第9話 『RUDE bar』由夏と葉月

三人揃っての視察は久しぶりだった。

見晴らしのいい、山の上のホテルのテラスで行われるブライダルファッションショーの打ち合わせでは、サンプルとは言えないほど豪華なレストランのビュッフェで、食事もデザートもワインも、たっぷり頂いて会場を後にした。

タクシーで下山する3人。


「ねえねえ、かれん家で飲む前にさ、あの近所のイケメン君のいるbarで飲むのはどう?」


「いいね由夏。とことん飲んじゃお!」


「もう結構飲んでるんだけど。葉月、飲み過ぎないでよ!」


「大丈夫大丈夫!」


「ホントに?まだ陽が高いうちから飲んじやってるから、少し心配だな」


「今日のお料理もワインも美味しかったから、ちょっとペースがすすんじゃったね」


タクシーを降りた。


「もうオープンしてるかな?」

『RUDE bar』のドアにはopenのプレートがかかっていた。


「こんばんは!」


「いらっしゃいませ。今日は美人3人! お仕事で?」


「あら? 若いのに、お上手!」


「こちらへどうぞ」

奥のソファ席に案内される。


「とりあえず、ビールで」


「かしこまりました」


女性3人、大いに盛り上がっている。


「おかわり、もらってくるね」

かれんが1人、カウンターへ注文に来た。


「ビール2つと……そうだなぁ……なにかおすすめのカクテル、作ってもらえません?」


「もちろん。お好みのベースは?」


「ラムで」


「珍しいですね、ショットでご注文なんて」


「そうね、今日はちょっといい事があったから酔いたい気分で」


「そうですか、了解です。少々お待ちくださいね」


カウンターに頬杖をついて、彼がシェーカーを振るのを見ている。

若そうなのに落ち着いていて、カッコいい人だなと思った。

ドアがあいた。

暗い入り口から、身体にフィットした白シャツの襟元をあけた男性のシルエットが階段を下りてくる。


「いらっしゃ…あ、おはようございます、健斗さん」


「おつかれ。ん?」


かれんに気付く。

同時にかれんも驚いて振り向く。


一つ溜め息。

「……何であんたがここに来るのよ?」


その言葉にバーテンは慌てる。

「この人はここのオー……」

それを手で遮る。


「……あのさ、どれだけ近所だと思ってんの、常連に決まってんじゃん」


「……あ、まあそうね、私だってここの常連なのよ。ね?」

バーテンの彼と目配せしてニコッと笑う。

「ええ」


「ふーん、ここでは会ったことはないよな?」


「そうね、この時間に来ることはあまりないし」


「いつもはもっと遅い時間にお一人様で、とか?」


「そうだけど、悪い?」


「いや別に……」


「あー! 藤田センセじゃない?」


「あ、由夏さん? 葉月さんも。なんだかいい感じで仕上がってるね」


「そうなのよ! 今日は仕事帰りで。仕事中から飲んじゃってたけど。ねぇセンセ、一緒に飲みましょうよ!」


二人に両腕を引っ張られて行く。


「あはは……ハル、おれにビール持ってきて」


奥のシートに引きずられていく。


「はい、かしこまりました」


手際よくグラスを並べる。


「ハル?」


「え?」


「お名前、ハルって言うの?」


