第14話 かれんのピンチ

山ノ上のブライダルフェアが終わり、ほとんど片付けが終わった。

「かれん、お疲れ様!」


「お疲れ、由夏! このあと次の打ち合わせあったんじゃなかった?」


「そう。葉月も一緒に行くんだけど、かれんはどうする?」


「私はまた最終チェックをして、ご挨拶してから帰るわ。モデルさん達はもう帰ったの?」


「うん帰ったよ」


「分かった。じゃあ後は任せて。そっち、頑張ってね! よろしく」


「うん。じゃあ、お疲れ!」




「支配人! お疲れさまでした」


「三崎さん、今日は本当に良いパーティーになりました。さすがファビュラスさんですね、ありがとうございました」


「いえ、この素敵なロケーションのおかげですよ。こちらこそ良い経験になりました。ありがとうございます」


「三崎さんかぁ。君もモデルで出ればいいのに。なかなかイイじゃん」


「ああ……社長、おいででしたか。三崎さん、ここのオーナーのご子息で、社長の……」


「三木悠馬です」


支配人に退散を片手で指示した。

「あ、では私はこれで。三崎さん、失礼いたします」

総支配人が会釈して立ち去る。


「今日は三崎さんが素敵な演出してくれたんで、今後のオファーはじゃんじゃん入るんじゃねーかな。ねえ、三崎さん、ちょっと外を歩きません? 奥にすごくいいスポットがあるんだ。ブライダル用につくったんだよ。次回のフェアに役立つと思うよ。見てみるでしょ? こっちに来て」


森の中をオーナーについて歩いていく。


「そうだなあ、この辺でいいかな」


「え?」


「三崎さんって、彼氏いる?」


「どうしてそんな質問を?」


「三崎さん、タイプなんだよね。こういうやり方はどうかって確かに思うけどさ、それもまた出会いじゃん!」

そう言ってジリジリとかれんに近づいて来る。


「何ですか?! やめてください!」

後ずさりしていくかれんは、大きな木にぶち当たった。


「はい! そこまで! 観念してよね」

三木はかれんを両腕で囲んだ。


体を寄せてを身動きを奪うと、抵抗しようとするかれんの腕を取り、 両方の手首を掴んで木の上の方に押し付ける。


「やめてください! お願い……」


そして顔を背けるかれんの首筋に唇を這わそうとした時、三木の体の向こう側から、聞き覚えのある声がした。


「おい! お前……何やってんだ! その手を離せ!」


その声に反応した三木は、かれんにのしかかっていた体を浮かせた。

吊り上げられた手を離されて、かれんはその場に崩れるように座り込んだ。


「おや? 誰かと思ったら、今日のモデルじゃないか。なんだ、つけてきたのか? お前もこの女、狙ってんの?」


「いい加減にしろ! こんなこと許されるか!」


「こういうのもいいんだって。お前、灼いてんだろう?」


健斗がグッと詰め寄る。


「なんだ? 殴るのか? オレはクライアントだぞ!」


「クライアントはお前自身じゃないだろ? バカ息子!」


「なんだと?!」


「じゃあ、こんなことをしても許されるかどうか、お前のパパに聞いてやるよ。三木謙吾会長、今は鎌倉にいるよな? 会長連盟の会合のはずだ。俺の父親もそこにいる。たしか知り合いのはずだ。だけどこの話聞いたら、どう思うかな?」


