第4話 中古で買ったらダメなのか?

「ま、待てよルリ。お前いきなり何のスイッチ入ってんだよ。怖えよ。このままナイスボートになりそうな状況は一体――」

「私は、アキラ様を守りたいだけで――」


 番組の途中ですが、内容を変更してお伝えします。

 嘘です。ちゃんとやります。



 店の端にあるテーブルに、アキラは案内されていた。ただの丸テーブルだ。自転車の修理を待つ客のためのスペースや、分割払いの書類を書く場所として使われているらしい。今は誰もいない。

 椅子に座ったアキラは、テーブルの上に積み重ねられたカタログに目を落とす。よくもまあ、ここまで多くのメーカーが自転車を作っているものだと思った。専門雑誌も置いてあるが、マニアックな特集が多くて解らない。

「アキラ様は、自動車には乗りますか?」

「いや、免許も持ってないな」

 正直に答える。まあ、まだ20歳であることや大学生であることを考えれば、持ってない方が普通じゃないだろうか。というより、自動車を持っていたら自転車など買わないと思う。

「もしかして、『自動車を持っていたら自転車なんか買わない』と思いませんでしたか?」

 眼光だけで人を殺せそうなルリの視線が命中する。ここで「よく分かったな」などと言ったらキレるに違いない。

「いや、まったく思ってないぞ。自転車は素晴らしいからな。自動車より好きだ」

 必死で取り繕うと、ルリは何故か頬を染めた。

「え……あ、す、好きだなんて……でも、私も好きですよ。改めて言うと、少し恥ずかしいですけど」

「……自転車の話だぞ?」

「はい。当然です。もし違っていたら気持ち悪いです」

 急に真顔に戻ったルリは、ぴしゃりと言い切った。この自転車バカは頭の中にそれしかないようだ。自転車に恋する女子。せっかく可愛いのにもったいない。


「さて、乗用車の年間走行距離は、平均で1万キロと言われています。私の自転車と大差ないですね」

「お前は自転車で年間1万キロ走るのかよ」

「厳密にいえばもう少し走りますが――注目してほしいのはそこではありません。自動車というのは、大体10年で寿命と言われています。つまり、10万キロ走れば寿命ですね。もちろん乗り方次第で大きく変わりますけど」

 それはアキラも聞いたことがある。免許を取った友達が中古車を選びに行く際、アキラも付き合ったことがあるからだ。メーターが10万を超えていた車体は、異様に値下がりする。代わりに、すぐ壊れる可能性もセットだ。

「自転車も、それぞれ寿命があります。アルミフレームで3年と言われたりしますね。あくまで目安ですが」

「なるほど。話は分かった。つまり3年たった自転車は安いけど、壊れやすい。それ未満なら壊れにくいけど、中古でも高いって事だな」

 アキラが指をパッチンと弾く。

「いいえ。違います」

「あれぇ?」

 こういう時、指パッチンがキマっていればキマっているほど恥ずかしい。


「――自動車の場合は、必ずメーターが付いていて、積算走行距離を計測する仕組みになっています。また、よほど事故が多いドライバーでない限り、その走りが車体に与えるダメージはたかが知れています。

 自転車の場合、メーターをつけることも出来ますが、正直言えば任意です。また、メーターごと中古屋に売ることが稀ですから、買取を行うお店も査定基準がありません。元の持ち主も含めて、何キロ乗ったかなんて誰も知らないんですよ。

 また、乗り手の体格や乗り方によるダメージも違い過ぎます。例えば体重50kgの人が乗った自転車に比べて、体重100kgの巨漢が乗った自転車は、それだけ多くのところに負担がかかっているでしょう。自動車ならあまり関係ない体重差ですけどね。

 もちろん、すべての中古品が故障した粗悪品だと言ってはいません。ただ、中古品に手を出すのは、目利きのできる人だけにした方が無難です」


「マジか……」

 いや、マジだろう。言っていることに信憑性がある。だからこそ、アキラは口を開けっ放しにして聞いていたのだ。それを真面目に話を聞いていた証拠だと理解したルリは、満足げにため息を吐く。

