私と田中さん

ケストドン

第1話

 私は一九歳のフリーターだ。高校を卒業し就職したがすぐに辞めてアルバイトで生活費を稼いでいた。

 高卒、しかも退職が異常に早かった奴なんて良い目でみられる訳はない。分かっていた。同業者のパートのおばさんにたまにこんなことを言われるのだ。

「私の孫は来月から名門の国立大に通うというのにあなたは高卒のフリーターで―」

 馬鹿馬鹿しい。虎の威を借る狐とはまさにこのことだろう。孫が虎で、ばあさんは狐なのだと哀れむようになった。ただ、言い返せないのは哀れみだけでなくばあさんの言い分が正しいことを認めているからでもあった。

 そんな悪口を言われながらも私は機械的に大葉を小袋に十枚ずつ詰め込んでいく。その作業が終われば六つに切られたカボチャに値札を貼る。その次は四つに切られたスイカをラップに包み、陳列しに行く。まったく感情の要らない仕事だ。それで時給千円ならまずまずだろう。時々こうやって言い聞かせるように自分を納得させる。

 気付けば一二時だった。

「そろそろ休憩にしましょう」

 正社員の男性が言った。休憩室に入ると綺麗にならべられた机とパイプ椅子がセットされている。なるべく壁側で端の方のパイプ椅子に座りコンビニで買った菓子パンをかじる。

「また、死んだ魚のような目をしてー」

 肩を叩かれた。一緒に青果コーナー担当で働いている田中さんだ。当たり前のように右隣に座られた。壁際だがひとつ空けておくのは田中さんのため、とは認めたくなかった。

「青果コーナー担当の人で目が生きてるというか、生気があるのは珍しい気がしますよ」

 田中さんは、おにぎりにかじりついたばかりで、しっかりと咀嚼し飲み込んでから

「でも、今くらいは生気がある表情をしてほしいな」

 あまりにも無邪気な顔で言うのでフフッと笑ってしまった。この時間だけは笑うことができた。どこぞのおばさんとは違い田中さんからは邪気なんて感じない。

「あ、笑ってくれた」

 水筒に入った麦茶を一口飲んで、私を見て言うのだ。

 私は他の人たちと昼御飯を食べるときはあのおばさんの陰口をたたいたりして過ごすのだが、田中さんと食べるときはそんなことはできない。とても優しい人だからだ。

「何時上がり?」

 田中さんは訊いてきた。

「一七時」

「なら、大丈夫かな。連れて行きたいところがあるんだけど、来ない?」

「帰っても暇だし、行ってもいいよ」

「フフフッなにその言い方」

 相変わらず素直になれない。でも、それも理解してくれている。

 私はミネラルウォーターを一口飲んで昼食を食べ終えた。

 それからはいつも通り機械的に仕事をこなし一七時には使い捨てのゴム手袋は脱ぎ捨てて、作業服は洗濯かごに投げ込んで、使い捨ての紙の帽子も忘れずに捨てて、外に出た。

 田中さんは十六時三〇分には仕事を終えていたらしい。休憩室で二十分ほど過ごしたあと外で待っていてくれた様だ。

「すいません待たせてしまって」と言うまえに田中さんは

「行こうか」

 と私の手を掴み歩み始めた。

 私はその手に引っ張れらるままだった。

「一体、私はどこに連れていかれるんでしょうか?」

「私の故郷に」

 田中さんは短く答えるだけだった。

 スーパーの最寄り駅から電車に乗せられ四十分ほどたっただろうか、乗り換えで違う電車に乗せられた。

「明日もバイトがあるんですが、日帰りなんですか?」

「日帰りじゃない、一泊二日だよ。あ、バイトは断ってあるからあなたも私も」

「え」

 にわかには信じられなかった。この人は私の予定を無理矢理に変更しているのだ。それも自分のバイト時間を削ってまで。

 不思議と腹は立たなかった。故に責め立てたりなどしなかった。

「私の両親ね、介護施設にいるから実家には誰も居ないの」

 はぁ、と心ない返事をする。

「次で降りるよ」

 私は、なされるがままに電車から降りて駅のホームを抜けて周りを見渡した。

 機能しているかわからないような古ぼけたバス停があった。そしてボロボロのベンチの前にタクシーが一台止まっていた。

「乗るよ」

 タクシーに乗り込んだ。

「ウッ」

 とてもタバコ臭い、思わず顔をしかめるほどだった。

「H区のバス停まで」

「はいよ」

 くわえタバコをする運転手はダミ声で返事をし、なれた手つきでハンドルをさばき、運転していく。途中、タバコを、飲み終えたであろう缶コーヒーの中に捨てていた。新しくタバコを一本取り出すときにパッケージが見えた。PEACEだった。ダミ声の理由が分かった気がした。

 そのタバコが半分ほどまで灰になったとき、運転手はH区のバス停で止まった。

「ここでよろしいですか」

「はい。ありがとうございました」

「一六五〇円です」

 田中さんが料金を払い、降りた。私も続くように降りた。

 運転手に私と田中さんは軽く礼をして、運転手も礼を返してタクシーを走らせUターンして、来た道を戻っていった。

「ここからは徒歩です」

「えー、疲れた」

「まあまあ、すぐにアパートに着くから」

 はぁ。と、私は返事のようなため息をした。田中さんの後ろを歩き、5分ほど経っただろうか。アパートに着いた。見てみると、全体的にボロく、元々は白色だったであろう壁面もけっこうハゲていて、内面のコンクリートが見えていた。また、どうやら三階まであるようだった。

