人間マン

梅星 如雨露

第1話 ある概説。

最近めきめきと温かさをます三月中旬。桜がフライング気味に咲き、散っていって久しい。禿げ上がった枝木は、つぼみを芽生えさせる前に退化した姿としてみすぼらしくも、健気にいきている。

温かくなってくると花粉がヤバイ。それはもうヤバイのである。低気圧を押し上げて前線を北上してくる花粉前線は圧倒的とも言える被害を人体に振り撒く。花咲か爺さんもかくやという勢いで花粉は日本列島を覆い尽くして、人々を苛み、皆瞳に涙を浮かべるのである。

とはいえ、これは花粉がヤバイことを警鐘する事を目的にした書き物ではない。無論、理解ある読者諸氏は花粉がどれほどヤバイのかなど重々承知しているはずである。私がわざわざ限られた紙幅を費やして花粉注意報を発令する必要などないと心得ている。

では、なにを旨とした話なのか……。

それは、人の業とでもいうべき恥ずべき実体を赤裸々に告白することである。


温かくなる。それは言祝ぐべきありがたいことでもある。寒いのは正直つらい。皆同じことを考えているに違いない。寒さは人を引きこもらせ精神を患わせる要因であると言っても過言ではない。かくいう私がその代表格とでも言える代物である。

冬は日照時間が少なく副交感神経に幸福物質が不足しがちだ。人体は日の光を浴びないと脳内麻薬を分泌できなくなり、鬱鬱とした症状を発症してしまうのである。脳内麻薬は最高である。超絶興奮状態を保つ秘訣の一つとして是非とも脳内麻薬分泌法を身につける術を教えて差し上げたい。しかしながら、紙幅は限られている。この場は絶頂麻薬分泌の方法を伝授する場としては少々、余白が足りない。よって、あきらめて貰いたい。申し訳ない。

閑話休題

はてさて、人は温かくなると基本的に阿呆になる。平たく言えば馬鹿になる。馬鹿という表現が気に食わないようであれば。狂う。それはもう……キチガイの如く人は、温かさと供に狂うのである。

だから、温かくなると言うことは言祝ぐべきことでありながら、人間にとっては呪詛とした働きを催すのである。

これは大変皮肉なことである。寒ければ鬱を発症し、温かくなれば阿呆になる。まったく……人間なんて滅びちまい!!

私の手ですら、こうして文字をタイピングする合間で狂って阿呆な真似をしでかすのである。

温かさと人の理性は反比例の関係である。

暑さと供に人は人であることをやめてしまう。つまり、より動物本来の獣性を孕んだ歪な逸脱者としてその辺を徘徊する白痴的行動を厭わない哀れな生物に成り下がるのである。

まったくもって呆れ果てて私は阿呆になってしまうのである(これは温かさとは関係のないことだ)

さて、ではどのように人は温かさと供に白痴化するのか、少しばかり例を挙げてみよう。

最もポピュラーかつ顕著な例は、人は温かさと供に服を着なくなるのです。

着なくなる、というと全裸をご想像されることだろうと思いますが、流石にそれは危ない。法治国家日本においてそれは些かうかつを過ぎると言えます。

しかし、人々は温かさと供に服を脱ぎたがる。脱ぐ、というか最初から着ようとしません。もう何の迷いもなく外に出ます。生まれたままの、潔白な身体で(まあ、この時点で身の潔白は証明できません。まさしく、身を以ってしてわいせつ物ちんれつ罪を現出させているのですから)

ただし、白痴にも度合いと言うものがあり、それは先述の通り温かさに反比例します。はい、そうです。理性です。

温かさレベル1

この程度ならせいぜいが上半身の露出程度と言えます。男性はその貧相な胸板を誇示するかのごとく醜くも縮れた胸毛を惜し気もなく辺り聴衆に訴えかけます。

縮れていて何が悪い!!

