第13話 ヘルメットって割れるのか?
ルリはいつも、ヘルメットをかぶって学校に来ている。キャンバスでは女子大生らしい格好をしているルリに、そのヘルメットは似合っていなかった。
遠目から見ると変身ヒーローのようなシルエット。額まで覆い隠すほど目深にかぶっているせいで、後頭部は露出している。後ろが三本に分かれて尖っているのは、おそらく空力抵抗を意識しているんだろう。
アキラだって男として、子供のころはヒーローに憧れたりもしていた。テレビの中の戦士はオートバイに乗って、独特なマスクとスーツを着こなす。その姿からすると……
「なんか中途半端なんだよな」
「何が、ですか?」
アキラがボソッと漏らした感想に、ルリが首をかしげる。
「いや、なんでもない」
アキラはそう言ってごまかした。アキラが思うに、オートバイではなく自転車で、普段着なのにヘルメットを着けて走るのはヒーローらしくない。
なにより、たかが自転車である。転ばなければ怪我もしないだろうし、それでヘルメットをつけるのは子供っぽいのだ。
しかも……
「これで4000円!?高くないか?」
「いえ。これが当店の一番安い商品ですね。もっと安価なものですと、お子様向けのサイズしかありませんが?」
それはバイク用と大差ない値段だ。つい最近まで自転車なんか1万円が相場だろうと考えていたアキラにとって、そのオプションに払うには高い。
「こちらなら、アウトレットかつ展示品という事で割引いたしますけど……どうされました?」
「いや、俺はとりあえずヘルメットはいらないかな。あ、また今度でどうだ?今は金もないし……」
と、適当に嘘を言って、そのダサいヘルメットの受け取りを拒否する。ママチャリ乗ってる中学生じゃあるまいし、ましてエレガントなスポーツバイクに似合わないだろう。もちろんガチなレーサーなら話は別だが。
そんなことを考えていたアキラに、ルリはヘルメットを手渡した。
「せめて、試着だけでもいかがですか?考えが変わるかもしれません」
「お、おう。そんならまあ、試着だけ……うわぁっと!」
ガシャン!ガン!からからかららら……
指に引っ掛けて受け取ろうとしたアキラは、そのままヘルメットを投げ飛ばしてしまった。店の棚にぶつかったそれは、続いて床に落ちる。
「すまん。不注意だった」
アキラの落としたヘルメットを拾ったルリは、慎重な手つきでひび割れや歪みを確認する。
「……いえ。大丈夫です。どうやら割れてはいませんし、仮にダメージを受けたとしても展示品ですからね」
ほっと肩を撫でおろす彼女に、アキラは首を傾げた。
「いや、ヘルメットってそんなに簡単に割れないだろう。表面が傷ついてたら、それはゴメン」
「いえ、割れますよ」
「え?」
本来なら、ヘルメットは割れにくいはずだろう。そうでないと頭を守ることができない。アキラはそう考えていた。
しかし……
「自転車用のヘルメットは、割れることによって衝撃を吸収、緩和する設計になっています。ちなみにオートバイ用に作られるようなヘルメットも、外殻は硬くて、内装は使い捨てのようですね」
「マジか?俺が中学の時に使ってたヘルメットは、結構頑丈だったけどな」
現在の日本においては、『中学生以下の子供にはヘルメットをかぶせるように』との努力義務がある。あくまで努力義務であるため強制ではないが、多くの学校が校則に取り入れている現状だ。
「まあ、アキラ様が中学時代に、どんなヘルメットをかぶっていたかは知りませんが――」
ルリが持っていたヘルメットの側面を指さす。そこにはCEと記載されたマークが貼られていた。
「こういうマーク、ありましたか?」
「あったな。いや……ちょっと違った気がするけど、だいたい同じようなの」
「実はそれ、安全性を示す基準に基づいたマークなのです。マークによってはテストの仕方も、求められる強度も違いますね。ちなみに、このCEマークは『高さ1メートルからの落下で効果を発揮する』条件の商品にだけ取り付けられます」
「つまり?」
「このヘルメットは本来、1メートル以上の高さから落としたときに割れる仕様です。今回は打ちどころが良かったのでしょうね」
もちろんCEマークには、それ以外にも様々なファクターがある。また、SGマークやJCFマークなどもあるが、それぞれの規格が全く違う。ロードレースでは大会ごとに必要な規格が変わるので、レースに合わせて複数のヘルメットを持つ選手もいるとか。
しかし……
(まあ、そこまで深い解説をする必要も、現状は無いでしょうね)
あくまでクロスバイクに乗って遊ぶだけ。
「現状、自転車用のヘルメットには、厳格な規格統一が成されていません。なので、アキラ様がかつて使っていたヘルメットにも、大した安全基準が採用されていなかったのではないでしょうか?」
「なるほど。割れない方が危険なのか」
物理的な理屈は分かった気がするが、問題はコストだ。安くても4000円もするようなヘルメットを、しかも使い捨てで購入できるかと言われれば難しい。
「転ばなかったら、長く使えるのか?」
「はい。大体3年は持ちます。紫外線などに侵食されてしまうので、たとえ壊れなかったとしても3年で買い替えをお勧めしています」
余計に条件が悪くなった。
「紫外線で耐久度が落ちるのかよ……」
「はい。表面はプラスチック製品ですからね。たまに洗濯ばさみが割れて粉々になることがあるでしょう。あれと似た現象が起こります。もっとも、そこまで酷くなる前に買い替えですけどね」
珍しく、ルリのプレゼンが響いてこない。
「やっぱ俺、ヘルメットはいらないかな」
