第2話 三月十四日
…さて、ここで閑話休題というか、ここくらいでしか恐らく触れられないと思うので、誰得とは思いつつ、まぁ私だけの問題ではないので、時間を若干遡って何となく話してみようかと思う。
んー…この時点で私が何を話そうとしているのかを察しておられる方がいるとすれば、それは相当な深読みの出来る方だと見受けられるが、まぁそれは置いといて、サッと話してしまうと、それは…ホワイトデーの事だ。
『なーんだ、そんな事か』と思われる方もいるだろう。…そう、まぁ”そんな事”ではあるのだが、これは私個人はどーでもいいにしても…うん、裕美に関してはどーでも良くはないので、敢えて触れてみる事にする。
因みにというか、何で前に下らない調子で深読みが何だと言ったかといえば、紫が見せてくれた画像が”三月十五日”と出ていた為だからだ。そこから連想された方もいるかと思ったから、今触れようと考えた…それだけの事です。
…コホン、それはさておき、今こうして私が話している間に、途端に話が変だと思ってくれた人もいるかも知れない。
何故なら…そう、以前話したように、手作りのお菓子作りや何やと裕美に手を貸す…いや、本当を言えばお節介をワザワザ好き好んで焼いたというのに、当の裕美本人は結局バレンタインデーに渡せなかったからだ。
そんな裕美が、ホワイトデーで何かあるのか…って少々辛辣かも知れないが、そう思われるのも当然だろう。私もそう思っていたのだが…”ちょっと”違った。
というのは…
三月十四日。平日。私と裕美は学園が試験休みに入ったというのもあり、そしてヒロ、ヒロもこの日という日に本人にとって幸か不幸か部活や地元の野球チームでの練習も無いというので、久しぶり…って程でもないのだが、三人揃って地元で遊ぶ約束を以前からしていた。
因みに、ヒロの部活なりの用事はどうでもいいとして、裕美もこの日は午前中だけ練習だったというので、午後から遊ぶことと相成った。私とヒロは午前というか、正午過ぎ辺りに予め会おうとヒロから誘われたので、これもまぁいいかと思い、予め先に二人で待ち合わせをした。
…まぁいいかという私の気持ちには、色んな思いが含まれているが、その全ての根っこには勿論裕美に関することばかりだ。のみと言い直してもいい。
去年までは、裕美もこの時期に暇をしていたので、それまでの毎年来るホワイトデーには三人揃って初めから会っていたのだが、その流れで私と裕美のそれぞれがその場でヒロからのお返しを貰っていたというのは、以前話した通りだ。
しかし…その時にも序でに触れたと思うが、流石の…って、正直私自身どう思われてるのか不安だが、その私ですらやはり裕美のヒロに対する想いを知ってしまった今となっては、ホワイトデーの様な私には正直何の関わり合いもないイベントだとは言っても、それでも、いやそれだからこそとでも言うのか、裕美に対してそれなりに気を使おうとする意思が我ながらに強かった。
…何が言いたいかというと、たまたまではあったが、裕美の想いなど今はまだ知る由も無い…恐らく無いであろうヒロから、裕美の目の前でバレンタインのお返しを貰うというのは、結局何も、しかも今回初めて何も渡せなかった裕美の前で受け取るというのは、想像するだけでとても気まずい思いをしていたのだ。なので、図々しい…いや、ヒロ相手なのだから別に気を使わなくても良いんだが、どうせ今年もくれるんだろうと、それならさっさと裕美と合流する前に受け取ってしまおうと考えたのだった。
さて、話に行こう。
家で昼食だけ済ますと、ヒロとの待ち合わせ場所である、駅前のショッピングモールの正面口へと向かった。自転車でだ。
んー…これこそどうでも良い話だろうが、ついでだし、こうして向かう道のりの間を使って、恥を忍んで自分語りをするのを許していただきたい。
コホン、本当にどうでも良い事なのだが話をすると、実を言うと私は…この自転車に乗るという行為が幼い頃から大好きだった。
…いきなり何を話し始めるのかと思われるかも知れないが、少々お付き合い頂きたい。
私、それに裕美、ヒロにとってのこの地元は、都内ではありながら個人的には良い意味で本当に何も無い地域だったが、それでも唯一誇れるのは、何度も話に出てくる土手、河川敷が近くにある事だった。
どこにでもある所にはあるだろうというツッコミは今受けません。
えぇー…っと。その土手は何度か話した様に綺麗に整備されていて、河川敷を川に沿う様に平行に車の走らない道路もあったりしたそのお陰か、そのせいか、物心ついた頃からよく自転車でこの辺りを駆け回っていた。…ふふ、勿論一人でだ。あ、いや…呼んでもないのに、たまーにヒロもいたりしたっけ…。…ふふ。
んー…この様な話は私の性格からしても中々に話辛いのだが、そんな私の事を見た両親が、私にいくつもの、色んなジャンルの自転車を買い与えてくれていた。それは今もだ。中二時点で言えば、今乗っている普通のママチャリ、それにマウンテンバイク、そして如何にも見た目が”ガチ”なロードバイク、その三台を所持していた。
…って、それはともかく、何で今ここでそんな話をし出したのかというと、ふと昔のことを少し思い出してしまったからだ。
だいぶ昔の事なので覚えておられるだろうか…?
…そう。ひょんなことから義一と例の法事以来数年ぶりに再会して、その後で何故か”義一を土手、河川敷で探し出せゲーム”をしだした、もしくはやらされた頃の事を。
小五の夏休み前、終業式の後の午後。炎天下の中を、その時は私は徒歩で土手まで向かって歩いていた訳だが、その時、自転車に乗ったヒロに捕まってしまったのだった。
その後も、初めて義一の家でお菓子作りをしようと向かっていた時も同じ様にだ。
…ふふ、”デジャビュ”と思ったあの日だ。
これは…ふふ、後で本人に聞いた…いや、ヒロが自分から言ったんだっけかな?んー…あ、いや、コホン、それはどっちでも良いとして、ヒロはあの時何故何度も妙に鉢あってしまう時に、いつも自転車に跨っていたのか…?その理由を本人が言うには…ふふ。って、何度も笑って申し訳ない。あまりにもバカバカしくて、この話を思い出すと何度も思い出し笑いをしてしまうのだ。
はー…さて、それで当時の本人が言うのには、こうだそうだ。
『琴音、お前はさー…いつも一年生の頃からずっと自転車で土手を走り回っていただろ?パッと見では運動系には見えないクセに、自転車に限って言えば、男よりも早かったりするんだからなぁ…って、そんな事じゃなくてよ、そのー…何だ、こっちが暇してる時に、不意にお前と遊ぼうと思ってもよ、そう易々と捕まえられないと知ってるからな、それでまず絶対に自転車は装備から外せないんだよ』
…ふふ。
…あ、うん、今のヒロの話で、どこに面白い要素があるのかと思われるかも知れない。それは自覚してます。
私個人にしかこればかりは分からない、もしくは分かり辛いのは百も承知だが、でもまぁ今ヒロとの待ち合わせ場所に向かうほんの五分十分程の間の雑談だと、予めズルく保険を置いておいたのだから、文句は言わないで…あ、すみません。
んー、まぁこれだけだと流石にあんまりなので、一つだけ意味ある話を付け加えよう。
私自身は体を動かす事自体はとても好きな方だと思っている。一般的にはそう思われないのだろうが、私にとってピアノを弾くことも、かなり身体を屈指しているという点で、いわゆる運動と同じカテゴリーだと習い始めの昔から考えていた。勿論この考えは、師匠、それに京子も同じ考えらしく、他の誰に反対されても、この二人にさえ賛同されたら、それだけで私は満足なので、特にこれ以上弁解する気もない。
…って、また”どっかの誰か”…いや、”どっかの誰かさん達”のせいで、すっかり話が逸れるのがクセになってしまったが、そろそろ着きそうなので、後一つだけ付け加えるとしたら、今話した通り、ピアノを弾くというのも中々に体力がいるのだが、その体力は今もしょっちゅう乗り回している自転車によって賄われているのだろう…という、最後の最後まで恥ずかしい自己分析を述べて、長い話を終えようと思う。
…ガチャっ。
ショッピングモールの建物脇、外ではあるがキチンと屋根のあるだだっ広い駐輪場にママチャリを停めて鍵を閉めた。
前のカゴに入ったトートバッグを取り出し、一度その場で大きく伸びをしつつ辺りを見渡した。平日の昼間だというのに、この時点ですっかり駐輪場は満車に程近くなっている様に見えた。
私は左肩のトートバッグの紐に手をかけると、そこからそこそこ近い正面口へと向かった。
因みにというか、私の家から素直に行こうとすると、正面玄関が目の前に現れる格好になるのだが、敢えてそうならない様に若干の遠回りをして行った。というのも、ヒロはあんな性格なクセして、イイ男気取りなのか毎度約束してもその都度待ち合わせの五分前にはその場所に来ているのがデフォルトなので、必然とその時点で顔を合わせる事になってしまうのは予想出来ていた。
聞いておられる方はどう思われるか、共感してくれるか分からないが、私個人で言えば、徒歩でそのままなら良いのだが、顔を合わせても、まだこっちは一度自転車を駐輪場に停めて行かなければならないので、一旦どうしても別れる事になる。それがそのー…口で説明するのが難しいが、何ともそれが嫌なのだ。
ヒロがどう思うかはともかく、私一人でも変な心持ちになるくらいなら、いっそ遠回りしてでも避けて行きたいのだった。
さて、正面近くに来ると、人通りこそ多かったが、すぐに一つしかないイガグリ頭が見えたので、一直線にソレに向かって行った。
イガグリ頭のヒロは、春らしい”ザ・中学生男子”といった服装、それに背中には、これまた巷でよく見かけるブランドのリュックを背負っていた。
ヒロはイヤホンをして、手元のスマホに目を落としつつ何やら操作をしていたが、たまに顔を上げると、私とは反対側の方を見たりしていた。…ふふ、そう、つまり私の家の方角って事だ。
私は残り十メートルの時点になると、差し足忍び足でそっと近づいて行き、すぐ真後ろまで来ると一度深呼吸してからドンっとリュックの背負い紐の上からヒロの肩を叩いた。
「わっ!」
と声も同時に出すと、「ワッ!」とヒロも私と同じ様な声を上げてその場でビクッとした。
「あははは!」と私がそんな様子を見て明るく笑い声を上げている中、ヒロは慌ててイヤホンを耳から外して、それから素早く振り返った。その顔には、目をまん丸に開けた如何にも驚いた表情を浮かべていたヒロだったが、私だとすぐに分かったらしく、次の瞬間には、ウンザリそうな、しかし同時にやれやれと呆れた笑みを混ぜた表情を見せていた。
そんな顔にますます気を良くした私はテンションを上げつつ声をかけた。
「やっ!ヒロ!流石ねー」
「…ったく、『やっ!』じゃねぇっての」
とヒロは腰に両手を添えつつジト目をこちらに飛ばしてきたが、ふと何かに気づいた顔つきを見せると続けて言った。
「…って何だよ、その”流石”ってのは?」
「え?あー…それはね?」
といまだにヤケにハイテンション気味の私は、ヒロの神経を逆なでするが為…かな?ヒロとは真逆に飛び切りの笑みを浮かべつつ、しかし口元は意地悪を付け加えて返した。
「…ふふ。いやぁー…流石ヒロ、あなたはいつもこういう私、それに私の知る限りだと裕美との待ち合わせには、今日みたいにキチンと女よりも先に待ち合わせ場所に来てるんだからねぇー…関心してるって事よ」
