、これだけ頭に入れてもらって先を続けよう」
「うん…」
「んー…例えば、産業革命の最中、大規模な投資だとか事業とかが出来るようになったんだけれど、それは、銀行が幾らでも貸し出しが出来るというシステムが出来上がって、その結果のお陰でもあったわけなんだ。そうして、資本主義が発達していったと。
…ふふ、さて」
とここで義一は、私たち二人に向かって、悪戯小僧よろしくな笑顔を浮かべたかと思うと、そのまま表情を保ちつつ先を続けて言った。
「じゃあ、幾らでも貸し出せるなら、こんなに幸せな事は無いじゃないかって思う所なんだけれど、ただし、急に矛盾するようだけれども、幾らでもとはいっても、実はちゃんと限界はあるんだ」
「…あ、そうなんだ」
と、ほっとした風に絵里が声を漏らしたので、私もつられて小さく笑った。
「ふふ、そう。でも、さっきから言ってるように、限界を決めるのは、銀行の資金量では無いんだ。
じゃあ一体何が限界を決めているのか?
それはね…借り手の返済能力なんだ。…ふふ、二人ともが、そんな反応をすると思ってたけれどね?
…あはは!そう、あまりにも当たり前な事だけれど、まぁそうなんだ。借りてる側が、返してくれるのかどうかに掛かっていて、少し纏めると、貸し出し、つまり預金通貨の創造というのは、貸し手、この場合は銀行だけれど、その資金量ではなくて、借り手の返済能力によって限界値が設定されるという話なんだ。
…ここまでは、付いてこれてるかな?」
と義一に聞かれたので、今まで義一の言葉、義一が板書したのを纏めたノートに目を落とし、確認した後、絵里とアイコンタクトを交わしつつ「う、うん…」と返した。
「今のところは、なんとなくだけれど…うん、付いていけてると思う」
この言葉には嘘はない。何故なら、何気なく一応話が最後に纏まって着地したのが分かったからだった。まだ私の中で咀嚼出来ていない、ただそれだけなのも自分で分かっていた。
私に続いて、絵里も同じような返答をすると、義一は少し照れ臭そうに笑ってから話を続けた。
「んー…ふふ、相変わらずね、自分で言うのもなんだけれど、なかなかに分かり辛い中、よく二人が辛抱して聞いてくれて嬉しいよ。
んー…ふふ、まぁ少なくとも、『あー、良かった。こいつは、幾らでもお金を貸し出しても良いんだって極論を言い出した訳じゃないんだな』って分かって貰えたと思う」
「あははは」
「ふふ、うん」
と、義一の冗談めかしていう様が面白く、絵里と共に同時に笑うと、私たちをそのままに義一は話を続けた。
「ふふ…じゃあ話を続けよう。
さて、ここで琴音ちゃん、君の質問に絡めた話になる。
というのも、例の講演の中で、僕が時間がないと端折った部分の事だよ」
「あ、うん」
と、その言葉を聞いて、私は気合をもうひと段落上に入れて待ち構えた。ワクワクしていた。
その心境を知ってかしらずか、テーブルの向かいから、苦笑だか、それとも無きゃ見守ってくるような、そんな一見相反するものに見える感情が上手いこと混じりあったような、そんな独特の笑みを送ってきていた絵里はそのままに、私は義一をまっすぐ見据えていた。
義一はニコッと一度笑ってから話を続けた。
「そういった説に沿ってお金を考えると、んー…今ね、量的緩和って政策を打ってるんだけれどね」
「うん」
「量的緩和っていうのは、銀行が日銀に開設した『日銀当座預金』を増加させる政策なんだけれども、でも、これまでジャブジャブと湯水の如く量的緩和をしたのにも関わらず、物価は一向に上昇していかない…って話は触れたよね?」
「えぇ」
「少なくとも、日銀が設定したインフレ目標には遠く及ばない状況が続いているっと…。
まぁ、今までの話から考えると、然もありなんって話なのは、二人ともすぐに察してくれると思う。
何故なら、銀行というのは日銀当座預金を原資として貸し出しを行っているわけではない。銀行預金、つまり通貨は、借り手がいなければ創造されない。
復習的に言えば、勿論絶対に返してくれるというのが大前提だけれど、返す能力のある借り手が増えれば、銀行預金は増えていく…。
つまり、世の中の通貨供給量というのは、そうやって増える仕組みになってるわけで、日銀当座預金自体を、量的緩和で増やしたところで、銀行の貸し出しは増えないんだ
…ってところまでは理解してくれたかな?」
「うん…」
と、ノートに書き込みつつ返した。
まさに今、義一が自分で言った通り、私の聞きたかった疑問点の箇所だった。
それと同時に、先ほどからの話がこれまた他では聞けないというのもあって、あれほど毛嫌いしていたお金の話だというのに面白く、すっかり楽しみつつ話に聞き入っていた。
「つまり、借り手がいるからお金を貸せる。これもまた当たり前すぎる話ではあるけれど、日銀当座預金を増やすという量的緩和政策をすればデフレから脱却できるという説は、ここら辺を、順序を逆に勘違いしてるって事なんだ」
「なるほど」
と、私と同じように、いつのまにかすっかり話に入り込んでいる様子の絵里が合いの手を入れた。
「別に銀行は当座預金が無いから今お金を貸してないんじゃなくて、そもそも今デフレで借り手がいないからって理由なのを、その量的緩和を重視してる説というのは、銀行が資金を元手に貸しているって勘違いしてるって言いたいのね?」
「…」
と義一はすぐには答えずに、何だか好奇心に満ち満ちた表情で目を見開きつつ絵里の方を眺めていたが、数秒してニコッと、目をギュッと瞑るような無邪気な笑顔を見せたかと思うと、さも愉快げだと言いたげな調子で返した。
