夜想曲の開演

空飛ぶこんにゃく

夜想曲の開演

 カラスが鳴いた。

 一歩一歩足を進めるたびに、暗く枯れたオレンジ色の絨毯のように地面を隠している落ち葉のくずが、サンダルの中へ侵入してきて気持ちが悪かった。カラスが飛び去り、木々がどよめく。嗚呼、ここはどこだと私は悩む。白いワンピースに汚れが付かなければいいのだけれど。

 のっぽので縦に長い木、なんといったか、あれは寒い気候に生えるものだった気がする。到底日本では見れるものではない、と思う。ではここは外国か。ロシアとかその辺だろうか。落ち葉を踏みしめ、サクサクと若干愉快な音を奏でながら、私は歩いた。空を見上げれば雲に覆われた白い空。あたりを見れば薄暗い森の中。洋画などで登場人物が迷い込む森に似ている。それでも私は歩いた。ああ、落ち葉の下に隠れている虫がサンダルの中に紛れ込んだら嫌だな、なんて考えながら。

 ふと、かすかな音だが、遠くで鈍い音が響き渡った。それは連続して鳴り、まさに近づいてくるように音量が上がっていく。天狗倒し、というものだろうか。原因不明の大音響が起こるも、実際には何も起こっていないという、摩訶不思議な出来事である。昔の人はこれを黄泉へ人を引きずり込もうとする妖怪のものだとか思い描いていたらしい。無理もない。グリム童話の『ネズミ捕りの男ラッテンフェンガー』が出没したとして有名なハーメルンでも、1200年代に起った、一酸化炭素等の有害物質によると思われる下水の事故について、原因はバジリスクという怪物のせいであると、かつての一般市民は思い込んでいたらしい。そう、人はいつでも怪奇を教訓としてきた。

 私は立ち止まる。嗚呼、そうだ。思い出した。そういうことか。私は背後に広がっているであろう暗闇へ振り返った。

 まさしく背後に広がっていたのは暗黒だった。一つの線を区切りにして、その先には周囲の風景を気にも留めず、暗闇が広がっている。歩き出すと、トントンと軽快に肩をたたかれた。

「そちらへ行くんですか」

 骨の音。私はソイツがどんな存在なのかよくわかっていた。だから、振り向かずに笑う。

「ええ」

「苦しいですよ」

「知ってますよ。ご忠告ありがとう」

「……次に遭うときは、警告になりますかね」

 数十年にわたり、私の後ろを歩いてきたソイツはホホホ、と力なく笑うと風景に溶けていった。これで奴は、今までの半分以上の時間も私の背後をポツポツ歩いてこなければならなくなった。

「どうか、御贔屓に」

 もう後ろにその姿は見えない。しかしそこに確かにいるのだろう。ただ見えなくなってしまっただけで。

 ひとつ訂正したい。昔の人は理解不明な不安要素に対し、何らかの理由付けを行うことでソレがあくまで理解できるものとし、分からないものに対する恐れを和らげてきた。しかし、中には本当が混ざっていることもあるらしい。混濁した不条理にため息が出そうになる。どうして世界はこんなに面倒なのか。

 ハーメルンに出没したバジリスクは、人間がもう引っかからないと踏んでどこかに行ってしまったのかもしれない。黄泉への門を再び開けるために、妖怪は1000年単位で休まないといけないのかもしれない。そもそも、目の前に見える景色にどこにも信憑性はないのだから、法螺話や陰謀を虚偽で片づけるのにはもったいない。目に見えるものがすべて真実であるとは限らないのだから。

 私は戻る。当分、この『現実』にお世話になることはないのだろう。



 大気によく通る一定間隔の電子音。顔につけられた透明なマスク。腕につながれた管。目を空けて、とても動きにくくて。でもそれは決して不快ではなかった。

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夜想曲の開演 空飛ぶこんにゃく @catscradle

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