第12話 赤色灯は後ろ用なのか?
「後ろって、反射板がついてればいいんじゃないの?」
アキラがローマのサドル下を指さす。そこには赤い反射板がきっちりと取り付けられていた。
「ええ、基本的には……なので、これは本当にあっても無くても構わない程度の問題になりますが……」
ルリは店内に持ち込んだアイローネの、後ろを見せる。
「こういうライトは、ついていると大変目立ってくれます。日本において、深夜に自転車が走ること……ましてそれが車道を走ることは珍しいので、ドライバーも油断しやすい傾向があると感じますね」
「ふーん」
円筒形のシートポスト――要するにサドル下の棒――に、まっすぐな赤いランプがついている。正面から見ると、シートポストの陰に隠れてしまうデザイン。
真後ろから見ると、まるでシートポスト全体が光っているように見える。確かにこれなら目立つだろう。縦に長いので、道路横の反射板と誤認される心配もない。
「でも、俺はやっぱり要らないや。多分、夜は歩道を走るだろうし」
「そうですか。残念です」
ルリがハンドルに手をかけて、アイローネを片付けようとした。その時、ブレーキが赤く光る。
「お、何これ?」
気づいたアキラが、その辺を見た。アイローネのブレーキは、前後ともにママチャリの前ブレーキみたいな形をしている。それも流線型の。
その端っこに、小さなLEDが仕掛けてあるのだ。
「ああ、ブレーキランプですね」
「ブレーキランプ!?自転車に?」
アキラが驚く。それを見たルリは、どことなく満足そうにうなづいた。そしてセールスチャンスを得たとばかりに、片付けかけた自転車を戻す。
「そうです。自転車の機械式ブレーキは、手元のレバーを引いたとき、このケーブルが引っ張られる仕組みになっています。そこにスイッチを仕掛けて、あとは普通にブレーキをかけるだけ」
それだけで、地味に光る。明るい日差しの中で視認することは不可能だろう程度の光だ。
「これって、本当に自動車から見えるのか?」
「いえ……私も自分自身が乗っている状態でしか使ったことがないので、客観的にはどう見えているか不安ですね。夜なら見えていると思いますが、昼の日差しには負けるかと」
「だよな……」
そもそも、自転車の後ろに赤いランプがともったとして、それをブレーキランプだと認識することができる人は何割いるだろうか?
この手の合図は、お互いに認識していないと――
「意味がないよな」
「――何が、でしょうか?」
「え?い、いや、何でも」
お気に入りの自転車をけなされてムッとするルリに、アキラは笑顔で誤魔化しをかける。営業スマイルならアキラの方が自信ありだ。
「他にも、傾きを検出するウインカーなども、オプションで取り付けることができます。私は取り付けていませんが」
「お、意外だな。そんなパーツがあったのも驚きだけど、ルリだと付けそうなイメージがあったぜ」
「ええ。気になっていたのですが、実物を見てみると左右の間隔が狭く、どっちが光っているのか分かりにくいんですよ。矢印型に光る商品は見やすかったのですが、いずれにしても車体が傾いてから光るのでは、タイミングが遅いですから」
ルリの中でもガッカリ系の商品だったらしい。
「リアライト系は当たり外れが大きいですね。だからこそ選び甲斐がありますし、私は好きなんですけど……」
「俺は……反射板さえついていればいいかな。って思う」
「そうですか」
珍しく、ルリも引き下がった。本当に趣味の世界なんだろう。シンプルながらも存在感を放つアイローネの後姿を見ながら、アキラはひそかに、
(でも、ちょっと興味はあるな)
気になったのであった。
棚を見ていると、気になる商品を一つ、見つける。
「ルリ。これって何?」
グレイタイプの宇宙人……の、顔だった。チープトイのようなデザインで、自転車用品というより玩具の部品のような見た目だ。
「ああ、リアライトですよ」
「え?これが?」
「はい。こうして額を押すと……」
ルリが軽くパッケージから商品を抜き取り、コイン電池を入れて電源を入れる。すると、
「このように点滅します」
緑色のエイリアンの目が、赤く点滅する。とても不細工である。
こう見えても自転車部品の業界では有名なTOPEAK社の商品。その名もエイリアンルクス……と、そのまんまな商品名なのだが、
「まあ、チープですよね。そもそも自転車の後ろに顔を付ける意味が解りませんし、とても不気味で……」
「これ、買うよ」
「……悪趣味だと思いま、え?」
アキラの唐突な宣言に、ルリは一瞬、素の声で驚いた。
「な、なんだよ。今の『え?』って」
「あ、あー。こほん。こほん……えっと、こちらでよろしいですか?」
「おう。あ、でも緑と黒なら、どっちがいいか迷うな……赤い宇宙人ってのもいいけど、目が赤いからなぁ。どうだろう?」
「……さ、さあ?」
ルリの意見としては、格式高いイメージを持つアキラのビアンキに、このアバンギャルドなデザインは果たしてアリなのか?と目を伏せ顎に手を当てるしかない。
(100歩譲って、元からアバンギャルドなキャノンデールやGTにつけるならまだしも……いえ、そもそもこれ、可愛いですか?あれ?)
