第10話 鍵より教育の方を何とかしてくれないか?
「自転車泥棒の中には、『窃盗ではなく借りるだけ』という感覚の人が多いです。『どうせ防犯登録で持ち主に返るんだろう』とか考えている人が、借りて返す感覚で盗むというのはありますね」
「DQNじゃねぇか!」
皮肉にも、防犯登録が犯罪の言い訳になるパターンである。
「あとはスリルを楽しむための悪戯でやる人もいます。この人たちの言い訳で一番多いのが『鍵をかけてない方が悪い。鍵がないって事は鍵をかけなかった人が悪いって事だ』という内容ですね」
「DQNの極みじゃねぇか!」
皮肉にも、防犯用の鍵が犯罪の言い訳になるパターンである。
「武勇伝のように語る人もいます。悪ぶって『今から俺がすげぇ不良だってところを見せてやるぜ』と友達に言って盗む人ですね。ついでに、その友達も見栄を張って同じことをします。お友達だけに罪を着せられない。美しい友情ですね」
「DQNの掃きだめじゃねぇか!」
皮肉にも、友情とやらが犯罪の言い訳になるパターンである。
「ちなみに自転車を盗んだ場合は、10万円以下の罰金または1年以下の懲役が科せられます……が、初犯であれば厳重注意にとどめる他、常習犯であっても刑罰は非常に軽いです。警察としては、『盗まれた方も悪い』と……小学生の喧嘩を仲裁するようなオチに持っていくようですね。仲直りの握手で、めでたしめでたし」
「DQNの王国じゃないか!」
皮肉にも、平和を愛する心が犯罪を許しているパターンである。
店内に戻ってきたアキラは、ルリに案内されるままに鍵コーナーに来ていた。
「本当なら、ママチャリによく付いている
ブレーキの形状やフレームの設計、あるいはホイールの規格や組み方によっては、シリンダー錠が通らない。
「そこで、一番ポピュラーなのがワイヤーロック。もしくはチェーンロックです」
ルリが店内から持ってきたのは、コイル状に巻かれたワイヤーロックだった。手のひらに収まるくらいに小さい。
「ずいぶん細いな。切られないか?」
「細さより、金属自体の強度が重要だったりします。いくら太くても安い金属を使っていたり、寄り合わせ方が適当だと切られますね。あとは、使われる道具の大きさにもよります」
「ふーん。でも、どのくらい頑丈か確かめる方法なんてあるのか?」
「身も蓋もない話、値段が高い方が頑丈です」
ちなみに、ルリが掌に載せているのは2000円もしない程の鍵だ。それでもこの店では高級な方である。見た目は100円ショップの商品と何が違うのか分からないが、
「実は、中の線と外側の線を逆方向にねじっているんです。外から見ても分からないと思いますが、構造がしっかりしているのですね」
「へぇ……こっちの方が切りにくいのか?」
「はい。少なくともあちらの500円くらいの太いワイヤーよりは、圧倒的に」
もちろん同じ編み方なら太い方が細いより頑丈なはずだが、一概に太さだけで決まるわけでもないらしい。
「ちなみに、ワイヤーロックは軽くて持ち運びが簡単ですね。形状記憶合金を使ってコイル状にしているものも多く、色も豊富です」
「色か……たしか、クロスバイクはフレームの色で選んだよな」
「はい。アキラ様のチェレステカラーに映えるのは……こちらのショッキングピンクなどいかがでしょう?」
「派手過ぎないか?」
「派手な方が良いんです。泥棒の中には、自転車を担いで車に乗せていく人もいます。結局、鍵ごと持っていかれるんですよ。それに対抗するには、鍵が付いているアピールが一番です。目立つカギをつけていきましょう」
物理的に、ワイヤーロックを切断不能にすることは出来ない。極端に言えば、ダイヤモンドカッターでも持ってくれば無敵なのだ。そして、手慣れた泥棒は割と大胆にそういうことをする。
もはや打つ手はないが、せめて物理で勝てなければ心理戦で勝つ。それが鍵の掛け方である。
「チェーンロックの場合はどうなんだ?やっぱり鎖が太い方が良いのか?」
「そうですね……鎖の輪っかに注目してください。鎖全体が太い物より、鎖の輪を構成している金属線が太い方が有利です」
「じゃあ、こっちの全体的にひょろいのはダメか?」
「いいえ。そちらも当店のお勧めですよ。あまりに細くて隙間がないので、ニッパーが穴に入らないんです」
泥棒が一番愛用するのは、やはりニッパーである。電気ノコギリに比べると、小型で持ち運び便利。しかも音も静かだ。