「…ふふ、そう!その通り!別に当座預金が少ないからじゃないのに、それを増やしたところで、デフレに対して効かないって事なんだよ」
と、ここまでの話を聞いて、ふと、義一が講演内で話していたセリフを思い出した。
「…あ、そっか、これがあの時義一さん、あなたが言ってた、『紐は引っ張る事は出来ても、押す事は出来ない』って言葉の真意なのね?」
「…ふふ」
と、私の言葉を聞くと、絵里に対してと同じくらい、同じような様子を勿体ぶって見せてきたが、また一度しつこいくらいに同じ動作を見せてから笑顔で答えた。
「そう、その通り!いやぁー、それに触れようかどうしようか迷ったんだけれど…ふふ、さすが琴音ちゃん、よく覚えていたし、よく今言ってくれたね!」
「あ、いやぁ…」
と、毎度の事ではあるが、最近では一番の褒めようをしてきたので、流石の私も少し照れてしまったが、「もーう…」とすぐさまに、絵里がジト目で私と義一を何度か眺め回して、
「琴音ちゃん、あまりギーさんみたいな変人に褒められても、それほど名誉なことじゃないよー?」と冷水を浴びせられてしまった。
だが、これも毎度の一連の流れの一つであったので、言われた瞬間、義一と二人顔を見合わせて笑い合うのだった。
「さて、話を戻そう。またしつこく繰り返すようだけれど、大事な事だから言えばね、要は、お金の価値が物よりも高くなってしまっているデフレ状態を、そのお金の価値を落とすために民間にお金がキチンと流れていくようにするには、政府がどんな政策を打てば良いのか…?
…ふふ、もう分かるね?」
「うん」
と私はノートを確認しつつ、すぐさま返した。
「要は、返済能力のある借り手が、お金を銀行から借りるような状況になれば、自然と通貨も増えていくって事だよね?」
「そう、その通り」
「で、だけれど…」
とここで私は、以前に取っていたノートの部分を見返し始めた。
言うまでもなく、前回の義一の講演分だった。
それを見つつ続けて言った。
「あの講演内でもあなたが言ってたように、今はデフレ状態…。ということは、お金に価値があるっていうんで、私達みたいな普通の個人と、それに限らない一般企業だって、合理的に考えてお金を使わないし、借りたりも当然しない…」
「…」
義一はこれといって相槌は打ってこなかったが、しかしそれでも、顔面には柔和な笑みを浮かべて静かに見守ってくるような眼差しをくれたので、そのまま話を進める事にした。
ついでと言ってはなんだが、絵里もテーブルの向こうから、義一と同じ類の視線を送ってきていた。
「でね、これもあなたが講演で言ってたことだけれど…そんな中だというのに、それでもたった一つ、容易に借り手として、それも自分でお金を創造出来るゆえに、他とは比べ物にならない程の返済能力のある経済主体の一つというのが…ふふ、デフレ下でも不合理に借金出来る、もしくはしなくてはならない、それが大馬鹿ものである政府なんだね?」
と最後の方は、絵里が顔を顰めて感想を述べていた講演の箇所を思い出し、ついつい真面目な調子が崩れてしまったが、ここでまたノートのページをおもむろに元に戻したその時、さっきのメモがふと目に入り、その瞬間、ますます意を強くして、思ったまま付けたした。
「…あ、で、それがさっきあなたが言っていた、『国家は余計に通貨を流通させなければいけない。その為に、人々の間にお金を残すために、国家は税収よりも多くの財政支出という手段に出るんだ』っていうのに繋がるんだね?」
「はぁー…」と、私が言い終えた瞬間、呆れてるのか、もしかしたら、こっちなら嬉しいが、感心してくれてるのか、そのどちらとも受け取れるような溜息交じりの声を漏らす絵里を尻目に、すぐに義一の反応を伺った。
義一はしばらく先程からの表情のままだったが、スッとますますその度合いを強めたかと思うと、しみじみといった様子でゆっくりと口を開いた。
「…ふふ、何だかなぁー…僕が話そうと思っていた事を、こうしてズバッと、しかも僕よりもだいぶ年下だというのに、こんなに綺麗に纏めて話してくれるなんて、…ふふ、嫌がられるのを百も承知で褒めたい気満々なんだけれど、まぁここは一つ、…うん、僕も全く同意見だよ」
「え、あ、そ、そう…?」
と、義一が恐らく何重にも私に気を遣った気配の見える言い草に、瞬時にはどう返したら良いのか戸惑ってしまったが、結局は、
「…ふふ、うん、ありがとう」
と、何についての感謝か、まぁ色々な意味があるだろうが、それを自分自身でも分かりきれていないままであったが、それでも、この時点で、この言葉が合ってるような気がするのだけは確かだった。
この後チラッと絵里の顔を覗き見たが、その顔には、今日の中では一番の、何の混じり気のない優しい笑みがただそこにあるのだった。
「…そう、今琴音ちゃんが言ってくれた通りだよ。
だから僕なりに話を引き継いで続けて話せばね、量的緩和して日銀当座預金が増えるというのではなくて、借り手が増えて、銀行預金が増える事によって、日銀当座預金も増える…という順番が、正常なんだって事なんだね。
まぁこれ以上は繰り返さないけれど、いくら量的緩和しても、それだけではデフレ脱却は出来ないって話」
と、途中からまた”教師モード”に入りつつ続けて話した。
「今までの話の繋がりでね、これもまた良く一般的に、それなりに経済というものに関心がある人でありがちな理解があるんだけど…それはね?