「な、なんだよお前! 一体何者?!」


「何者だっていいだろ。今ここでわかってるのはお前が卑劣だってことだけだ!」


「クソッ!」

そう言って、三木は走って森を出て行った。


健斗はかれんに駆け寄り、その両肩を支える。

「おい! 三崎かれん! しっかりしろ! おい! 目を開けろよ!」


大きく息をしてるのにうまく吐けず、首元を押さえていた。

恐怖で足がガクガクして身体に力が入らない。


「ゆっくり息をしろ。大丈夫だから、落ち着け」


ゆっくり顔をあげる、見開いた目に藤田健斗がいっぱいに映る。


「俺だよ。わかるな? もう大丈夫だ」

優しく静かな声で健斗が言った。


安堵の気持ちがふっと湧いて、声が出ない代わりに涙が溢れてきた。

健斗がかれんの肩を抱き直して、長い指でその涙をそっと拭く。


「怖かったんだな… 早くここを出よう。動けないか……分かった。おぶってやる」

健斗はかれんの腕を支えて、持ち上げるように背中に担ぎ上げた。


「行くぞ。 落ちるなよ」


森を歩きながら、健斗は複雑な思いを抱えていた。


本当はズタズタにしてやりたかった。殴って殴って、口も聞けないようにしてやりたかった。

でも、こいつの涙を見たら、そんなことよりも、早くここから連れ出してやりたくなった。今も背中越しに彼女の異常なまでの動悸が感じられる。

こんなに心が震わされたことは、しばらくなかった。そう、あの時以来……


そして今、奇しくもあの時のように、人を背負って森を歩いている。

彼女の頭の重さが、彼女の存在を知らせた。


 無事で良かった。


突然 彼女の頭が持ち上がった。


「どうした?」


「なんか、頭が…」


「頭が痛むのか? ちょっと待ってろ、降ろすから」

傍にあった切り株に、かれんをそっと下ろして座らせた。


健斗はかれんの前に座り込んだ。その目を覗き込んで、優しい声で聞いた。

「どうした?」


目の奥が怯えていた。

何かを訴えているように見えた。


「頭が痛い?」


「違う……なんか頭が真っ白になって…… 閃光みたいな何かが見えて…そしたら苦しくなって……」


「何が見えたんだ?」


「何か、思い出したかも……」


「思い出す? なんのことだ?」


「待って! また頭が……」


そしてすっと意識が薄らいで、力なく健斗に寄りかかる。

「おい! しっかりしろ!」


今後はかれんを抱き上げて、早足で歩いて行った。


またこんな思いをするとは。

健斗の頭に15年前のことがよぎった。

次第に頭を占領するその辛い記憶を、振り払いながら、ひたすら歩いた。


車に着くと、そっと彼女を後部座席に寝かせる。

うっすら意識はあるようだ。

何かブツブツ言っている。


「ちょっと待ってろ。水をもらってくる」

そう言ってホテルのロビーに走って行く。


15年前のことが頭から離れない。

もうあんな思いは……したくない。


水のペットボトルをもらって、車まで走って帰る。

車に戻ると、意識が戻ったかれんは後部座席に座っていた。


「おい、起きて大丈夫なのか?!」


「ええ」 


「頭の痛みは?」


「もう治ったみたい」


「そうか! ほら、水飲んで」


「ありがとう」


「……びっくりさせるなよ、 一体どうしたんだ?」


「私にもわからない。森にいる時に、なんか頭の中に光が走って…真っ白の…そしたら何かが、ぱっぱっぱって。早回しのフィルムみたいに見えたの」


「それが何かわかるのか?」


「何も分からない…そしたら頭が痛くなったの」


「わかった。ちょっと落ち着こう」


「うん。もう平気だから。今は何ともない」


「そうか、車動かして大丈夫か?」


「ええ」


「じゃあ、気分が悪くなったら言って。横になってもいいから」


「うん」

 

窓を全開にして、曲がりくねった山道を風に吹かれながら 下って行く。

時折、バックミラーで後部座席を確認する。

さっきよりは顔色も表情も、ずいぶん落ち着いてきているように見えた。


風が心地いい。新鮮な空気に髪を撫でられているようで、なんだかホッとする。

眼下にはパノラマの夜景が見える。

美しい。

でも心に悲しみと恐怖の気持ちがこびりついている。

それとともに悔しさが溢れてきた。

女が仕事をすると、多かれ少なかれ嫌な思いをする局面がある。

でも今日のは、本当に怖かった。

もしあのまま……

そう思うと また足がすくむ思いがした。


「ねえ」


「なんだ? 大丈夫か?」


「ええ…どうして森の中に……? …モデルは全員帰ったって…」


「あ…」


ばつの悪そうな顔をして藤田けんとは言った。

「実はさ、由夏さんに頼まれた」


「由夏に?」


「ああ、お前を送ってやってってさ。だからお前があのバカ息子と喋ってんのを、2階のテラスで見ながら待ってたんだよ。そしたら森の方に行くじゃねえか、おかしいなと思ってしばらく待ってたんだけど、片付けしてる従業員の噂話聞いちまってな。あいつがひどいセクハラ男だって。お前がいつまでたっても森から出てこないし、ヤバいかなと思って……それで行ってみたんだ」


「そう……」


「行ってよかったよ。とんでもない奴だな」


かれんはまた黙り込んだ。

バックミラーを見ると、彼女は両手首を見つめ、さすっている。

グッと目をつぶって下を向いた。


 強く押し当てられた手首に走る痛みと、

 あの光景が消えない…

 