「――そうですか?」
「ああ。結局、転ばなかったら必要ないんだろう?……俺はそんなにスピードも出さないと思うし、何年もママチャリ乗ってたんだから今更転ばないって。だから……」
「アキラ様」
ルリが口を挟んだ。ぐっと近寄るような動きで、頭を突き出してくる。前かがみの姿勢になったせいで、元からある身長差がより際立つというものだ。
「な、なんだ?」
急に近くに寄られたアキラは一歩引く。しかし、ルリがまた一歩近づく。まるでアキラの下腹部に顔を当てるくらいの勢いで。
「私の頭部をご覧ください」
そう言って少し恥ずかしそうに、ルリが自分の髪を撫でる。髪型にはこだわりがあるんだろうか。いつも左側だけを編み込みにしたショートカット。右はそのまま下ろしているのに、左だけはいつも編み込んでいた。
右耳がどうなっているのかは分からないが、左耳にはイヤーカフが付いている。まるで自転車のチェーンのようなデザイン……というより、自転車のチェーンそのものだ。
一度チェーンカッターでチェーンを切断し、バラバラにした部品を接着剤で繋ぎ合わせて、アクセサリーに加工しているらしい。うわー器用。そして意味が分からない。何のためにそんなアクセサリーを作ったんだろう?DIYが趣味なのだろうか?
「アキラ様。そっちではなく、反対側をご覧ください」
「反対側?」
いつも下ろしている方の髪、それが本人の手によってかき上げられる。白く透き通るような地肌に、色素の薄い柔らかそうな髪。そして……
(ハゲ?)
一直線に、髪の毛が生えていないところがある。よく見るとそこだけ細かく腫れ上がっていた。大体5~6cm程度の……傷跡だ。
「駅前の国道に、歩道を半分塗りつぶした自転車通行帯があるんですよ。ご存知ですか?」
「ああ、あれか」
確か、10年ほど前に急ごしらえで作られた自転車通行帯だ。ルリの説明にあるように、元は歩道だったところを塗りつぶして作られた場所である。元々の歩道が広かったために、割と簡単に作られた。
「そこ、バス停とクロスするところでもあるんですよ。当然、ガードレールで車道と分断されていますので、自転車は行き場を失います。正面にバス停。左に歩道。そして右にはガードレール。どこにも行けなくなるんです」
「ああ、俺なんかは気にしないでバス停を突っ切ってるけどな。並んでいる人がいたら歩道に避ける」
それが順当……というより、物理的にそれしかない。ここではみ出し禁止だとか言い出すのは小学生が遊びでやりそうだが、社会の常識に当てはめればアキラが正しい。
「私も、そうしました。雨の降る日で、バスが止まっていましたね」
その日のルリは、雨の中を帰宅していた。少し急ぎ足になっていたことは、認めなくてはならないだろう。視界が雨粒によって奪われ、注意が散漫になっていたこともある。
バス停には、一台のバスが止まっている。その横を、ルリはノンストップで走った。泊まっているバスの降車口から、アルミ製の棒が突き出される。
傘だった。
バスの乗客は、雨の中で傘を差そうとしていたのだ。もちろん、この時に左右を確認などしていない。ただ自分が濡れないように、傘を外に突き出す。
その高さは、ルリの頭の高さと同じだった。
「常識に当てはめて考えれば、雨の中を自転車で走る人はいません。だから傘を差した彼も、まさかそんな日に自転車が走ってくるなんて思わなかった、と言っていました」
「それで、大丈夫だったんだよな?」
「はい。ご覧の通り、傷跡が残る程度で済んでいます。ただ右側の髪の毛は、縛ることも編み込むことも、はばかられますけどね」
そう言って髪を下ろし、手櫛で適当に直す。それから改めて視線をアキラに戻したルリは、言う。
「たとえ転ばない自信を持っていたとしても、ヘルメットの購入はご検討ください。場合によっては、単にバランスを崩す以外の要因による転倒もあり得ます。その時に頭部を守れるかが、人生の終わりさえ左右します」
自らの実力と関係なしに、不幸は襲ってくる。大概はライダーの不注意か、もしくは道路の整備不良のどちらかが原因だ。と、警察はよく言う。
特に急ごしらえで道路と法律を整備する日本の場合、後者が多いだろう。
だからこそ、
「アキラ様、ヘルメットはご購入いただけませんか?」
「うーん、そうだな。でも、デザインが……」
流線型のヘルメットは、もともと空力抵抗を避けるために制作される形状である。というより、こちらの方がメインと言っても過言じゃないだろう。
そして大した速度を出す予定のないアキラにとって、風よけが必要かと言えばそうでもない。
「まあ、このデザインが気に入らないなら、カジュアルなのもありますよ」
「あるの?」
「はい。少々お待ちください」
ルリが取り出したのは、ヘルメットそのものではなくカタログだった。
「こちらの、SCUDOなどはいかがでしょう?日本のOGK KABUTOというブランドから販売されている商品なのですが、比較的オーソドックスな見た目が特徴のヘルメットです」
写真で見る限りだと、原チャリのヘルメットをもう少し軽くした印象だ。なるほど、これならガチガチのレース用と違って、そんなに気負う必要もなさそうだ。
「でも、結局ヘルメットらしい見た目は残っちまうな」
「そうですね。ただ、帽子でもなければレーシング用品でもない、新しいデザインとして取り入れやすいと思います。所詮は自転車と組み合わせて使う物ですし、普段のファッションとして考える必要もないと思います」
確かに、自転車を降りたら外すものである。あまり深く考える必要はない……のだろうか?