『日本が巨額の政府債務にも関わらず、破綻しないのは、巨額の民間金融資産、つまり、預金通貨があるからだ』という説なんだ」
「あー…確かに聞いた事がある」
と絵里が合いの手を入れる。
「それに続けて、こう言うんだね。
『しかし、少子高齢化により家計の貯蓄率が低下するので、政府債務は持続可能ではない』ってね。
…ふふ、二人の表情を見る限り、すぐに今のこの説がおかしい事に気付いたみたいだね?」
とニヤケ面でクスッと笑いつつ言うので、私と絵里は一度顔を見合わせた。
そして、すぐに絵里が答えないのを確認すると、私がすぐに思った考えを述べる事にした。
「う、うん。だって…貸し手の制約は元手のお金ではないんだし、それなら民間金融資産が政府債務の制約になってないよね?んー…っと」
と、ここで私は確認の為に、講演会のページに戻ってそれを見つつ、続けて言った。
「銀行が貸すと預金が増える…って事は、政府の借金である国債を銀行が購入すれば、その分お金が生まれるって事にもなるよね?」
「ふふ、ウンウン、そうだね」
と、また徐々に義一がニコニコとし出したが、このまま私は続けた。
「つまり、通貨発行権を持っている政府が貸し手である銀行から借金をしても、今までの話を聞いてきた限りでは、実際にするかはともかく、その時点で政府は自分で通貨を発行すれば、それがそのまま預金になるって事で、政府の預金が増えるって事」
「ウンウン」
「で、で…その国債増発で得た資金を政府が支出すれば…実際の生まれたお金を、義一さん、あなたがあの講演でも話してたように、仮に公共事業だったら、そのお金が事業主達の手に渡っていって、その人達がまた日本国内で消費する事によって民間に渡っていく…って事は、これもあなたが言ってた事だけど、『お金は天下の回りもの』とはよく言ったもので、話をまとめると、要は政府が国債を発行すれば、その分、民間の金融資産が増えるって事になる…んだね?」
と、最後の方で義一の顔を覗き見つつ言うと、義一はまた懲りなく…と敢えて照れ隠しに乱暴に言わせて頂くが、また何か無駄に褒めてきそうになったので、無言では合ったが、視線だけでそれを何とか制した。
義一もそれなりに長い付き合いのお陰か、昔と違ってこの場ではサラッと、まぁでも先ほどと同じ様な褒め方をしてきつつ、話を引き継ぐ様に口を開いた。
「あはは!そう、またもやその通り。
ついでだから、今琴音ちゃんが言った様な理論、僕と絵里だけが納得、理解してるんじゃないというのを、さっき引用した、現代貨幣理論のレイの言葉を引こうかな?
…『政府の赤字が、それと同額の民間部門の貯蓄を創造するのであるから、政府が貯蓄の供給不足に直面する事などあり得ない』」
「…あぁ」
と、なかなかに難しい言い回しだったので、すぐには飲み込めなかったが、義一が言った通り、私…って、別に私は義一の言葉を受けてまとめただけなのだが、私たちが議論してきた事と同じだと何とか理解出来た。
「えぇっと…ただしね、民間の企業とかと違って、政府は別に民間の銀行に預金口座があるわけじゃないんだね。
政府の預金口座は日銀にしかないんだ」
「…うん」
と、ここでおもむろに、またホワイトボードに板書を始めたので、私もそれをノートに取りつつ返事した。
「じゃあ今までの話を纏める意味も込めて、実際にどうやって借りられて増えていくのかってのを、ちょっと今から書く図で示してみるね…」
と義一が書き始めたのは、横書きで箇条書きといった形態のものだった。
それぞれに初めに番号が振られていて、それを簡単に記すと、ざっとこんなものだった。
1、銀行が国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府の日銀当座預金勘定に振り替えられる
2、政府は公共投資などの発注にあたり、企業に政府小切手で支払う
3、企業は、取引銀行に小切手を持ち込み、代金の取立てを依頼
4、銀行は、小切手相当額を企業の口座に記帳(新たな預金の創造)。と同時に、日銀に代金の取立てを依頼
5、政府保有の日銀当座預金が、銀行の日銀当座預金に振り替えられる
これら全ては1から順に矢印で繋げられていたが、最後の5まで書き終えると、5の最後からググッと1までの長い矢印を書いて終わった。
「んー…よしっと」
と自分で書いた図を確認し終えると、義一は一度私たち二人を見渡すと、明るい無邪気な笑みを途端に浮かべつつ声をかけてきた。
「さて、二人とも、これが一応今までの話のまとめみたいなものなんだけれど…何か変だとか、疑問に思うところとかないかな?」
「え?んー…」
と、私と絵里は同じ様なリアクションを取ってから、揃って唸り声を漏らしつつ図と睨めっこをしていた。
んー…ウンウン、なるほど、確かにこうして箇条書きというか、順序立てて書いてくれると益々分かり易いな…あ!