健斗は運転しながら思っていた。


 PTSDかもしれない。でもどうするか……

 病院連れていくわけにもいかないしな。

 とりあえず、飯でも食わせようか。


「さあ 下界だぞ、もうすぐ着く」


「そう……、夜景……綺麗だったね」

その声はようやく絞り出したようにかすれていた。


「バカ。 無理すんな」


「別に、無理してないわ」


「バカ。顔見りゃわかるぞ」


「ホントあなたは……私にバカバカばっかり言う」


「そうだな、最初からそうだった」


「意地悪なんだか、優しいんだか……」

かれんの言葉が詰まった。


「……でも、本当に、ありがとう……助けて、くれて……」

その、か弱くたどたどしい言葉を聞いて、健斗は息を飲む。


 本当にこわかったんだな……


ハンドルを殴りそうになる気持ちを、グッと抑えた。


「さあ、着いたぞ」


車を健斗のアパートの前に止める。

「降りられるか? 待ってろ」


健斗は 車を降りて後部座席のドアに回った。

「ほら」と手を出す。


かれんはその手を取った。大きくてしなやかな手。

立った時に少しふらついたが、なんとか歩けそうだ。


「あの……」


健斗は彼女の頭に、その大きな手のひらを置いた。

「さあ行こう」


「どこに? またコンビニじゃ……?」


「お! 調子出てきたな」


携帯電話を取り出す。

「あ、もしもし俺、 飯食いそびれちゃってさ、何か作ってて。そうだな、消化が良くて腹持ちするやつ。え? ひとりかって? いやいや二人前、女子だからよろしくな。じき行くわ、じゃあな」