「もちろん、当店でご購入いただければ幸いです。プロの整備士が自信を持って調整を行い、最高の状態でお渡しすると約束いたします」

「ルリが調整してくれるのか?」

 この店のスタッフと言えばルリのイメージがあったので、訊いてみた。しかしルリは首を横に振る。

「私は自転車技師などの国家資格を持っていません。所詮はただのバイトですから」

「そっか……」

「ご安心ください。私などより腕のいいスタッフに調整させます。アキラ様のためだけに、誠心誠意フィッティングを行わせていただきます」

 まあ、そうなる。アキラにとって損は全くない話だ。もっとも、アキラは少し残念そうである。

「……もし私をご指名とあらば、可能な限りのご奉仕はさせていただきます。実際のところ、研修などの名目で私が仕事をすることもあるので」

 ルリが言うと、アキラは少し嬉しそうな顔をした。ルリとしてはその感覚はよく分からなかったが、

(まあ、私も自転車を弄るのは好きですし、ビアンキは一度触ってみたかったメーカーですからね)

 まんざらでもない。


「差し当たって問題は、予算がないという事ですね」

「う、まあ……そうだな」

 先立つものは金。困ったことに、それがない。

「俺のカードは、確か残高8万はあったはずだ。それで何とか……」

「無茶言わないでください。型落ちならともかく、現行モデルで11万を8万まで値引きはしかねます」

 逆に言えば、アウトレット価格になれば8万近くまで下げられるという事だ。季節は6月。あと半年と待たずに来年のモデルが出る。そうなれば旧製品は値下げだ。

 とはいえ、待っている間に在庫がなくなったら意味がない。そしてビアンキは人気ブランドだ。売れ残るとも思えなかった。

「だろうな……でも、諦めきれないな。あのデザイン……あのかっこよさ……」

 そう言うアキラに対して、ルリは良い提案を思いついた。

「それでは、ランク下のモデルを探してみましょうか?」

「え?何それ?」

 アキラが首をかしげる。ルリは大量のカタログの中から、ビアンキのカタログをすっと抜き取った。


「これが、今年のビアンキのモデル全集になります。日本で言うママチャリから、プロが使うロードバイクまで、多数の自転車を収録していますね。この中で、見た目はROMAに近く、それでいて性能が低い自転車を探すというのはどうでしょう?」

「そんなのがあるのか?」

「はい。変速ギアなどはグレードの低いものになると思いますが、色やデザインは保持できると思います。なにより、アキラ様はまだ初心者ですので、あまり性能にこだわりはないかと」

 ビアンキに限った話ではない。本格的な自転車メーカーなら、この手のグレード違いの兄弟機はわりと出しているものだ。もちろん性能に不満が出てきたら、部品を付け替えてグレードアップする手もある。

「――とはいえ、店頭に在庫のない車体になります。入荷まで数日ほどかかると思いますが、大丈夫ですか?」

「ああ、仕方ないだろうな。数日なら我慢する」

「ありがとうございます」

 言っている間に、ルリのページめくりが止まる。2台のクロスバイクの写真を指さしながら、ルリは言った。


「こちらは、ROMA 4ですね。変速ギアは、スポーツ向けとしては最底辺のものになりますが、それでも21段という圧倒的な変速を搭載します。もちろん、アルミフレームの軽さもそのままですよ」

 カラーリングがチープになっている気がするが、同じ色の車体だ。ちなみに、

「そこにあったROMAは、何段の変速ギアが付いているんだ?」

「20段です」

「ん?あれ?……安い車体の方が、ギアの数が多くないか?」

「まあ、それについては今は置いておきましょう。多分、口頭で説明しても分かりにくいと思います」

 ルリは説明を省いた。それを「ルリが面倒くさがった」とは考えず、「ルリなりに順を追って教えてくれている」と認識したアキラは、特に文句を言わない。少なくとも、変速ギアは数が多ければいいわけじゃないらしい。


「こちらもお勧めですね。CAMEREONTEカメレオンテという車体なのですが、ROMA 4がロードバイクみたいな見た目なのに対して、このCAMEREONTEは正統派のクロスバイクという印象の車体になります」

 そのカメレオンテとやらは、少しだけ曲線で構成されていた。それに意味があるかどうかは分からないが、きっとデザイン的なものなのだろう。

「ちなみに、曲線の方が地面からの振動を抑えることができます。代わりに、ペダリングの感触も軽減されてしまうので、どちらがいいかは答えにくいですね」

「え?そんな違いがあるのか?見た目の問題だと思ってた」

「はい。ほとんど違いがないので、見た目の格好良さで決めてもいいと思いますよ。ただ、比べてみるとわずかに乗り心地が違います。短距離で速度を求めるなら、直線的なローマ4ですね。長距離で疲れにくいのはカメレオンテです」