「…あ!」
と思わず、ある事を二つばかり気づいた私は、心の中だけではなく、実際に声を上げてしまった。
絵里は少し私の声に驚いた様子だったが、義一はというと、顔中に、今日一番の好奇心を滲ませていた。
そしてそのまま話しかけてきた。
「おっ、琴音ちゃん。何かに気付いたかな?」
と、とても愉快そうに言ってくるので、その勢いに若干押されつつも、今思いついた内容をつらつらと返す事にした。
「え、あ、う…うん。二つばかり気付いたんだけれどー…まずはね、この最後の5の部分なんだけど…」
「うん」
と、義一、それに絵里はホワイトボードを見ていたが、私は書き写したノートを見ながら続けて言った。
「義一さん自身も矢印で戻しているから意図的だろうけれど…政府の当座預金が銀行の当座預金に振り替えられてるって事は…」
と私はここで顔を上げて、二人と同じ様にホワイトボードを見ながら続けた。
「1にそのまま戻るわけで、そのー…日銀当座預金が、そのまま戻ってきちゃってる…よね?」
「…」
と義一はまた一度驚いた風を見せていたが、その後の描写は…もう良いだろう。
義一は一連の流れをまた繰り返してから、何度目かというのにまた照れちゃう私にも非があるのだろうが、それでも少し…いや、もうウンザリだと言いたげに、もちろん本気ではないがその様に拗ねて見せると、それを見てまた一度「あはは」と笑ってから答えて言った。
「そう、またまた大正解。これ見ても分かるように、ぐるぐるただ回っているだけだから、国債に資金的な制約はないって事が、ここでも証明された事になるね?」
「えぇ」
「うん」
と、私と絵里がすぐに同意の意を示した。
「そして、ぐるぐる回るたびに、これで言えば4の部分でお金が創造されるっと…。お金が供給される事になる訳だね」
「うん。…あ、でね」
と、自分で振っときながら、もう一つを話していなかった事に気付き、慌てて口を挟んで話す事にした。
「そこで、もう一つなんだけど…」
「うん、なにかな?」
と、こうして急に話を折ったというのに、嫌な顔一つ見せずに、また好奇心をそのままこちらにぶつけて来たが、今回の場合は初めと違い、むしろ背中を後押しする効果を生み出していた。
その感覚を覚えるままに、私はつらつらとまた話し始めた。
「って事はさ?今のこの話というのは、いわゆる金融政策ってものだと思うんだけれど…その中で、政府が借金をまずすれば、その分民間の金融資産が増える…って事はさ」
とここで一旦区切ると、今一度自分の考えを確認して、そして別段おかしいところが見つからなかったので、そのまま続けて言った。
「これまた義一さん、あなたのこないだの講演でもあったけど、政府が借金して色々とするのって、これは財政政策だよね…?」
「うん、そうだね」
「って事はさ…財政政策ってお金を増やしているんだから…金融政策でもあるんだ…ね?」
「…」
…ここでの義一の様子を描写する事は無いだろう。似たり寄ったりだからだ。
同じ一幕が終わった後、義一はニコニコ顔が収まらない様子で、そのまま口調も明るく口を開いた。
「その通りだねぇー。だから、もし金融政策で、貨幣供給量を増やせと言うのなら、財政政策まで一緒にしなくちゃいけない…というのが、分かって貰えたかな?」
「うん!」
と、自分ではイヤイヤだったはずだが、こうして思い返してみると、やはりと言うか、義一のテンションに当てられたせいか、結局同じ様に明るく返してしまうのだった。
道ずれにする様で悪いが、絵里もだいたい同じ様なものだった。
初めの方で、あれだけ渋々だったのが嘘の様に、私ほどではないにしても、すっかり義一の議論に夢中になってる…ように、私には見えて、それがまた自分の事のように嬉しいのだった。
「でもそれが中々、そうだね…まぁお金の本質、お金とは何かが分かってないから、量的緩和政策さえすればデフレ脱却できるみたいな、そんな議論が罷り通っちゃうんだね」
と、さすがにここまで喋り通しだったのが疲れたのか、一口紅茶を啜ってからまた続けた。
「まぁ、もう何度目になるか分からないまとめじみた事を言えば、デフレ脱却のためには貨幣の量を増やすというのが有効な手段なんだけれど、それはどうすれば良いかと言えば、結局は財政政策をするという結論になるわけだよ。