「あ、お、おう…?」
と、ヒロは何故か私の軽口に、どんな意味かは知らないが照れて見せたが、そんなヒロを他所に私は付け加えて言った。
「んー…ふふ、まぁヒロは、そういう所で点を稼がないと、中々良い女性と付き合えそうに無いもんねぇー?」
「ん…?」
私の言葉を聞き終えた瞬間、もしも漫画だったらハテナマークが頭の上に浮かんでいそうな表情を見せていたが、次の瞬間にはハッとした表情を作ると、そのまた次の瞬間には、”いつもの”私の見慣れたウンザリげな顔つきで「あのなぁ…」と恨みがましげに愚痴を漏らすのだった。
「あははは」と私はただ愉快げに笑って見せたが、ふとここでヒロが一瞬真顔らしき表情を見せるとボソッと呟いた。
「良い女と付き合うだなんて…なぁ…」
「あははは…ん?ヒロ、なんか言った?」
とこの時の私の耳には届かなかったので、何の気もなしに聞き返すと、ヒロは不思議とあたふたして見せて「な、何でもねぇよ」と、若干の照れ笑いを含めつつ、イガグリ頭を摩りながら返すのだった。
「…?」
と、今度はさっきと打って変わって私の方にハテナが浮かんでいたが、その様子がヒロにとって愉快だったらしく、「あははは!」と明るく笑ったかと思うと「まぁよ…?」と不意に入り口に目を向けつつ声も高らかに言った。
「こんなやり取り、俺らの間じゃいつまでも埒が明かねぇからさ?そろそろ中に入ろうぜ?」
と返事を聞かないままにズンズンと歩き出してしまったので、
「全く…」と私もため息交じりにボソッと呟くと、しかしすぐに自分でも気付かない程に自然と笑みを浮かべつつ「待ちなさいよー」とヒロの背中に声を掛けながら、しかしヒロの歩調には合せようとは一切しない様に意識しつつ後を追った。
そんな私の事を、時折立ち止まって後ろを振り返るヒロの顔には、小学生の頃から変わってない…様に私には見える見慣れた笑顔が広がっていた。
「さてと…ほらよ」
とヒロが手に持ってきたアイスティーを私の前に置きつつ言った。
「ありがと」
と私は、ヒロが同時に持ってきたストローの入った紙を破りつつ返した。
「おう」
とヒロは私のすぐ隣の椅子に座りつつ、自分の分であるオレンジジュースを置いた。
ここはモール内の喫茶店。そう、以前に話した、裕美と来た全国に展開しているチェーン店の喫茶店だ。やはりというか、駐輪場、そして正面口でも想像出来たが、この喫茶店内も中々に混み合っていた。私の隣にヒロが座った時点で察せられると思うが、そう、今私たち二人は、モール内を眺める事の出来るカウンター席に座っている。私個人の好みで言えば、モールを行き交う人々と、狙わなくても目が合う様な気まずい思いをする可能性があるこの席にはいたくなかったが、しかしまぁこの混み具合の時に席をすぐ取れただけでも良しとしないとバチが当たるだろう。
後一時間くらいしたら裕美が来ることも考えると、今の席ならすぐに裕美にも気づいて貰えるだろうから、その点でも良いかと一人納得した。
「じゃあまずは…」
「おう、かんぱーい」
コン。
といつもの儀式を済ませると、私たちはそれぞれ程々の量をストローで啜った。
因みにというか、ヒロはこの様な喫茶店や、それに、以前クリスマスの時期にも軽く話したが、あの時は駅ナカのあのファミレスのドリンクバー…それに限らず私が知る限り必ず何かしらのジュースを飲んでいた。コーラなどの炭酸飲料も含めてだ。こんな点も小学生から変わらない。
二人して飲み終えると、軽くこれもいつものってヤツだが、会ってない間の近況報告を軽く済ませた。
…普段ならもっと長くお喋りをする所だったが、今日は例の事があるだけに、続きは後に回すことにして、早速今日の本題の一つを片付ける事にした。
「あはは…って、ここで話を区切って悪いんだけれどさ?」
「んー?何だよー?」
と真隣に座るヒロは、正面の窓の外を流れる人の波に目を向けつつ、間延び気味に返してきた。
私はヒロの足元に置かれているリュックをチラ見しつつ、口元はニヤケながら言った。
「何だよじゃないわよー…ほら、今日って日にワザワザ遊ぶ約束をしたって事には、当然意味があるでしょ?…アレとか」
「何だよアレって…」
とヒロは苦笑交じりにボヤいていたが、これも毎年の事だと、それ以上私から何も言わずとも足元からリュックを引き上げた。
「ったくー…自分から催促してくるか?普通ー…」
「…ふふ」
とそんなヒロの様子を眺めつつ、口にストローを咥えたまま返した。
「普通って何よー?」
「何でもねぇよ…っと」
ガサっ。
そんな包装紙特有の音が鳴るのと同時に、リュックの中から、淡い水色でラッピングされたのが出てきた。
「んー…ほらよ」
とヒロは顔を反対方向に向けつつ、ぶっきらぼうに言いながら、私の方に腕を伸ばして差し出してきた。
そんな様子も、この水色の包装紙も含めて小学一年生の頃から全く変わってない事に思わず笑みを零しつつ受け取った。
「ふふふ…ヒロ、ありがとうね」
「お、おう…」
私が受け取ったのを手元で感じたらしいヒロは、また顔をこちらに戻して、そしてオレンジジュースを飲み始めた。
私は早速受け取ったものをすぐには開けずに、上下逆さまにしてみたり、四方八方から眺めてみたり、最後には数回振ってみた。
中からは時折カランカランと小気味の良い音が聞こえてきていた。
これも毎度のことなので、すぐに中身が何かを察した。
「…ふふ、今回も飴なのね?」
と私が意地悪げに、それに加えて呆れも付け足しつつ聞くと「何だよー」とヒロも苦笑交じりに返した。
「飴じゃ悪いのかよー?お前、飴、別に嫌いじゃねぇだろー?」
「ふふ、そりゃー嫌いじゃないけど…ヒロ、開けて見てもいい?」
”どうせ”今回も蓋つきの瓶詰めなのは外からの手触りから分かっていたので、今開けても困らない事を事前に知りつつも、ヒロにお伺いを立てた。
大概いつも外でお返しを受け取っており、その場で開けてしまうのも常だったので、ヒロも何の躊躇いもなく「おう」と短く了承の返事をした。
それと同時に私はガサゴソと周りの包装紙を破いていくと、思った通り、とても可愛らしい、中の飴が無くなってもジャムかなんかを入れても良さげな瓶が出てきた。中の飴は裸で入っていて、パッと見では黄色や赤で占められていた。まん丸の形ではあったが、その表面の模様が渦を巻いていたり何なりと、そういった細やかな装飾が施されていた。見た目にも美味しかった。
「ほぉー」とヒロからのプレゼントだから…ってそれだけの理由だが、あまり本人を前にしてリアクションを取りたくはないのだが、それでも毎度毎度変化の無い飴というチョイスにも関わらず、毎度毎度違う類いの凝った飴をプレゼントされるというので、その心配りには心の奥底では関心していた。
そんな私の反応を見て「どうだ?」と、ストローを咥えつつ聞いてきたので、ここで軽口もいらないだろうと素直に「えぇ、気に入ったわ」と笑顔を浮かべて返した。
すると一瞬ヒロは目をまん丸にしてこちらを見つめてきたが、すぐさま表情を戻して「そっか、そりゃ良かった」と、少々照れ臭げな笑顔を浮かべて返すのだった。
ふふ…ん?
とそんなヒロの様子を見ていると、我知らずに何だか顔が火照ってきた気がしてきた。
…?
と私は不思議に思い、思わず店内をぐるっと見回してみた。店内は私たちが入ってきた時と同様に、一向に客足が引く気配が無かった。
「…ん?」
と、急にそんな様子を見せていた私を見て、ヒロが何だか不思議だと言いたげな顔を見せつつ声をかけてきた。
「どーした琴音?何かあったか?」
「え!?あ、いや…」
と私はまた自分でも意味が分からないほどにキョドりつつ返した。
…何で私、こんなに急にテンパってるのかしら…?
「なんか…この店内、暑くなってきてない?」
と私がまた一度店内を見渡してから聞くと、「ん?んー…」とヒロも同じように店内を見渡した。
そして一周回って元の位置に戻ると、
「いーや、変わんなくね?」と首を振りつつ返した。
「そ、そう…?」
と、ここで今度は”ナニカ”が原因かと、思わず例の如く胸元にそっと手を置いたのを見て、ヒロが先ほどまでとは打って変わって心配げな表情を浮かべた。
「おい、琴音…お前本当に大丈夫か?」
「え?何が?」
ようやく落ち着きを取り戻した私は、笑顔を作りつつ、少し戯けて見せながら返すと、「いや…良いなら、いいや」と、ヒロは日本語が怪しい調子で苦笑いに言った。
今の少しの間二人の間を占めた微妙な空気感を払拭する為に、私はわざと幼げに少し乱暴な様子で瓶の蓋を開けて、中から一つの飴を取り出した。それは綺麗なライトイエローだった。
「じゃあ、いただきまーす」
と口に入れると、その瞬間口の中に甘酸っぱい柑橘系特有の爽やかな味が広がった。唾液も溢れるように分泌されてくるのが分かる。鼻で息を吐くと、爽やかな香りが鼻腔を刺激した。味はレモン味だった。今までアイスティーを飲んでいたせいか、その後味と絶妙にマッチして、美味しさが倍増していく感じがした。
「美味いだろー?」
とヒロがニヤケつつ誇らしげに聞いてくるので、何だか癪に触った私は「美味いけれど…」と、瓶横に書かれた説明文に目を落としつつ声を漏らすと、今度はヒロに向き直り続けて言った。
「別にあなたが作った訳じゃないでしょー?…ふふ、何であなたがそんなに誇らしげなの?」
「あ、そういう事を言うのかよー」とヒロも冗談が分かってるので、ワザと膨れて見せつつ返した。
その様子を見て私は一度ニコッと目を細めるようにして笑ってから、今度は私の番と胸を張って見せつつ言った。
「それに比べて、私なんかは毎回自分で作るんだからねぇー。…どうだ!」
「…ふふ、『どうだ!』って何だよー」
とヒロはまた苦笑いだったが、ここでふとまた反対側に顔を向けたかと思うと「まぁ…今までのお前の作る菓子は、全部…美味かったけれど…よ」とボソッと呟いた。
が、またこの騒ついてる店内にいるせいか、この時の私に耳には届かずに、「何?何か言った?」と、どうせいつもの悪口だろうと思い、喧嘩調で聞き返した。
するとヒロはチラッと私に視線を向けたかと思うと、今度は少し真顔気味に数秒見つめてきたが、それからはフッと見るからに力を抜きつつ笑みを浮かべて「何でもねぇよ」と返してきた。
「…?あっそ」と私はそんなヒロには気をそれ以上向けずに、また溶けずに口の中に残ってる飴を転がしながら楽しむことにした。
私がそう返すと、ヒロはまた顔を戻して、今度はニヤケつつ、二人のちょうど中間辺りに私が置いた瓶をおもむろに手に取ると、それを眺めつつ口を開いた。
「確かにお前は手作りだけれどもよー…言いたかねぇけど、材料費なんかたかが知れてるだろ?俺が毎回買ってくるものはさ…それなりに値が張るんだぜ?」
「…」
もうかれこれ数えるのもめんどくさい程に長い付き合いのヒロだから、勿論私がそういったお金で計る損得勘定が一番嫌いだというのを知っている。だからこその『言いたかねぇけど』というセリフが付くのだ。
それを知った上で、それを言っても二人の信頼関係が崩れないとヒロが踏んでの発言だった。そして、その推測は当たっていた。
もしそんなに付き合って日が経っていない人から発言されたら、瞬時に私は嫌悪感を抱いた事だろう。具体例を言えば、裕美からならまだ大丈夫。紫たちは…どうかな?
