廻る世界のウロボロス

空庭真紅

特務遊撃部隊

1-1 新人研修


 穏やかな昼下がり。

 天を突く巨大な針葉樹が立ち並ぶ樹海を前にして、暖かな気候には不釣り合いな空気が俺達を包んでいた。


「貴方が私の教育係ですか……?」


 そう言って訝しむ様な視線を投げたのは、長くなめらかな金髪と猫科動物の様な耳が特徴的な美少女。纏うのは白を基調とした軍服チックなワンピース。腰には革製のホルスターが装着されており、左右それぞれに二本ずつ短剣が差してある。


 彼女の名前はセレーネ・エトワール。研修官トップの成績を誇るエリートだ。

 成績上位数名に与えられる特別待遇を持ってして、セレーネは俺の所属する新設部隊で実地研修を行う事になっている。

 セレーネの紅い瞳には、ブルーアッシュの髪をめんどくさそうな表情で掻く俺の姿が映り込んでいた。


「そうだが、随分と嫌そうだな?」


 割と失礼なセレーネの態度を受けて、俺は微妙な笑顔を貼り付ける。

 立場的には上官なんだけどな。

 対面するのは、研修生と、過去の栄光ではあるが組織トップの階級の俺だ。緊張して、借りてきた猫みたいに縮こまっていると思っていたが、どうやらその様子ではない。


 いやまぁ、待ち合わせの時間に大幅に遅れた事は悪いと思っている。仕事の前に妹のいる病院を訪れたら、思いの外時間を過ごしてしまって、慌ててここまで走ってきた。

 そしたら、腕組みしていかにも不満そうな表情をした女の子が立っていたという訳だ。


 怒られても仕方ないっちゃ仕方ない。俺が全面的に悪いしな。

 気まずい雰囲気を払拭するため、面白い言い訳でも言おうかと思ったが、俺の思考を遮るように少女が言葉を紡ぐ。


「そういう訳じゃないです。ただ、貴方は二年前の戦争で負傷して退役したと聞いています。ゼル・ローグ先輩」


 人間性を問われているのではなく、どうやら俺の戦闘能力に不満があるらしい。


 セレーネの情報は正しい。確かに俺は二年前に勃発した巨龍ウロボロスとの戦争で負傷している。傷は深く両腕を失うまでに至ったが、組織の技術力によりこうして現場に復帰してしまった訳だ。


「つい先週復帰したところだ。それより俺の事知ってんだな、驚いたよ」


「組織の人間なら誰でも知ってますよ。貴方は……先輩は組織最強の部隊のメンバーじゃないですか。ウロボロスとの戦争でも大きな功績をあげた英雄です」


 素直な賛辞に俺はなんだかむず痒い気持ちになる。


「それなら、俺が教官な事に不満はないんじゃないのか?」


「先輩の負傷は生死に関わるものだと聞きました。現場復帰は絶望的と」


 セレーネの言い分は理解できる。

 それならやる事は一つだろう。


「良く分かったよ。んじゃ、模擬戦でもやろうぜ。それで判断してくれれば良い」


 そもそも、街から離れたこの森の入り口を待ち合わせの場所に指定したのも、それが目的だった。教育係を引き受ける以上、相手の能力を十二分に把握する必要があるからだ。


「わかりました」


 言葉使いは平坦なものの、セレーネの表情は冴えない。やはりまだ不満か。


「ルールは簡単、どちらかの降参か戦闘不能だ。武装も魔術も使用許可を取ってある。俺を龍と思って攻撃してくれ」


「殺す気で来い、という事ですね?」


「それ以外の意味は無いだろ? 龍は人類の敵だ、奴らを一匹残らず始末するために俺達がいる。さて、その時計で三分経ったら戦闘開始だ」


 俺は軍服のポケットから懐中時計をセレーネに放り投げ、キャッチするのを見届けてから森に向かって走り出す。

 自身に身体強化の魔術を施し、人智を超越した脚力で大樹の枝へと飛び乗ったところで、深く息を吐いた。


「……アカデミー主席の実力を拝見させて貰おうか」


 事前に読み込んでおいたセレーネのプロフィールを脳内で反芻させる。

 彼女の持つ属性の素質は水と氷の二つ。水の属性魔術は、柔軟な発想と高い技術が要求されるが、臨機応変に対応できる強力なものだ。氷の性質は凶悪の一言に尽きるが、どこまで修練を積んでいるかに依存する。


