第21話 記憶のスパイラル

彼が不在のこの5日間は、とてもとても長く感じた。


恋をすると、時間の感覚が著しく狂う。

その影響力の凄さに、ただただ驚いた。


唯一助かったのは、健斗の図書館から本の貸し出しを受けていたこと。

難しい本も借りていたので、時間をもて余すこともなかった。

ただ、寂しさは埋まらなかった。


今日は健斗が帰ってくる日だ。


彼が、帰ってくる時間と、玄関ドアの暗証番号を教えてくれた。


彼が帰宅する少し前には、彼の家にいて、コーヒーを淹れてあげよう。

そう思って、少し蒸し暑い川沿いの道を夕日に頬を染めながら北上する。


返却する本が少し重い。

欲張りすぎたかな?

しかし一番重たい『原石図鑑』が思いの外、かれんの中でヒットした。

美しい緑や黄金の石が並んでいるのを見ると、健斗のライブラリーのステンドグラスを思い出した。


暗証番号をプッシュして部屋にはいる。

一括して照明もつけられ、エアコンもワンタッチで適温に……


 ここまで便利な生活をしていたら

 他がみんな不自由と感じるんじゃ

 ないかしら?


健斗から、「あと30分程で帰る」と連絡が入った。


心がはやる。

早く声が聞きたいと思った。


その前に、自動の沸騰ポットに水をいれ、お湯を作る。

コーヒーミルに豆を入れて挽き、ペーパードリップをセットする。


お湯が沸く前に、図書館へ返却に行こうと思った。


重い本を抱えながら、階段を回避して、あちら側の廊下へ入る。

突き当たりのドアを開けると螺旋階段。

ノスタルジックな光に吸い込まれていく。

階段を下りながらステンドグラスを愛でる。

何だか心ときめくような、不思議な気持ちになる。

持って下りた本を一冊ずつ、記憶を頼りに返却する。


 また借りたい本を見つけてしまい

 そう!


そう思いながら、最後の『原石図鑑』をしまうため、低い棚を覗き込んだ。 


ふと気になる絵本をみつける。


『Live in the Forest』

美しい絵本だった。


開いてみると、洋書の絵本に、手書きの日本語訳が書き込まれている。


リスの優しい表情、森の息遣いが聞こえてくるような鮮やかな色彩……


「わあ、綺麗……」


その時、不意に頭を殴られたような衝撃が走った。


絵本を落として、かれんも声も出せないまま、うずくまる。


頭が割れるように痛い。

目は霞んでステンドグラスはぼやけているのに、脳裏にははっきりした映像がフラッシュカードのように急速に変化しながら映し出される。


太陽と雨の妖精、

空に七色の橋、

ステンドグラス、

光の差す方を指さして……


 一体、なに?! なんなの?


乗り物酔いのように気分が悪い。


もうすぐ彼が帰ってくるはずだ……

うずくまったまま、声を振り絞って彼を呼ぼうとした。


「健……!」


そう叫んだ瞬間!

心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走り、かれんはその場で意識を失った。



健斗が帰宅した。

インターホンを押しても反応がなかったので、暗証番号をプッシュして部屋に入った。


ダイニングでは電動ポットにお湯が沸いていて、まだ豆が挽かれていない状態でセットされている。


 かれんは来ているはずなのに、

 一体どこに行ったんだ?


「かれん、かれん!」


大きな声で呼びながら各部屋を手前から開けて回る。


「かれん、かくれんぼか? そんなのいいから、早く出てこいよ!」


パントリーも、クローゼットも部屋もバスルームも……


書斎の前に来た。

扉を開けると電気かついている。


 もしこの家に居るなら、もうここ

 しかない。

 きっと、本に夢中になって、時間を

 忘れてしまってるに違いない。

 ……そうであってくれ!