「あとは、CASQUEのGORIXも独創的な形ですね。これは好みが大きく分かれるところだと思います」
クッションを複数縫い合わせて、帽子のような形にした商品だ。まるでヘルメットの外側のプラスチックを外したような見た目である。
「それから……私の記憶が正しければ、カバーをかぶせてキャスケットのような見た目にできるヘルメットもあったと思いますが、あれは言うほど自然に見えないですね。シルエットの都合かもしれません」
と、こちらはカタログではなくスマホで見せてくれる。KHSという会社の商品らしいが、これも何とも言えないな。
「ちなみに、KABUTOやCASQUEの商品ならうちでも入荷できるのですけど、それ以外のヘルメットとなると当店ではご用意できかねます」
「じゃあ何で見せたんだよ」
「ネットでも購入できるので、少しでもアキラ様に気に入った商品を選んでほしかっただけです。ちなみに、この店の商品をいくら売ったところで、私の時給は上がりません」
ぶっちゃけやがった。
「ちなみに、私が使っているのはBELLのGAGEというヘルメットです。非常にスポーティなデザインが気に入っています。隣町のショッピングモールにあるスポーツショップで買いました。安くなっていたので」
「愛社精神とか無いのか?」
「自転車に対する愛が勝っているだけです」
「……」
とても誇らしい表情をしているルリに対して、それ以上は何も言うまい。
「結局、ヘルメットは次ですか?」
「そうだな。来月の小遣いが入ったら考えるよ。金欠なのは本当だし」
少し不安そうに見えるルリに、アキラが親指を立てる。
「大丈夫だよ。多分な」
「だと良いのですが……くれぐれも、気を付けてくださいね」
レーパンやジャージなども気になってはいたが、今回はパスするしかなさそうだ。いずれにしても、ライトと鍵は買った。そしてヘルメットは次回購入する。それでいいじゃないか。
「12000円になります」
うん。十分な買い物だった。おかげで財布まで軽量化に成功してしまった。
「それと、こちらのベルはサービスでつけておきます。無料でいいですよ」
ルリが、小さなベルを差し出す。指ではじくと涼やかな音色が鳴るベルだ。
「ああ、そう言えば必要だったか?」
「はい。ベルがない場合は、法律に違反したことになります。もっとも、法律上は鳴らしてはいけませんけど」
「え?」
「法律上、歩行者や車両などにみだりにベルを鳴らすと罰金2万円です。もちろん罰金ですので、刑罰の対象にもなります。履歴書を書くときに賞罰の欄が一つ埋まりますね」
自転車は免許が必要ないため、違反切符の切りようもない。なので反則金や免許停止という形ではなく、罰金もしくは懲役という形で刑罰が下る。
自動車なら一回くらい信号無視しても免許を取られるだけで済むかもしれないが、自転車ならそのまま刑務所に繋がれる可能性があることを意味する。仮に事故でも起こしたなら、一発で何らかの刑罰が下るわけだ。もっとも、生きていればの話だが。
「2万……そんなにか?」
「はい。なのでベルは鳴らさないようにお願いします。あ、今取りつけますね」
ルリはそう言うと、サドルを支えているパイプの部分に取り付けた。たしかそこは、シートポストという部品だ。
「おいおい、サドルの下じゃ鳴らせないだろう」
「はい。鳴らすと罰金なので、鳴らせないところに付けています。もしハンドルを掴んだ際に誤作動すると、困るので」
「でも、緊急事態には鳴らす決まりじゃないのか?」
「こんなの鳴らしている余裕があるなら、その手でブレーキを握ることを考えてください。アキラ様の手は飾りじゃありません。このベルは飾りですが」
言ってる間に、取り付け終了。付属のゴムバンドを使って止めるだけなので、慣れれば誰でも簡単だ。
「それでは、これにて公道を走る準備は完了です。もし他にお買い物がございましたら、いつでも当店にお立ち寄りください。
安全に気を付けて、楽しい自転車ライフを送ってください。
その支えになれれば、私どもにとって最高の幸せです。
それはそうと、次の日曜日、空いてますか?
もしよければ、私とサイクリングなど、いかがでしょう?」
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