最終話 ん?今なんて言ったんだ?
ときどき町で会うくらいの仲で、でも会ったら楽しい少女。
変な喋り方だけど、可愛い顔だなと思ってはいた。
自分のやりたいことに一途で、ときどきやりたい放題が過ぎることもあるけど、振り回されていて嫌じゃない。
まあ年下で、異性で、そもそも相手の電話番号すら知らなくて……それでも、友達だと思っていた。
だから、まさか――
「拙者、アキラ殿のことが、好きでござる」
――そんなことを突然言われるとは、アキラにとって予想外だった。
(お、落ち着け俺。人生で初めて女の子から告白されて、何かよく解らなくなっているけど、ひとまず落ち着け)
心の中で自分に言い聞かせる。身体が言うことを聞かないのは、レースの疲れが残っているせいではなさそうだ。なんなら、そのレースで転ぶ瞬間よりも心臓が強く鳴り響く。
何と答えたらいいのか――は、決まっている。ただ、それをどう伝えるべきか分からない。
伝え方を間違えたら、友達にも戻れなくなりそうで――
都合のいい男だと思われるかもしれないが、友達としてなら一緒にいたくて――
だから、
(ここは、ラブコメの王道。伝家の宝刀を抜かせてもらおう)
金縛りを振りほどくようにして手を動かし、頭の後ろを掻いたアキラは、精いっぱいの演技で言う。
「ん?今なんて言ったんだ?」
「だから、アキラ殿が好きだと言ったのでござるよ」
(……やっべぇ。言い直された)
稚拙としか言いようがないアキラの作戦は、これ以上なくあっさりと打ち破られた。
「うーむ?拙者の呂律が回ってないでござるか?……アキラ殿、好きでござる。アキラ殿が好き。アキラ殿のこと、ずっと好きでした。でござる?」
連発された。
「あ、そうか。コホン――アキラ殿。拙者と付き合ってほしいでござる。えっと、拙者の恋人になってほしいでござる」
より具体的な要求になった。
「アキラ殿は、拙者では不満でござるか?」
さらに答えにくい内容になった。
「あー、いや。そのー」
「むー」
「う……」
そそそ……と後ろに下がるアキラと、ずずいっとすり足で接近するユイ。その距離は少しずつ詰まってくる。さすが、こんな時でもアキラより速い。
「……ごめん」
小さくアキラが言ったのを、ユイは確かに聞いた。
「……そうでござるか」
くるりと右に一回転しながら、アキラから離れる。ついでにもう半回転して後ろを向くと、
「うーむ……ここは、先ほどアキラ殿に言われたように、『え?今なんて言ったのでござるか?』とでも申せばよいか?」
「それに関してもゴメン。もう聞こえない振りとかしないから」
「やっぱり聞こえてたのではござらぬかっ!何度も言い直した拙者が道化みたいでござろう!」
アキラを指さして……いや、もうアキラの胸に指を突き立てて怒るユイ。そんな彼女にどんな顔を見せたらいいのか分からないアキラは、うつむこうとして、やっぱりやめた。身長差の都合でむしろ目を合わせることになってしまう。
「……理由、聞かせてもらってよいでござるか?た、例えば、拙者とかござるとか、この話し方が嫌いだって言うなら、すぐに改めるでござ……あ、な、直すよ」
「いや、そういうわけじゃないって。それキャラ立ってていいじゃないか。でも、そうじゃなくて」
「ふむ。……なるほど。ルリ姉が好きだから、でござるか」
「ああ、そうなんだよ……いや何も言ってないからな!?」
「うむうむ。拙者も適当に言っただけでござったが、当たったか」
「う……」
目を逸らす先が他に無かったアキラは、空を見上げるしかない。そんな彼を、ユイはまっすぐに見上げていた。
(うーむ。ルリ姉なら、仕方ないでござるかな)
アキラと初めて会った時の事を、ユイは妙にしっかりと覚えている。最初は、なんてことも無いクロスバイク初心者だなと思った。ペダリングの癖やギアの使い方から、そのくらいは分かる。
普段なら、声もかけなかっただろう。ユイだって誰に対しても煽り運転をしているわけじゃない。
それこそ、隣にルリがいなければ、気にもかけなかった。なのに、あの日はルリが珍しく、同年代の男といた。それが気になった切っ掛けだったのだ。
「拙者もルリ姉が好きでござるよ」
「え?……ええっ!?」
「いや、待て。待つのでござる。お主に先ほど言った『好き』と、この『好き』は別物でござるからな。その……一人っ子の拙者にとって、ルリ姉は本当にお姉ちゃんみたいだと、そう思っていたのでござる」
「あ、そういう」
「うむ。まさかそっち方面でとんでもない誤解を生むとは拙者も思わんかった。……しかし、これもこれで恥ずかしいから、ルリ姉には内緒でござるよ?」
