時の旅人~外伝~

櫻井 理人

第1話 消えた花瓶の行方

 アーサー、お久し振り。

 あれから三か月近くも経つのね。そう考えると、あっという間だわ。

 マリア様の計らいで、晴れて私たちの一族は伯爵家として再び宮廷に戻ることが許されました。

 といっても、貴族としてはあまり裕福ではないので、商売を始めることにしたのよ。

 そこで、屋敷の一部をホテルに改装しました。完成パーティを行うので、良かったら来てね。

 日時:十月十八日 正午から

 場所:ロンターニュ家にて(場所の詳細は地図に記しているので、そちらを見てね)

 お昼ご飯をごちそうするから、おなかをすかせて来てね。

 会えるのを楽しみにしています。

 シャルロットより


(また乗ることになるなんて、思ってもみなかったな)


 アーサーはラニーネ急行の食堂車にいた。切符がシャルロットの手紙に同封されていたのである。裕福ではないといっても、やはり彼女は貴族の令嬢である。

 服も、フランシスが昔来ていた服を送ってくれた――ノワール渓谷からマリアたちが引っ越すのに邪魔になった――ため、アーサーは前回のような肩身の狭い思いをすることなく、列車に乗ることが出来た。


(皆、元気にやっているだろうか……)


 車内では特段事件もなく、翌朝、無事にアントワーヌ駅へと到着した。列車は定時に着いたため、約束の時間の少し前まで駅の近くにある図書館で時間を潰すことにした。


(ここでシャルロットたちと本を読んで、事件のことを考えていたんだっけ……懐かしいな)


 あの時と変わらぬ館内の風景に、アーサーは表情をほころばせた。


 




 図書館を出たアーサーは、送られてきたシャルロットの地図を頼りに、彼女の屋敷を目指す。駅から十五分ほど歩いたところで、それと思われる建物が目についた。茶色の外壁で石造りのその建物は、どこか古めかしく、入り口には金色の字で「ホテル・ロンターニュ」と彫られた看板が取り付けられていた。


「ここか……」

 アーサーがドアノッカーを三回叩くと、

「はーい!」

 中から聞き覚えのある声がする。まもなく扉が開き、

「アーサー! 来てくれたのね」

「シャルロット、久し振り。少し早く着いちゃったかな」


 時計の針は、午前十一時二十分を指していた。


「いいわよ。逆にちょうど良かった。せっかくだから、中を案内するわ」


 シャルロットの案内で、屋敷の中へ入る。入り口からほど近い場所にあるテーブルには、大きな花瓶が置かれていた。白地に金色で縁取られた花と剣の模様が刻まれている。


「花と剣……これってまさか、風の国王家の紋章?」

「マリア様にいただいたのよ。宮廷の方がばたばたしているから、今日は来られないって言われたわ。その代わりに、この花瓶をいただいたの。専門家の人の話だと、少なくとも金貨五十枚の価値があるって」

「五十枚?! ラニーネ急行の一等室より高いよ」

「あら、よく分かっているじゃない」

「前にババ様から切符代を持たされたからね。今回は切符までありがとう」

「前回のお返し。あなたにはお世話になったから。色々迷惑もかけちゃったし」


「シャルロット、その方は?」


 二人の会話を割って入った声の方へ、アーサーとシャルロットは目をやる。

 入口のホール正面にある階段の上から、燕尾服に身を包んだ紳士と、真っ白なドレスに身を包んだ貴婦人がゆっくりと下りてくる。


「この子がアーサーよ。前に話したでしょ? アーサー、紹介するわね。私のお父様とお母様よ」


 シャルロットの両親は、目を丸くして残りの階段を駆け下り、慌ててアーサーに握手を求めた。


「君があのアーサーさん?! 初めまして。シャルロットの父のダニエルです。娘が大変お世話になったようで」

「母のセリーヌです。お会い出来て光栄ですわ」

「初めまして。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 アーサーは照れ笑いを浮かべながら、礼儀正しくお辞儀をした。


 挨拶を済ませると、ダニエルはシャルロットに二枚の紙を手渡した。


「今日のパーティに来る参加者のリストだ。アーサーさんを入れて五十名。一応渡しておくぞ」

「ありがとう、お父様」


 タイプライターで打たれたその紙に二人が目を走らせると、見覚えのある人物の名が記されている。


「リ、リン・ユー?!」


 二人が視線を戻した時には、ダニエルとセリーヌの姿はなかった。


「なんで、リン・ユーが来るのよ」

 シャルロットがぶつくさ言っていると、

「俺がなんだって?」


 声に驚いた二人が振り向くと、不機嫌そうな表情を浮かべ、柱に寄りかかるリン・ユーの姿があった。


「俺がここにいては不満か?」

「不満も何も……アンタを招待した覚えなんてないわよ!」

「好きでここに来たわけではない。あくまで、マリア様とフランシス様の命令だ。パーティなどとうつつを抜かしたお祭り騒ぎなどに毛頭興味などない」

「なんですって!」


 ああ言えばこう言う……シャルロットとリン・ユー、二人の関係は相変わらずだ。隣で苦笑いを浮かべるアーサーだったが、どこか懐かしくもあった。またこのやりとりを目の当たりにできることに。そして何より、アーサーにはどうしても聞きたいことがあった。