女子だからといって、なんでも可愛いと言うかと思ったら間違いである。ルリ的には、これは無い。
一方、アキラ的には、
「やっぱりカッコイイよな。子供の頃に忘れた遊び心っていうのか……アクティブに遊ぶクロスバイクに似合ってる感じがしてさ。な?ルリ」
「ええ、そう……ですかね?」
「ああ。やっぱり緑にする。一番エイリアンっぽい」
ウキウキである。
実用性だけでなく、遊びまで考慮した一品。その存在感は、確かに大きい。
(まあ、喜ぶアキラ様が可愛いので、構いませんけど)
と、ルリも意見を改める。大事なのは、その人が自転車を最も楽しむこと。その手伝いができるなら、ルリはそれだけで嬉しいと思うタイプだった。そうでもなければ、アパートから遠くバイト代も安いこの仕事にはついていない。
「……では、特にご希望が無ければ、私の好みで取り付けますが?」
とは、取り付け位置の話。アキラには取り付け方も解らなかったので、ルリに任せる。
「よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
まずはヘッドライト。
ハンドルバーの上にブラケットを巻き付けて、レバーを引いて固定。最近のモデルになると、どこのメーカーも工具を使わないものが多い。
角度はかなり難しい。水平に近づければそれだけ遠くを照らせるが、体感的な明るさは失われる。それにこれだけのパワーを持ったライトの場合、対向車に迷惑になる可能性もある。
クロスバイクのハンドルの高さは、だいたい乗用車のドライバーの視線の高さに近いか、もしくは少し上である。これを水平に取り付けた日には、対向車をハイビームで威圧し続けるのと変わりなくなってしまう。
とはいえ、あまり下向きにしすぎると、前方を見失う。
(アキラ様の場合、ローラー台で最大39km/hだったはず。おそらく、公道では30km/hも出さない――まして夜なら、体感速度は上がります。普通なら怖くて、スピードも出せないはず……)
あれこれと考えながらも、実際にアキラの走りを見たことがないルリ。
「おそらく、このくらいの角度でいいでしょう。あまり水平に近づけないことをお勧めしますが、もし気に入らなければ、ご自身で調整し直してください」
「調整って、どうやるんだ?」
「本体を持って、力づくで動かす方法で構いませんよ。ただ、入れる力はほんの少しだけ。わずかな角度の違いが、照射距離を大幅に変えます」
ルリはアキラの手を取った。
「え?」
アキラの手とは違う、しっとりとした柔らかな手。急に目の前の女の子が手を握ってきたことに、動揺を隠せない。その細い指が、アキラの指の間を開いていく。閉じかけた指を伸ばし、そして……
「このくらいの力加減で、十分にコントロールできると思います」
「え?」
むにむに、と、アキラの人差し指をストレッチするように動かすルリ。その手には力が入っておらず、マッサージにしても弱い。
「この感覚で、ライトを……こう……」
「あ、そういう事か」
「はい。そういう事です」
シートポストにマジックテープのベルトが巻かれて、リアランプが取り付けられる。目が光るグレイマスクをいじってご満悦のアキラは、
「よし、これで大体、自転車に取り付けるものは全部か?」
と確認した。
鍵もライトも付けたし、スタンドはつけない方向で決まった。かごや荷台もあったら便利だったかもしれないが、ディスクブレーキを搭載している都合などで見送る。
このディスクブレーキとは、ホイールの横に金属製の円盤を取り付け、それを両側のパッドで挟み込む方式のブレーキだ。オートバイに採用されているものと理屈は同じで、自転車と言えども侮れない技術を使っている。
ただ、それゆえにフレームの形状を大きく変えてしまったり、他の部品と併用することができなくなるなどの弊害も大きい。
「そうですね。それでは、最後にアキラ様をドレスアップしましょう」
「え?俺?」
アキラが自分を指さして驚くと、ルリは頷いた。
「ええ。自転車に取り付けるものがあるように、アキラ様ご自身にも取り付けてほしいものがあります。
ヘルメットコーナーへご案内しますよ」
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