というか、時間はもしかしたら関係ないのかも知れない。何故なら、今こうして想定してみた中で、一番の嫌悪感を催したのは何を隠そう…誰よりも長い付き合いであるはずのお父さんだったからだ。
…って、全然関係ない話をしてしまった。話を戻そう。
それでも私はキャライメージを大事にしようと考え、やれやれと大袈裟に首を横に振ってから吐き捨てるように返した。
「やれやれ…ヒロ、あなた…いつからそんなさもしい奴に成り下がっちゃったの?」
「…ん?さもしいって何だよ?」
と本気で意味が分かってない様子を見せたので、この瞬間にキャラをもう保つ事が出来なくなってしまった私は、笑みを浮かべつつ「もういいわよ」と返した。
その直後、ふと思いついた事を続けて言う事にした。
「…それにさ、ヒロ…私の作る菓子には値段なんか付けられないのよ?私のお菓子作りの技術、それに伴う手間隙というのは…プライスレスなんだから」
と最後に人差し指を立てて、ヒロに飛びきりのウィンクをかましつつ言い終えると、ヒロはまた目をまん丸にし、キョトンとしか言いようの無い顔を見せていたが、すぐにクスッと腰を軽く曲げるほどに吹き出して、まるで小さい頃から変わらない裏表の無い笑顔を浮かべて見せた。
「何だよそれー」
「…」
まただ…。
自分でも分かるほどにまた顔が火照るのを覚えたが、それでもヒロのそんな笑顔をジッと見つめてしまった。
この時にはまだ気づいていなかったが、この感覚…そう、ヒロが私のコンクールの決勝に来てくれた時以来だった。それ以降は鳴りを潜めていて、ヒロとその後何度も会ってもこの感覚に襲われることは無かったのだが、んー…当時の私の心境を、誤解を恐れずに言えば…控えめに言っても嫌な感覚では無かった。むしろ…どっちかというと”嬉しい”に近いかも知れない。
…あ、コホン。
でー…すぐにその場の軽口の支配する雰囲気に流された私は、
「ふふ、そんなCMが昔なかった?」
と自慢げに返した。
するとヒロは「あった、あった!」と、途端にウンウンと頷きながら同意を示してきたので、それからの数十分間は、そんな特にお互いに思い入れの無い懐かしのCM話から、そこから私が敢えて遮った、お返しを貰う以前の雑談に話を戻して花を咲かすのだった。
コンコン。
と不意に目の前の窓を外から叩かれたので、私とヒロの二人同時に外に目をやった。そこに立っていたのは、笑顔の裕美だった。
目が合うと手を振ってきたので、私たちも同じように返すと、裕美はお店の入り口に向かって指をさして見せたので、こちらもウンと頷いた。
裕美が直接来ずに、さっきよりかは幾分か空き始めたレジ横のカウンターに立ち、そこで何やら注文をしてからこちらに近寄ってきた。
「おはよう、二人ともー」
と開口一番に挨拶をしてきた裕美は、普段からそうなのだが、これまた一段と可愛らしい格好をしてきていた。上は春らしい、この時期にぴったりな桜色のセーターを着ていたが、下には”ガーリー”としか言いようの無い、膝が少し隠れる程度の長さのチュールスカートを履いていた。とてもお似合いだ。
因みにどーでもいい情報を加えると、私は上には裕美と同じセーターではあったが暗めの紺色で、下はこれまた代わり映えのないスキニージーンズだった。裕美と私とでは天と地だ。
…って、私はどーでも良い。この時私は裕美に笑顔を向けていたのだが、これはある理由が大きかった。
というのも、結論から言えば、裕美が気持ちお洒落をして来ていたからだった。…意味が分からない?
では説明すると、前に話した通り、今日裕美が最初から落ち合えなかったのは、水泳の練習をしていたからなのだが、その後で直接かと思っていたら、これだけの格好して来たからだ。荷物は、私には見慣れた有名スポーツブランドのロゴがデカデカとプリントされた、ナップザック式のスイムバッグではなく、小洒落たミニバッグを提げていた。
…ふふ、何も別に裕美が練習をサボってお洒落して来たとは言わない。だって…さっきのヒロじゃないが、すっかり小学生時代の髪型に戻った裕美のツンツンのショートヘアーが、まだ気持ち見た感じ湿り気を含んでいるように見えたからだ。店内の淡い照明をテラテラと反射していた。
だから…ふふ、後でヒロと、しかも今日という日に会う…勿論繰り返しになるが、バレンタインに何もあげてない事実があるから期待というものは無かっただろうが、それでも、私とは比べ物にならないくらいに”女子校生”である…いや、クサイ言い方をすれば”恋する女子校生”である裕美にとっては、この日に会うというのはそれなりに特別に違いなかった。
そういった理由で、練習後の疲れもあるだろうにワザワザ一度帰宅して、こうして着替えてきた、その様子を思い浮かべると、微笑ましくて思わず笑みがこぼれてしまうのだった。
「えぇ、おはよう」「おーう」
と、私とヒロが挨拶を返すと、その中で裕美はパッと店内を見渡し、ある点で視線を止めると、その方向に指をさしつつ言った。
「あそこがちょうど空いたからさ、あのテーブル席に行かない?」
見てみると、確かにさっきまで人がいた所が空いていた。
私たちが瞬時に同意すると、荷物を手に取り、すぐさま他の人たちに先取りされまいと気持ち早足に向かい席に着いた。
ヒロを向かいにして、私と裕美が横並びに座る配置だ。
私とヒロが荷物を整理してる中、丁度注文の品が出来た合図が鳴ったので、裕美はそれを受け取りにカウンターにまで行った。
手には苺のシェイク…らしい、っていうか本人がそう言ってたのだからそうなのだろう、それを持って席に着くと、それからまた改めて乾杯の儀式を執り行うのだった。
「あー…疲れたぁ」
一口シェイクを極太のストローから吸い出し飲んでから、裕美は背もたれに大きく寄り掛かりながら溜息交じりに呟いた。
「それって…」
そんな様子を見た私は一度クスッと笑みを零してから言った。
「その中々吸い出すのに骨が折れそうな、シェイクのせい?」
「え?」
「…ぷ、あははは!」
裕美は一瞬何を聞かれたのか分からない様子だったが、ヒロは瞬時に吹き出して明るい笑い声を上げた。
そんなヒロを見た裕美もそこでやっと意味を察したのか、隣の私に呆れ笑いを浮かべつつ返してきた。
「…もーう、そんな訳ないでしょー?」
裕美はストローでシェイクをかき混ぜつつ続けて言った。
「練習よ、れ・ん・しゅ・う!」
「あははは!」
「ふふふ」
ヒロの笑い声と同時に私も笑みを零しつつ言った。
「ごめんごめん、裕美」
「もーう…」
裕美はウンザリ笑いでズズズっとシェイクを吸い込んでいた。
「大変そうね?」
とまだ笑顔の引かないままで私が聞くと、裕美はストローから口を離し、目元は真面目だったが口元には笑みを浮かべつつ答えた。
「んー…うん、まぁねー。でも…ふふ、去年、一昨年よりも、かなり追い込みを掛けてやってるせいか、心なしか毎年よりも身体の調子が良い感じなの。タイムも日に日に伸びてるしね」
「へぇー」
「やるじゃーん」
と私の声に被せるようにヒロもリアクションを取った。
向かいに座るヒロの顔に浮かぶのは、昔から変わらない素直な笑顔だった。
私はそのヒロの顔を見た後で、チラッと隣の裕美の顔を横目で覗き込んでみると、裕美の顔には照れが浮かびつつも、
「でっしょー?」
とおちゃらけて返しながら、喜びを全面に打ち出すような笑みを浮かべていた。
それを見て私も思わずクスッと笑みを零している中、裕美も私たちと変わらぬ笑顔でいたが、不意にその場で大きく両腕を天井めがけて伸ばしたかと思うと、今度はそれらをゆっくりと降ろして、次には両手を腰に当てて、トントンと年寄りがするような行動をし出した。
「ふふ、裕美、そんな腰を叩くような真似をして…年寄りみたいよ?」
と私が若干からかい気味に声をかけると、「何よー」と裕美も初めは合わせてイタズラっぽい表情を見せていたが、ここでふと一瞬真顔になったかと思うと、今度は胸を大きく前に張って見せて、肩甲骨を合わせるかのような動作をしつつ言った。
「まぁ、なんて言うかねぇー…最近練習で身体を追い込んでるせいなのか、何だか背中に軽い違和感が出てるのよ」
「え?」
「それって…」
と、ここまで私と裕美のやり取りをニヤつきながら見ていたヒロが、これまた裕美のように少し真面目な顔つきを見せながら口を挟んだ。
「腰痛って事か?」
「腰痛…」
と私がただヒロの言葉を鸚鵡返しで呟くと、裕美はその言葉を吟味するように考える様子を見せてきたが、すぐに、何だか照れ臭そうな、自分でも納得いってなさそうな、それらをごった混ぜにしたような笑みを浮かべつつ答えた。
「腰痛…て程では無いよ。痛くは…無いからね。…んー」
とここまで言うと、また裕美は大きく伸びをしながら声を漏らし、そして明るい笑顔を見せつつ、私たち二人の顔を交互に眺めながら続けた。
「まぁ、これも練習で頑張ってきた証拠というか、今ある疲労感もそれだと思うし、…うん、私の中ではそれらが自信に繋がってきてるから、個人的にはとても良い状態だと思うよ。だから…ふふ、二人して、そんなに心配しないでよー」
「え?」
とここで不意に裕美が私の片方のほっぺを軽く抓ってきたので、思わず声を上げてしまった。
そんな反応を示す私の事を、裕美はニヤニヤしながら見てきていた。
「あははは!」
「あはははじゃないわよ…もーう」
と私は大げさに膨れて見せつつ、抓られたホッペを、さも痛かった風に何度か摩って見せた。
まぁ尤も、何故裕美がそんな真似をしてきたのか、瞬時に理解していたので、これ以上何も言わなかった。
うーん…そんなに心配そうな顔してたのかな…?