汚くあることかと思いますが、どうかその辺りは理性の欠陥。白痴的忘我状態であることをお忘れなきようどうか生暖かく見守ってあげてください。彼らはそうやって父権的自尊心を保てているのですから。

とはいえ、見守るも何もこの温かさは皆に平等に降りかかる天災です。私だって貴方だって例外ではないのです。

いい忘れていたことを一つ申し上げると、視線の生暖かさは逆に人を冷静に戻します。これが厄介なのです。平たく言えばその瞬間から彼は常識人として自らの奇行に苛まれ、結果、鬱になるのです。

ということは、寒かろうが熱かろうが気の持ちよう如何でどうとでもなるということの証左だと言えなくもありません。

では、対して女はどうなってしまうのか? この疑問は大変有意義な思考の命題だと言えますが、なかなかナイーブな問題であるともいえます。下手すると女性人権団体からの熱い歓待を受けかねないのです(この熱い歓待も人の白痴的忘我状態を助長します。面倒くさいですね)

熱は理性を反比例的に失わせます。

ここで面白いのが、男にとっての白痴状態が忘我であるとするならば、女にとっての白痴状態は羞恥心の欠如にあります。

つまり、女も服を脱ぎます。服脱ぎます。大切だからもう一度いいます。女だって服を脱ぐのです。

暑さに対して女性の胸は比例します。つまり、熱膨張するのです。普段は日の目を出ない小さな胸(大抵は日の目を見ることは無いでしょう。文字通り)

だから、温かさと供に患う白痴は女性にとって解放の時期と言っても過言ではありません。男と違って愚かではないのが女の常です。ゆえに、ブラジャーをはずすことまでは、この温かさレベル1ではありえません。熱膨張で膨らむ胸。実は、それは温かさが与えた脳へのご認識に過ぎません。ようするに、女とて例外はなく白痴的状態は白痴でしかなく阿呆になっているということなのです。

これによって誰が得をするか? 厳密に言うと得をする人などいないのです。温かさは人を愚かにします。そんな認識能力の低下を来たしている人間にどうして扇情的な女性の胸への憧憬が抱けると言うのですか! どうして、男性の失墜した父権的矜持を回復する事が叶いましょう。

ということが往々にしてレベル1の段階で起こりうる人間の阿呆な振る舞いの一例であります。

……あまり、ジェンダー的な問題が~。だとか、女性蔑視だ! と罵らないで頂きたい。温かさによる愚かさの表出は皆、男女問わずに平等だと思うのです。男性にだって男性的な権威ないし人権は主張してもいいはずなのです。

ただ性差のある限り男性が本質的に女性を超克する事は不可能なことなのかもしれませんが(伏せるほどのことでもなく、ヘビにそそのかされて知恵を得たイヴがアダムを共犯にした事実が男性が女性を克服する事の困難さをものがたっているではないですか)

さて、ヒートアップすると私のこの手も白痴的忘我状態へと入り込みなにを書き出すか解りません。そうなる前に次のステップを見て生きたいと思います。紙幅は限られていますからね。経済的に進めたいと思います。


{共通認識的なもの、つまり概念――規定範囲が決まっており、ある一定の意味を共有する事柄――からの記号的な部分の抽出したものを抽象的――概念に含まれている意味を限りなく細分化した物事――という。}


春の陽気がすぎて、訪れる温かさは少し運動すると汗をかくものとなります。それと供に人間に及ぼす白痴的認知能力の低下はさらにひどい物になっていきます。

温かさレベル2に移行していきます。

まずは男性から見ていきたいと思います。といっても、多くの知識ある読者ならばすでにその予想も立っているのではないかと思います。男性はレベル2の温かさに移行すると供にズボンを脱ぎます。スーツだろうとジーンズだろうとハーフパンツであろうとスウェットであろうと所構わず、温かさの状態が移行すると供にズボンを脱ぎます。かといって、白痴的忘我状態にありながらもプライドだけは立派なものです。決してパンツまでは脱ぎ捨てません。

さらけ出されたちんけな逸物のことを思えば当然の帰結ともいえます。日本人の男根精神は国際社会の波にもまれることによってみごとに、それはもうみっともなく粉微塵にすりつぶされてしまったのです。ゆえに、その粗末な逸物を誇示しようとする事はむしろ自殺行為にも等しいといえます。これは初期の温かさのときとはまるで違った態度であることが理解できると思います。上半身裸で以って貧相な胸板と縮れた胸毛だけが男にとっての、ひいては日本男児にとっての男性性を強く訴え(得る)るものだと彼ら白痴の住人は認識していました。しかし、この状態レベル2に到達する事によって、その認識が実に矮小で卑下するものとして変貌するのです。男性にとって父権の回復、女性性への男性的回帰、古き日本の父たる権力といったものはすでに形骸して久しいものなのです。つまり、この期に及んで初めて、日本の男達は自分たちの置かれている状況および認識の誤りを知ることになるのです。