…さて、今まで話して来たように、政府債務、つまり国債だね、その制約というのは、民間金融資産の総額ではなく、借り手である政府の返済能力にあると。
でも、これも琴音ちゃん自身が話してくれたように、もう一度繰り返せば、政府は個人や企業と異なって、通貨を創造する権限を持っている。
だから、政府債務が…ここが重要だけれど、債務が自国通貨建てである限り、借り手の政府の返済能力に制限は無いんだ」
「…あ、うん、あそこでも言ってたね」
と、また私は自分でも真面目だなと恥もなく思うが、またノートをチラッと捲って確認しつつ言った。
「自国通貨建ての国債は、政治的な意志などで返済を拒否したりとか、戦争だとか、そういった極端な場合を除いて、国家が破綻する事はない…というか、出来なくて、歴史を振り返ってみても皆無だったって」
「ふふ、そう、その通り。過去にいくらでも経済破綻とでもいうのか、まぁデフォルトという言葉を使わせて貰えば、デフォルトした例というのは、その全てが自国通貨建て以外、つまり、外国の通貨による、外債の国債のみなんだね。だって、外国の通貨は、他の国では、よっぽどの奇妙な例外を除いて発行出来ないんだからね」
「あー…」
と、絵里が、合いの手のつもりなのだろうか、しかしこの短いため息にも見えない事も無い声には、色んな感情思考が混じっている様に思えた。
まぁ私は…絵里もあの動画を見た様だから、その中で触れられた事が出て来たから、思い出したのと同時に我知らず声を漏らしてしまったんだろう…と勝手に思っている。
と、ここで、義一が口を開き話を続けようとしたその時、当然というか、今の話、今までの話を含めて納得した上で、それでもやはり、それこそ誰でも思うであろうまだ残ってる疑問があったので、それを質問してみる事にした。
「義一さん、今までの話は全部筋が通っていて、私なりに納得して理解しているつもりなんだけれど…、当然疑問として、こう聞かざるを得ないと思うの」
「ふふ、うん、言ってみて?」
義一は、もうこの時点で全て察しているかの如く、ニコニコ顔だ。それを私も気付いたのだが、それでも質問を続けた。
「自国通貨建て国債がデフォルトしないならさ…、財政赤字って、無限に拡大出来るの?」
「…」
「だって…お金の創造のプロセスについては理解したつもりだけれど、でも、やっぱり何だか…打ち出の小槌みたいに、無限に増やしていけそうに見えるんだもの」
と質問している間に、チラッとテーブルの向こうにも視線を配っていたが、絵里もただ黙って私の言葉にコクコクと頷いて見せていた。
私の質問を聞き終えると、義一は今度は無駄に溜めたりせずに、途端にニコニコ具合を何倍にも強めて、愉快な気持ちを隠そうともしないまま口を開いた。
「あははは!いやぁ、ホント琴音ちゃんは、痒い所にズバッと手が届く様な質問をしてくれるからなぁー…助かるよ」
「もーう、いいから早く教えて?」
と私が苦笑まじりに返すと、義一は答えた。
「ふふ、はいはい。
えぇっと…うん、確かに、さっきの僕の話だけを聞いたら、そんな風に受け止めるのが普通だと思うけれど、流石に打ち出の小槌的にはいかないってところを説明するね?
コホン…今さっき、金融政策というのは、財政政策だという話をしたと思うけれど、財政政策を打つという事は、財政赤字を拡大させるという事だよね?民間にお金を回すという意味でも。
財政赤字、つまり、通貨供給量が増大すると、これはインフレになる。…分かるね?」
「うん」
「通貨の量が増えれば、物の価値の方が高まっていくんだから、これはインフレになっていってるって事だけれど、もしその財政赤字を過剰に拡大していけば、それと共に過剰なインフレを起こす…インフレ自体は、勿論今の日本は反対のデフレで悩んでいるんだから望ましい事この上ないんだけれど、まぁそう意味で…無限には拡大出来ないんだ」
「…あー、なるほど…」
と、ここで威張っても仕方ないが、事実として、ここまで真面目に真剣に義一の話を聞いてきたので、何となく目星はついていたのだが、それが当たったので、一人クスッと小さな笑みを浮かべるのだった。
それを見られたはずだが、それには何も触れずに、義一は話を続けた。
「ここで、国債の発行制約が分かるよね?