やっと、アキラと目が合った。その目をまっすぐに見つめたユイは、にやりと笑って悪戯っぽく言うのであった。
「拙者にとって、二人とも好きでござるからな。なのでそういう理由なら、拙者は満足でござるよ」
「……」
「な、何でござるか。拙者の顔に、何かついているでござるか?」
あまりにもアキラが変な表情でユイを見るので、ユイも気になって自分の顔を触る。
べちょっ。
「……ふむ。本当に何かついているとは予想外でござる」
「おい待て。何で当然のように俺のシャツで鼻をかもうとしてんだユイ。おい、待て。離れろぉお」
そのあとの事は、あまりにもあわただしかった。
電車の時間を調べたルリが、終電が迫っていることに気づき、アキラたちは即時撤収。本来ならゆっくり説明してもらうつもりだった輪行(自転車をバッグに入れて持ち歩く方法)も、ルリが解説無しでやった。大急ぎだ。
帰りの電車の中では少し話をする時間もあったが、大したことを話したわけではない。アキラに至っては、ユイとあんなことを話した後で、ルリの事をいつも以上に意識してしまったこともある。
かくして、あっという間に帰ってきた後、アキラは今日あったことをいくつも思い出してはもんもんとし、次の日の講義は欠席した。寝不足と筋肉痛で。
その長い時間の中で、アキラは勝手に何かしらの結論を出す。こういう時、一人でいろいろ考えると、ろくなことにならないのだが――
日も暮れるころ、一つの決断を下したアキラは、痛みも引いてきた脚でペダルを漕ぎだした。目指すはいつもの自転車店だ。
「あ、いたいた。ルリ」
「ああ、アキラ様。いらっしゃいませ」
いつものように、整備用エプロンとスラックスでピシッと決めたルリ。
「本日は、どうなさいました?」
相変わらず営業スマイルの一つも見せない彼女に、アキラは一冊の雑誌を見せた。自転車の専門誌だ。大きくドッグイヤーが付いたページの見出しは、
『大注目(!?)の一大イベント!チャリンコマンズ・チャンピオンシップ。開幕まで二か月!』
「これ、俺でも出場できるかな?」
「これは……ああ、先日、タダカツさんが言っていた大会ですね。まあ出場に何か特別な資格や実績が必要なわけでもないようですし、大丈夫だと思いますよ」
ルリはその大会の出場方法の欄を見る。まさかの当日エントリーで、抽選会も無し。定員も記載されていないまま、というのは驚きだ。通常は近くのショップに紹介してもらって出場表明し、希望者が定員を超えれば抽選になるものである。
「……アキラ様も、出場するのですか?」
「ん、ああ。そうしようと思ってる。なんか、こないだのタダカツさんとの勝負とか、ルリが出てたレースの動画とか、そういうの見てたら『俺も』って思えてきてさ」
とはいえ、過酷なレースになるらしい。開催期間は21日間。そしてコースは日本列島縦断。その間に休憩時間などを自由にとって良いという、グランツールより長いレースだ。世界で一番かもしれない。
(まあ、今のアキラ様なら、意外と良いところまで行くかもしれませんね)
と、それなりにアマチュアレースを経験しているルリでさえそう思う。アキラには、そう感じさせるほどの才覚があった。
「で、さ」
「はい?」
「完走したら、伝えたいことがあるんだ」
非常に、不器用なものだと思う。
アキラが完走したら伝えたいこととは、他でもない。ルリへの告白だった。
(好きだ。付き合ってくれ。――って、そんな事を言う前に、ルリに見合うような男になりたい)
だなんて、ちっぽけなプライドと、少しでも勝率を上げたい気持ちがアキラの中にある。それに、
(昨日ふっちゃったユイにも、胸を張って報告できるような結果にしたいし、な)
とも、思う。
いま適当にルリに告白して、それでフラれたら立ち直れないというものだ。でも、日本縦断レースの完走だなんて……そこまでやった結果なら、フラれても諦めがつく。もちろん、オーケーを狙うのが第一目標だが。
(待ってろよ、ルリ。俺は、きっとやって見せる)
一応、これでもアキラが考えに考えた結果なのだ。別にルリはそんなことを恋人の基準にしていないと思うのだが、それに気づくのはもう少し頭が冷えたころである。
「――分かりました。私の方でサポートできることがあれば、全力で相談に乗りましょう」
「おお、本当か」
「はい。私としましては、アキラ様がそこまで自転車を好きになってくれたこと、嬉しく思いますよ。――それはそれとして」
「ん?」
「アキラ様――」
ルリも実は、アキラに伝えたいことがあった。それは、昨日の一幕を見てしまったから。