「でもよー…」
とヒロは、そんなジャレ合っていた私たちの事を成す術もなくただ呆れ笑いをしながら眺めていたのだが、ふとまた真顔”らしき”顔つきを作ると裕美に話しかけた。
「…裕美、あまり無茶はするんじゃねぇぞー?お前の言ってた事は俺にも分かるけれどさぁー…その違和感が、何かしらの怪我を生むキッカケにもなるんだからよ?」
「そうそう」
とヒロに便乗して私もそう相槌を打ちつつ見ると、裕美は私の事をチラッと見ただけで、後はヒロの事を真っ直ぐに見つめていた。
その顔には若干の驚き、そして照れ…いや、それらを大きく上回る、側から見てても分かるほどの”嬉しさ”が滲み出ていた。
裕美は横からでも分かるほどに目を細めつつニコッと一度笑うと
「…ふふ、ありがとね…ヒロ君」
と、情感のこもった調子で返した。
「お、おう…へへ」
と、その裕美の声音が功を奏したか、ヒロも今まで対裕美には見せたことの無いような、そんな類いの照れを見せつつ、ガキ大将の様に鼻の下を指で摩って見せつつ笑顔を浮かべていた。
あれ…?これはもしかして…ふふ。
と、ここで下種の勘繰りというのか、二人の間に何だか”良い雰囲気”的なものが、この手のことに不得手な私ですら感じ取ることが出来る空気が流れていた。
…まだこの時の私には、自分でも感じられない程の鈍い痛みが胸の奥底で生まれている事に気づいていなかった。
「ふふ、たまにはヒロも良い事言うじゃない?」
と私はそんな二人の空気を壊さない様に気を付けつつ軽口をぶつけると、「なんだよー」とヒロも目つきは嫌々げだったが、口元は思いっきりニヤケつつ返した。
「いつも俺は良い事言ってるだろー?」
「…っぷ!あははは!」
と裕美が私とヒロのやり取りを見て吹き出しつつ笑うのを見て、私とヒロは一度顔を見合わせると、申し合わせたわけでも無いのに、ほぼ同時に一緒になって笑うのだった。
私とヒロのクダラナイやり取りの後で、それを見ていた裕美が吹き出し笑う…こんな所も、私たち三人は昔から一切変わらなかった。
それにまた一度一人で気づくと、ますます笑みを強めるのだった。
それからは、裕美の腰の違和感の話をもう少しして、ヒロが偉そうに(?)トレーナーよろしく、練習後のストレッチの大事さについて熱弁をふるっていた。
所々で私が耐えきれずに茶々を入れたりしたので、その度に中断し、ヒロに何度も注意を受けたが、そんなやり取りをまたニヤつきながら眺めつつも、その裕美の体全体から、なんというか…”真面目に聞いてますオーラ”が滲み出ている様に見えていた。
流石裕美、ヒロの言葉だからかスンナリと受け入れていた。…私と違って。
その流れで、私も実はと、ピアノを弾く上でいつも腰辺りに疲れが溜まるといった様な情報も挟ませて貰いながら会話に加わった。
演奏時…とはいっても、人前で弾いたのは、あの後夜祭を入れても一度しか参加したことの無いコンクール内での計四度のみだから、偉そうな事は言えなかったが、練習に限って言っても、ほぼずっと座りっぱなしになるので、それが殊の外腰にくるのだった。特に鍵盤を端から端まで使う様なオクターブ奏法の曲を弾く時などは、弾きながらすでに感じる。上半身は大きく左右に揺れるのだが、お尻は定位置で座ったままなので、ただ座ってるだけでも長時間だと腰が痛くなるものだけれど、繰り返すが演奏となると尚更なのだった。
これを当然知ってる師匠は、毎週何度かの練習時には、キチンと時間を決めて、腰などに疲れが溜まらない様に休憩を入れてくれる。練習前にも、前にも何度か軽く触れた様に、まず十分から二十分間ほど二人でストレッチをしてから練習に入るという事もあって、休憩を入れてるといっても休日には師匠宅で朝から夕方、日が落ちかける時まで弾いているというのに、言うほどには疲労感は残らないのだった。
…だが、ふと自宅での練習の時には、誰も見てないと言うのもあるのか、勿論事前にストレッチをするのは忘れずとも、その後はついつい休憩を挟まずにツイツイ没頭してピアノを弾き倒してしまう。
それが明らかな原因だろうが、自分でキリが良いと思うか、満足した時にふと椅子から立つと、一気に腰に鈍痛が襲ってくることが日常茶飯事だった。
だから、これも師匠宅でのと変化は無いが、キチンと練習後にも、同じくらいの時間をかけてストレッチをする様心掛けていた。
…っと、ついつい私の話をまた長々としてしまったが、とまぁこういった話を裕美たちに披露すると、二人とも揃って興味深げに話を聞いてくれて、気になった点などを質問してくれたりした。
そんな会話をしつつ、五月にある裕美の大会の話になりかけたその時、
「…あ、そういや…」と不意に声を一人零したかと思うと、座席の空いてるところに置いていたリュックを腿の上に持ってきて、何やら中をゴソゴソと弄りだした。
何事かと私と裕美は同時に顔を見合わせたが、特にアイコンタクトをする事もなく、また同時にヒロの方に視線を戻し、ただ黙って眺めていた。
しばらくして、「んー…お、あった、あった」と一人またボソッと言うと、ガサガサと音を立てながら、中から薄ピンクの包装紙でラッピングされた物を引っ張り出した。
「…ん?何それ?」
と私が何気ない調子で声を掛けたが、ヒロは「あ、いやー…」とただはぐらかすだけだった。
ここでチラッと裕美を見たが、裕美も不思議そうな面持ちでその袋に視線が集中していた。
「本当はこんなのはアレなんだけれどよぉ…」
とまた一人ゴモゴモと言っていたが、次の瞬間、バッと一度裕美の方を直視したかと思うと、「ん…」とそのまま視線を逸らさずに、手元の袋をテーブル越しに裕美に差し出した。
「…え?」
と裕美は今日一番の驚きの表情を見せて、声からもその心中が手に取るように分かるようだった。私はただ、黙って事の成り行きを見守ることにした。
「それは…?」
と裕美が問うと、ヒロは袋を持ってない空いてるもう一つの手で、イガグリ頭を数回摩って見せながら、何だか照れくさげに笑みを浮かべつつ言った。
「そのー…よ?今日は…アレだろ?ホワイトデー…だろ?だからさ…ソレだよ」
「…?」「…え?」
私は声に出さなかったが、裕美はますます意味が分からないと言いたげな、そんな声だけチョロっと漏らした。ここの心境は、私と裕美は同じだっただろう。
「だって…」
と裕美はまだ軽く困惑の色を引かせないままに、いつまでもそのままの体勢は悪いと思ったのか、ヒロから袋を受け取りつつ言った。
「私…今年はヒロ君に、そのー…何もあげてない…よね?」
ウンウン。
と、私も”何故か”心の中で力強く頷いて同意した。
すると、ヒロは今度は、まだ照れ笑いはそのままだったが、それよりも少し悪戯小僧的な笑みを増しに増しつつ答えた。
「あはは。まぁな…。んー…本来だったら、そのー…何もくれなかった奴に何も返す義理はねぇと思うんだがよぉ…」
「ふふ、何よその言い草は?」
と私は思わずツッコミを入れたが、それには取り合わず、
「裕美…開けて見てくれるか?」とヒロに言われた裕美は「う、うん…」とまだ困惑気味のまま、少しオドオドと不器用な手付きで、慎重に丁寧に包装を解いていった。
私も黙ってその手元を見ていると、中から出てきたのは、なんと透明な二つの袋だった。そして、そのそれぞれの中にはお菓子が入っており、一つにはクッキー、そしてもう一方には多種多様な色合いのマカロンだった。クッキーの方のラベルがチラッと見えたので見ると、そこには”キャラメルクッキー”と出ていた。
「おー…」
と隣で見ていた私は、思わずその中身を見て声を漏らしてしまったが、ふとそこから視線を顔に上げると、裕美は目をまん丸にしたまま、そのお菓子群をただ眺めるのみだった。
が、すぐにハッといった、そんな表情を浮かべると、一つ…クッキーの方の袋を何気なく手に取ったのだが、その時、チラッとその下から名刺サイズの紙があるのが見えた。今までクッキーの影に隠れて見えなかったようだ。
私はすぐに気付いたが、勿論裕美もすぐに気付いたらしく、一度手に持ったクッキーの袋をまた元に戻すのと同時に、その名刺サイズの紙を手に取った。
それは二つ折りになっており、その表には”Message Card”とカッコ良さげにプリントされていた。
裕美はすぐに開けずに、先ほどの私のように上下逆さまにしたりして眺めていた。私も横から黙って見ていたが、ここでふと二人同時にヒロに視線を向けた。
すると、ヒロはヒロでいつのまにか、また先程よりも益々照れ臭そうに笑顔を見せていたが、私たちの視線に気づくと、ほっぺをポリポリ掻きつつ、裕美の手元に視線を向けながら口を開いた。
「そのー…よ?ほら、裕美、お前…今、そのー…頑張ってる、だろ?
んー…ほら、俺ってお前が昔から水泳頑張ってるの見てきてたから…さ?それで、そのー…まぁ、いつもそうではあるけれどよ、今回は特にまた熱入れてんじゃんか?だから…」
とここまで曖昧な調子でにブツブツ言っていたが、ふと裕美の懐辺りの袋に向かって指をさしたかと思うと、今度はニコッと一度笑って見せてから続けて言った。
「さ?まぁー…ホワイトデーとは関係は無いんだけれどよ、そのー…俺からは何も出来ないってんで、だったら…こんなイベントのある時くらいでしか、そんな女々しいものなんて男が買いに行けないしさ?んー…まぁ…それはだから…俺からの労いのヤツだよ」
「…?」
この時の私は、途中から何故か視線をたまにチラチラとこちらに流してきたので、何の事かと一人首を”心の内だけで”傾げていた。
「ヒロ君…」
と裕美はまた何だか感慨深げと言いたげな声を漏らすと、それを受けてヒロはますます恥ずかしそうにしながらも、今度は持ち前の明るい声を上げて「まぁ、だから受け取ってくれ」と言い切った。
「別に裕美、アレだぞ?そんな訳だから、何もバレンタインで何もくれなかったからって、気を使うことなんか無いんだからな?」
「…ふふ、何よそれー?偉そうに…」
と私が思わずまた軽口でツッコむと、「うるせー」とヒロも普段通りの調子で返してきた。
そんな中、まだ裕美が一人見るからに感傷的に、今度はまた手元のお菓子に視線を落としていたのだが、私たちの軽口が終わったと判断してか、ふとまた顔を上げると、今度は裕美も裕美で普段通りの顔つきに戻りながら「ありがとう、ヒロ君!」と声の表情も明るげに返した。
「おう!」とヒロも目を瞑るような笑顔で応えていた。
…この後でも、ヒロにまたさっきのような調子で軽口をぶつけたには違いないのだが、”何故か”この時の会話は思い出せない。
それよりも鮮明に覚えているのは、次の事だった。
ヒロとまたそんな冗談を飛ばし合いながらも、そんな中で裕美が不意に例の二つ折りのカードを、自分だけが見れるようにコソコソっと開けてみようとするのが気配で分かった。
私は勿論、裕美とヒロの間だけの大事な”やり取り”だというのは百も承知だったが、ついつい気になり横目を向けた時に、内容がチラッと見えてしまった。
んー…ここで誤解を招くのを承知の上で白状しなければならない。
というのは…ズバリ言って、何故横目で覗き込みたいという衝動に駆られたのかという事だ。
結論から言うと、そのー…認めたくは無いが、自分の中である種の不満が広がっていた点が大きかった。というのも、これ以上先延ばしにせずにハッキリ言うと、…今まで私は小学一年生の頃以来、ヒロから毎年欠かさずにバレンタインのお返しを受け取ってきたのだが、その中で一度たりとも、そのー…今裕美が受け取った様な、メッセージカードを貰ったことが無かったからだ。
…。
…あ、いや、別に良いのだが、今までこれほどの付き合いの長い、裕美よりも長い私に対してしてこなかった奴が、一体どんな文をお菓子に添えたのか気になった…ただ、それだけだった。
…コホン。だからそんな訳で、好奇心に駆られて恥もなくその欲求のままに盗み見してしまったのだった。
そこには手書きで、こう書いてあった。
『大会がんばれ!だけど無理すんなよ?』
…ただの文章だといっても、その一文だけで”ヒロらしさ”が滲み出しているのが分かった。
当然私と同じ様に分かっている裕美は、相変わらずジョーダンを飛ばしあってる私とヒロを余所に、ハタから見てもバレバレな…いや、裕美の本心が分かっている私だからこそバレバレな程に、愛おしそうにカードに目を落としていた。
