知命のバイク乗り、近所を走る

桑原賢五郎丸

誰も読んでくれねえんだわ

「こんちわ」


 チャイムも鳴らさずに上がり込んできた男がいる。間違いなく三吉だろう。今は忙しいので無視をする。


「土屋さん、こんちわ。パクリ騒動で有名な渋谷の『ティラミスピーポー』買ってきましたよ。潰れる前にと思って」

「そうか。ありがとう」

「昨日の日曜日に。誰も並んでなかったです」

「そうか。ありがとう」


 おれは画面から目を離さず、キーボードに指を置いた姿勢のまま応じた。50歳過ぎた初老の運動不足にティラミスを持ってくるのはどういうことかと思うが、悪気はないはずだ。多分。


「コーヒーとか多分台所にあるから、適当に入れてくれ。ついでにおれのも」

「いまだに湯呑が一つしかないのですが」

「大きめの皿で飲め。山賊のように」


 指示を出しつつも、おれは画面から目を逸らさない。忙しいのだ。仕事ではない。趣味で忙しい。一つ息を吐き、台所にいる三吉に話しかけた。


「あのな、三吉」

「はい」

「おれ今、趣味で小説書いてるんだけどさ」


 台所から、アヒャヒャヒャヒャヒャとしか聴こえない爆発的な笑い声が響いてきた。無視をして話を続ける。


「『カキヨミ』ってサイトに小説を投稿できるんだわ。で、ぼちぼちアップしてるんだけど」


 ものすごい勢いで水道水を噴出させている。おそらく笑い声が聴こえないようにという配慮だろうが丸聞こえである。それよりも水道代がもったいないのでやめてほしい。


「2ヶ月くらいやってるんだけど」


 しばらくして、三吉がコーヒーの入った大きめの皿を両手の平に乗せて戻ってきた。まだ笑っているのか、コーヒーがダバダバとこぼれる。床に何枚かティッシュを放り投げ、足で拭いた。おれたちは山賊の宴会のようにコーヒーを皿からすすった。


「誰も読んでくれねえんだわ」


 パイーン、という音がした。三吉が皿を落としたのだが、プラスチック製だから割れる心配はない。皿はクワンクワンとバランスを欠いたまま立ち上がろうとしていたが、やがて力尽きて床にべったりと身を任せた。

 三吉は下を向いたままティッシュで床を拭き、台所へ戻っていった。戻るやいなや、また炸裂したような笑い声が響いてきた。おれは話を続ける。


「こないだ、KAなんとかってコンテストに応募したのよ」


 笑いすぎて咳き込んでいる。しばらく同じ会社に務めていたし、その後の付き合いも長いが、三吉のこんな笑い方は見たことがなかった。

 彼がというより、人間は笑いすぎると獣のような声を出すのだなと知った。なんかシャッシャッという呼吸音が聴こえてくる。過呼吸だろうか。

 少し経って、三吉は、唯一の湯呑にコーヒーを入れて戻ってきた。


「それ、7PVだった。愕然とした。いや、愕然とし続けて5日目だわ。毎日愕然が更新され続けている」


 口から茶色い液体を吐き、再び三吉は床を拭き始めた。

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