これは温かさと人の理性が反比例の関係であることに由来するものだと、昨今の研究が明かしています。どういう事かというと、理性を失っていく過程で抑圧されていた劣等感が表出されると言われています。理性の喪失と供に白痴状態に陥る。そして、それは人間らしさという薄い仮面を実に脆く剥奪するものだと言えます。人間性の剥奪とは獣性の現出を意味します。人間は本来獣と同等、あるいはそれ以下の畜生だといっても過言ではありません。白痴的状態が慢性化することによって暴力でしか自分たちの存在性を表せない、証明できない。これは獣の中の獣であることの証左といえるでしょう。

温かさによる白痴化は確かに男性、また女性を含めて愚かしい様を擁するアイロニーに他ならないものだといえます。しかし、そこから見えてくるのは矮小化された人間を照らし出す真実の鏡だともいえます。文化人類学的見地から見たこの阿呆の状態は一種の哲学的超越であると言う声が出ているほどです。

要するに人類皆平等の精神の下、この愚考を受け入れることが今後の人類の進化のターニングポイントとなり得る、というのです。

まったく馬鹿馬鹿しい! まさに、熱に浮かされて自らの白痴をさらしめる頓珍漢な発言でしょう!!

続いて、温かさレベル2の女性の状態を見たいと思います。

冷静な状態、それは理性をまとった状態でこのような瞬間に立ち会えるのならば総ての男子は地位も名誉も金もうっちゃうに違いない! そういうには十分のことを女性はしでかします。もちろん、白痴的愚考に陥っているからには男性はそのような甘い汁をすすることは叶いません。ただし、この原稿を仕上げている過程でならその官能的悦楽に夢うつつの思いをはせる事ぐらいはできるでしょう。とはいえ、一作家の端くれとして、性的欲求を解消する行為に白痴的忘我にある女性に向けることはありません。ましてや白痴に訴えたりはしません。……しません!!

女性は熱を増した列島でズボンあるいはスカートを脱ぎます。脱ぎます。

――脱いでしまうのです!! ブラボー!!! ヒャッハー!!!!!

まあ、世の中そう甘くはありませんが……。結局のところ、暑さにやられて白痴状態に陥るのは男も同じなのです。外に出てしまえば皆同じ。どんなに扇情的な格好をしていたとしてもそれが男性的に(あるいは女性であっても)好ましいものとして目に映ることはありません。

ただし、ここで一つ疑問が生じるかと思います。その熱に、温かさにさらされない環境下で、白痴状態の人間模様を観察すればいいのではないか? まったくもって当然の疑問かと思います。しかしながら、この点は国の法律において徹底的にプライバシーの保護下にあります。そこは腐っても法治国家日本といえるでしょう。他国の情勢に関しては紙幅の関係上言及を差し控えますが、概ね、どの国も白痴現象の拡大に伴い同じような措置が取られています。

街頭に設置されていた監視カメラ等、市民が映りこむ装置、メディアによるカメラでの報道、一般人の映像補完装置の類の所持規制、果てはインターネットによる位置情報の取得やマッピングのための衛星の破棄、グローバル化による情報メディアの早急な縮小及び粛清。エトセトラエトセトラ。

この白痴化現象によって人間は、人類はグローバルな空間を喪失しかつ閉鎖的な情報規制の下生きざるを得ないものとなりました。

当初、メディアの喪失は多大な障害を様々発生させましたが、現状の日本においては概ね鎮静化されたといってよいと思います。もはや、人と人のインターな接触はなくなりつつあり、より閉鎖的、あるいは封建的な旧時代に逆行しようとしているのです。

その辺りの問題を取り上げていくと紙幅に限界がきてしまいますので割愛しますが、興味のある方は拙著による『人類皆兄弟――巨大すぎた情報社会の終焉――』を参照されたいと思います。

話は戻ります。

女性がレベル2の温かさで上下ともに衣服を脱ぎ捨てる。これは上述したとおり扇情的な側面を煽らないのですが、それは顕在レベルではもたらさない、と改めて言わせていただきたい。