「アパート枝真宮って変な名前でしょ」

「普通じゃないんですか」

「えーそうかなぁ」

 私は、このボロアパートの家賃が気になった。

「家賃はどんくらいなんですか」

「めちゃくちゃ安いとだけ言っとく。寒いし、部屋入ろうか」

 田中さんの後ろを着いていき、二階の右端、二-一号室に入った。

「ただいまー。ってお母さん居ないんだった」

 田中さんは靴を脱ぎ、玄関の電気を付け、短い廊下を歩いていった。

「おじゃまします」と言って私も靴を脱ぎ、入室した。

 すぐ右に洗面台があったので、手を洗った。

 洗面台は綺麗だった。洗面台の左は風呂場だった。大きな張り紙に「風呂場」と書かれていたので、私は少し察した。

 廊下に戻り、田中さんが行った方へ歩いてみると、料理をする音が聞こえた。

 タンタンと心地よいリズムで、野菜を切っている音だと分かった。すぐ見に行って手元を覗き込んだ。

「カボチャスープ嫌いじゃないよね?」

「大好物です」

 私はテンションが上がった。いつも菓子パンで食を済ます私にとって、まともな料理というだけで感動には十分だった。

「あとは、チャーハンでいいかな」

「もうなんでも構いません。ありがとうございます」

 空腹度が急に上がっていくのが分かった。匂いだけでよだれが出てくる。

 私は田中さんが料理をしている姿をじっと眺めていた。

「できた!」

 田中さんはチャーハンを皿に盛り付け、カボチャスープを茶碗に注いだ。

 キッチンの後ろは居間だった。その、居間の机に先ほど出来上がったチャーハンとカボチャスープが置かれた。ちゃんとスプーンと割り箸も置いてあった。

「後ろの隅の方に座布団あるから、使って」

 私は後ろを見た。確かに座布団が置いてある。緑色の座布団だ。それを掴み、先ほど座っていた場所に置き、座った。

「いただきます」

 田中さんの声に合わせて私も言った。すぐさま、チャーハンを食べた。

「めちゃくちゃ美味しいです」

 チャーハンは本格的では無いものの、良い塩加減で、醤油の香りも最高だった。また、ネギの食感、豚肉の炒め具合も素晴らしかった。

「良かった。久々に料理したから、上手くできるか不安だったんだけど」

「いえいえ、もう美味すぎて泣きそうです」

「そんなお世辞はいいから」

 田中さんは笑っていた。私はカボチャスープを一口飲んだ。

 このスープ、カボチャと牛乳だけではない。玉ねぎの粒々が入っている。私は飲んだ瞬間分かった。その粒々がとても温かい。優しさに溢れる味だった。

 少し、過去を思い出した。


 この日は私が仕事をやめて三日か四日たった夜だ。

「お前の兄貴は大学院を出て一流企業に入社して数年たつというのに、お前はなんだ三流企業に入社して、その上すぐ辞めて。なんのつもりだ。このゴミ人間が」

 父の罵倒は、私の急所を完全に突いていた。

「あなた、やめて」

 私の母は涙ながらに父を止めていた。父はいつも酔うと私と母を罵倒する。酔っていなければ無口で、まったく話しかけてこないのだ。だが酔うと人が変わる。いや、これが父の本当の姿なのだろうと思った。

 私は「ごめん」と小さな声で言った。父はずっと下を向いて唇を噛んでいた。気付くと居なくなっていた。外へ、タバコでも吸いにいったのだろうか。

「ゆみ、あなた本当にどうするの」

「だから、バイトでどうにか生活費だけは稼ぐって」

「それより、この家から出ていった方がいいわよ」

「おとうさんが家庭内暴力を始めるかもしれないってこと?」

「そう。あの人が下を向いて唇を噛む時はそろそろ我慢ができなくなる、暴力に頼るという前兆なんだよ」

 母は何度かそれを経験したことがあるみたいだった。

「なんで警察とかに相談しないの?」

「厄介ごとだからだよ。この辺に住む人はえらく噂好きでねぇ、あることないこと広められて肩身が狭くなるんだよ」

 田舎の恐さとはこれである。あっという間に噂が広まる。しかもその噂が正しいかも分からず尾ひれがついて広まるので、差別をうけることになる。

 私は数十秒間目をつぶった。そして、

「分かった。来週出ていくよ」

 私は言った時に少し寂しさを感じた。その寂しさの余韻に浸っているときに母が話し出した。

「分かったよ。そういえば母さんね、何度か暴力を受けたけどね、あなたの顔を見るたびに耐えるしかないって我慢したの」

「どうして?」

「私が産んだ子なんだ、絶対にこの子には手出しさせない。守るんだって我慢したの」

 私は数滴ほど涙を流した。歯を食い縛り父とこの田舎を憎み、炎に包まれる様を想像した。母はまだ続けて言った。

「あなたが引っ越してから一度でも父さんが私に暴力をふるったらすぐに警察に相談するよ、だから安心して出ていきなさい」

 母は私が家で暮らしいている時に警察に相談しなかったのは、周囲の人々が私を軽蔑、差別しないようにするため耐えていたということだ。母は常に面倒ごとを嫌ったが、これは面倒ごとだから、だけでは済まなかったらしい。

 母との約束が終わったあと夕食を食べた。

 母はカボチャスープをつくって、私にくれた。

 今飲んでいるスープと同じように優しな味だったと思い出した。

「どうしたの?ぼーっとして、何か思い出した?」

「いや、なんでも、、フフッ」

 田中さんは母に似ている。そう思って少し笑った。

「ちょっとーなんで笑うのよ」

 田中さんは笑顔だった。

「誰かに似てるなって思っただけですよ」

 そう言って一口飲んだカボチャスープは、まだ温かかった。

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