それをたまにチラチラと横目で見ていた私はというと、…先ほどには自覚していなかった胸の奥に起きた鈍痛が、この時になって初めてハッキリと認識出来始めていた。そしてそれ以降、暫くヒロとの会話の間中ずっとソレを意識から外せないのだった。
時折、さっきの様に下手に心配をされない様に気をつけながら、何気なく胸元に手を添えてみたりしながら…。
…それからは、その流れで私の話にもなるかとも思ったりしたが、それよりも裕美の大会話に暫く花を咲かせていた。
と、その時
「あ!昌弘くんだー!」
「え?」
と急にこちらに向けて声を掛けられた私たちは、ほぼ同時に声を漏らしてその方角に顔を向けると、何とそこには、千華と、それに例のクリスマスイブ以来になる翔悟が店内入り口に立っていた。
翔悟はヒロと変わらない様な、如何にもな中学生的服装をしていたが、千華は千華で、裕美に負けないほどの気合の入った”ガーリー”な服装をしていた。千華はミニバッグを提げてるのみだったが、翔悟の両手は買い物袋で塞がれていた。遠くから見ても分かる様な、女性向けのお店にありがちな見た目の袋だった。どうやら翔悟自身のではなく、千華のものらしい。それらを手に持つ翔悟の顔には、これといった不満げな表情は浮かんでいなかった。むしろ和かだった。
二人も裕美と同じくすぐにはこちらには来ないで、一旦注文をしてから揃ってこちらに歩いてきた。
「昌弘くーん、奇遇だねぇ」
と千華は、たまたまというか運よく今私たちの座るテーブル席の隣が空いてた席に座りつつ、満面の笑みを浮かべながら声を掛けると「おー」とヒロは軽い調子で返した。
その声にまた一度ニコッと笑うと、千華は今度は私と裕美に顔を向けた。
んー…真顔とまでは言わないが、ヒロに対するよりもあからさまに表情のトーンを落として、しかしそれでも声色自体はそのままに、こちらにも声を掛けてきた。
「…あと、琴音ちゃん、それに…裕美も久しぶり」
”裕美”の前の”…”の部分、それに裕美の手前辺りを見て目を軽く見開いた点が気にならなくもなかったが、
「えぇ、久しぶり千華ちゃん」
「久しぶり」
と、私、裕美の順にそれぞれが返した。
それを受けた千華は、一応ニコッと笑って見せた。
が、それから間をおく事無く、千華のテーブル向かいに座った翔悟が、ニヤニヤしながら、私と裕美に視線を時折流しつつ、まずヒロに声をかけた。
「…昌弘ー?何を一人でこんなに可愛い子ちゃん二人を独占しているんだよー?ずるいぞー?」
「いきなり何を馬鹿なことを言ってんだよ…」
とため息交じりではあったが、苦笑いしつつもヒロは答えた。
「あはは」と翔悟は笑った後、今度は私に顔をギュンと向けると、千華がヒロに向けた様な、ニコニコ顔を浮かべつつ声をかけてきた。
「琴音ちゃーん、久しぶりだねぇー?クリスマスイブぶりだっけ?」
「えぇ、久しぶり」
と私は少し戸惑いげに返した。
…まだ今日で二度目の邂逅だったが、それでもこの今まで身の回りに無かったタイプの軽いノリ、これから先もまだまだ慣れそうもないといった予感を覚えていた。
裕美にも同じ様な声をかけていたその時、翔悟の手元の機械がブルブル震えた。
「お、出来たみたい」と翔悟が声を漏らすと、千華はジッと薄眼を向けながら、トーンも低めに口を開いた。
「じゃあ翔悟、ボーッとしてないで、さっさと貰ってきて」
「はいはい」
そんな態度の千華の言葉を受けても、翔悟はニコニコ笑い返してから、足取り軽く受け取り口へと向かった。
繰り返す様だが、翔悟とはアレ以来なので、当然千華との二人のやり取りを見るのも二度目になるが、イブの時にも感じたのだが、千華の翔悟に対する態度がとても横柄…とまでは思わないが、何だかキツイ印象を持った。
だがまぁ、翔悟も内心はともあれニコニコとしてるし、二人のことをよく知ってるヒロも何も言わないところを見ると、特段問題は無いのだから、部外者の私が口を挟むこともないだろう。
そんな事を考えていると、翔悟が自分の分と千華のを乗せたトレイを持って戻ってきた。
翔悟はヒロと同じオレンジジュース、そして千華も何とというと大袈裟だが、裕美と同じ苺のシェイクだった。
それを見た裕美も、目を軽く見張りながら千華のを眺めていた。心境も同じといったところだろう。
それを見たヒロがまずその”カブリ”について冷やかすと、それから流れで皆でワイワイ笑いあった。
その後は、今度はヒロが乾杯の音頭を取ったのだが、他の二人はどうなんだろうと観察してみると、千華と翔悟の二人ともが、なんの抵抗も見せずにそのまま参加をしてきた。
後で雑談の中で聞いた話だが、どうやらヒロが部活の中でこの儀式を広めてるという事だった。もう慣れっこって事らしい。
因みにというか、ここで軽く私と千華との繋がりについて触れてみようと思う。翔悟とはこれが二度目だったが、千華とは何気に何度もヒロを介して会っていた。
といっても、本当に読んで字の如く、会っていた”だけ”だった。大概はこうして地元をヒロと歩いている時に、ふと偶然に出会い、そこで立ち話するかくらいだったのだ。その場には裕美がいたりいなかったりした。
今もこうしてふと裕美と千華が和かに会話をしてるのを見ると、ヒロに関する点において、本当に二人の中でギスギスしたものが生まれている様には、やはり見えなかった。
とても表面上は、仲のいい友人同士って感じだった。
乾杯をし終えて、それぞれが一口ずつ飲み終えると、すぐに翔悟がヒロに対してまたニヤつきながら声をかけた。
「ったくー、昌弘、お前、”今日という日”にこんな女の子を二人も独占してー…ずるいぞ」
それを受けたヒロも、同じ様な意地悪げな笑みを浮かべつつ、声は呆れ調で返した。
「ウルセェなー…てかさっきもそれを言ったろうが?」
「え?そうだっけ?んー…」
と翔悟は一瞬考えてみせたが、
「それだけ”羨ま怪しからん”って気持ちが大きいって事なんだよ!」
と今度は明るい笑顔を零しつつ返すと「何だよそりゃ…」とヒロは相変わらず苦笑のまま返した。
そんな二人の様子を、私と裕美は笑顔を浮かべながら、千華は翔悟にジト目を流しながら眺めていたが、ふと今度はヒロが翔悟と千華を一度交互に見てから口を開いた。
「俺のことは良いんだよ…。俺のことを言うなら、翔悟、それに千華、お前らこそ二人で何をしてたんだよ?」
と最後に翔悟の座る隣、空いてるもう一つの椅子の上に置かれた買い物袋に目を向けつつ言い終えると、途端に、配置的にはヒロの隣に座っていた千華が身体をヒロの方に寄せつつ、
「え、昌弘くん、気になるのー?」
と顔も近寄らせつつ聞くと、「近い、近いっつーの」とヒロはウンザリげな表情を浮かべつつ、千華の一方の肩に手を置き押しのけた。そうされた千華は「あははは」と明るい笑みを浮かべている。
この時私はなぜかチラッと、私の座り位置からすると真横にいた翔悟を見てみたが、翔悟はただニコニコしながら二人のやり取りを眺めていた。
と、ここでふと翔悟と視線があったので、私は一応一度ニコッと笑ってみせてから、今度は翔悟とは私を挟んで反対側に座る裕美に顔を向けた。
これはある意味想像通りだったが、裕美は何の反応を示さないまま、ただ黙々とシェイクを啜っていた。
「気になるつーかよー?」
とヒロはまたニヤケ面を取り戻しつつ、斜め向かいに座る翔悟に声をかけた。
「翔悟、お前もさっき自分で言っていたけど、今日という日にお前らだって二人っきりで過ごしてるじゃねぇか」
と言うと、千華は急に一人何だか取り乱し「あ、いや…」と何かを返そうとしていたその矢先、「あははは」と翔悟は一度笑ってみせたかと思うと、
「バレたかー」とわざとらしく照れて見せて返した。
すると、そのセリフを聞いた千華は途端に冷静を取り戻すと、
「何が『バレたかー』よまったく…」
と、先ほどよりも一段とキツめのジト目を翔悟に向けつつ言うと、すっかり落ち着いた様子で、今度はまた明るい笑みを見せつつヒロに答えた。
「違うの違うの。まぁ確かに”たまたま”今日はアレの日だけれど、元々今日はね、このモール内の私の好きなショップでね、春のセールをしていたから、その荷物持ちとして翔悟を連れ回していたの」
と、途中から翔悟の脇の荷物群に視線を流しつつ言い終えると、「そうそう」と翔悟も何でもない様な調子で、同じ様に荷物を眺めつつ後から続いた。
「何だ、翔悟…またお前、千華にパシられてたのか?」
とヒロがニヤつきつつ聞くと
「まぁねー」と間を置く事なく返していた。
先ほども言ったが、こんな千華と翔悟の関係性…”何でちゃん”の私からしたら気にならない方が無理だったが、それでもただニコニコと表面上はただ楽しげ面白げに眺めていたのだった。
一頻りまた皆で笑いあった後、またヒロが口火を切った。
「そういやさー、お前ら、俺らがこの店にいる事知って中に入ってきたのか?」
と聞くと、翔悟と千華は何だか一度意味深に視線を交しあっていたが、翔悟が首を横に振りつつ、しかし笑顔で答えた。
「いーや、たまたまだよ。…ほら、今日ってホワイトデーだろー?だからさ、そのお返しにって事で、奢るために来たんだよ」
「…まったくさー」
とここで千華は、向かいの翔悟に薄眼を流しつつ、ため息交じりに口を開いた。
「翔悟ったらヒドイんだよー?この私がせっかく嫌々でもバレンタインにチョコを恵んでやったっていうのに、今日という日に何も用意をしてなかったんだから」
「…へぇ」
と、我ながら我慢出来ない女だと苦笑もんだが、とうとう耐えきれずに口を挟むことにした。
「千華ちゃん、翔悟くんにチョコあげたんだ?」
「え?」
と千華は途端に目を丸くしながら私に顔を向けてきた。そして私の言葉から何を汲み取ったか、何とも決まり悪そうな、それとも他の感情がこもってそうな、そんな気難しげな表情を浮かべていたが、そんな中、ある意味空気を読んだのだと思うが「そうなんだよー」と翔悟が相変わらずのニコニコ顔で答えた。
「千華ちゃんから毎年毎年貰ってるんだよー」
「ヘえ」
と私が返すと、千華は一度大きく息を吐いたかと思うと、先ほどまでの笑みに戻りつつ私に言った。
「…まぁねー。まぁ同じ小学校だったし、それなりの付き合いもあるから、そのよしみでよ。まぁ…本当に”義理”って事だねー」
ふーん…私のヒロに対する様なものか。
と今思ったことをそのまま返そうかと思ったのだが、自分でも不思議とソレをそのまま口にする事が憚られ、結局「そうなんだねぇ」と無難にやり過ごすことにした。
「えぇー、本命じゃなかったのー?」
「そんなわけ無いでしょ」
といった翔悟と千華のやり取りをまた他の三人で微笑ましく笑いながら眺めていた。
と、ここでひと段落が付くと、今度はまた翔悟が一度私と裕美を眺めてからヒロに聞いた。
「昌弘だってさー、今日二人と会ってたのはそういう意味なんだろー?」
「あ…」
「…?」
翔悟のセリフを聞いた直後、テーブルは違っても位置的には私の真隣にいた千華がボソッと漏らすのが聞こえた。
何だか直接顔を向けるのは気が引けた私は、横目で盗み見る様に見ると、千華は手元のシェイクに顔を落としてはいたのだが、そのせいで必然的に上目使いになりながらも、何だか恨めしそうな視線をヒロに飛ばしているのが分かった。
それを見て、恐らく声の件も含めて唯一察していたであろう私一人で、何故千華がそんな反応を示したのかハテナを頭に浮かべたのだった。
翔悟の言葉を受けた瞬間、ヒロは見るからにビクッとして見せて、裕美、そして、何故か私にも視線を向けた後、数秒間そのまま静止していたが、フッと一度力を抜く様に笑みを零し、次の瞬間にはまたヒロらしい、悪戯っぽい笑みを見せながら答えた。
「んー…まぁなー。まぁ俺も毎年こいつらに貰ってるからさ、そのー…今年も義理で返していたところだよ」
「こいつらって何様ー?」
と私が瞬時に突っ込んだが、それはただニヤケ面でスルーされた。
私は私でチラッとこの時裕美の横顔を盗み見たが、特に何の変化もなく、一緒になって明るい笑顔でいるのみだった。
「そんなに言うなら、来年はあげないよー?」
と私が腕を組み顔を横に背けるような、いかにも拗ねてる風で言うと、
「あ、すまん!俺が悪かった!来年も作ってきてくれ!」
とヒロも大げさに顔の前で両手を合わせて頭を下げつつ返してきた。
