第46話 高級な宿屋には上品な人がいる

 第46話 高級な宿屋には上品な人がいる



 その宿屋は『水月楼』という宿屋だった。


 この国の建物はコンクリートのような謎素材を使ってバロック様式から程よく角を取ったちょっとファンタジー風のものなのだが、宿場という小さいコミュニティーの所為かここには高い建物がなく、二階建てがほとんどだ。


 どれもそれなりに『いい感じ』の建物なのだが、この水月楼というのは特にシックで上品なつくりに見える。


「おいでませ」


 少し変わったイントネーションで迎えてくれたのは宿屋の女将さんだった。

 動きやすそうなシンプルな洋服で、でも見るからに仕立てのいいものにみえる。かなり上品なご婦人だ。


「あら、お帰りなさい…」


 入ってきたミルテアさんとネムちゃんを見て彼女の眉が下がる。


「えへへ、女将さん、今日は三人でなの。よろしくね」


 その言葉にどんな意味が込められていたのか、女将さんは少し悲しげに微笑んだ。俺にはわからない暗黙の了解みたいなものがあるのだろう。


「お部屋は一つでいいのかしら?」


「ああ、別にしてください」

「ええ、一つでかまわないわ」


 俺とミルテアさんの声が重なり、お互いを『?』とみる。

 野宿ではあるまいし、男と女が同じ部屋はまずいだろう。

 そう思ったのだが…


「大丈夫よ、部屋の中に部屋があってちゃんと鍵もかかるから」


「ああ、なるほどそういう構造なんですね…でも…」


「それにこの宿は一部屋借りるのに一金貨かかるわよ?」


 げげっ、一泊一〇万円?


「一部屋四人まで一金貨で、あとは一人増えるごとに二銀貨追加になってるの。マリオンくんお金持ってるけど、一部屋別に借りるのはもったいないよ」


 ううっ…たしかに。

 観光旅行じゃないのに一泊一〇万円…払えるけど払いたくない…


「ね? 一緒でいいでしょ?」


「よろしくお願いします…」


 びんぼに負けた…

 いや、金は持っているけどね…根が貧乏性というか、庶民だから。


 ネムちゃんなぜそこでガッツポーズ?


 ◆・◆・◆


 宿屋はコの字型で、中庭に見事な花壇が作られていて、散歩コースになっているようだ。しかし花壇の隙間は白砂が敷き詰められていて微妙に枯山水…

 外来文化が根付いたせいだな。いいんだか悪いんだか…


 部屋は洋風のドアがあって、中にはいると洋間のリビング、なのに寝室になる奥の部屋は和室だった。

 布団を敷いて寝る形。


 日本のホテルみたいだな…


「しかし、こんな…といっては悪いけど、ここに高級旅館なんか建てて採算がとれるのかな?」


 ちょっと気になった。


「私もこの宿屋の内情なんかは知らないけど…ここは領主さまやお役人の偉い人が泊まるための宿屋だって聞いてるわ。

 あと裕福な商人さんとか。

 この部屋高いけど、この宿屋の中では一番グレードが低いのよ」


 すげーすげー、マジすげー。つまり偉い人相手の超高級旅館ということか!


「それにいまこの公爵領はターリを中心とした開拓に力を入れているの。そのせいで人の行き来は徐々に多くなっているわ。商人もお偉いさんも含めてね。

 それにいつ来てもこの宿屋って半分は埋まっているから、問題ないと思うよ」


「それにここ『水月楼』は、いくつもの支店を持つ大きな宿屋です。獣王国にもありました。ここ自体が採算が取れなくてもここにあるということは意味があるのだと思います」


 ネムちゃん難しいこと言った。

 そうか、巨大ホテルチェーンか…ならばそういう背景もあるのかもしれないな…

 知らんけど。


 そのネムちゃんだが今は椅子に座ってお茶を飲んでいる。座る姿が美しい。

 背筋を伸ばして椅子に浅く腰掛け、足をそろえて隙が無い。

 今まで食事風景ぐらいしか見てなかったからわからなかったけど、ネムちゃんはたぶんものすごく育ちのいいお嬢様だ。


 隣のミルテアさんが背もたれに寄りかかって足を投げ出しているから対比としてすごく上品に見える。

 ミルテアさんが下品というわけではないのだ。神官さんだけあって隙の無いたたずまいではある。

 だが何かが違う。うーん何だろう…


 俺が気品について思考を巡らせていると宿の人が食事の時間を確認に来た。

 食事は部屋に運ばれてくるらしい。


 そして帰りしなにもしよければ庭をご覧ください。みたいなことを言って出ていく。


「この庭はここの名物なのよ」

「有名で、水月楼の特徴ですね。どの庭もちょっと見てみるべきものです」


 ほう、それほどですか…

 なら見てこようかな。


 ◆・◆・◆


 といって出てきた庭は確かに見事だった。

 コの字型の建物に囲まれたかなり広い空間で、白砂と色とりどりの花。そして島に見立てて作られた花壇が見事に調和し、和洋折衷の枯山水。


 ちょっと見きれいだったけど、下りて中を歩くとまた違った風情がある。

 庭園自体が日常から切り離された幻想的な空間のようで、確かに一見の価値があった。

 