「ええ」


「どんな字?」


「波に瑠璃色のリュウって書きます。父がサーファーで」


何度もここに来てるけど、彼とちゃんと話したのは初めてだなぁと思った。


「なるほどね、だから瑠璃色のペンダントトップなのね」


波瑠のチョーカーに目をやる。


「あ、これですか?」


「ラピスラズリよね? 12月生まれとか?」


「そうです! よくご存じですね」

波瑠の顔がほころぶ。


「前に宝石商のイベントがあってね。誕生石の展示もあったの」


「そうなんですか」


話しながら手を動かす波瑠の前のグラスが仕上がっていく。

笑うとかわいいな。

彼の事を微笑ましく見ていた。


「おいおい、なにそこで二人盛り上がってんだ?お嬢さん方が酒はまだかとご立腹だぞ!」


「ああ、すみません、すぐお持ちします」


「何よ。うるさい客ね!」

波瑠は苦笑いする。


「私も持っていくわ」


「ありがとうございます」

二人で4つのグラスを運ぶ。


「なになに! いい雰囲気で話してたじゃない? ねえ、彼はおいくつ?」


「ボクですか? 22歳です」


「かれん、年下もいいんじゃないの?」


「もう、由夏ったら! ごめんね波瑠くん」


「いえいえ、光栄です」

爽やかな笑顔で対応する。


「ハル、なんかつまみでも出して」

ちょっとむくれて健斗が言った。


「かしこまりました」


皆が波瑠の後ろ姿を目で追う。

「彼、爽やかで素敵よね。かれん、冗談じゃなくて考えてみたら?」


「もう、由夏、やめてってば。お見合い斡旋おばさんになってるわよ!」


「あはは、ごめんごめん」


ふうっと息を吹いて、健斗は腕を組み替えた。


「将来ある若者に、ちょっかい出すなよ」


「なによ?! その言い方」


「いや、別に……」


由夏が笑いながらグラスを掲げる。


「まあまあ夫婦喧嘩はやめて、今日は飲みましょうよ」


「誰がこんなヤツと!」


同時に由夏に向き合う。


「ほら、気が合うじゃない?」


二人ともそっぽを向いて座り直した。


「もう由夏! 変なこと言わないでよ!」


「はいはいすみません」



「波瑠ちゃん、おかわりー!」


「はーい、ただいま」


「葉月……飲みすぎなんじゃない?」

由夏がいさめる。


「葉月さんがこんなにおしゃべりだったなんて、知らなかったな」


「この子、普段は本当におとなしいんだけど、酔うと本当に人が変わっちゃうのよね」


「ちょっと! かれん、かれん!」


「はいはい葉月、何?」


「かれんはさ、もう幸せになった方がいいと思うの」


「……何を突然言い出すのよ!」


「ハルはさ、悪い奴じゃないとは思うよ、だけどハルはかれんのこと幸せにできる男じゃないって、私最初から思ってたんだ」


「え…、イヤだ葉月、今更なに言ってるの?」


葉月は更に続ける。

「行動力があるし、頭も実力もある男だと思うよ、だけどステータス重視だから、かれんのことを一人の女の子として見てたかどうかずっと疑問に思ってた。ハルはかれんのこと、ただ好きだから一緒にいたけど、ハルはかれんを幸せにしようって思ってたのかな? って。そのために何かを捨てたり諦めたりできる男じゃないもん。だからさ、かれん、もうハルのことは忘れなよ」