このやり取りを見て、他の三人は今日一番の笑い声をあげて見せた。和やかな雰囲気が流れていた。
「いいなー」
とそんな中、翔悟が不意に声を漏らすと、背もたれに大きく寄り掛かり、天井を一度見上げると、態勢を元に戻しつつ言った。
「俺も琴音ちゃんの手作りお菓子が食べたーい」
「えー」
と私も、どうせ本気じゃ無いだろう事は分かっていたので、スルーするつもりで愛想笑いを浮かべると、
「…ダメだよ」
と、ここで何故かヒロが私の代わりのつもりなのか、間を置く事なく瞬時に断りを入れた。
そんな妙なというか予想外の反応をしたので、私含む他の皆もジッとヒロの顔を見たが、視線を一斉に受けたからか、何だか照れくさげにしつつ続けて言った。
「あ、いや、ほらー…こいつのお菓子の毒味役は俺だけで十分だよ。…犠牲者を増やすわけにもいかないし」
「…ちょっとー?」
何だかまた微妙な空気が流れかけていたのを察した私は、それなりに私なりに気を使ってあげようと、犠牲精神のつもりでヒロに乗っかることにした。
「何が毒味役よー?そんなこと言うなら…次から本当に毒を入れるわよ?」
と私が凄んで見せつつ言うと、
「あははは、悪りぃ悪りぃ」と、言葉とは裏腹に、全く悪く思ってなさそうな調子でヒロが返すのを合図にして、また皆で笑いあうのだった。
…まぁ実はこの時、裕美と千華の笑みの中に陰りの様なものが指していたのだが、案の上リアルタイムには気付けなかった。
空気がまた戻ったところで、しつこい様だが実際はバレンタインに日和ってしまった裕美を除いて、てっきり私が何をヒロに作って上げたかの話になるかと身構えていたのだが、翔悟がまたもやヒロに違う話題…というか、ホワイトデーネタを引き摺って話しかけたので、そこの流れは生じなかった。
「…で?俺は千華ちゃんへのホワイトデーのお返しは、ここの奢りだったわけだけど、昌弘から二人へのお返しは何だったんだよー?」
と翔悟が何故か恨めしげに聞くと、「えー?言わなきゃダメかー?」とヒロもヒロで変に渋って見せた。
「まぁいっか。俺はなー…」
とそれでも観念した演技をしつつヒロが答えようとしたその時、「…ねぇー?」とここで不満げな声をあげる者がいた。千華だった。
ほっぺを軽く膨らませる様な、いかにも自分が可愛い事を分かってる女子がする、不満げ風の顔つきを見せていた。
「ん?千華、何だよ?」
とヒロが何気ない調子で聞くと、千華はシェイクの残りを啜ってから、太めのストローから口を離し、先程とは違って口元には笑みが見えていたが、目つきだけ翔悟に向ける様な薄目気味を向けつつ答えた。
「んー…ってかさ、私も昌弘くんにバレンタイン上げたはずなんだけど…私にはお返し無いの?」
終始戯けた風ではあったのだが、今の短い言葉の節々からは、本心では本気で強弱はともかく冗談ではなく不満だというのが、他人事なのにヒシヒシと伝わってきた。
そんな雰囲気を感じながらも、そんな中でふと私はトートバッグの中に仕舞った飴入りの瓶を、その上から何となく、あるかどうかを外から確認する風に触った。
とその時、ふと隣を見ると、やはりというか…裕美はミニバッグしか持ってきてなかったので、クッキーとマカロンの入った袋をそのまま座席の空いたスペースに置いていたのだが、それに視線を落として見ていた。
因みにというか、心底どうでもいい事を付け加えると、小学生の頃はトートバッグを何に付けても使っていたのだが、中学に入ってからは、師匠宅に行く時以外は滅多に使わなくなっていた。
それを何で今日使っているか。
それは…何度も言うように、今年もどうぜヒロが瓶入りの飴をくれるだろう事は予測出来ていたので、普段使いのバッグだと、入らなくはなくても妙に嵩張るのが嫌だったという点で、こうしてトートで来たという次第だった。
…本当に無駄情報だった。話を戻そう。
「えー?…あ!」
最初は本気で不思議がっていたヒロだったが、これまた大袈裟にわざとらしく思い出した事を分かりやすく見せたいが為の演技をして見せた。
「そういやそうだった…な?」
とヒロがトボけた表情で、最後にまた態とらしく疑問形で言い切ると、千華も千華で、ヒロの冗談が分かってるらしく、不満げなのはそのままに、ブー垂れて見せながら返した。
「何で疑問形なのー?あげたでしょー」
「あー…おう、そうだった…な?」
「あ、またそうやってー…もーう…で?」
とここで千華は今までの不満げは何処へやら、満面の笑みに瞬時に切り替えると、両手を思い切りヒロの方に差し向けてから続けて聞いた。
「千華へのお返しはー…あるよね?」
「…ん?」
そう問われたヒロは、何故か一度千華から視線を外し、向かいに座る私、裕美、翔悟の順に見渡していった。
一通り回ると、ヒロは一瞬色々と頭の中で考えを巡らせている…これはそう見せてるのではなく本気でそうなのが、長い付き合いの私だからこそなのか、我が事の様に分かった。
さて、ようやくどう対応しようか固まったらしいヒロは、意地悪と照れが混ざった様な、そんな笑みを浮かべて見せながら口を開いた。
「あー…いやぁ…『無いよ』っと…」
「…えぇー」
とまだヒロは途中だったが、両手を差し向けていた千華はそのままの体勢で、行儀悪くもテーブルに突っ伏せた。
しかしすぐに起き上がったが、顔には今日一番の不満げな顔つきを見せていた。ほっぺも膨らんでいる。
「マジに無いのー?」
と千華がタラタラと漏らすと、そんな様子を見た瞬間に、ヒロは「あははは」と一人笑った後で、今度は照れが一切引いた後の悪戯っ子スマイルで返した。
「おいおい、最後まで聞けよー?本当は…あるよ」
「あ!あるのー?やったー!」
と、流石に店内だというのが頭の隅にあったのか、それなりの常識が働いた…って言い草はどうかと自分でも思うが、千華は声を抑えつつも喜んで見せた。
それを見たヒロは一度ニコッと微笑ましげに笑って見せたが、直後にまた意地悪げな微笑を作りつつ続けた。
「…まぁ、実際には本当に返そうか迷ったんだけどな…」
と言いつつ、またリュックの中身を弄りだしたので、千華含む他の四人は一斉にその手元に集中した。
「ちょっとー、昌弘君ひっどーい」
と言いながらも満面の笑みを浮かべて見ていた千華だったが、ここでふと「あ…」と言う声を漏らすと共に手を止めたヒロが、顔を上げると千華に顔を向けた。
その顔は…申し訳無さげな表情を浮かべていたが、私には分かる。これは…おふざけモードの時の顔つきだ。
そしてそれの推測はやはり当たっていたのだった。
「何?どうしたの?」
と、ついつい知りつつも敢えて普段の調子で私が声をかけると、「いやぁ…」と短く私に向かって声を漏らした後、千華に視線を流し、その表情のまま言った。
「んー…そういや持って来てねぇわ」
「…えぇー」
ヒロの言葉の直後、いかにも心底ガッカリした風を見せんがためか、今度はヒロに両腕を差し向けてはいなかったのだが、千華はまたベタンとテーブルに突伏してしまった。
「無いのー?」
と漏らす千華の姿を見て、小気味良い様子を微塵も隠そうともしないまま、ヒロは明るく笑いつつ言った。
「あははは。いやいや千華、今俺言ったろー?あるって。ただ仕方ないだろ?だって、今日お前と会うなんて思いもしないんだから」
「…ふふ、わざとらしい」
と私は口元をニヤかしつつも、ジト目を向けつつ呟いた。
「元々今日用意してない事を覚えてたのに、そうやってわざわざ持ち物をチェックするフリをして」
「…ぷ、あははは!」
と、ここで今まで静かだった裕美が私の言葉に受けて声を上げて笑った。見ると、ヒロを筆頭に千華以外の皆も同じように笑顔を浮かべていたのだった。
…いや、この時点でスッと千華は顔を上げたのだが、やはりその顔には、苦笑ではあったが笑みではあった。
しかしそれも束の間、千華はまた突っ伏した態勢のままブー垂れた顔つきを作ると、
「…でもさー、そうやってバレンタインデーのお返しを用意してくれてたんならさー?…今日この日に、私と会う約束をしてくれれば良かったのにー」
と恨めしげな目つきでヒロに声をかけたのだが、それがあまりにも小さい音量だったせいか、すぐ隣の私以外には誰にも聞き取れなかったらしい。
それを証拠に、ヒロがキョトン顔で千華に聞き返していた。
「ん?千華、何か言ったか?」
と聞かれた千華は、やっとこの時になってゆっくり上体を起こすと、「んーん、何でもなーい」と、とてもなんでも無いような様子ではない、拗ねた姿を見せていた。
だがもうヒロもヒロで慣れっこなのだろう、それには相手にせずに「そっか」と笑顔ではあったが短く返すのみだった。
この時私は何気なく千華と反対に顔を向けると、裕美は何だか少し真剣味を帯びた表情で、ヒロと千華の事を交互に見渡していたのだった。
この後でまた一区切りの意味もあってか一同でひと笑いをすると、場の流れはまたヒロと千華に主導権が残ったまま推移した。
「…で?ヒロ君、私には何をお返しにくれるのー?」
「それを言わなきゃダメかー?」
とヒロが苦笑いで返していたが、その直後、ニターッと笑ったかと思うとそのままに続けて言った。
「ホント、我慢が出来ねぇんだから…。んー…色々と考えたんだけどよー…」
「…え?」
とヒロの言葉を聞いた瞬間、千華はまた少し体を前倒しにしつつ、顔には何やら嬉しさが込み上げてきてるのが傍目からも分かるほどの表情を見せた。
「昌弘くん、私のために色々と迷ってくれたんだー?」
「あぁ、迷ったぜぇ…」
と何やら意味ありげにボソッと言った後、ヒロは途端に目を瞑るほどにニコッと笑いながら明るく言い放った。
「どうせだったら、マシュマロでも渡してやろうかってな!」
そのセリフを聞いた瞬間、千華の顔は一瞬にしてまた先程来の不満顔に戻っていった。
「…えー?なんでそんな事考えるのー?」
とボヤく千華の姿を見て、”私”以外の他の三人は一斉に、少し苦笑が混じってはいたが笑顔を皆して振り撒きあっていた。
「あははは!」
「へぇ…」
と、ここで私は一つ疑問…というか、単純に引っかかったので、敢えて口を挟むことにした。
というのも、ここまでは何とか門外漢なりに話についていけてたと思っていたが、ここにきて途端に、何で皆して笑い合っているのかが分からなかったからだった。
「千華ちゃんって…」
「あはは…って、え?」
とまだ笑顔が残る顔を私に向けてきつつ返した。
「なーに、琴音ちゃん?」
「あ、いや、そのー…」
急にそんな改まって聞き返されると、元々そんな大した疑問じゃ無いから少し困ってしまったが、それでもまぁいっかと思った私は、頭に沸いた疑問をそのまま口にしてみることにした。
「千華ちゃんって…マシュマロが嫌いなの?」
「…へ?」「え?」「ん?」
と、私がそう聞くと、千華だけではなく、ヒロ、翔悟、それに裕美までもがキョトン顔でこちらを見てきていた。
…どうやら冗談じゃなく本気のものらしい。
何やら空気の読めない、普通から外れた事を口にしたらしい事を、この瞬時に分かった私ではあったが、それでもこのまま話を止めた方が変だと思い、そのまま続けて言うことにした。
「い、いや、だってさー…?今ヒロが言ったのは、千華ちゃんが嫌い、もしくは苦手な物を敢えてお返ししようという、ありがちな受けを狙った話だった…んじゃないの?それでみんな、そのー…笑ったんじゃ?」
「…」
私が言い終えると、ほんの数秒ほど間が開いた後、「はぁ…」とまずヒロがため息を大きく吐いて見せて、
「やっぱ、そうだったんだな…」
と、それから力負けしたと言いたげな、そんな苦笑いを浮かべつつ呟いた。
「…え?」
と私はすぐに反応して向かいのヒロに視線を向けたが、その直後、「…ふふ」と隣で今度は裕美が、これまたヒロと同じ種類の笑みを浮かべながら同じく呟いた。
「あーあ、まぁ確かにそんな気はしてたんだけどねぇ…。ふふ、やっぱそうだったかぁ」
「な、何よー…」
と私はなすすべも無く、取り敢えずただ不満げな態度を表す他に無かった。
「『やっぱり…』だとか何だとかって、それってどういう意味よ?」
と力無げに口にしながら、私は何だか久しぶりに”この感覚”を味わっていた。なんだか急に周囲の世界から放り出された、そんな感覚だ。
繰り返しになるが、そんな久しぶりの感覚に陥った私は、肩身の狭い思いをしつつ、徐々に少しずつ視線だけ下に向け始めていると、