「今のって?」


「波瑠だよ」


「え、『RUDE BAR』ってご飯出してるの?」


「いや、まかないみたいなもんさ。波瑠は自分で作って自分で食ってんの。これが結構腕が良くてさ、イケてるんだよ。ランチタイムに店を開けようかなって思うぐらいだよ」


「そうなんだ。波瑠くんはホント器用なのね」


「なんか限定的な言い方だな? 俺への当てつけか?」


「別に」


通りまでの道を、かれんに合わせてゆっくり歩いた。

『RUDE BAR』の前に着いた。

健斗がドアを開けようとした時、かれんが健斗の袖を掴んだ。


「どうした?」 


「今日は……本当にありがとう……」


「気を遣うな。何度も言ってんだろ? 傷ついたのはお前なんだから、俺に気を遣う余裕があったら、早く元気になってくれ」

半ば背中を向けながら健斗は言った。


「さ、入るぞ」


「健斗さんおはようございます。あ! かれんさんでしたか」


波瑠の顔がパッと明るくなった。

かれんもつられて笑顔になる。


「……ずっと一緒だったんですか?」


健斗がかれんにカウンターチェアを引いてやってから、自分も座る。


「今日俺はモデルの仕事。こいつの主催でな。白いタキシードとか着せられて……ホンっトに恥ずかしかったぞ!」


波瑠は豪快に笑った。

「見たかったな、かれんさん写真とってないんですか?」


「あ……広報の子が撮ってるはず」


「絶対に見せてくださいね!」


「うん」


「やめろよ波瑠! とにかく腹減った! なに作ってくれたんだ?」


「シーフードピラフにしましたよ! 後は オニオンスープと野菜ディップ」


「すごい波瑠くん。この短時間で?」


「野菜ディップはもともとここで出してるものですから。ピラフはよく作りますよ、まかないで。オニオンスープはね、ボクの酔い覚ましなんです。いつも大概作ってますから」


健斗が感心して言う。

「お前、厨房1人で忙しいのに、そんなことまで出来るのか? 器用なやつだな!」


爽やかに笑う波瑠、その雰囲気にかれんは救われた。


 ようやく体から無駄な力が抜けていく感じ…

 おそらく藤田健斗は、こうなることを

 わかってここに連れて来てくれたのね。


携帯電話が鳴った。


「あ、由夏だ」


「ねえ」

健斗の方に向く。


「お願い。由夏にさっきのこと言わないで」


「言わないのか?!」


「ええ、絶対よ。」

そう言って携帯電話を持ったまま、ドアの外に出て行った。


「さっきの事って? 何かありました?」


「まあ……」


「そうでしょうね……ここでご飯食べるなんて珍しいし。それに入ってきた時の2人の顔ですよ、何かあったと一目瞭然で」


「やっぱ波瑠にはかなわないね」


健斗は今日あったことを大筋で話した。

波瑠の表情がみるみる曇る。


「健斗さんがいて本当に良かった……でないと、かれんさん……」

波瑠の表情から怒りを感じる。

こんなに荒々しい波瑠の顔見たのは初めてだった。


かれんが戻ってきた。


「かれんさん、由夏さんもまた連れてきて下さいね。葉月さんもホント面白かったですし」

優しい表情に戻った波瑠が言った。


「うん、伝えておくわ! 由夏も葉月も喜ぶわ!」

かれんの顔がまたパッと明るくなった。


波瑠が健斗に目配せをする。

かれんの和らいだ表情を横目で見ながら、健斗も少しほっとした。


時計の針が12時に近づいた。

かれんが時計を見るのを確認して、波瑠が切り出した。


「かれんさん、ボク、コンビニで買い物があるんです。ちょっと チーズが足らなくなって……なのでかれんさんをお家まで送ってきますよ」


「そんなのいいわよ!」


「シンデレラは12時までに帰んなきゃね、でしょ? ほら急ぎますよ! 健斗さん、ちょっと留守番しててください。今日はお客さん来ないみたいだし」

そういって波瑠は、かれんにバッグを手渡して、階段に促す。


「さ、行きましょう」


バタンとドアが閉まあっさり出て行ってしまう。

 

 波瑠はたいしたタマだな。若いくせに、

 末恐ろしいぜ。


「波瑠くんありがとうね。優しいのね、ご飯も美味しかったし、波瑠くんのカノジョは幸せ者ね!」


「いませんよ。そんな人」


「あら? 意外。お客さんなんて若い子はみんな波瑠くん目当てなんじゃないの? 由夏もその一人よ。若くはないけど」

2人で笑う。


かれんのマンションについた。

「今日はありがとう、ちょっと色々あったから気を遣わせちゃったけど、これからはもう大丈夫だからね! 一人でこの距離を帰れなかったら、社会人失格だもんね」


「かれんさん、ボクじゃダメですか?」

川の流れにかき消されるような小さな声だった。


「なに?」


「いえ……良かったらもっと頻繁に来てもらえたらなって。ボクの料理、誉めてもらったし、新作カクテルもご意見聞きたいなって思ってて」


 可愛いな! 波瑠くん。

そう思うと気持ちがほっこりするのを感じた。


ありがとうと手を振りながらかれんはマンションの中へ消えていった。


「まだ相手にもされていない段階だな……」


波瑠はコンビニに行って、不要なチーズを幾つも買ってオーナーの待つ職場に戻った。




がらんとした部屋に戻る。

ママは帰っていない、また一人だ。

今日はさすがに一人で居たくないと思った。


ベッドに入っても、寝付けなかった。

あの社長の目つきや首に当たった息づかい、縛り上げるように強く掴まれた手首の痛み……

首を振ったり布団に潜ったりしてみても、なかなか払拭出来なかった。

 

 無理に寝ようとしても無理なら

 もう起きとこうかな。


ベッドから降り立ち、リビングに行こうとした時、携帯のバイブレーションが鳴った。    

 

 こんな時間に?

 知らない番号だ。

 どうしよう……


 すぐに切れちゃった、誰だったんだろう?


また鳴ったので、とっさに出てしまう。


「俺、藤田健斗」


「ああ」


「もう寝てるかと思ったんだけど……」


「いえ、眠れなくて」


「そうか。今日も一人なのか?」


「うん」


「……大丈夫か?」


「うん」


「うんばっかりだ」


「うん」


「なんだよ!」


「あ、電話番号、どうして知ってるの?」


「ああ、お前らが出ていってすぐくらいかな、由夏さんから電話入って、もちろん今日の事は話してないけどさ、何かお前の様子が変だって思ったみたいで、電話してやってって……それで番号をな」


「そう。ありがとう」


「いや。こんな時間に悪かったな。大丈夫ならいいんだ、じゃあ……」


「待って。大丈夫だけど……なんか今日は……」


「……そうか……なら眠くなるまで話す?」


健斗は、由夏が大学でどんな風に健斗をスカウトしてきたかとか、レイラが意外と大雑把だとか、彼女のおしゃまな幼少期のエピソード等を、面白おかしく話してくれた。

心の中が少しずつ温まっていくのを感じた。



第14話 かれんの危機 ー終ー

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