理性の統制下から脱却した女性性は如何にして自身の女としての魅力を潜在的に充足できるかと言うことを、精神的なレベルでの接続で達成しようと試みるようになったのです。

つまり、誰にどのように思われよう、とか、同性に対してのアドバンテージの取得、といった顕在的な環境での自身の女性性の充足を図ろうとはしないのです。これは見る見られるといった次元を超越したと言って差し支えないでしょう。女にとっていかなる肢体をさらすのか、どのような下着(よりエロティックに言うならば、ランジェリー)を身につけているのか、そういった条件を満たしていればこの白痴的忘我状態に陥ってもさして問題は発生しないのです。この点を挙げるだけでも前項の男性性の復権行為がいかに困難なものであるかがお解かりいただけると思います。

女は白痴的忘我状態で男を確実に超克し、完全なるアイデンティティを獲得するのです。もはや、白痴に陥っているからと言って女たちはなんら恥じらいを感じることはないのです。むしろ、環境下において内省的なエロティシズムを発揮する事が可能となり、性差の優劣は男性=女性と図式をも越えて、実存として女性オンリーな考え方を取り入れることに成功したのです。

繁殖行為においては今尚、男と言う存在は必須でありますが、それをコントロールするのも女性であり、実質的に見ても今日の日本国内での男性性は完全に敗北しています。女性はいのままに自我を統制し同姓間での共有的地位を確立、それに伴い、男性の不用性、男性からの独立を成したと言えます。

温かさと理性が反比例の関係のように、こうした女性の自我の喪失は生半可な性差による問題を克服する装置として、女性は自我に対して独立性が反比例的に増大するのです。

しかしながら、女性の優位性も温かさの段階が更に上がることによって変貌する事となります。


ついに、温かさは身動きをとらなくても汗をかくほどの不快感をもたらす領域に達します。真夏日。それは水分補給を十分に行わなければ命の危険すら脅かすことになります。しかし、こと、白痴化の一途をたどる人間にとってこの温かさは恥さらしな行為を助長させますが命の危険からは遠ざかります。理由はどうあれ、命だけはどうにかなってしまうのです。

ということで温かさレベル3に到達しました。

もはや、この領域に達すると国内の経済は停滞し総ての社会的国際的関係を打ち捨てるほかありません。

ほとんどの温かさにやられてしまった人間は白痴的認識能力の低下、および微々たる自己承認の欲求の虜と化します。それはこれまでに述べてきたレベル1、2の段階でも顕著なものとして顕れていたと思います。

このレベル3という温かさは社会的営みを一時的に停止させます。どちらにしろ人がいなくては経済は停滞するしかないのです。

レベル3による人的被害は見るに耐えない汚物として一部の地下市場(闇市のような非合法な場)でのみその映像が取り引きされることがあり昨今、問題になっているのですが、それを語るには(やはり!!)紙幅に限りがありますので割愛するしかありません。

それほどまでにこの領域に達した人間の表現力は明らかな白痴を呈するのです。まだしも地獄を覗くほうがマシに感じられるぐらいには……。

若干脅すような言い方になってしまいましたが、そう気負う必要もありません。なんといっても、どうせこのレベルに到達する頃には貴方もすでに白痴的認知低下を来たして阿呆の仲間入りを果たしているのですから。

では、それがどのようなものなのかを見て、語りたいと思います。

貴方がこの温かさのなかで男性であったなら、それはパンツを解き放ちます。すべて、脱ぎ捨てるのです。いかに矮小な珍物を引っさげてるとは言え、この期に及んで彼らの自尊心など形骸し、もはや何も恐れることがなくなるのです。

白痴的忘我状態の極致として理性を完全に剥ぎ取られた男性という性は、本来ある形での男性性の回復を取り戻すことはありません。しかしながら、この領域に達した者は等しく、どういつの価値観を新たに造形するのです。

この場では、それを『野生的白痴状態への回帰』と呼ぶことにしたいと思います。

つまり、人間性の失せた男性は人類と言う楔から解き放たれ獣性によって駆動する原始への退行によって、自然的価値観の充足を果たすことに成功します。

これは一部の論評などではネオ・アナーキズム、ポスト・ヒッピー族などといった反政府的イデオロギーという文脈を背景に語られることがあります。

彼ら自然に帰属した野生的白痴人はあらゆる束縛から解放されると言われています。熱にうかされることもなく(皮肉にも温かさの上昇とともに熱に対する耐性が芽生える。ゆえに、炎天下のなかでも易々と生存してみせるのです)男性としての権力を欲さず、女性という対になる存在へのルサンチマンの解消、などあらゆる面において解放されます。