「…ぷ」と吹き出す音とともに、そっと私の肩に手を置く者がいた。
下に向けていた視線をそちらに流すと、その主は裕美だった。
その顔には呆れ笑いというか、それに加えて慈愛に満ちた…いや、少し悪戯っ子成分が混じっているような、そんな笑顔を浮かべていた。
「やれやれ…。ふふ、翔悟くんに千華?あんた達はよく知らないだろうけど、ここにいる琴音、この子はねぇ…色々と、本当に色んな事を知ってるんだけれど、何故か私たち女子の間で流行ってたり、話題になってるような事には全然興味を示さないの」
「…あぁ、それでかー」
とここで今まで静かだと思っていた翔悟が、こちらに向かってニコニコと不気味なほどの明るい笑顔を浮かべつつ口にした。
「そうなの。まぁ…この見ての通り、世間知らずのお姫様だからさ?急に妙な事を口走っても、変に思わないでね?」
「…ちょっとー?」
と、途中から肩を優しく子供あやすかのようにポンポンと何度か叩いてきていたが、その手をそっと退かすと、私は思いっきり薄目を使って見せつつ言った。
「黙って聞いていれば…。ふふ、裕美、あなた私の何なのよ?まるで保護者か何かみたいに…」
「あははは!」
とヒロが瞬時に反応して見せたが、裕美は今度は私の背中に手を置くと、何度か上下にさすってきつつ、慈愛に満ちた視線を向けながら口調も合わせて言った。
「そうだよー?私は世間知らずなお姫様のアンタが、変に見られないように、今までも、そしてこれからもこうしてフォローを入れてあげなきゃいけないんだから」
「何よそれ…。って、お姫様はやめてって言ってるでしょ?」
と勿論本気では無いのだが、怒るフリを続けるのも無理なくらいに呆れてしまった私は、根負けしたという風で呆れ笑いを浮かべつつ、それでも小さな反抗をしてみたのだが、案の定スルーされてしまった。
裕美は今度は無邪気な笑みに変えると、それをヒロに向けて言った。
「…ね?ヒロ君?…約束したもんね?」
「ん?約束?」
とヒロが聞き返すと、裕美は一度大きく頷き、そして私に視線を流しつつ答えた。
「そう。ほら、小学校の頃…朝登校の時に、私に頼んできたでしょ?…よろしくって」
「…あ」
と、裕美がそう口にした瞬間、裕美と初めて出会った例の塾の次の朝、裕美とひょんな事から一緒に通学していた時に、ヒロに絡まれて、その中で出たちょっとした会話だったのを思い出し、つい声を漏らしてしまった。
ふふ、そんな事もあったなぁ…って、裕美もよくそんな事覚えていたわね…
と、呆れるというか感心するというか、そんな心持ちで裕美の横顔を眺めていると、何とあのヒロですら…というと悪いが、ヒロも思い出したようで「あー」と声を上げるのだった。
「そんな事言ったなー、確かに」
「ふふ、でしょ?」
そんなこんなで、千華と翔悟を放ったらかしに、私たち三人の過去で二人は盛り上がり出していた中で、我ながら呆れる他に無いが、また懲りずに私の中の疑問が主張を収めていなかったので、自分としては仕方なしに、それをそのまま口にしてみる事にした。
「…で?結局マシュマロは何なの?それが今の女子に流行っているの?」
と言ってはみたものの、自分で話しているのにも関わらず、途中から何だかどうでも良くなっていた私は、飽きてる感情を隠そうともしないままに最終的に吐き出すように言いきると、
「あはは、あんたも女子でしょー?何で他人事なの?」
と裕美が瞬時にツッコんできたが、その直後には
「んー…」
と今度は打って変わって、心から困ったと言いたげな苦笑を浮かべて、ふと他の三人に視線を流した。
私も釣られるように眺め回し始めたが、裕美にまたポンと肩に手を置かれた。
「それはご自分で、お家でなり何なりと個人的にお調べ下さい、お姫様」
とそのまま流れでニヤケつつ言い含めるように言うと、
「あははは!」
とここで瞬時に翔悟が笑い声で反応してみせた。
裕美の物言いに突っかかろうと私はしたのだが、その前に、それにつられるようにして、千華を含む他の三人も笑顔を見せるのだった。
初めのうちは釈然としなかった私も、またもや直ぐにどうでも良くなり、雰囲気に流されるままに、最終的には一緒になって笑い合うのだった。
結局この後も、あのマシュマロの流れが何だったのかの説明を誰もしてくれなかった。ネタバレでは無いが、その後も自分で調べることもしなかった。
まぁ…何度も言うように、裕美も言ってくれたが、そこまでこの手の事について興味がそもそも湧かなかったので、そもそもネット自体ろくにしない事もあり、そう相成ったのだった。
とまぁ、そんな事はともかく、このひと笑いの後で、また質問すれば誰かが答えてくれたのかも知れなかったが、私の持ち前の無責任さというか、生来の”何でちゃん”のためについつい不用意に疑問を口にしてしまったが為に、何となく場の流れを遮断してしまったという反省もあり…いや、それは大袈裟だが、もっと言えばやはり正直どーでもいいというのが大きく、話が続かないのならそのまま流れてしまっても構わない、とそんな心境なのだった。
「…で?」
と一区切りがついたと判断したらしい翔悟が、ヒロに話しかけた。
「だからさー?昌弘は今日この二人に、何をお返ししたんだよー?」
「…ったく、しつけぇなぁ…」
とヒロはただ苦笑いを浮かべて漏らした。
そんな様子を、んー…こういうと語弊がありそうだが、ヒロが笑いつつも困り果てた表情を見て、思わず自然と笑みが溢れていた私だったのだが、ふとここでまた例の虫が起き上がり、一応今度は変な空気にしないだろうと予測を立ててから翔悟に声をかけた。
「…ふふ。翔悟くんさー?」
「おっ!何かな、琴音ちゃん?」
その瞬間、翔悟は演技にしか正直思えない程のリアクションを取ってきたが、それに構っているとキリがないと学習してきた私は、今度はチラッとヒロに向けて意地悪視線を飛ばしつつ続けて言った。
「何でそんなにヒロのお返しだとかが気になるの?」
「…え?」
と、私の言葉を受けた翔悟は、今日…というか、まだ短い付き合いとはいえ初めて困惑気味の、しかしそれでも笑みを顔に添えて見せてきた。
「んー…」と翔悟はすぐには答えなかったが、それでも少しずつ自分のペースを取り戻したか、また人懐っこめな笑顔を浮かべて答えた。
「あはは。なかなか面白い質問をしてくるねー?…あは。うん、まぁ、それというのもねぇ…」
とここで翔悟は不意に、視線だけヒロに向けて、動きが見えないように口元に片手を添えて見せながら、さながら内緒話風に続けて言った。
「コイツってさー、こんなガサツな性格してる癖に”意外と”モテてさー…バレンタインにも、ここにいる千華ちゃん以外の女の子がね、わざわざチョコ的な物を渡しに行ったりしてるんだよ」
「へぇ」
「ふーん…」
「…」
翔悟の言葉に反応して、すぐさま視線だけチラッと、裕美と千華の顔を覗いたのは言うまでもない。
二人とも声を漏らす、漏らさない程度の違いはあったが、基本無表情だった。
もし何も事情を知らない人が見たら、翔悟の話に興味を示してない、ただそれだけの態度に見えていただろう。
「おい…丸聞こえだぞ?意外は余計だ」
と咄嗟に声にドスを効かせて、ニヤケつつもヒロが突っ込んでいたが、これもいつものってヤツなのか、翔悟は華麗にスルーしてそのまま続けた。
「あはは。だからさー、まぁ千華ちゃんは毎度の事ってことで、そんな中でも唯一受け取っているのは見てたんだけど…ほら、君たちは俺らと学校違うじゃない?だから…その場合は、どんな調子で”ガサツ”なヒロがやり繰りしてるのか、単純に気になるんだよー」
「ガサツも余計だ」
とヒロがまた突っ込むと、その直後には裕美と千華を含む皆してまた笑い合うのだった。
「なるほどねー」
と私がそれなりの納得の態度を示すと、翔悟は一度目をギュッと細めるような笑みを見せて、その後はまたヒロに、今日三度目になる同じ質問を飽きもせず投げかけていた。
良く飽きないなぁ…
とこんな妙なところでまた私は一人無駄に感心していたのだが、「そうだなぁ…」と、まだヒロが渋っているのを見ていた裕美がフッと一度息を吐いてから口を開いた。
真横に座っていた私からは顔を窺い知れなかったが、それでも力を抜くような笑みを浮かべているだろう事は、もう長い付き合いになるせいか察する事が出来た。
「良いよヒロ君、私から言っても」
と、そんな短い言葉、しかしまた、これまた優しい響きを持ったセリフだった。
それを受けたヒロも、一瞬戸惑いの色が見えたが、それでもヒロはヒロでフッと力を抜いて見せた後で、ニコッといつも通りの”ヒロスマイル”を浮かべつつ
「そっか?…」
と返したのだった。
…と、この時、微笑みつつ裕美の横顔を眺めていた私は、視線が向けられているのに気付いた。
見るとそれはヒロだった。
私と視線が合うと、ヒロは今度は照れ臭げにしながら声をかけてきた。
「…琴音、お前はそのー…良いか?」
「へ?」
何だか妙にキャラに似合わない、神妙な面持ちと口調で話しかけてきたので、私は私で、まるで真逆な態度の声を漏らしてしまった。
ふとまたこの時、顔は当然ヒロにまっすぐに向いていたのだが、今度は両脇から強めの視線を浴びてるのを感じていた。
もう確認するまでも無いと判断した私は、そのままヒロに顔を向けつつ、その質問の意図が何か分かり兼ねながらも、別に返事を長引かせることも無いと軽い考えのまま「えぇ、別に良いわよ」と返した。
するとヒロは、これまた何とも言えない、微妙としか言いようの無い笑みを見せてきたが、「そっか」と短く返すのだった。
「さてと…」
と、ここで裕美が空気を変える為か一言漏らすと、座席の空いてるスペースに置いていた、淡い桜色の袋を取り出すのだった。
…何だかこれだけの話を、大袈裟に話し過ぎじゃないかと思われる方もおられるだろうと思うが、この時の私は、…自分で言うのは恥ずかしながら、少しでも裕美の為になるにはどう立ち振る舞えば良いのか、そればかりを考えて過ごしていた。
あまりに真面目に裕美たちの事を観察していたせいで、ついつい今までの様な結果になってしまった…まぁそういう事だった。
…まーたイラナイ言い訳をしてしまった。話を戻そう。
カサ…
と慎重にゆったりとした動作で裕美は袋を、私と裕美の中間あたりに置いた。
その瞬間、隣のテーブルに座っていた翔悟と…それに千華も、興味津々といった様子で、前のめりにこちら側に身体を寄せてきていた。
「おおー」
と翔悟は、遠くのものを見るかの様に目を細めつつ、またもや大袈裟な感嘆した風の声を上げた。
「カワイイ包装じゃないかー。やるジャーン」
とチャらけて言うと、「やるだろー?」と、ヒロもすっかり普段のお調子者が戻ったらしく、まさにヒロらしく返していた。
…ふふ。確かに綺麗でカワイイ包装だった。
…何で今わざわざそれを言ったのかというと、そんな風にした裕美の行動が、またもや私にとって微笑ましかったからだ。
というのも、だいぶ前に戻るが、裕美もヒロからお返しを受け取った後、周りの包装紙を取って中身を見たわけだが、今見て分かるように、また元の様に包みなおしていたからだった。
この時の裕美の事は、ヒロとの会話に夢中で見てなかったのだが、今改めて見てみると、しつこい様だが本当に元どおりに復元がなされていたので、何だかとても…良かった。
因みに、私のはというと…まぁこれもその時に触れはしたが、まぁ結果はこの後でも明らかにされる事となる。
翔悟がヒロの甲斐性についてアレコレとからかいだしたその時、「…あのさ」と声を漏らす者がいた。千華だ。
千華は前のめりになって、私の向こうに座っている裕美と顔が合う様に態勢を作ると、そのまま話しかけた。
「裕美ちゃん…ちょっと見せて貰ってもいい?」
「…え?」
と裕美は何だか想定外だったのか、キョトンとした目で千華を見つめ返していたが、そのまま手に袋を取ると、それを少しジッと見た後で笑顔を作り、「うん、いいよー…ハイ」と袋を私の前を通して千華にだした。
すると千華も笑みを浮かべて「ありがとー」と返しながら、それを受け取ると、両手で上下左右から眺めていた。
この手渡しが目の前で行われている間、自分でも分からない、出所がハッキリとしないドキドキに胸を占められていたのだが、そんな千華の姿を見て、先ほどの裕美の姿と重なり、また一人でクスッと小さく笑みを零すのだった。
