逆鱗

 竜には、怒りのスイッチが明確に存在している。逆鱗と呼ばれた顎の下、逆立って鱗が生えている個所、そこを触ると誰であろうと竜の怒りに身を亡ぼす。

 一方私たち人間はといえば、彼らのような巨躯を持ち合わせているわけでもなく、柔らかい体に細長い四肢が生えた不格好な姿をしている。しかも、それが二足歩行ときたものだ。もし私が同種族でなかったら、見ただけで卒倒してしまいそうだ。

 私は竜に育てられた、人の身として。竜曰く、私は人間の両親に捨てられたらしい。別に何か想うことはない。むしろ竜には感謝している。私を捨てるような奴に、私を育てられたとはとても思えないからだ。

 しかし、私の体はどこまで育っても人だった。大空を駆け巡る翼が生えるわけでもなく、体を覆う鱗が生えるわけでもなく。私はあまりにも育ての親と姿が違っていた。

 だから、人里に降り立った。興味があったのだ。そこで暮らす、人、という存在に。

 だが、結果はこれだ。今私は、鎖に繋がれて村の中央にある処刑台へと運ばれている。どうやら、人は竜と違って逆鱗がそれぞれ違うらしい。私なりのコミュニケーションだったのだが、私は会話の才能がなかったらしい。行く先々で、人の怒りを買ってしまった。そして、捕まった。

 処刑台に到着した私の周囲を、大勢の人が怒号を挙げて見ている。私はそれを見ながら、心底自分の愚かさを呪った。

 

 ――「クムルよ。人里には絶対に降りてはならぬぞ」

 ――「分かってるって。心配性だな」


 竜との約束を破ってまで得たかった、同種族同士でしか分かち合えない何か。それは、まだ私には遠すぎたようだ。

 私を繋いだ鎖が、大鎌を背負った男によって強く引かれる。私はそれによって転んでしまった。

 涙を流したのは、痛かったからじゃない。己の無力さを悔いているからだ。

 次に生まれた感情は、なかった。私の体は、処刑台の上まで乱暴に運ばれた。

 「最後にいう言葉はあるか」

 村長らしき人物が私に問いかける。私は、その言葉がとてもあやふやなものとして聞こえていた。まるで猫が喋っているみたいな、そんな聞き取りづらい言語に。

 見れば、姿も先ほどまで私が見ていたものとはまるで違って見えるではないか。


 では私の体は?


 私は自分自身の腕を見た。前腕には徐々にだが、鱗らしきものが生えつつあり、その指先は鋭利に尖っていた。

 私は笑う。ああそうか。最初から私は人間なんて下等生物ではなかったんだ。

 「貴様らを、殺す」

 そう叫んだ。遠くの山では、月に大きな影をつくって、私の家族が舞っている。私の異常を察知したのだろう。その中の特に大きな巨体をもった私の父は、怒りの形相でこちらまで一目散に駆けていた。その怒りは約束を破った私に対してだろうか、それとも私を傷つけた人間に対してだろうか。それは分からないけど、私にはどちらでも良かった。もう私は、本当の意味で彼らと家族になれたのだから。

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