その反面、切断できるのは刃の間に入る太さのみに限定される。大事なのはその刃をどうやって防ぐか。そう言う意味で言うなら……
「こちらのブレードロックは、ニッパーに対しては最強の防犯装置たり得ます」
薄い金属のプレートを、何枚もつなぎ合わせた鍵。柔軟性は無いが、携帯に便利である。しかも一枚一枚の形状は板だ。ワイヤーやチェーンなどの円筒形と違って、切断が難しい。
「あとは、オートバイなどにも有効なU字ロックもあります。このU字型の金属部品を自転車に噛ませて、蓋をするようにロック。全く隙間のない金属ですので、ほとんど切断不能です。それこそダイヤモンドカッターでも持ってこなければ盗まれません」
「それなら最強じゃないか。何で最初から出さないんだ?」
アキラが一発で気に入ったほど、見た目のインパクトは抜群。それでいて物理的にも強い。これほど強力なら何の問題もないだろう。
しかし、ルリは目を背けた。
「まあ、この鍵の弱点もあるんです。例えば、重いんです」
「たしかに、ズシリと重いけど……」
「これだけ重いものを、かごのないスポーツ自転車で運ぶとなると大変です。手に持つわけにもいきませんから、バックパックを背負うことになります。この鍵のためだけに」
「え?でも、自転車にベルトでくっつけられますって書いてあるぞ?」
「私もそうやって使っていましたが、あまりの重さと振動のせいでベルトが切れました。走行中に落下するだけならまだしも、それが車輪に巻き込まれたりしたら、大きな事故を起こします」
自転車の鍵の重量は、それだけ接続部の負担にもなる。重い物体が常に振動するのなら、それを支える部品にも大きな負担が蓄積されていく。まして、プラスチックで耐えられる振動はたかが知れていた。
「それに、駐輪中の重量バランスも重要です。このような重い鍵をつけると、自転車自体が転倒する可能性があります」
まあ、それは重量だけでなく、重心の高さや車体の角度によっても変わるだろうが、
「でも、こうやって停めたらいいんじゃないか?」
アキラは一度店の外に出て、自分の自転車で実践する。試供品のU字ロックを、ローマの前輪に『だけ』かけてロック。フレームには引っかけない。ただそれだけだ。
これならホイールが回ることは無いので、一応ロックとして機能する。しかもU字ロック自体は地面についているので、重心の乱れは気にしなくてもいい。依然として持ち運びは不便だが。
「なるほど。これならホイールは盗めませんね。ホイールだけは」
何やら含みのある言い方をしたルリは、自転車の前にしゃがみ込む。
「ところでアキラ様は、環状線沿いの食品スーパーに行ったことはありますか?」
急に関係のない質問。だが、この手の話をするときのルリは何かを考えている。
「ああ、わりとよく行くよ。一人暮らしだから、ああいう安い店は助かるんだ」
大学に進学するにあたって、実家から通うのは大変だった。だからアパートを借りて暮らしている。もちろん家賃は両親に出してもらっているし、食費も両親からの支給だ。限られた資金で生きるため、自炊は必須になる。
「そこの駐輪場の電柱ですが、ワイヤーロックで固定された自転車の……前輪だけが放置されてますよね?」
「ああ。そういえばある。なんで車輪だけ鍵かけて置いてあるのか疑問だったけど、誰も撤去しないんだよな。しかし、いったい誰が何の目的で前輪だけ置いているんだか」
「アキラ様の自転車も、同じ末路をたどるようですよ」
「え?」
一瞬だった。ルリが車軸のレバーに指をかけ、軽く下げる。それだけで、すとん――とホイールが落ちた。前輪と本体に分離された車体を、アキラはあんぐりと口を開けて見る。
「このまま本体は自動車に積んで持ち去る。すると、現場には鍵のかかったホイールだけが残ります。そのスーパーマーケットの悲劇を再現してみました」
「え?そんな簡単に外せるの?」
「はい。
元の位置に前輪をはめて、レバーを戻すのみ。
「ちなみに、スポーツバイクの前輪は1万円ほどで購入できます。転売目的であれば、アキラ様の11万円の自転車を盗んで、1万円で新品のホイールをつける。そうすれば中古でも5万円で売れるので、泥棒としては充分な儲けです」
「泥棒が、そんな技術を持っているのか?」