しばらく…と言っても一、二十秒ほどだっただろうが、見終えると「はい、裕美ちゃん、ありがとー」と言いながら、また私の前を通して手渡した。
「いーえー」と裕美も明るく冗談めかして受け取っていた。
んー…今こうして話していて、やはり思い込みというか、印象を始めに持っちゃうと、ここまで見方が偏るのかと自分でも驚く。もし裕美からの前情報が無ければ、ハタから見てると別段問題の無い、仲のいい友人同士の会話としか見れなかった…だろう。
それこそギスギスとは程遠い、柔らかな空気が場に流れていた。
「俺もいい?」と翔悟も流れに乗っかって聞くと、「いいよー」と裕美も何の抵抗も無い様子で手渡していた。
翔悟は千華と同じ様に眺めていたのだが、それを返しながらふと裕美に声をかけた。
「ありがと裕美ちゃん。んー…で?」
と翔悟は裕美の前に置かれた袋を眺めつつ聞いた。
「結局裕美ちゃんは何を貰ったのー?」
「…え?あ、あぁー、そういやそれで見せたんだったね」と、裕美はハッと思い出した風な声を上げると、少し恥ずかしそうな…いや、悪戯のバレた子供の様な笑みを浮かべつつ、両手で袋を優しく包む様にしながら答えた。
「ふふ、中身はねぇー…キャラメルクッキーと、マカロンだったよ」
「へぇー」
「ふーん…」
と、翔悟の声の陰で、ボソッと、千華が声を漏らすのが聞こえた。
まぁ…字面だとちょっと味気なく見えるだろうが、別に意味深には、少なくとも当時の私には思えなかった。ただ普通の反応だと感じた。
「クッキーとマカロンかー」
と、その声の直後には、また”カワイイ系”の声音を使いつつ言うと、次の瞬間には、これまたカワイイ系の笑みをヒロに向けて声をかけた。
「…ふふ、昌弘くーん?私へのお返しも、期待してるからねぇー?」
「…」
とヒロはここで無駄に意味深に間を置いてから、その後ではまた屈託無い笑みを浮かべて「おーう」と間延び気味に返すのだった。
そんな和やかな雰囲気の中、ふとここで、裕美が私のトートバッグに目をチラッとやりつつ声をかけてきた。ニヤケ面だ。
「あははは…って、琴音ー?何でアンタ、まだ自分のを出してないの」
「え?」
と私はここで、他の誰かさん達の影響かわざとらしく驚いて見せたが、
「…ふふ、バレたかー…」
とすぐにクスッと一度笑い続けて言った。
「もうそのまま、お流れになると思ったんだけれどなぁ…」
やれやれといった調子で、いかにも気が進まない動作でゆったりとカバンを手元に寄せた。
「あはは、そうはいかないよー」
「そうそう」
「ふふ…」
と、私がカバンの中に手を突っ込んだ辺りで、裕美、翔悟が意地悪げな声で口にしていた中、何でかこの時、確かに二人と同じ様に反応を示したはずの千華の「ふふ…」という笑みが、印象的なあまりに今でも脳裏にこびりついているのだった。
…っと、それはともかく、私は気が進まない…って実際には後で説明する理由で、本当に気が進まなかったのだが、ゆっくりとソレを取り出し、『ゴトッ』と、裕美とは比べものにならない程の”丁寧さ”でテーブルに置いた。
それは…裕美とは違って丸裸のままの、透明でお洒落な瓶に入った、赤と黄色と今また見返しても美味しげな飴だった。
…何で今またわざわざ説明を入れたのか。
それは…今さっき言った気が進まない理由とともに、裕美とは理由が真逆であった事を、恥を忍んで話さんが為である。って何だかまた大げさな物言いになったが、これは単純に恥ずいのを誤魔化す為だと自白しておこう。
…コホン、まぁ私関係だからクダラナイ余計な話だと知りつつ、それでもお付き合い願いたい。
何で恥ずかしかったか…もうお分かりだろう。見ての通り、裕美はヒロから貰った袋を、元のと見劣りがしない程に丁寧に包みなおしていた訳だったが、私はというと…見ての…いや、聞いての通り、袋とか関係無く、そもそも私はヒロから貰った瞬間に、ビリビリにあの綺麗な、私とヒロの間では長年の定番である淡い水色の包装紙を、破ってしまっていたからだ。
おっと、ここで慌てて言い訳をさせて頂きたい。何も私は毎回、何かしらの包装紙などで包まれた頂き物を、何でもかんでも汚く乱暴に破り捨てて開けてるわけではない。
これはヒロから貰うバレンタインデーのお返し限定の態度だ。
…これまた誰得の言い訳をしてしまうのだが、自分でもよく分からないのだが、いつからだろう…この日に受け取る時は毎回、『そうしないといけないんじゃないか…?』といった、ある種の義務感に似た気持ちに駆られるままに、この様な態度を取ってしまっていた。
理由は何でか分からない。…何でか分からないのだが、そんな私の様子を見て、ヒロが悪戯っぽい、または呆れ、もしくは…少しがっかり、とまぁ、そんな表情を毎回見せてくれるので、それが見たいが為に、飽きなく毎年するのだろう…と、聞いてる人には分かり辛いだろうが、そんな風に他人事の様に分析していた。話を戻そう。
そんな訳で、まさか、裕美を含む他の人に見せる流れになるとは露ほども思っていなかった私は、少し、いや心の中ではとても恥ずかしがりつつ、他のみんなの反応を待った。
この時の私の心境としては、『これで千華ちゃん達に、変な誤解をされないかな…。ヒロと同じレベルの”ガサツ”な女だって』といったものだった。
…ふふ。今回に限らないが、我ながら思い返すと、どこまでも”この手”の事ではズレてるなと素直に思う。
とまぁ、そんなくだらない事を考えていたのだが、中々に反応が返ってこないばかりか、音すら誰も発しないのに気付いた私は、ふと瓶から視線を外して周りを見渡して…正直驚いてしまった。何せ、皆して予想外の反応を示していたからだ。
ヒロを除くが、裕美を含む他のみんなは、目を見張る…ほどではないにしても、それなりに見開きつつ、熱い視線を手元の瓶に注ぎ込んできたのだ。
これには驚いた。初めのうちは、裕美のを見た後で、中身の見えるそのままの、裸の品が出てきたというので、その意外性に驚いていたのかと、そう自分で思ったのと同時に恥ずかしさが増したのだが、しかし、そんな中で、誰もそれについて触れてこようとする者が一人もいなかった。
真っ先にからかってきそうな裕美ですらが、瓶をしげしげと横から眺めてきていた。
仕方なく向かいのヒロの顔を眺めると、ヒロはヒロで、坊主頭を照れ臭そうに掻いていたが、私と視線が合うと、苦笑を一度したかと思えば、そのまま少し斜め上に目をズラすのだった。
「…?」
とヒロに見放された私も、皆と同じ様に黙っていたのだが、ふと小声で、裕美が微笑交じりながら口を開いた。
「…ふふ、琴音、今年もアンタ、ヒロくんに飴を貰っていたのね?」
「…え?」
急に声を掛けられて、今日立てていた計画がおじゃんになってしまった事、しかも一番デリケートなはずの裕美自身に優しく声を掛けれた事、それら二つの要因によってなのか、自分でも妙に思う程に不思議とオドオドとしてしまったが、それでも動揺を悟られまいと平静を装いつつ、しかし、やはり少し何だか決まり悪げな表情を浮かべてしまいながら返した。
「え、えぇ…まぁね。…あ」
とここで不意に、この気まずさを打開出来そうな考えが浮かんだので、それを実行してみる事にした。
「そうそう、今年もまた瓶詰めの飴だったのよー…。ふふ、ヒロったら、まるで成長がないんだからー…」
…よし、これでヒロが毎度の様に軽口を返してくれば、それでまた普段通りに戻るわね…。
と算段していたのだが、またもや予想が外れてしまった。
言いながら途中で意地悪げに薄目を流していたのだが、それを受けたヒロは「ははは…」と、棒読みというか、ただただ乾いた笑いを零すのみだった。
そんな予想外の返しをされて、またどう場を収めようかと考えてたその時、「ふーん…」と声を漏らす者がいた。千華だった。
パッと顔を向けると、千華はテーブルに肘をつき、瓶に目を落としつつ、声のトーンも今日イチの落ち着き具合で口を開いた。
「…今年だけじゃないんだ?」
と視線を合わせずにボソッと言ったので、聞かれてるのか判断が難しかったが、それでも取り敢えず「え、えぇ、まぁ…ね」と答えた。
「ふーん、そうなんだねぇ」
と、私の返答に幾分声を明るく応えてくれたが、今度は視線をただジッとヒロに向けるのだった。
「…飴を毎年ね?」
「…お前らなぁ」
と、ここでやっとというか、ヒロはウンザリげな苦笑交じりの、普段の調子を取り戻したかに見える態度で返した。
「お前らの考えてる様な、そのー…アレだぞ?別に関係が、そのー…無いんだからな?」
と結局はまだ本調子では無いらしく、結局はハッキリしない様子だったが、それを受けた千華も、「そーおー?本当にー?」と、如何にも納得いっていない様子で不満を露わに返していた。
だが、それは冗談交じりのもので、その顔にはまだ悪戯っぽい笑みが戻り始めていた。
そんな中、
…何で私の貰った瓶を見て、こんな急に変な空気になってるんだろ…?包装紙が無い…のは関係…ないよねぇ…
と私は他人事の様に、懲りずにまた馬鹿げた考えを巡らせていたその時、この流れの間中、黙って何の反応を示して来なかった翔悟が、クスッと一度笑いを零すと、「…ふふ、昌弘ー」と声を掛けた。
「飴とは…直球だなぁ」
「え?」
と私が思わず声を漏らし、その本意を聞こうとしたその時、「おいおいおいおい」とヒロが強引に割って入ってきた。
「お前もしつこい奴だなぁ…違うっつうの」
とこちらに視線をチラチラと向けてきながら言った後、ヒロはふと大きく溜息をついた。
…見て来られつつ大きく溜息を吐かれるというのは、当然ながら良い気持ちがしない…いや寧ろ嫌な気がするもので、実際私もそうだったのだが、それも良くあるヒロの態度の一つだったので、それ自体はスルーした。
これ以降も何度かこんなやり取りがあったのは間違いないが、これ以上の進展は見られなかったので省略させて頂く。
私はそもそも何でこんな微妙な空気になったのか、当時もそれ以降も、前に話した通り、これまでの会話の中身について調べなかったというのもあって、分からず仕舞いだったのだが、私以外の他の皆同士で埒が明かないと考えたのか、おそらくはまた翔悟だろう、彼がきっかけを作って、バレンタイン、ホワイトデー関連の話は強引に終わり、それからは、帰るまでの残りの時間を、何事も無かったかのように雑談してワイワイ過ごした。
それ以前の妙な空気は仕方なく引きずっていた感は否めなかったが、それでも、それなりに裕美の大会話や、ヒロたちの野球部話で盛り上がったのだけは間違いなった。…良く覚えてないけど。
モールを出て、日が低くなったあまりに、建物自体によって生じた大きな影に包まれたエントランス付近で早々に、まず、この後電車でどこかに行くという翔悟と、互いに挨拶を交わして別れた。
すぐそこの駅中に向かう翔悟の後ろ姿を見送った後、結局今日自転車に乗って来たのは私だけだったというので、モールの正面口に裕美とヒロと千華に待って貰って、私は一人自転車を取りに行った。
と、ここでふと何気なくチラッと後ろを振り返ったのだが、何やら三人で会話をしているのが見えた。当然ながら私の位置からは、内容を窺い知ることは叶わなかった。
それはさておき、自転車を手押しで戻ってくると、会話も終わっていたが、特に気になっていなかった私は、何を話していたのか聞くようなことはせずに、自然な流れで、まずヒロの家の前で二人と別れた。千華がヒロの所に少し寄ると言うのだ。
モールからヒロまでの徒歩五分も無い中で、やっぱりどうしても当日にお返しが欲しいと千華に強請られたヒロは、嫌々そうにしつつも承諾したのだった。
その千華の提案を側で聞いて、裕美が何か反応するかと思っていたが、予想に反して、ヒロと千華に何かしらの冗談を飛ばしていたくらいだった。和かなものだった。
そんな三人から若干の違和感を一瞬覚えつつも、ただの思い過ごしだと、私にしては珍しく素直に、簡単に拭い捨て去ってしまった。
ヒロたちと別れた後は裕美と二人、私は自転車を手で押しながら、先程まで微かに残っていた妙な空気もすっかり消え失せた中、いつもと何も変わらない調子で楽しくお喋りしながら、街灯の少ない、薄暗い帰り道を行くのだった。
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