 そう言われると、どちらにしようか迷う。ルリとしては本当にどっちでもいいと思った。何しろ、本当にほとんど差がないのだ。

「ちなみにこれは全ての自転車に当てはまる特徴だったりします。似たようなデザインで同価格帯の自転車を比べるときに参考程度にしてください。ママチャリにさえ通用します」



 それから十数分、アキラはローマ4とカメレオンテで悩んでいた。いたずらにカタログのページをめくり、アキラはあることに気づく。

「そういえば、このメーカーって大概の車体が翡翠色だよな。何か理由があるのか?」

 このビアンキというメーカー。ほぼ全ての車体に翡翠色のラインナップがあるのだ。もちろん白や黒もたまにあるが、圧倒的に翡翠が多い。

「――業界では、チェレステと呼ばれる色です。イタリアにある都市、ミラノの空の色なんですよ」

「イタリアの空って緑色なの?」

「いいえ。違います。デザイナーがミラノの空模様を確認し、一年を通して晴れが多いか曇りが多いか――それによって塗料の調合を行います。そのため、ビアンキの色は毎年少し異なるんです」

 あくまで一説によればの話。本当に天気次第で色を変えているかどうかは諸説あるらしいが、ルリが語ったのは有力説である。

「ちなみに緑色に近いのは、マルゲリータ王妃の目の色をモチーフにしたからと言われています」

「王妃?それはまた何で?」

「1895年。マルゲリータ王妃のためだけに、エドワルド・ビアンキ氏が自転車を作成しています。彼は王妃の目の色を、自転車のデザインに取り入れました。それ以降100年以上、ビアンキはこのチェレステカラーを基調にしていると言われています」

「王妃が自転車に乗れるイメージはないな。転んだりしなかったのかよ?」

「さあ?……ただ、マルゲリータに自転車の乗り方を指導したのも、エドワルドだったらしいですね」

 最初にルリが、自転車を色で選んだらいいと言ったとき、アキラはふざけているのかと思った。とんでもない。色一つとってもこれだけのエピソードが掘り起こされるほど、それは重要である。

「――ローマ4がいいな」

 アキラは決断した。

「何となくだけど、俺もイタリアっぽい空気を感じてみたくなったっていうか……つまり名前が気に入っただけなんだけどさ」

「いいと思います。せっかくなので、自転車を買ったら愛称をつけてみてください。ただ自転車と呼ぶより、きっと愛着がわきますから」

「アイちゃんみたいに?」

 アキラが聞くと、それまで上機嫌だったルリが固まった。表情自体は変わらないものの、何やら訊いてはいけないところを突っ込んでしまったらしい。

「わ、私は自分の愛車をアイローネと呼んでいます。アイちゃんって誰ですか?私は知りません」

「いや、さっき自分で言ってたじゃねぇか。専門用語いっぱいモード入ってた時」

「言ってません。恥ずかしいので言っちゃってない事にしてください」

「してくださいって何だよ。認めてんじゃねぇか。っていうか、いいじゃん。アイちゃん可愛いって」

「……」

 ついにルリは何も反論しなくなってしまった。何か悪いことをしたかと思ったアキラだが、可愛いと言われて怒る女子はいないだろうから気にしない。


「それでは、代理店に問い合わせてみます。在庫の確認と、発注をかけないといけないので……アキラ様はその場でお待ちください」

「おう、頼んだ」

「お任せください」

 電話をかけるためだろう。ルリは店の奥に引っ込んでいった。相変わらず危なっかしい足取りである。もしかすると、自転車に慣れている分、自分で地面を踏みしめるのは苦手なのかもしれない。



「え?ない……ROMA 4が在庫切れ……ですか?ではCAMEREONTEを……そちらも在庫切れ?――1週間前に売り切れ。

 それでは、ROMA 3は?……なら、いささか予算オーバーですが、ROMA 2でも……ない?それじゃあ一体どうすれば……

 いえ、そうではないんです。早急に欲しいので……はい。はい――失礼します」


 輸入代理店に問い合わせたルリは、そこで絶望を味わった。大げさかもしれないが、聞いての通りだ。すでに倉庫はもぬけの殻。要望の車体はおろか、その類似品すらない。

(あるのは、この店のROMAのみ。それも1台限り……)

 それが買えたら苦労はしないだろう。そもそも、予算がないという話から始まっているのだ。



「……」

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