私の薬疹体験
春子
第1話
皆様は体調が悪くなったら薬を飲むと思います。
その際、薬の説明書を捨てていませんか?捨ててなくても、用法容量だけを見て副作用の注意書までは見ていない方は少なくないと思います。是非とも熟読する事をお勧め致します。頭の片隅にでもあれば、その時の対処に雲泥の差が出てきます。
まず、前提として私は医師から処方された薬が危険だとか、民間療法の方が効果があるとか訴えるつもりは御座いません。病気の治療は医師と話し合い、治療方針を決めて計画通りの投薬が一番であると考えています。
民間療法を否定しませんが、私はそれが一番であると判断して持病の治療に努めて参りました。
私は膠原病と長いお付き合いをしております。
この病気を簡単に言うと、免疫がおかしくなり体を攻撃する病気です。こうして書くと重病のように感じますが、投薬と日常の幾つかの制限に気を付けていればフルタイムで働くまで病状を抑える事の出来る病気です。だからと言って治療が簡単なわけではなく、強い薬の副作用で体重が二十キロも減ってしまったり、薬の飲み忘れで寝込んだりして、投薬コントロールの大切さは身に染みて分かっておりました。
この日、起こった事は、薬の副作用に慣れている私でさえ驚く事で、初めて体験談を書こうと思います。
始まりは38,5度の熱でした。
月曜日の真夜中に出た熱は、翌朝には37,4度まで下がり体調も安定していました。月曜日は市役所の手続きの為に長時間車を運転し、疲労が貯まっていました。そのような日に一時的に熱が出ることは良くある事です。
ですが、私は一ヶ月前に好中球数減少症にて入院していた事があり、念のために病院に向かう事にしました。私は朝食を作り、薬を飲み、洗濯物を干すという、何時も通りの生活をしました。
この後、病院に向かうタクシーの中で、次第に全身が怠くなり同時に鈍痛が出てきました。それはまるで、マラソンの後の筋肉痛のようで、強い倦怠感と痛みを伴いました。
病院について担当の医師に診て頂き、その際に熱の事と診察中も続く鈍痛の事も伝えました。一番心配していた好中球数は大丈夫だと言われ安心しましたが、医師からは予想外の言葉を言われました。
「薬疹の可能性もあるから、薬を一つ止めましょう」
私としては薬疹なんて関係ないと思っていました。この鈍痛は風邪の後に良くある筋肉痛だと思っていました。しかし、皮膚に湿疹が出ていると言われて両腕の裾を捲られ、自分の皮膚を見てゾッとしました。
そこには朝にはなかった薄いピンク色の斑点が、まるで胡麻を撒き散らしたように全身に浮かび上がっていたのです。
その日は早目に就寝し、暫くは安静にしようと心に決めましたが、筋肉痛は酷く2時になって漸く眠れました。
これが火曜日です。
次の日の水曜日。
目覚めた私はすこぶる快調でした。昨日はあれほど辛かった筋肉痛のような鈍痛はなく、熱も36,6度と平熱でした。朝食を作り、薬を飲み、洗濯物を干して一休みした時、再びあの痛みと倦怠感が襲ってきました。体を動かして疲れたかと思い、布団を敷いて休みましたが、痛みは無くなりません。
逆にどんどんと痛みを増していき、処方された鎮痛剤を飲んでも収まりません。足の裏から両股、腹部、胸部、肩、両腕に至る全てが強烈な筋肉痛のような感覚に蝕まれました。
思わず布団を撥ね飛ばし、床の上を這い回り呻いてしまう耐えられない不快な痛みでした。この時の私は、まるで獣のようでした。また、不思議な感覚を感じていました、時々氷を滑らすような濡れた感覚を一瞬だけ感じました。それが何度も肌を滑っていきます。当然ですが、氷なんてありません。天井を見上げましたが雨漏りもしていません。だけど、その感覚は何度もありました。
私は耐えきれずに病院に駆け込みました。
診察室に辿り着いた時、あまりの痛みに涙を流し椅子に座りながら、ひたすら体を両手で擦り続けました。手当てとはよく言った物で、手で擦った場所は微かですが痛みが和らいだ気がしたからです。服との摩擦で手の平が真っ赤になりましたが、ひたすらに擦り続け、痛みを耐えるために体を揺らし続けました。私の異様な様子に細菌感染や膠原病の悪化等様々な原因が考えられ、血液検査やCT検査など沢山の検査がされました。この時、不思議な事に気が付きます。検査の度に看護師の皆さんは痛がる私を気遣って移動させてくれるのですが、全く痛くないのです。普通だと、痛い患部を曲げたり握られれば痛みは更に強くなるものですが、外的接触による痛みの増減は全くありませんでした。痛みによって血の気が引きガタガタと震えましたが、布団が皮膚に当たる感覚が堪らなく不快でどうしようもなく、布団から出たり入ったり立ったり座ったりを繰り返しました。
結果は全てが正常でした。
当然ながら薬疹の可能性も考えられましたが、専門の先生は可能性が低いとの判断でした。これが薬疹の怖い所です。薬自体は普段通りの仕事をしているだけなので、検査をしても数値に異常はなく、しかも症状に一貫性がない。専門医でも判断が難しく、患者に持病があればそちらの悪化だと判断されてしまうのです。
医師は私に膠原病悪化による痛みの症状だと言いました。この時には筋肉注射の鎮痛剤を射たれ(ちなみに全然痛くなかったです。それよりも全身の痛みが強かったので)、痛みが少し治まっていた私は薬疹ではないかと思っていました。異様な皮膚感覚や薬疹の可能性を訴えましたが、最終的な判断は膠原病の悪化となりました。正直、正常に判断する気力はなかったです。
私は痛み止めと睡眠薬を懇願し、それを御守り代わりにして帰りました。夜になると多少は痛みが和らぎましたが、それでも眠れませんでした。
