申し子、明日へ
『銀の鍋』を後にして前領主邸へ戻ると、レオさんが出迎えてくれた。
「おかえり、ユウリ。シュカ。一か月実家のために悪かったな。帰ってきた早々で悪いが、よかったら『
『
あそこには同じ日本から来た申し子のフユトと、神獣のセッパと、妖精のような女主人ミューゼリアさんがいる。ぜひ会いに行きたい!
フユトからはダグマップのタグで「遊びにおいでよ」「他のお客さんが会いたがってるよ」「妹は来ないのかって笑」等々のメッセージがあったんだけど、なかなか王城勤めの間は時間もなかった。
料理の試作もあったし、回復液も作りたかったし。で、次の日の朝にちゃんと登城しないとって考えると、飲みに行くのはなかなかね。
『クー!(いくの!)』
「はい! すぐに着替えてきます!」
急いで階段を上がろうとすると、「そんなに急がなくていいんだぞ」という笑ったような声が背中から追いかけて来たのだった。
◇
まだうっすらと明るさが残る時間だというのに、『宵闇の調べ』はお酒と音楽を楽しむ人たちで賑わっていた。
扉を開ければすぐに、シュカは神獣仲間のセッパのもとへ跳んでいってしまう。
「いらっしゃい。レオナルド様、ユウリ様。奥の席とカウンターとどちらがいいかしら?」
「ユウリ、カウンターでいいか? ミューゼリアに少し仕事の話があるんだ」
「はい、構いません」
答える間にも、テーブル席で思い思いに楽しんでいるお客さんたちから「妹久しぶり!」「兄妹で歌って!」「『雲のむこうへ』がいいぞ!」と声がかけられる。
これはとりあえずフユトのいるピアノの方に行かなければ、収まりがつかないな。
「レオさん、ちょっと向こうへ行ってきます」
「ああ。楽しんでくるといい」
席の間を歩いていくとシュカとセッパも飛び跳ねながらあたしを待っていた。
神獣たちは音楽というもの自体も好きだし、踊るのも好きだよね。
そしてその神獣たちと踊ったり歌ったりするのはあたしも好きだな。
ピアノを弾いていたフユトと目が合う。
「妹よ、何を歌う?」
ちょっと! 本当に兄妹で通す気なの!
思わず笑うと、フユトも笑った。
「みなさん、お久しぶりです。ええと、まだ一杯も飲んでないので、とりあえず一曲だけで許してください。――――『雲のむこうへ』にしようか?」
「了解」
フユトは近くに立ててあったギターを持ち、あたしたちはみんなの拍手に包まれながら歌った。
一曲歌い終えてカウンターへ戻ると、レオさんが優しい顔で笑っていた。
グラスにワインが
ああ、冷えた白ワインが美味しい。
仕事の後だし、歌ってきたし、やり終えた感満載で格別だ。
「ユウリはいい声だな」
「そ、そうですか……?
「落ち着く声だ」
「そうね。ユウリ様の声はのびやかで耳に優しいわ。時間のある時はぜひうちで歌ってほしいものね」
ミューゼリアさんまでそんなことを言う。
ホントにカラオケくらいでしか歌ったことないから褒められると恥ずかしいのよ。
それよりも、気になったことがあった。
「あの、ミューゼリアさん。ユウリ様ってガラじゃないので、ユウリでお願いします」
「――――あら。領主の補佐をしているのなら、貴族に準ずる扱いをされると思うのだけど」
「そうなんですか? あ、いや、でも、補佐ってほどでもなくて、お手伝いくらいなので!」
「――――そうだな。ミュゼ、気を遣ってくれているのはわかるんだが、俺も学生のころと同じレオで呼んでくれ」
レオさんが言って、ミューゼリアさんは苦笑して折れた。
「子爵様にそう言われてしまったら仕方ないわね。―――では、ユウリと呼ばせてもらうわね。私のことはミュゼと呼んで?」
それはなかなかハードルが高い……。
日本では年上の方には無条件で敬称付けていた。
衛士の時のルールの敬称なしは、気にならなかったんだけど。日本でも職務中は呼び捨てだったし。フユトの苗字を借りるなら「富士川・三垣、帰隊します!」とかそんな感じ。あ、でも、休憩時とかは、さん付けで呼んでたか。
「……ミュゼさんでもいいですか……?」
ミュゼさんは笑って言った。
「二人のいた国はそういう国なのね。フユトもいまだに硬い呼び方しているものね。――――ええ。呼びやすい呼び方で、好きに呼んでくれるとうれしいわ」
ミュゼさん、ステキな人だ!
これはフユトじゃなくても惚れちゃうよ。
いつの間にかこちらへ来ていたフユトが「ミュゼさん……ミュゼ……うっ、無理っ……」とつぶやいていたのは、聞かなかったことにする。
ミュゼさんがお料理持ってくるわねと奥の調理台の方へ向かうと、フユトもいっしょにそちらへ行った。
すっかりお店に馴染んでいるよね。
「――――それで、レオさん。お仕事の話は終わったんですか?」
「ああ。新年の神事で芸を奉納するんだが、それの依頼をしたんだ」
「え! ミュー……ゼさんの音楽が聴けるなんてステキです! 引き受けてもらえたんですか?」
「なんとかな。もう初日の午前の方は予定が入っていた」
「すごいですね」
「午前中は陛下の御前で歌うらしいぞ」
「えー?! その時のお城で働いていれば聞けたかもしれないってことですよね?」
「そうだな。新年祭は警備隊の衛士も大勢配置に就くから見られる可能性は高いな」
「どうせならその時に働きたかった……」
「そうか。では働きに戻るか?」
レオさんがからかうような面白そうな顔してそんなことを聞いてくる。
この領主様は、いつもはすごく真面目なのに、時々お茶目なことをする。
「いえ、大丈夫です! 警備は、もう、いいです」
きっぱりとそう言うと、レオさんはハハハと笑った。
出てきたお料理を食べながら、販売所の食事処をヴィオレッタのお茶会に使う相談をすると、ユウリの店のようなものだから、好きに采配してくれていいぞと言われた。
ちょっと、プレッシャーだけど、人手も足りないことだし。がんばってみる。
それと、年末年始あたりにミライヤの実家へ行く話もした。
「――――『銀の鍋』がお休みの時期にミライヤの実家の方に行きたいんですけど、行ってきてもいいですか?」
これはお伺いをたてておいた方がいいよね。
一応、領の方で働かせてもらっているわけだし。よく護衛がどうこう言われているし。
穏やかな顔で話を聞いていたレオさんは、変わらない表情をこちらへ向けた。
「それは構わないが……店主のご実家で何かあるのか?」
「いえ、実は調合の勉強をしたいなと思って。ミライヤに相談したら師匠を紹介してもらえることになったんです」
「ああ、そういうことか。わかった。しかし、衛士の仕事が終わったと思ったら、もう次の仕事の話とは――――本当にユウリは働き者だな」
まっすぐに褒められて顔が熱くなっていく。
「え、いえ、その、そういうわけじゃ……」
きっかけはレオさんの誤飲だけど、それだけではなくて。調合の奥深いところに興味をひかれているのもある。手に職と思っているところもあるし、別にそんな真面目に考えているわけじゃないんだけど……。
じっと見つめてくる青い瞳に、どうしたらいいのか困ってしまう。
「よろしく頼む。我が領の大事な調合師様」
優しい声にどうしようもなくドキドキしたけど、でもやっぱりうれしくて、あたしはレオさんを見上げて「はい」と答えたのだった。
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