…そう、国債の真の発行制約は、物価の上昇率なんだ」
「んー」
「物価上昇率…言い換えれば、インフレ率で決まるんだね。
という事はだよ?…ふふ、その顔を見る限り、もう分かってると思うけれど、それでもまぁ敢えて口にすれば、…そう、デフレである限り、財政赤字の拡大の制約は…無いって事になるよね?」
「うん、そうだね」
「ふふ。だから今の日本はデフレなのだから、いくらでも財政拡大が出来るわけ。
という事は…だよ?…ふふ、そう、『今日本は財政赤字に苦しめられている』と、これも毎日のように騒がれてるけれど、今の話を総合してみれば分かるように、今の日本は、財政赤字が多すぎるんじゃなくて…少なすぎるって言うべきなんだね」
「はぁー…」
と私は思わずため息を漏らしてしまったが、そのまますぐ後で「なるほどねー」と感嘆の声をあげた。
すぐには気付かなかったが、「なるほどねぇ」と絵里も私とほぼ同時に素直な調子で声を漏らしていた。
…いや、今日の話は、何もここだけに限らず、元々の情報量などがなかったせいもあるのだろうが、それでも、まさに目から鱗が何枚もポロポロと零れ落ちていく様な連続で、んー…ふふ、あ、いやいや、勿論言うまでもなく、今日に限らず今までもそうだったが、やはりこういった義一の、物事の本質に迫る議論や説明というのは、いちいち御尤もで、こうして今も、頭にかかっていたモヤの様なものが一気に取り除かれた様で、清々しい晴れやかな気分にさせられていた。
んー…ふふ、やっぱり、義一と交わすこういった会話、議論が何よりも…大好きだというのを再認識するのだった。
そんな余韻に…少なくとも私は浸っていたのだが、義一はいい意味で空気を読まずに話を続けた。
「でまぁ、だからデフレ下では、どうやっても財政健全化なんか絶対に無理だと思うんだけれども」
「うん」
「んー…ついでだからというかね、これは琴音ちゃんも聞いたことあると思うけれど…今さ、僕が言った財政健全化と関連して、消費増税の話が出てるんだけれどもね?」
「あ、うん…ふふ、流石に知ってるよ」
「あはは、ごめんごめん。
でね、その話なんだけれどもね、今までの話を聞いたら、増税をすべきで無いって事は何となく分かると思うけれど…ふふ、なーんか、日本を滅ぼしたい人なのか、訳の分からない…ふふ、日本を貧しくしたいという、何だか訳の分からない理由で、デフレ下でも財政再建、健全化したいって人が、この世の中にたくさんいる様なんだけれど…」
「あははは」
と私が思わず明るい笑い声を上げたと同時に、「この狼藉者ー」と芝居がかって声をかける者がいた。
勿論絵里だ。
直後に顔を見たのだが、目元は思いっきり細めて見せていたが、しかし口元は、これまた思いっきり緩めっぱなしだった。
「ギーさん…あの動画を見る限り、あんな無礼な講演をしたというのに、もしかしたらまた呼ばれるかもしれないんでしょー?このお金の話で…。ふふ」
とここで絵里は一度切ると、自分でクスクス笑ってから、それを延長したままニヤケ顔で言うのだった。
「…議員さん達の前では、少しは自重してよー?」
「あははは。分かったよ」
…絶対に分かってないな
と私は瞬時に思ったが、そんな事を思いながら、笑い合う二人に私も混じるのだった。
「…さて、話を戻そうかな?えぇっと…」
と、義一は、真っ白だったのが多くの字で埋められていく中で徐々に黒地が増えていってる様に見えるほどのメモの大群を眺めてから、ゆっくりと話を続けた。
「んー…あ、そうそう。繰り返して言えば、デフレ下で財政を健全化させようとしても、それは…無駄に終わる。
まぁ今まで話してきたから分かる様に、幾らでも理由はあるんだけれど、まず一つはね、
財政再建するには、税収を上げなければいけないって言うんだけれど、税収というのは、税率×国民所得なんだけれども、確かに政府は税率は変えられる…。
けども、国民所得というのは景気に依存するから、デフレ、つまり、国民所得が増えずに、むしろ減ってく経済状況下では、税率だけ上げたって、税収は増えないんだね」
「ウンウン」
「だから、さっきも言った様に、このデフレ下にも関わらずに、消費税増税の議論が毎日の様に世間を賑わしてるけれど、税率だけいくら弄って操作しても、それでは税収は増えていかないって事なんだ。
だから、ここで分かるのは、いくら税率の話、もっといえば税だけの話をしていても無駄で、国民所得をどう増やすかの議論をいないとダメなんだよ」
「うん、その通りだね」
「ふふ、うん。
で、もう一つの理由を上げてみようかな…?