木曜日。
また、朝になると体調は良くなっていました。
足の裏に僅かに筋肉痛のような弱い痛みは残っていましたが、それ以外の痛みはなかったです。
その日も何時も通り、朝御飯を食べて薬を飲みました。この時、ふと二錠の薬が原因ではないかと思いました。ネットで調べた所、副作用の欄に焼けつくような痛みと記載があった薬です。ですが、私はそのような自己判断による投薬の中断が一番の悪手だと考えていました。
私は薬を飲みました。
その日は保健所の手続きがありました。何時もは一人で向かうのですが、一連の体調不良を知った母の彼氏さんが送ってくれました。薬を飲んだのが八時半、保健所に着いたのが九時です。この時の私はすこぶる元気で、帰りに定食屋で早目の昼食をとろうと彼氏さんと話していました。
彼氏さんは車の中で待機してもらい、私は受付で自分の番を待っていました。
ちょうど、九時半になった頃、足の裏から膝まで痛みがブワッと広がりました。思わず擦りましたが、足の痛みはドンドン強くなります。
この痛みは全身に広がる。咄嗟に受付の方に体調不良を訴えて、順番を繰り上げて貰いました。五分後に手続きを終えた頃には、痛みは全身に広がり、気力で呻き声と痛みを我慢し、這いそうになる体で必死に二足歩行をして保健所の玄関を出ました。
その時には、足の裏から顔まで全身が凄まじい痛みに覆われていました。彼氏さんの車に乗った時は呻き声しか出せず、痛みは更に増していき、それは燃え上がるような激痛になりました。異様な痛みでした。普通の痛みは体の防御反応として発生します。擦り傷、切り傷、化膿、打撲、様々な痛みは体の為に存在し、痛みには波があり、弱くなったり強くなったりします。だからこそ、人間は痛みに耐えきれるのです。
しかし、私を襲った痛みは違いました。波のない痛みが段々と強くなりながら、全身を覆っていくのです。痛みの花火がパッと散って体を焼いているようでした。
痛みのあまり、車内で暴れ自分の髪を掴み引っ張りました。辛うじて運転席の彼氏さんの邪魔にならないようにと意識はありましたが、フロントガラスを足で蹴り、背もたれを殴り、仰け反り絶叫し、なんとか痛みを体の外に苦そうとしました。逃げ場のない痛みに、人間は叫ぶことしか出来ません。
痛い痛い痛いよぉぉぉ痛い痛い痛い痛い痛いよぉぉぉ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いよぉぉぉ痛い痛い痛い痛いよぉぉぉ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いよぉぉ
最初は安っぽい文章のような言葉がでました。本当に痛い時、苦しい時、人間は自分の状況を口にする事しか出来ないと知りました。
次は疑問でした。
何で?何で痛いの?何でこんなに痛いの?何で何で、あああ痛い痛い痛いよぉぉああああ
あまりの痛みに人間とは不思議な物で、誰ともなしに尋ねました。自分がどんな状況なのか、誰かに尋ねたかったんだと思います。
焼ける焼けるよぉぉぉ体が焼けるよぉぉぉ熱い熱い熱いよぉぉぉ焼けるよぉぉぉ
私は慟哭しました。
この時の痛みはまさに火傷のようでした。科学薬品によって作られた擬似的な火傷の痛みが体を覆い、それは消えることなく数十分もの間、私の体を炙ります。この時、気が付きました。あの濡れたような冷たい感覚は、冷たいではなく熱いのだと。痛みとしての熱いと冷たいという感覚は、よく似ているのだと分かりました。
お母さん助けてお母さぁぁぁんお母さぁぁぁん助けてぇぇ
後から彼氏さんに聞くと、私は母を呼んで助けを求めていたらしいです。この辺りの記憶は曖昧ですが、ぼんやりと呼んでも無駄だろうと思った事は覚えています。母は医者でもなく、別に呼んでも何も出来ないと理解してました。
三十路間近の女が叫ぶ台詞ではないですが、やはり肉体的苦痛に押し潰されそうになった時、呼ぶのは母なのでしょう。学生時代、沖縄旅行で戦争体験の話を聞いた時、負傷兵が母を呼んで死んだ話を思い出しました。
苦しむ私の横で、彼氏さんは泣きながら運転していたそうです。
漸く病院に着いて鎮痛剤を射たれた私は、緊急入院となりました。恐ろしい事に、ここまで苦しみながら私の体は数値的には正常で、次の日の朝には再び元気になっていました。
さまざまな検査の結果、痛みの原因は、とある薬による薬疹だと判明致しました。
それは私が怪しんだ薬ではなく、説明書には今回の私が感じたような副作用は記載されていませんでした。一般の患者が手に入れる説明書には、発生する可能性が高い副作用が記載されています。極端に低い発生率ならば説明書に記載されず、その副作用は専門書に記載されるのみなのです。
その極端に低い物に当たってしまったのです。
一番怖いのは、薬疹の原因となった薬は常用していた物でした。一年間飲んでいて何も異常がなかった薬が私を苦しめました。疲労による発熱で体のバランスが崩れ、普段何気なく飲んでいた薬が凶器に変わったのです。
薬による副作用は珍しい事では御座いません。健常者でも市販薬であるロキソニンによって体調を崩し、緊急搬送された話は珍しくないです。
市販薬処方薬問わず、薬を飲むときは副作用を頭の片隅に置いて下さい。もし、体調がおかしくなった時、どの薬を何時飲んだのか医師に伝えることが出来れば素早い治療に繋がります。
そうでなければ、原因である薬を知らずに飲み続け、苦しみ続ける事となるでしょう。
私の薬疹体験 春子 @tensi0910
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