螺旋階段をかけ下りた。


「かれん、どこだ! かれん!」


書斎は電気が着いているのに、ひと気がないような静けさだった。


「かれん、居ないのか? かれ……」


テーブルの前に倒れているかれんを見つけた。


「どうしたんだ! かれん! おい! 目を開けろよ! かれん!」


反応がない。

息と脈を確認してから抱き上げて、もと来た階段を駆け上る。


荒々しく寝室のドアを開け、彼女をベッドに下ろした。


顔を触って熱がないか、体温が下がりすぎていないか確認する。

もう一度、呼吸と脈も確かめた。


「かれん……どうしたんだ! 目を覚ましてくれよ……かれん!」


「……うん……」


「かれん! 気がついたか?!」


「私……頭が痛く……」


「なにがあった?」


「わからない……」


また息が早くなって、苦しそうに眉をしかめる。

「かれん!」




インターホンが鳴る。

健斗は飛び付いて開錠した。


「天海先生! 入ってください。すみません……」


「いいんだ。それより、かれんちゃんは?!」


健斗が招き入れる。


「こちらです。お願いします」


寝室に通す。


「ちょっとは落ち着いたんですが……」


「わかった、まず診るよ。藤田くんは少し外してもらえるかい?」


「はい」

健斗は部屋の外に出た。



「かれんちゃん、僕だよ、わかるか?」


「……宗一郎さん?」

力なくかれんが声を出した。


「そうだよ。気分が悪いの?」


「だいぶんましになって……でも頭はまだ痛いです……」


宗一郎がかれんの手首を持ち、時計を見ている。


「脈拍は安定してるな」


額に手を置き、次にかれんに覆い被さるようにして目を下に引っ張って持ってきたライトを瞳孔に向けた。


「熱もないね。かれんちゃん、残業がきつかったとか、ここ数日になにか無理をした?」


「いえ、特に変わったこともしていません」


「倒れたときはどうかな?なにやってて頭が痛くなった?」


「書斎で絵本を……あっ……また……」

かれんは苦しそうに胸を押さえた。

呼吸が早くなる。


「ごめん、わかったよ、なにも思い出そうとしなくていいから、とにかくゆっくり呼吸をして……大丈夫、ちょっと疲れがたまってるだけだよ。休んでて」


部屋から天海が出てきて、後ろ手でドアを閉めた。

「藤田君、彼女、倒れてからどのくらい時間が経ってる?」

「俺が帰宅する前ですから厳密にはわからないですけど1時間くらいです」


「そうか、少し貧血気味だけど大丈夫だ。水分はとれてるか? 吐き気は?」


「さっきスポーツドリンクを飲ませました」


「そうか、身体的には大丈夫だろう」


「身体的には? ということは、精神的に何かあると……」


「断定は出来ないが、可能性は否定出来ない。いくつか質問したら拒絶反応が出たからね」


「どうすれば?」


「とにかく、心に負担をかけないように静かにさせておいて、回復を待つのがいいだろう」


「突然すみませんでした」


「いや、構わないよ。来て良かった。心配したからね」


暫しの沈黙があった。


「天海先生、俺たち……」


「わかっているよ、君達はきっと惹かれ合うって、そう思ってた。初めて出くわしたときからね。そんな予感があったんだ。だから、正直、君の事は警戒してたよ、藤田君」


天海は自嘲的に笑った。


「僕の気持ちはバレてただろうから、もう言ってしまうけど、かれんちゃんが僕の隣に来てくれることを願っていたよ。でも、彼女が望んで君の側にいるなら、もう、邪魔はできない」


「天海先生……」


「じゃあ僕は帰るよ。もし何かあったらすぐに連絡して。いつでも構わないからね。それとこれとは話は別だから、無駄に気を回さないでくれよ」


「ありがとうございました」



かれんが居る寝室にむかう。

「健斗……天海先生は……」


「帰った。もう大丈夫だって、心配するな」


そう言って、かれんを布団の上から抱きしめた。

彼の表情をみて、かれんは言った。


「心配しなくていいんでしょ? なら健斗も心配しないで」


「だって、俺は! あ……いや、そうだな」


かれんが力なく笑う。


「健斗、帰ってきてそのままでしょ? ジャケットも脱がないで私の側にいてくれたのね。汗だくよ。気付いてる?」


「あ、そうだな……」


「シャワーでも浴びてきてよ。私は大丈夫だから」


「ダメだ、かれんを一人にしたくない」


かれんは半身を起こして言った。


「ほら、もうすっかり回復したわ。そう……じゃあ、お水を持ってきてもらっていい? それでも私が無事だったら、お風呂に入ってきてくれる?」


かれんの頬に赤みが差し、表情も明るくなっていた。


「わかったよ」


健斗は部屋を出た。足早にキッチンに行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取ってコップに移す。


足早にベッドルームに帰ると、かれんが笑って迎えてくれた。


「早ーい!」

その声の明るさに、心底安心出来た。


「荷物とか、どうしたの?」


「あ……リビングに転がってたな……」


「やっぱり! 健斗らしくない。ねぇ健斗、私、わかったことがあるの」


「なんだ?」


「私が元気でないと、健斗も元気になれないってこと」


「そうだな」


「だからごめんね。こんな事になって……ちょっとしたことで今後も健斗が心配症になっちゃうかもしれないわね……それは困るわ」


「もう遅いかもしれないぞ。俺は意外と過保護かもしれないからな!」 


「そう言わないで。健斗が戻って来るまではここでおとなしくしてるから。さあ、健斗はお風呂に入って、荷物も片付けてきて!」


「わかったよ。ちゃんとイイ子にしてろよ!」


「はーい!」



ひとりになると、やはり少し不安になる。


ライブラリーでのフラッシュバックのようなあの光景、思い出そうとすると、とたんに動悸が激しくなるのがわかる。


一体何を見て、何を感じたのか……


同じような場面が前にもあったような……


だめだ、健斗がここに戻って来た時は、元気いっぱいでいなくては。

しばらく忘れよう。

そう思った。


もうひとつ、脳裏から離れないのは、宗一郎さんの優しい眼差しだった。

 

 まだちゃんと健斗とのこと話せて

 なかったのに、こんな形で知らせる

 ことになってしまって……


そう思うと胸が痛む。

優しさの中に憂いを帯びた天海の表情は、かれんに罪悪感をもたらせた。


レイラも然り、自分達の行動によって人に多大な影響をもたらせる事が、実際にあるのだと、知ったばかりだったのに……


ドアが開いて健斗が戻って来た。

かれんに寄り添うようにベッドに座って抱きしめる。


「健斗、私達、ちゃんと認めてもらおう!」


健斗がかれんの顔をじっと見ながら、その頬に手を伸ばした。


「俺も同じこと考えてたんだ。以心伝心だな」


健斗は手繰り寄せるように、その胸にかれんの頭を引き寄せて、更にもう一度強く抱きしめた。



第21話 記憶のスパイラル -終-


→第22話 母の葛藤

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