解脱と言っても過言ではない彼らはそのようにして自我を超克し、新たなる生を白痴下で謳歌するのです。

その様は、屹立する逸物を塔のように誇張するために、皆一様に全裸でブリッヂを組みます。

そして、あらゆる活動を停止し温かさの成すがままの状態へと移行します。何かを内省することもなく、注がれる視線に恐れることなく、個という己を自然の一部として大地に還元する。

あるものは、その様をゆるやかなる幼子という意味でイノセンスチルドレンと呼び崇め敬い尊ぶのです。

それが、誰であるのかは明白。レベル3の影響下にいる白痴化した女性にほかなりません。

温かさレベル3の女性は、貴方が女性であるとするならば、これもまた同じことの繰り返しになるのですが、あらゆる衣類を破り捨てます。

それは、怒りによる衝動からブラジャーとパンティーを破り去るのです。

白痴的忘我状態は温かさによってに怒りを呼び覚まします。これはある種のアレルギー反応とも言える行為だと言えます。

独自による自我の超越を可能にした温かさレベル2の終わりは彼女ら女性性に耐え難い脱力感喪失感倦怠感をもたらすことになります。悟りを迎えることはある種のノスタルジーを引き起こすのです。これは逆説的な面を否めないかと思います。

なぜ、悟りを啓いたというのにこのような感情(厳密には形而上的な概念なのですが、ここでは感情と言い換えて言及したいと思います)に苛まれるのか?

それがアレルギー反応だからです。

妙な言い方になりますが、あくまで意識の下層域での葛藤であり、白痴的認知能力低下状態での女性には無自覚の反応です。そういった意味でもこれが感情であるという確証は得られていません。そもそも、この状況にまで達すると等しく温かさの影響下に置かれ精神を侵害されます。故に、このレベルでの精神分析はある一定層から得られる情報のみに頼るほかありません。この一定層については後ほど言及したいと思います。

女性はこのレベルではっきりと自己の消失感を嫌でもしらしめられることとなります。

疼きといった感覚なのでしょう。理性を剥奪され野生化し、本来の人間性からより獣性化することによって、女性本来の母性が呼び覚まされるのです。それがアレルギー反応のように顕在化する。すなわち、獣に成り下がることによって本能が勝り、異性である男性から子を授かり繁栄することを思い出すのです。それは女性である以前に己が一匹の雌でしかないことを強く無意識レベルで強いる結果になります。

しかしながら、この野生的白痴欲求は承認されることがありません。男性は解脱の領域により強硬なブリッヂを組み白痴的忘我領域の最深部に潜ります。女性という異性を意識する必要のないこの潜在化は、女性=白痴的忘我による獣性に対して女性に決定的な敗北感を植えつけます。下位のレベルで蔑ろにしてきた男性にこのような形で女性性の敗北を余儀なくされるのは皮肉なことだと感じます。

強固でいて強硬に組まれたブリッヂの上では猛々しく雄雄しくそそり立つ逸物が天を突かんばかりに怒張しているというのに、女性にはそれを手に入れる手段がないのです。白痴化にある女性がこの領域の男性を目にするとあまりの神々しさと眩しさに目を瞑らざるを得ない、すなわち、これにより男性の父権男性性が回復し、女性は自覚する事となります。自らに必要なのは男性でありその勇壮なる遺伝子を本能的に求めていた、という自覚をこの領域ではっきりと呼び覚まされ野生的白痴状態からの脱却を図ることになります。

そして、満足のいかない承認欲求を埋めるためにニヒリズム的な同性愛行為に陥ります。

このようにして、温かさレベル3では人間の営みはほぼ機能を失います。

男性の解脱と女性の女性性の再帰行為、これを統括し管理する事はほぼほぼ不可能であり、政府は、国家としての威厳を保てない、いかに脆弱なシステムであるかというアイロニーに陥るのです。

温かさレベル3の状況は排他的イデオロギーの中で個人の主張を極限まで高めることになんら躊躇いを持ちえません。ある種のカウンターカルチャーとしてこの状況は国家を脅かし民主主義は崩壊するのです。

この辺りの論述は非常に膨大な量の資料と照らし合わせ詳細に記述しなくてはなりませんので本稿では取り上げませんが、白痴によるアイロニーがマルクスの論じた理想国家の真実の姿を映すことになったのは新社会体制の萌芽とも呼べます。

