絵葉書の便り

竹倉 翠雨

月明かりに照らされて

 ガタガタと窓がなった。わりと大きな音で、夢と現実をさまよっていた僕ははっきりと目覚めた。

 体を起こして窓を見ると、町が淡く月明かりに照らされていた。そして気づいた。誰かが居る。

 まだ夢を見ているの……?

 見つけた人影は、どうしても現実の物とは思えなかった。頭を振って、現実に戻ろうとしたが上手くいかない。僕はジッと考え、誰かを凝視した。――宙に浮いた、誰かを。

 すると、向こうも僕に気がついた。ジッと観察しはじめたかと思うと、やがて背中に生えた翼をはためかせて、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 窓のすぐ近くまで来ると、鍵を指さして『開けて』と、手振りで伝えてくる。

僕は布団から出て、窓に近づいた。ぐぅっと目一杯背伸びをしたら、いつもは届かない鍵に手が触れた。鍵は見えないから、手探りでカチャカチャとやっていたら、やがてカチリと音がした。窓ガラスまでは手が届かなかった。

 でも、誰かは『ありがとう』と言って――否、声は聞こえていない。口も、ろくに動いていない。でも分かった。僕の心に誰かの声が響いたのだ。――窓を開け、入って来た。

『あなたは誰?』と、僕が口にする前に、”アンゲロース”という言葉が浮かんだ。誰かを見ると、ニッと笑って頷いていた。

 どうやらアンゲロースというのが、前にいる人の――女の子の、名前らしい。

「僕の名前は……っ」

 名乗ろうとすると、アンゲロースが僕の口に人差し指をくっつけた。笑って首を振っている。

 ――もう名前は知っているよ。

 心に響いてきた言葉に僕は頷く。アンゲロースは人の心が読めるようだ。

 僕が一人で感心していると、小さな笑い声が響いた。顔を上げ、アンゲロースを見ると、クスクスと笑っていた。

 また心を読まれたらしい。頬を膨らませ、むぅっと僕が怒ってみせると、笑いをこらえたアンゲロースの声がまた響く。

 ――ごめん、ごめん。それより私はあなたを……ニーマを、迎えに来たの。

『迎えに来た? 初対面のはずだよ?』

 言葉にする必要がない事が分かった僕は、もう声に出さない。

 心の中で考えていれば、アンゲロースが勝手に読み取ってくれるから楽だ……っていうのもばれてるだろうなぁ、きっと。

 ――うんうん、バレてるバレてる。そして、私は初対面じゃない。ニーマは覚えていないだろうけどね。

 ニコニコと笑っているアンゲロースは僕の心に響かせると、すっと手を差し伸べてきた。僕がポカンとしていると、指先をヒョイヒョイと曲げて『早くつかまってよ』と伝えてきた。

『分かった』

 僕はアンゲロースの手を握った。アンゲロースの手は細く、ひんやりとしていた。その感触に僕が驚く暇もなく、アンゲロースが背中の翼を広げ、突風が起こった。僕は思わず目をつぶる。

 そして、急に感じた浮遊感にうっすらと目を開けてみると、驚いた。目の前にあったはずの町が、遙か真下に見えたからだ。

 僕はアンゲロースに抱かれて空を飛んでいた。それも、ものすごい速さで。

「わっ、速い! 高い! アンゲロース!?」

 僕は怖くなって叫んだ。それでもアンゲロースは速度を落すどころかスピードを上げ、僕の反応を楽しんでいるようだ。

 完全に無視して飛び続けるので、僕は自分一人でこの異様な状況に慣れないといけなかった。


『どこに向かっているの?』

 少し気持ちに余裕が出てきた頃、僕は聞いた。

 アンゲロースはやっと目を合わせたかと思うと、僕を支える腕を片方外して指さした。雲間から差す、ヒカリを。

 あのヒカリの先って……!

 僕は体中の身の毛がよだつのを感じた。目一杯首を回して、アンゲロースの顔が見えた時、僕は気を失った。


 ――誰かが僕の名を呼んでいる。

 夢と現実をさまよった末、僕は目を覚ました。いつも寝ている犬用のベッドの中に僕の体はなく、代わりに白いふわふわとした所に寝っ転がっていた。

 ――また誰かに呼ばれた。

 今度は声の主に思い当たる人がいた。ふらふらと歩き回ると、だんだん声が近づいている気がする。何かに足がはまって、白いふわふわの中に体が埋もれた。

 ぎゅっとつむった目を開けると、白いふわふわの――違う。雲の、間から町が見えた。僕の暮らした家を、僕は上から覗いていた。そして、窓越しに

 ……僕が見えた。

 僕は、ご主人様に抱かれて横たわっていた。

 ご主人様は、僕の名前を呼びながら泣きじゃくっていた。

 その時、誰かに背中を叩かれた。振り返ると、頭にをつけたアンゲロースが笑っていた。意味ありげな、不気味な笑みを浮かべて。

 その表情が気を失う前のアンゲロースの顔と重なると、僕は身の毛がよだつのを感じた。

 アンゲロースが近づいてくる。僕は力の入らない手足を必死に動かして、どうにかアンゲロースから逃げようとした。

 でも、出来なかった。

 抵抗する僕を見て、アンゲロースは手を伸ばした。僕の手首をものすごい力で引っ張ると、翼を広げて否応なしに僕を連れて行った。


 ヒカリ輝く、神の領域へと。


 消えゆく意識の中、僕は思い出した。

 この地に生まれ落ちた時、ご主人様の元に送ってくれたのはアンゲロースだったという事を。

 そして、『アンゲロース』はギリシャ語で『天使』の意味を持つという事を。


――じゃあね、ニーマ。


 僕の名前はニーマ。ギリシャ語で、『糸』。


 アンゲロースの言葉は、僕の生命いとを断つ刃だった。

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