 相手は研修生だが、油断は禁物だ。なんたって主席だからな。

 宣告した時間が経過したであろうタイミングで思考のスイッチを切り替え、戦闘に意識を集中させる。


 木々の葉の擦れ合う音、森の生き物たちの声、風のそよぐ音。聴覚を魔術で鋭敏に強化し、ありとあらゆる音を聞き取る。

 自然の音の中に二つ、不規則なものが混じる。足音だ。

 それともう一つは――、


「魔術かっ!」


 咄嗟に後ろに飛んで別の枝へと飛び移る。

 直後、風を切る音が鳴った。

 音の正体は見抜けなかったが、数秒前に自分が立っていた太い枝が真っ二つになっているのを見て、切断系統の魔術だと理解する。

 威力はまぁまぁ。これなら実戦でも使いものになる。


 間髪入れずに氷の剣が飛んでくる。数は四つ。全てが容赦なく高い殺傷能力を秘めている事に関心する。

 腰に吊してある革製の鞘から剣を引き抜き、至って冷静に氷剣を打ち落とす。

 狙いは正確だが、どうにも攻撃が単調だ。波状攻撃を仕掛けるにしてもタイミングがイマイチだろう。ならば、狙いは別にあると考えるべきか……?


 身を翻し、着地したところをセレーネの短剣が狙って来る。なるほど、氷剣はこれの成功率を上げるためか、悪くない。セレーネの鋭い刺突を紙一重で躱し、その細い手首を掴む。


 セレーネも怯まず俺の頭部を狙って蹴りを繰り出そうとするが、抱き寄せる様に手前に手首を引っ張る事によって行動を阻害した。

 俺は背中から地面に転がる用に身体を倒し、セレーネの華奢な身体を足で後方に投げ飛ばす。


「うっ!」 


 苦しそうな呻き声が漏れた。

 少し強めに蹴ったのだから当たり前なのだが、女の子相手に申し訳なかったか?


 しかし、そんな思考も直後の攻撃で杞憂に終わる。

 起き上がり様に少女が水を放ってきた。鞭の様に細く曲線的な軌跡だ。どうという攻撃には見えないが、長年戦闘に従事してきた本能が警笛を鳴らした。


 地を這う様にして水の軌跡を回避したところで、攻撃の真意を悟る。

最初の一撃と同じだ。俺の立っていた太い枝を切り落とした斬撃と同一の魔術だろう。その正体が水の軌跡なのはもう間違いない。

 そこまで考え、セレーネの魔術における技能がすでに小隊長クラスである事に舌を巻いた。


 同時になるほど、と思った。

 俺が身を置くのは新設部隊だが、選抜されているメンバーは組織トップの実力者が揃っている。そして彼女はその最強の部隊に新たに加わるメンバーだ。

 また難儀な任務を任されたものだと、苦笑する。上は彼女の素質を買っている。


 さてと、意識を再び戦闘へと集中させる。

 水の軌跡が撫でたであろう地面がパックリと切り裂かれているのを見て、その切れ味がとんでもない威力だというのが良く分かる。


「そろそろ先輩の威厳ってヤツを見せてやるか」


 ありったけのマナを身体強化の魔術に回し、爆発じみた踏み込みでセレーネとの距離を一瞬で詰める。

 黙って接近を許してくれる相手じゃないのは百も承知だ。

 セレーネは絵を描くように空中に水の軌跡を走らせる。幾重にも編み目の様に重なったそれは、何人たりとも近づけない斬撃の結界。


 しかし俺は気にせず加速を緩めない。

 マナを左手に纏わせ、たったそれだけの準備で斬撃の結界に触れる。

 その行動はセレーネも予想外だったらしく、眼を丸くして驚愕の色を隠さない。


 客観的に見れば無謀にも思える行動だが、斬撃の結界は俺の軍服を濡らすだけに留まった。あの恐ろしい切れ味は影も見せない。


 信じられない、とセレーネがこぼす。結界を抜けられた事実に思考が追いついたのか、ハッと慌てて迎撃のために氷剣を生成するのだが――、


「チェックメイトだ」


 俺の振るった剣は氷を花のように散らし、セレーネの首に添えられる。決着だ。


「……私の負けです」


 寸でのところで止められた刃の輝きを見てセレーネがゴクリと喉を鳴らした。


「今日から教育係を務めるゼルだ、よろしく。まだ不満はあるか?」


 言いながら剣を納めると、続いてセレーネも左手に握った短剣をしまう。

 戦闘の結果には納得しているようだが、すぐには口を開かない。


「……不満はありませんが、先輩が意地悪な人だというのが良く分かりました。それに、偉そうな事言ってすいませんでした。よろしくお願いします」


 セレーネは少しむくれながらそう言う。

 少し前まで纏っていた不信感が薄れた様に感じて、俺はひとまず安堵するのだった。

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