声もかけられず、出る幕も見つからないまま、それでも立ち聞きしてしまった。ユイとアキラのあの話を――
だから、
「アキラ様。ずっと、あなたの事が好きでした。付き合ってください」
「いや、それ俺が完走した後にいうヤツ!!」
「え?……あ、さっき言ってた『完走したら伝えたいこと』って、それだったんですか?」
「そうだよ。かっこよく決めようと思ったとっておきのシチュエーションだったのに!」
台無しである。
「あ、アキラ様。元気を出してください。えっと、今のは無かったことにして、レースが終わったときに、続きは聞かせてもらえますか?ゴール地点で」
「ああ、構わないけど、ゴール地点にルリも来るのか?」
「はい。……いえ、アキラ様に同行します」
「え?」
「私も、アキラ様の走りを、もっと近くでずっと見ていたいですから。……なので、レースに同行させてください。そして、私をゴールに連れて行ってください」
いつものように大真面目な顔で、そんな事を言うのである。ルリも一緒に出場って、それもまたアキラの予定とだいぶ違うのだが、
「迷惑、ですか?」
「とんでもない。むしろ、願ってもない嬉しさだぜ」
こうなれば、楽しんだもの勝ちだろう。
「よろしく頼むぜ。ルリ」
「はい。アキラ様」
二人で見つめ合い、なぜかお互いに意識して目を逸らす。
思えば、自分たちの関係も奇妙なものだ。最初は店員と客で、同じ大学に通ってるだけで接点もろくになかった。それが自転車を通じて、こんな気持ちになるなんて。
チラッとルリに視線を戻せば、彼女も同じようにこちらを見ている。平然としている演技も、いつもよりは下手だ。
自転車に乗っていれば頼りになる彼女も、今は消えてしまうんじゃないかと思うほど不安そうに視線をさまよわせている。そんなルリの肩に、そっと手を置いた。しっかり触れられる。当たり前のことではあるけど、なぜかそれが安心する。
「アキラ様……」
ルリも、嫌がらなかった。そっと引き寄せられるまま、ふらっと距離を詰める。このまま抱きしめられてもいい。全てをまかせてしまいたい。
「ルリ……」
「コホン、コホン」
店長の咳払いで、二人はパッと後ろに飛び退った。
「あのね。ルリちゃん。別にお客様とどういう関係になってもルリちゃんの勝手だけど、ここは店内だからね。あとアキラ君も、お客様でも困るからね」
「ち、違います。アキラ様はまだレースに出ていないので、そういう関係ではありません」
「そうです。俺たちゴールするまでそういうのじゃありません」
「何を言っているのかなキミたち?」
困惑する店長に、ルリが雑誌を見せる。さきほどアキラが持ってきた専門誌だ。
「店長。これに出場するので、来年の1月は休暇を頂きます」
「いや、そんなこと言われても……って、21日も休むの!?」
「はい」
店長は、ルリに手を振って拒否した。
「ダメだよ。店が回らなくなるじゃない」
「大学生バイトが一人くらいいなくなっても、お店は回ると思いますが?」
「そんじょそこらのバイトとルリちゃんの仕事ぶりがまるで違うんだよ!いや、それに依存する形になってしまったぼくも悪いと思っているけどね。残念だけど、代わりになるような優秀なスタッフでもいない限りダメ」
「そんな……」
と、店長に食い下がろうとしたのはアキラの方だった。何とかして店長を説得しないと、せっかく楽しくなってきた話が消えてしまう。
「んー……」
ルリは、目を閉じて何かを考えていた。
「ルリ。お前からも何か言ってやってくれよ」
「……店長。つまり私の代わりが務まる人を紹介すれば、休んでも辞めても構わないのですね」
「え?うん、まあそうだけど……いるの?」
「います」
自信ありげにルリが頷いたときに、店の自動ドアが開いた。
「ルリ姉ー。いるでござ――わっぷ!?」
「こいつです」
入店して一歩目でルリに絡め捕られ、哀れにも生贄として店長に差し出された少女。誰あろうユイであった。
「な、何でござるか?」
「ユイ。貴女お小遣いが欲しいと言っていましたね。ちょうどここに良い稼ぎになるブラックバイトがありますよ」
「ブラックってルリ姉が言うのでござるか!?」
「おお、いいね。ユイちゃんなら腕前も見せてもらっているよ。採用!」
「店長も勝手に話を進めないでほしいでござるっ。せめて進めるにしても『ブラックバイト』の部分を訂正してから進めてほしいでござる」
じたばたとするユイを抑え込むルリと、そこに契約書類(最低賃金)を持ってきてサインさせようとする店長。
(この店、大丈夫なのかな?)