 国立なんちゃら公園とかに偶に行って『お花きれいねー』程度のことしか思わないおれが、のんびりと散歩してまるで別の世界に迷い込んだような気分でふわふわと散歩を続けられるのだから本当に大したものだと思う。


 芸術というべきレベルではないだろうか。


 あまり落ち着くから手近にあった草の葉を拾い、草笛など吹いてみる。


 ぴぃぃぃぃぃぃ…と振るえる音が耳になじんだ曲を奏でる。草笛というのはなぜか物悲しく響くものだ。もう聞くこともないだろう曲を奏でていると妙にメランコリックな気分になる。


「あらあら、風情があっておよろしいことですね」


 一曲吹き終わる頃に後ろに一人の婦人がしずかに声をかけてきた。

 今回は油断はしていなかったから歩いてきたのは知っていたけど、声をかけられるるとは思わなかった。


 老婆といっていい年齢の婦人だが、かなり気品のある人だ。


 俺は軽くぺこりと頭を下げる。


「若い方が景色になじむのは良いことですわね。でも無聊を慰めている感じ、なにかおありなのかしら」


 うーむ、こういうものすごく上品なご婦人というのはあまり会う機会がないので対応に困る。まあいいか、普通で。


「いえ、連れ二人と宿屋に入ったんですが部屋が同じでして、しかも知人ではありますが、気心の知れたと言うほど親しくはないご婦人なので、ちょっと居心地が悪うございまして」


 ありゃ、普通になってねえぞ。

 我ながらなんだ、悪うございましてってのは。

 しかし。


「あらあら、貴方はまじめな方なのね…」


 そう言うと老婦人は口に手を当ててコロコロと笑った。

 上品でいてかわいらしい。こういう人も居るのかとちょっと驚いたぐらいに馴染みの無い感じの人だ。日本でなら住む世界が違うというヤツで出会うような機会もなかっただろう。


 彼女はフリデリカ・ルーアと名乗った。


 どんなお仕事かは聞かなかったが年を取って息子さんに仕事を譲って、いまは悠々自適で暮らしていて、今回は領都キルシュにいるお孫さんのなにかのお祝いに行ったの帰りなのだそうだ。

 普段すんでいるのはベクトンで、今はその帰り道と言う事らしい。


「へー、いいですね、僕も年を取ったらゆっくりしたいかも」


「あら、今は?」


「今は…そうですね、見る物聞く物が珍しすぎて、休んでいる暇がない感じでしょうか?」


「あらあら、若いっていいわね。私も昔はそうやって旅をしたものよ。旅をしていると自分の知らなかったこと、知らなくてはならないことに沢山出会うもの。そして出会いはいろいろなことを気づかせてくれるわ…

 無駄になるものなんて何も無いの。世界は驚きで満ちているものね」


 うん、亀の甲より年の功というのは正しい。ルーアさんの言うことは正しくて、でも昔から言われていたことでもある。

 でもそういう言葉に実感や奥深さを込められる人というのが確かにいるのだ。それが人生経験というヤツだと思う。俺みたいな若造が言ってもあまりありがたみはなかったりするんだよね。


「そうだわ、ベクトンに行くという事は、ひょっとしてターリから来たのかしら? だったらターリで魔族がでたという話を聞いたことがある?」


 ちょっと驚いた。


「耳が早いですね、確かに魔族が討伐されたってお祭り騒ぎしてました」


「ええっ? うそ、ほんと? いきなり討伐されたの?」


 リリアさんは本気で驚いている。

 やはり魔族というのはかなりの脅威であるようだ。

 だったら安心のためには正しい情報を開示しよう。


「ちょうど僕達がターリに居るときにその話があって、ターリをでるときに討伐をした冒険者達が帰って来たと言うのでお祭りでしたね。

 ちなみに魔族を討ったのはロイド君という冒険者ですね。

 あっ、ただ顔見知りと言うだけですよ。

 他にも沢山のハンターが協力していたとか」


「そうなの…良かったわ、魔族がでた、何処にいるか分からないなんてことになったら国中大騒ぎだもの。

 そう、討伐されたのね…」


 彼女の言葉には実感がこもっていた。

 それ程か! と思ったがその魔族のせいで魔物達が大騒ぎをして、ネムちゃん達のチームも壊滅している。

 探せばもっと被害があったのかも知れない。

 放っておけば大きな災害になったかも知れない。そういう事なんだろう。


 そしてロイド君達のチームは全員生還したらしいが人的被害は相応に出ていると聞いている。

 やはり軽々に考えることのできる相手ではないのだろう。


「そうなのね…魔族はね…仕方がないの、魔族がでるととても沢山の被害が出るのよ…みんなとても怖がっているわ。

 でも、そんな中で魔族をたおすような子が居る。

 それはみんなの希望なの…

 ありがたいことだわ」


 ルーアさんはそう言って目をつむった。

 しかしなんかロイド君達はこの後大変そうだな。


「マリオンさん。お風呂が開いたそうです」


 そんな事を考えているとネムちゃんが呼びに来てくれた。お風呂がオープンしたようだ。

 俺が返事をしようとしたら…


「あら、ネムちゃん」


「ひゃっ、フレデリカおばさま」


 あり? 二人はぷりじゃねえや、知り合い?

 みたいだね。ネムちゃん石化している。

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