「はい。特に転売目的の泥棒なら、プロですからね。複数台の自転車を盗み、部品を組み替えて売るんです。そうすると被害届の情報と一致しない車体が完成するので、アシが付きにくくなります」
例えば、アキラのクロスバイクが盗まれたとする。被害届には「ハンドルがまっすぐな自転車」として書かれるわけだ。しかし、他の盗難車とハンドルを入れ替えられると、ドロップハンドルとして転売される可能性もある。これでは警察も手を出せない。
マフィアが盗んだ自動車を売るときに、エアロだけ交換する手法に似ている。
「防犯登録も剥がして、シリアルナンバーもグラインダーで削ります。すると誰の持ち物だったかもわからない、のっぺらぼう自転車の出来上がり。暴力団や、海外の窃盗団が使う手口です」
自分の愛車をいじくりまわされる上に、転売されるという事態。例えるなら……
「少女を誘拐した挙句、気が済むまで乱暴して、殺害する。そして遺体をバラバラに切断し、人相が分からないように鼻をそぎ落として、山中に埋める。そのくらいの下劣な行為です。遺族はどう思うでしょうね」
自転車のオーナーにとって、そのくらいの事をされる気分という意味だ。
それを聞いたアキラは、
(もしかして、ルリも過去に盗まれたりしたのか?)
などと考えたが、聞くのをやめた。何か怖かったのだ。いつものルリの無表情さに、いつも以上の迫力を感じたから。
「ちなみに、ワイヤーロックやチェーンロックがメインの鍵になると思います。これを使って、ダブルループで地球ロックをかけましょう」
ダブルループとは、自転車のホイールとフレームを固定する方法である。これによって、先ほどのように分解して盗む手口を防止できる。
「まずは、後輪とフレームを繋ぎます。フレームの間にワイヤーを入れて、後輪と結びます。そして残ったワイヤーで、電柱を巻き込んでください」
電柱以外にも、街路樹やガードレールなど、巻き込めるものがあれば何でもいい。これが地球ロック。地面から動かないオブジェクトを使った方法だ。
自治体によっては、公共の場での施錠は条例違反になることもある。ただ、自転車が盗まれても手を貸してくれない警察の言う事だ。あまり気にする必要はない。奴らは良くも悪くも、何も取り締まる気はないらしい。
「こうして電柱を巻き込んだあと、前輪とフレーム本体を縛ってロックします。必然、長めのワイヤーロックを選ぶといいですね」
これで当面は頑丈にロックできたことになる。ただ、ワイヤーロックはニッパーで切られる危険性がある。
「更に用心するなら、ニッパーで切りにくいU字ロックやブレードロックを追加するのがお勧めです。こちらはメインではなく、補助という形ですね」
ニッパーだけ持っている泥棒には、この補助ロックで抵抗する。今度こそフレームを巻き込んで、きちんとロック。長さや形状の問題で、こちらはダブルループや地球ロックには向かない。あくまで車輪を固定するだけだ。
「ここまでやっても盗まれる場合がありますが……それはもう諦めるしかないですね」
「これで盗まれるって、どんだけ治安が悪いんだよ、日本」
高級自転車に限って言えば、海外よりはマシだそうだが……
「国と警察は、自転車がいくらするのか分かってません。アキラ様の自転車だって、彼らには2万の安物と区別がつかないでしょう。その車体の価値を知るのは、私たち自転車乗りと、泥棒だけです」
「逮捕されなきゃ何をしてもいい。か……酷いや」
結局、アキラは細くて丈夫なワイヤーロックと、コンパクトなブレードロックを合わせることにした。ついでに、サドルの下に小物を収納できるバッグも買っておく。
「ここに鍵を入れておけば、無くすこともありませんね」
「こんなところに収納スペースを用意するとは……かっこいいな」
スポーツバイクの見た目を損なわない収納を実現する、サドルバッグ。こちらも自転車とセットで買っておくといいだろう。
「さて、続いてはライトですが……一口にライトと言っても、様々な種類があります。値段や大きさだけではなく、単純な明るさだけでもない。様々なファクターで決まるライトの良さ。
あなたの行く先を照らす、大切なパートナーです。私があなたのライト選びの道を、照らしましょう」
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