「何言ってんの葉月、ハルのことなんてとっくに忘れてるよ」


「忘れてたならどうしてこの前 『Blue Stone』に来れなかったのよ?」


「葉月、もうやめなよ」

見兼ねて由夏が割って入る。


葉月は尚も続ける。

「どうしてあの日にハルを避けたの? どうしてハルと向き合えなかったの? 何かが怖かったんじゃない? 心が動きそうだったの?」


かれんの顔が次第に曇ってくる。


「葉月、本当にやめな!」

由夏がさっきより強い口調で葉月を制する。


「飲み過ぎだよね! そろそろ切り上げようか!」

由夏が葉月のグラスを取り上げる。


「かれん、葉月を連れて帰るわ。家の鍵貸して!」


「……いいけど……どうして? 葉月連れて帰るの、私の家でしょ?」


「そうよ」


「だったら私も帰るじゃない」


「いいの! かれんはここにいて!」


「ここに? って、私一人で?どうしてよ?」


「何言ってんの、隣に誰がいると思ってるの

「藤田健斗だけど」


「そう、藤田先生がいるんだから もうちょっと飲んでから帰っておいで」


「何それ? 私の家なのに?」


隣で健斗も驚いた表情を見せている。


「そう、親友の家! 今日は私の家!」

「何言ってんの? 由夏……」


「じゃあ藤田先生、かれんのこと、お願いしてもいいですか?」


「まあ いいけど……」


「いいけどって! 私は残るなんて……」


由夏がまあまあといったようにかれんを制す。


「葉月のヒートアップ、治めて寝かせとくから。ね!」


「……うん」


由夏は健斗の肩をポンポンと叩く。


「散々ややこしいのに付き合わせた上に、お願いするのもなんなんですけど、近所のよしみってことで、よろしくお願いしますね!」


「ああ…わかりました」


「そうだ! イケメン波瑠くんとの間を取り持ってもらってもいいかも?なんてね!」


「もう! 由夏!」


「じゃあね、おやすみなさい!」


葉月の背中を押しながら階段を上って出ていった。


「本当に帰っちゃうなんて……しかも私の家に? 信じられない……」


波瑠がやたら笑っていた。


「ごめんなさいね、お騒がせして」


「いえいえ、本当にいいキャラクターで……楽しいです」


「楽しいって? 波瑠くんも人が悪いなぁ。まだ笑ってるし!」


「すみません、ツボっちゃって! すぐにグラスを用意しますね。次は何を飲まれます?」


「波瑠くんのオススメならなんでも!」


「了解です」


健斗があきれたように見ている。


「調子いいなあ、酔ってんのか?」


「酔ってなんかないわよ! これくらいで」


「とにかく、あっちで座ろう」


かれんをもといたソファー席に促す。


「お待たせしました。さっぱりしたフルーツを搾ってみました」


「うわ、美味しそう。波瑠くんありがとう」


「健斗さんはビールで」


「おお、サンキュ」


「では、ごゆっくり」


しばらく静かにグラスを傾けた。


「さっきの」


「ん?」


「あれは由夏さんの気遣いなんだろ」


「そうね」


「葉月さんも。お前のこと心配してるんだな」


「うん……分かってる」


「さっき言ってたハルって……ああ! なんかややこしいな! 葉月さんが言ってた方の。そいつって、この前ジャズバーで会った男?」


「そう」


「彼氏だったんだろ?」


「そう3年前に別れたの」


「俺その話、聞いちゃっていいのか? 話したくなきゃ話さなくていいし」


「よくわからない」


「だったら話しながら整理するのってのはどう?」


「悪くないかも」


「じゃあ仕切り直してもう一杯飲むか? 何がいい?」


「同じカクテル」


「ちょっとキツすぎないか? もう少し軽いものに変えよう。おーい ハ……」


その名前を口にすることをためらった。


「あ……俺注文してくるからちょっと待ってて」


健斗はそう言ってカウンターの方にスタスタ歩いて行った。


「ハル、軽い酒にしてくれ」


「さっきのカクテルもほとんどフルーツジュースですよ」


「お前、気が利くなぁ!」


「でもかれんさん、それまでにだいぶん飲んでますよ」


「そうか」


ほどなく、健斗がグラスを二つ持って戻ってきた。

ボーッとしているかれんの目を覗き込む。


「ありがとう」


そっと口をつけると爽やかな香りが 頭の奥まで染み渡るようだった。

少し甘酸っぱい優しい味……そして、ぐぐっと飲み干す。


「おいおい、お前! そんな急に飲んで大丈夫か!」


「うん大丈夫よ。もう一杯飲みたい」


「分かったよ、待ってろ」


足早に帰ってくる健斗。


「ありがとう」

かれんはグラスを受け取って、今度は口をつけずに話し出した。



第9話 『RUDE bar』由夏と葉月 ー終ー

→第10話 『RUDE bar』かれんの気持ち

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