さて、この限界状況の温かさレベル3を語れるのには理由があります。それがある一定層の存在です。


レベル3の温かさでのこのような人間状況を語ることを可能にしているのは、ある一定層の人々の生活の犠牲があるからといえます。

本来、このような災害レベルの白痴化現象に対しての観測行為は不可能と言えます。見たものを否応なく発狂させ、その醜態ぶりにわが身も白痴化する事で精神の均衡を保とうとする防衛本能が働くからです。これを記す私とて例外ではありません。こうした環境下を語るにあたってはフィールドワークによる情報収集が不可能とされるのですが、白痴化については伝聞や保管されている数少ない資料を当たるしかないのです。

さてでは、その情報を管理することが可能な階級とはなんなのか?

それは非労働所得者層、いわゆるブルジョワジーといった階級の人間です。非労働所得者層の人々は温かさレベル3の状況を可能な範囲内で社会を管理するのです。

彼ら上位階級の人々は温かさによる白痴化災害の初期の段階から避難している存在です。

温かさを防ぐための設備を有しており、白痴化した人間を直視しないようにシェルターを所有している場合が最も多いとされています。

彼ら上流社会の人間にとって白痴化とは忌むべき行いであり、強者のプライドにおいて成ってはならない状態であると考えられています。彼らには特権的管理者権限が国家から与えられており、毎年起こるこの温かさによる白痴化現象への一定の管理を行わなくてはいけない義務があります。その条件と引き換えに高額なシェルターを建造する事を国に認められ、白痴的忘我状態を引き起こさずに済む環境を有することを許されているのです。

これは国家レベルの超法規的措置と看做されており、一部の労働階級にある人々からの批判を浴びることになります。しかしながら、どのみち凄惨な状況下をある程度コントロールする役職は必要になります。平常心を取り戻した白痴化した人々が安定した生活環境に戻るためにはこういった上位階級の管理が必要になるのです。こういった状況を鑑みて今現状においては、人権を侵害する行為である、といった非難こそ上がるものの大きな民衆運動にまでは拡大していません。とはいえ、いずれはそういった二次災害にも似た人権運動が起こりうるリスクは常に孕んでいると言えます。

さて、この非労働所得者層の管理によって私はこの論評を書き進めることが出来ましたが、実のところ、この管理体制による情報は正確なものとはいえません。というのも、そもそも彼ら非労働所得者たちが自分たちの白痴化を防ぐために頂いた位に過ぎず、実情は恐怖による引きこもり状態となんら変わらない心理状態にあるからです。

外の状況は目にしただけで彼ら高所得者による管理人たちをいとも容易く発狂させます。

段階的に白痴化を経験していない彼らはいきなり最終段階を目の当たりにする精神力が養われておりません。その白痴化した人々の営みを目撃すると発狂してその後は精神に深い傷を負うことになります。

ゆえにこの管理体制を執り行う人間には相当危険なリスクが伴うのです。これにはその他様々な危険な障害が付きまとうのですが紙幅の関係上これに関する言及は差し控えたいと思います。

彼らが得た情報は言ってしまえば状況証拠に過ぎず、チェックのすんだ価値ある情報とはいえません。しかしながら、たまたま、外の様子を覗き見てしまい発狂する事となってしまった、けっして少なくは無い管理人たちの取り止めのない証言は今ある温かさレベル3の中での数少ない情報として評価してよいと思われます。

どちらの側につくにしろ、この期間国家は成り立つことが適わず。また、人々にとってもある側面では心的後遺症を残す忌まわしいものだと言う認識と、享楽的にこの白痴化現象に身をやつしてしまう人々にと、二分します。

果たしてどちらの側につくのが私たち人間にとってこの先、未来の民主主義国家は成り立つのか、これからの研究が大変重要になってくると思います。


なお、この温かさレベル3の上には温かさ限界突破という領域があるのですが、その領域に達してしまうと、あまねく人々の意識を白痴化してしまうのでここに記すことは不可能です。それは言語化や文字に起こしても同じことが言えます。

よって、その次元を知りたいようであるのならば身を以って経験していただくほかありません。

そのときの、肉体面精神面に関する保障は一切いたしかねます。


この明日なき日常がいつの日にか無垢なる白痴に包まれるのも時間の問題ではないでしょうか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る