というのはね…」
…と、まだ義一の話の途中だが、ここだけは端折らせていただこう。
理由は単純だ。ここはあの例の講演内容のそのままだったからだ。
勿論私、それに絵里も同じだったら嬉しいが、こうしてまた繰り返しで話してくれるのはとても有り難かったし、ますます理解出来た心持ちになったが、まぁでも、話として触れるのは良いだろうという、私の身勝手な判断だ。
そういう言い訳をさせて貰って、それを広い心で受け止めてくれてると願い祈りつつ、また話に戻るとしよう。
「…まぁ、そういう事なんだ。
繰り返し言えば、政府債務は累積し続けたけど、長期金利は世界最低水準で推移してるのを見ればすぐに分かるよね。
デフレで借り手がいない限り、金利が上昇するなんて事はあり得ない。
むしろ、金利が上昇し始めたら、それは借り手が増えた事を指すわけで、という事は、デフレ脱却、景気回復の兆候以外の何物でもないんだから、むしろ喜ばしく思わなくてはいけない」
「うん」
「そうね」
「だから、金利上昇を恐れるのは…ふふ、景気回復を恐れるに等しいって話になるね」
「あはは」
「本当だ」
とここでまた三人で一度笑い合ったのだが、少しして、義一がチラッとホワイトボードに視線を移すと口を開いた。
「あはは。でもね、こんな話をしていても、多分またこんな反論が来ると思うんだ。
…コホン、『日本の財政が国際的な信任を失ったら、国債は暴落し、金利は急上昇するー!』ってね」
「ふふ」
「あはは。でもさぁ」
と絵里が何だか悪戯っぽい笑みを浮かべつつ言った。
「今までのギーさんの話を聞けば、そんな反論自体が有り得ないよね?だって、さっきからずっと出てるけど、日本の国債は殆どを国内で消化してるって話だし、それだったら、国際的な信任云々って、関係がないじゃない?」
「そうだ、そうだ」
と私は何だか妙なテンションで乗っかった。
まぁ、絵里が進んで話すのが何だか嬉しく楽しかったからに違いない。
絵里はそんな私に一度ニコッとしてから続けて言った。
「それ以前にさ、そもそも国債の発行っていうのも、民間の金融資産の制約は受けていなんだし、信認とは元々無関係だよね?」
「ふふ、その通りだね」
と義一も笑顔で応える。
「そう、今絵里がまさに言ってくれた通りだよ。
もし仮に、それでも何らかの…僕はちょっとすぐには例が思いつけない、それだけ有り得そうもない事だけれど、日本国債の投げ売りが起きたとしても、日銀が量的緩和として国債を購入すれば、金利の上昇はあり得ないしね」
「ウンウン」
「えぇ。…あー、うん…」
とここにきて、自らの行動に対して少し恥ずかしくなったのか、顔を若干うつ向けて、上目がちに私と義一を交互に見てきた。
何も言わなかったが、そんな絵里の様子を見て、私と義一は二人揃って、クスッと小さく微笑み合うのだった。
「まぁ、ちょっと調子に乗って…って、これまでもそうだったかもだけれど…」
と照れ臭く言う義一に「そうよ、今更よ」と絵里が冷やかしていたが、それには苦笑いを向けるのみで、話し始めた。
「ふふ、まぁさっき、こんな反論が来るだろうという例題を出したけれど、こんなのもありそうだから出してみよう。…良いかな?」
「うん」
「仕方ないなぁ」
「ふふ、二人ともありがとう。
さて、こんな反論も来ると思う。
『財政再建の規律を緩めると、歳出拡大の歯止めが無くなって、”ハイパーインフレになるぅー”』」
と義一は、点々の部分をバカっぽい間抜けな声色を使っていうので、私たち二人で笑顔を浮かべた。
「…ふふ、まぁね、二人はハナから興味ないだろうから知らないと思うけれど、今どこの本屋にも平積みされている経済コーナの本なんかはね、こんな言葉が表紙に踊ってたりするんだよ。
…ふふ、まぁ結構売れてるらしいけど、まぁまずそれに答えるとしたら…
何も、ハイパーインフレになるまで歳出を拡大しろとは言ってないでしょ、落ち着いてくれ」
「あははは」
と、義一の言葉の直後に、また二人で思わずまた笑みがこぼれた。
…いや、思い出し笑いとでも言った方が良いのだろう。
そう、義一の講演での一コマを思い出したのだった。
義一は続ける。
「ふふ、まぁ逆に言うと、歳出を拡大すればインフレになるって言ってるに等しいんだから、今のデフレ期においては、むしろもっと素直に僕に賛成してくれても良いと思うんだ」
「あー、本当だね」
「ふふ。でー…『これまで財政赤字の歯止めが効かなかったじゃないか!』って追加で言われるだろうけれど、赤字が抑制出来なかったのは、デフレ不況で税収が減ってるからだね?だからであって、いくら歳出抑制したって、デフレである限り、必然的に財政赤字は拡大するんだと」
「ウンウン」
「それに…ふふ、日本っていうのはどういうわけか、デフレを何年も自ら続けている国で、緊縮財政から、消費を冷え込ます消費増税まで断行する様な、んー…ふふ、自虐的というか何というか、ある種変態チックな国だから…」
「ふふふ」
「もーう、ギーさん?」
「あはは、ごめんごめん。だからまぁ…そんな過去に実績がある国なのに、歳出が抑制出来ないなんて思ったり、心配する必要はないんだって事だね」
「うん」
「でまぁ…この意見も多いし、何だか清貧ぶった人が偉そうに言うから困るんけれど…こんな意見もある」
「…」
ここにきて、急に何だか雰囲気が少し影を帯びてきた様に感じた私は、それに影響されてか、少し神経がピリッとするのを感じた。
当の本人はと言うと、それでも笑みは絶やさぬまま、だがしかし、声のトーンはこれまでもよりも少し落としつつ話した。