アキラはそれを見て、ユイを助けようか一瞬迷ってから、見捨てることにした。まあ、きっと悪いようにはされないだろうと信じたい。
「じゃあ、サインも貰ったし、給料は銀行振り込みだから、明日出勤するときに通帳持ってきてね」
「では、今日からユイが研修生として入ります。そして私は退職します。お世話になりました」
「な、何が起きてるでござるか?」
「すまんなユイ。俺たちのために犠牲になってくれ」
ルリのバイトも終わり、ようやく店を出ると、アキラが待っていた。
「よう。どうだった?」
「やはり、年末まではバイトだそうです。辞表はこれから提出して、今年の12月30日付で退職します」
正直、退職まですることはないだろうと思っていたが、ルリ的には少し長い休みも欲しかったようだ。なので休暇ではなく、無期限で休める退職を選んだらしい。そのうち戻ると言っていたが。
「あと2か月で退職か……あ、そう言えば、学費とかバイト代から出してたんじゃなかったっけ?その……大丈夫なのか?」
大丈夫じゃないと言われても、アキラには出来ることが少ないが、それでも気になる。
「ご心配いりませんよ。私も少しばかり貯蓄はありますし、両親も話せばわかってくれると思います。わりと理解のある親なので……」
「そっか」
アキラはとりあえず、金銭面での不安が解消されたことに安心した。
「……なので、アキラ様が結婚のご挨拶に来るときも、きっとうちの両親は即オーケーを出してくださるかと」
「ぶほっ!?」
とんでもない話題に切り替わってしまった。
「冗談です」
「ルリ。冗談なら冗談らしく言ってくれ」
「……そうですね。善処します」
ルリがアイローネに跨った。そのままブレーキレバーを握って、前後に数回揺らす。足回りに不備が無いかの確認だ。
「それでは、詳しい話はまた後日。いつものようにメールで」
「あ、待ってくれ」
「?」
アキラに呼び止められたルリは、ペダルから脚を下ろさないまま止まる。スタンディングスティルと言われるテクニックだった。普段は頭一つ分ほどの身長差があるルリだが、こうして止まると同じくらいの目線になる。
さて、呼び止めたアキラはと言えば……
(やべっ。なんとなく呼び止めたけど、別に用事なんか無かった)
……これである。
まだ恋人になったわけじゃないという建前と、実質もう恋人みたいなもんだろと言われかねない告白合戦と……何よりそういうの抜きにしてでも一緒にいたい気持ちとが先行して、なんだかよく分からないのに呼んでしまった。
「どうしました?」
「ああ、いやえっと。……そう。腹減ってないか?ちょっと脚を伸ばした先に、美味いラーメン屋が出来たんだよ。深夜でもやってるんだけどさ」
我ながら、もう少し何か気の利いた事を言えなかったものか、とアキラは反省する。が、
「いいですね。私も行ってみたいです」
意外なことに、返事はパッと帰って来た。
「あ、ああ。それじゃあ、行こうぜ。今日はおごるぞー」
アキラもようやく、ローマに跨る。今日はアキラが道案内役だ。前を走る必要があるだろう。
「アキラ様」
「ん?」
呼ばれて振り返ってみると、暗い中でもルリの顔が見えた。
(……)
街灯の明かりの関係だろうか。少し……笑っているように見えた。彼女の頬が緩むところなど、そう言えばいつ見ただろうか。
「これからも、一緒に走りましょう。大会へ向けての練習も、レース自体も……そして、レースが終わった後も。
アキラ様になら、どこまでも私はついていきます」
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