* 女主人の推測


 * * *



 少し色が抜けたような黒髪の彼は、あの日店の前で倒れていた。珍しい黒髪にどきりとしたことを、小さな酒場の女主人ミューゼリアは今も思い出す。


 助け起こすとあまりにも覚束おぼつかないようすで、放っておけずに店の中へ入れた。

宵闇よいやみの調べ』という名の酒場が、彼女の小さな城だ。最奥に鎮座する自慢のピアノを見た途端に彼は元気になり、弾いていいかと聞いてきた。

 ピアノを弾ける者などそんなにいないというのに、彼は弾けると言う。大事な大事なピアノだが許可すると、優しい手つきで知らない曲を続けざまに二曲弾き、合わせるように歌も歌った。

 歌唱隊のような綺麗な歌声ではないが、心に迫る。

 気付くと食事を食べさせ、異国から来て右も左もわからないという彼に二階へ住むことを勧めていた。ミューゼリアは実家から通って来ているので、住居にできる二階は倉庫としてしか使っていなかった。


 フユトと名乗る少し年下の彼は、あたりの柔らかい人好きのする笑顔を浮かべる青年だった。

 ここでの暮らしに慣れると冒険者となりダンジョンなどに行くかたわら、夜になるとギターとかいうリュートに似た異国の楽器を奏でて客を喜ばせた。

 ある日神獣の真っ白なニワトリを連れ帰り、凄腕のテイマーだったのかとミューゼリアは合点した。どうやって戦っているのか不思議に思っていたのだ。

 そうかと思えば料理も上手く、今も下ごしらえを手伝ってくれている。

 なんとも不思議な子だ。


 その彼を拾ってからそろそろ半年が過ぎようとしていた。


「ミューゼリアさん、どっかいい店ないかな? 同郷とごはん行くんだけど、ゆっくり話できる感じの」


「この間言ってた白狐を連れた女の人?」


「そう」


「ここでよければ好きに使っていいわよ。連れの人がいたって言ってわよね? その人も誘うのを忘れないようにね」


 異性を食事に誘う場合、パートナーがいるようならいっしょに誘うのがマナーだ。この国に慣れてないフユトに一応そう言うと、「へぇ、なるほど。わかったー」という返事だったので言っておいてよかったようだ。

 これには、その相手に対して下心はありませんという意思表示にもなる。


「ミューゼリアさんもおいでよ」


 にこにこと笑う顔に含まれたものは一切感じられない。なのに、ミューゼリアは少し動揺した。

 なぜなら、そういう場合に誘うのは基本的にはパートナーだからだ。


「……下ごしらえの時間に来るから、その時に悪いけどお邪魔するわね」


「全然悪くないよ。あなたのお店なんだから」


 微笑みながらそんな風に言われて、ミューゼリアは眉を上げた。

 この異国の青年はなかなかの人たらしだ。






 フユトの同郷だという彼女は、やはり黒髪黒目で神獣白狐を連れていた。

 国王近衛団ロイヤルガードに属しているというこちらも、感じのいい笑顔を浮かべやはり人たらしのよう。切れ長の目に凛とした雰囲気が、笑うととてもかわいらしくなる。

 そしてなんと彼女の連れは、ミューゼリアの古い友人のうちのどちらからしい。


 しばらく会っていないが二人とも昇進したと聞いている。男爵となり近衛団団長にも就任したレオナルドと、次いで副団長に就任したロックデール。さて相手はどっちかなんて考えるほどでもなかった。

 左手の薬指に光る守りの指輪は、青い石。二人が飲んでいるワインはメルリアード産のもの。


 レオの方ね。

 好みのど真ん中の彼女を捕まえたということなのかしら。

 ――――彼らがならば。


 そして夕方。店を開店して、はたして現れたのはレオナルドだった。

 相変わらず大きくがっちりと堂々としていたが、纏う空気が柔らかく変化していた。


「久しぶりだな。元気だったか?」


「ええ。二人の活躍は聞いてるわよ。昇進おめでとう」


「そうか、あれから来てなかったか」


「そうよ。薄情な友人たちね。……デールにもおめでとうと伝えておいて」


「それは直接本人に言ってやってくれるか。――――近いうちにまた来るから」


 楽しみにしてると答えて、グラスにメルリアードの赤ワインを注いだ。

 黒髪黒目の二人が歌っているのを、レオナルドが軽く笑みを浮かべながら見ている。


「――――ねぇ、あの子たちって、光の申し子?」


 不意に言われ表情を取り繕えなかったそのようすで、答えを知る。

 ――――そう。やはり、光の申し子なのね。


 目の前に座るレオナルドは、元クラスメイトだった。

 王立オレオール学院といえば、国に一つしかない王立の学校で貴族の子どもたちが通う名門。ただがんばれば奨学金で平民も通うことができる。ミューゼリアのように。

 吟遊詩人の父を持つミューゼリアは、子どものころ音楽ギルドのピアノに魅せられた。

 そして得意のリュートの腕を磨き猛勉強して、国で唯一音楽科がありピアノを習うことができる学院に入ることができたのだ。

 学院では、一年二年の基礎学科はいろいろな科の生徒たちが同じクラスで授業を受ける。

 そのクラスで音楽馬鹿だった少女をさりげなくフォローしてくれていたのが、騎士科のレオナルドとロックデールだった。


 ミューゼリアがフユトの黒髪黒目を見て、真っ先に思い出したのはレオナルドだった。

 普通の人はただ黒髪黒目は珍しくて縁起がいいと思っているけど、それを光の申し子にまで結び付けられない。それができるのは、光の申し子について多少は知っている人ということになる。

 レオナルドは昔から光の申し子信仰が厚く、仲の良い友人には熱心に話をしていた。

 だからミューゼリアも知っていて(まさか、もしかして……)とフユトに対して疑惑を持っていたのだ。


 光の申し子。違う世界から神が遣わしてくれた子。

 珍しい能力を持ち、見つけた人は存在は隠しておくべしと言われている存在。

 どんな神々しい人かと思えば、元の国では出会いがなかったモテなかったと嘆いたりする、どうにも憎めない子たちだった。


「――なかなか手ごわそうね? あの子たち、こっちの約束ルールをまったく知らないのよね」


 そう言うと、レオナルドは苦笑した。


「そうだな。だがまぁ、いいさ」


「余裕かしら」


「いや、そういうわけではないんだが……。伝わるなら伝わるでよし、伝わらないならまぁいいと思ってるからな」


 優しさゆえの待ちなのか。逃げなのか。

 でも、例えそれが逃げだったとしても責められない。彼は過去に傷つくことがあった。


「――――あの子たちのいた国では『好きです。恋人になってください』ってはっきり言って了承の返事をもらわないと、恋人同士になれないらしいわよ」


 レオナルドは飲みかけていたグラスを持ったまま、固まった。


「…………そりゃまた、大きな茨を越えないとならんな…………」


 あら、越える気があるのね――――?

 恋愛に臆病になっていた友人の前向きな言葉に、驚きを隠せなかった。

 曲が終わりカウンターへ戻ってきたユウリに、レオナルドが笑いかけている。


「――ああ。こちらこそ迎えの栄誉にあずかり大変光栄だ」


 ――――送り迎えのエスコート役は、恋人か配偶者の特典なのよ――――そんな目配せは、困った顔で見てくる光の申し子には通じそうもなかった。

 けれども、古くからの友人はさっきの言葉通り、きっと越えていくのだろう。この国の約束など放り投げて。


 次に三人で会う時には少しは進展しているのかしら。

 話を聞くのが楽しみだと、女主人はこっそり笑った。





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