「『もはや、かつての様な経済成長は望めない。これ以上には欲しいものも無いし、無理に成長する必要はない』ってね」
「…」
「うーん…まずね、経済がどれほど成長するかは置いといてね、そもそもデフレというのが異常事態なんだから、とっとと解消してくれって事なんだ」
「うん…」
「デフレというのはもう何度も議論してきた様に、個人消費だけじゃなくて、企業などの投資も縮小させるでしょ?そもそも投資というのは、将来の世代の生活水準の維持、向上のために必要なわけだよ。…」
「…うん」
と、途中から、私に静かな視線を流してきたので、思わずドキッとしつつも、それから外さすに見つめ返すのだった。
視界の隅には、義一とはまた別の種類に見えたが、絵里がそれでも柔らかな視線を向けてきているのも見えていた。
「仮にそのー…うん、清貧ぶった哲学者気取りには欲しい物が無くても、将来世代のための投資っていうのは当然必要なんであって、その為にもデフレ脱却が不可欠なんだ」
「えぇ…まさしくそうだね」
と、ここで絵里が静かに、しかし力強く今日一番に義一に賛意を示した。…私に視線を流しつつ。
義一は続ける。
「今必要じゃ無くても、将来世代のためにインフラを整えてあげたり、教育投資でも何でも、公共投資っていうのは、何も、いわゆる道路とかだけじゃないんだしね。
技術開発だとか何だとか、挙げればキリがないほどに、将来のために今しなくちゃいけない事が山のようにあるわけ。今欲しいものが無いって言ってる人というのは、まぁその人の勝手であって、将来の人々は困るんだ」
「うん…」
「僕たちの世代が恩恵を受けているのは、前の世代が投資してくれてたから。具体的に言えば、僕と絵里の世代で言えば、ギリギリお父さん世代、つまり、戦前、戦中生まれの世代だよね?」
「…えぇ」
「…うん。だから、今自分に欲しいものが無いのに投資をするのを見て、短絡的に無駄と思い込み決めつけて、それで借金して投資するというのに反対する…この事こそが、将来世代にツケを残す結果となるわけだし、…実際に今そうなりつつあるんだ…」
「…うん」
最後の方で、義一が一度溜めてから、ボソッと静かに言ったわけだが、相変わらず一見穏やかな目の奥には、いつだかの…そう、講演の中でも時折見せていたあの、静かと言えども義憤に駆られているような、そんな炎が見えるかのようだった。
「…あ」
とここでチラッと部屋の時計を見たかと思うと、不意に我に返った風のリアクションを取って、そして、私たち二人に視線を配りつつ、何だか今あった真剣味のある重たい空気を一新するかのように、照れを全身で表現しつつ、声音も軽く口を開いた。
「さてと、あまりにも長く話し過ぎちゃったから、琴音ちゃんの疑問にも一応答えられたようだし、今話すので…最後でいいかな?」
と、最後におどけて見せたので、そんな義一の気遣いをすぐに察した私も、「うん」と、若干意地悪成分を含ませた笑顔を浮かべて返した。
「分かったよ…せんせ?」
「え、あ、いやぁ…うん」
と義一があからさまに今更ながらますます照れるのを、「あははは」と絵里が明るく声を上げて笑うのだった。
「まぁ…ふふ、こんなに長引かせるほどでは無いんだけれど、これだけ僕らが真剣に議論をしてきたとしても、その上でもこんな馬鹿馬鹿しい反論が来るだろうというのを話して締めようかな?んー…」
とここでわざとらしく喉を鳴らしてから話し始めた。
「『それでも日本は財政危機なんだ!何でかって?だって…みんなが財政危機だと言ってるから』」
「…はぁ」
「あはは…あっちゃあ」
「…ふふ。
『経済学者もみんなそう言ってるじゃん。GDP比230パーセントという、世界最悪の政府累積債務が、いつまでも続けられるはずがない!』」
「それは、散々説明したじゃない」
と思わず私は絵里と顔を見合わせつつツッコミを入れたが、義一は構わず続ける。勿論当人も私たちと同じ呆れ笑い顔だ。
「『これ以上、財政赤字を拡大し続けると、なーんか分からない理由で、いつか必ず、なーんか悪い事が、突然起こるはずなんだ!』」
「あははは」
義一の妙に芝居掛かった調子に、二人揃って笑みが溢れる。
「『そうなってからでは遅い!後世にツケを残さないのが政治家の責任、官僚の矜持だろ?財政赤字は何が何であろうとも不健全!不道徳だ!
兎にも角にも財政再建!
出来ない理由ばかりを言っていては何も出来ない!
待った無し!決める政治!この道しかないっ!』」
と、途中から、どこの国会議員だといった調子で演説風に言っているのが、その中身のくだらなさ、空虚さ、無意味さと相まって、面白さに拍車をかけていた。
私たち二人はずっと笑いっぱなしだ。
義一も演説部分は真面目顔だったが、ここまで言い終えるとスッと一瞬にして苦笑を浮かべつつ続けて言った。
「…とまぁ、多分今の日本では、いくらどんな議論をして見せても、おそらく一般的にはこんな反応があると思うんだ。
…で、それに僕が返せる反論というのは…」
とここまで言うと、義一は不意に人差し指を右の口角あたりに持ってきて、それを横にスライドさせた。
要は、お口にチャックをして見せた。
「まぁそこまで言われたら、流石の僕でも何も言えずに、ただhahahaと笑って一言…The END」
と、今日一番の苦笑いを浮かべつつ、しかしどこか面白げにボソッと言うのだった。
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