「リン・ユー、お久し振りです。マリア様とフラン兄さんは、元気にされていますか?」


 リン・ユーはじろりとアーサーに目線を移した後、ふんと鼻を鳴らした。


「てめぇが気になっているのは、あくまでフランシス様の方だろ? まあいい。俺はお二人にお仕えすると誓い、宮廷に入った。前王の大葬が終わり、マリア様の戴冠式の準備に取り掛かっているところだが、うるさ型どものせいで幾らか遅れている。フランシス様は、マリア様を守るのに尽力されている」

「私も聞いたわ。若いとか、女だからとか……まったく、古くさい考えを持った人たちで困るわ」

「そっか……僕にも、何か出来ればいいんだけど」

「一庶民が何とかできる問題ではない。今はフランシス様に任せるより、他はない。俺やハンナも、てめぇと同じ気持ちだ」

「リン・ユーとハンナさんは、一番目の前でその様子を見ているんだもの。二人の気持ちを痛いほど理解していると思うわ。でも、つらいことがいつまでも続くとは思わないわ。明けない夜はない……でしょ?」


 シャルロットの言葉に、アーサーは頷いた。


「なんか堅苦しい話になっちゃったわね。パーティまであまり時間もないけど、せっかく来てもらったから中を見てもらいたいわ」


 そう言った次の瞬間、シャルロットの顔色が蒼白になり、石像のように固まってしまった。


「えっ?! ……嘘でしょ?」

「どうしたの?」


 シャルロットの視線の先にアーサーも目をやる。


「あっ! 花瓶が……」


 さっきまでそこにあったはずの花瓶がない。


「なんで?! なんでないのよ! 泥棒だわ!」


 シャルロットの金切り声で、リン・ユーは耳を塞ぐ。


「花瓶っておい、まさか……マリア様の送った花瓶を……」


 リン・ユーは耳を塞いだまま、シャルロットの方をぎろと睨んだ。


「怒りたいのは私の方よ! こうなったら、是が非でも見つけてやるわよ……花瓶泥棒!」






 シャルロットが屋敷の中をせかせかと歩き出す。彼女の後ろをアーサーとリン・ユーが引っ張られるようにくっついて歩く。


「なんでリン・ユーまでついてくるのよ」

「好きでついてきているわけではない。マリア様からの贈り物をぞんざいに扱ったことに対して苛立っているだけだ」

「何よ、それ。私がなくしたとでも言いたいの?」

「他に何がある?」

「アッタマきた! これだからアンタは!」

「二人とも、今はいがみ合っている場合じゃないよ」


 アーサーが止めに入り、二人はしばらく無言になる。やがて、シャルロットが口を開き、

「いったいどこに行ったのよ……パーティまであと十五分しかないのに」


 アーサーが名案を思いついたとばかりに手を叩く。


「花瓶のあった場所まで戻って、僕の時計で巻き戻そう。そうしたら、誰が持って行ったか分かるかもしれない」

「それを早く言いなさいよ!」


 アーサーは苦笑いを浮かべ、リン・ユーは再び耳を塞いだ。






 花瓶の置いてあったテーブルの前まで戻り、アーサーは時計をかざした。すると、思いもかけない人物だった。


「お父様?!」


 シャルロットはあんぐり口を開けたまま、その場で固まってしまった。


「花瓶泥棒が……てめぇの父親とはな。ギャーギャー騒ぎやがって、人騒がせな家族だ」


 リン・ユーの言葉で、いつもならムキになるはずのシャルロットも、この時ばかりは赤面し、近くの椅子に座り込んでしまった。


「本当に、そのとおりよね……なんだか恥ずかしいわ」

「ダニエルさんは、あの花瓶をどこに持って行ったんだろう」


 そう言うと、アーサーはダニエルの後を追った。それを見たシャルロットとリン・ユーも後を追う。


 ダニエルは階段を上り、最上階にある部屋へ入った。


「あの部屋、お母様の寝室よ」


 シャルロットが先陣を切り、中へ入る。アーサーとリン・ユーもそっと入った。

 部屋にある白いテーブルには、真紅のバラの花束が入った花瓶が置かれている。

 シャルロットたちに気付いたダニエルが、驚いた顔で三人を見た。


「シャルロット、どうかしたのか?」

「マリア様にいただいた花瓶がなくなったから……とっても心配したのよ! 私たち、宮廷から追い出されちゃうんじゃないかって!」


 シャルロットの目には、涙が浮かんでいた。


 ダニエルは苦笑いを浮かべた。


「それはすまないことをしてしまったな。花瓶も、何も入れないでただ飾っておくよりは、綺麗な花を入れて飾った方が喜ぶと思ったんだが。それに、お母さんを喜ばせたくてな……」

「お母様を?」


 シャルロットはそう言ってまもなく思い出した。


「あっ! 今日はお母様の誕生日じゃない!」

「そう、だからお母さんに贈る誕生日プレゼントとして。さすがに、九百九十九本は入らないから、九十九本で勘弁してもらおうと思うが」

「確かバラの花って、色や本数によって意味が違うのよね。赤は情熱や愛情を意味していて、九十九本が永遠の愛で、九百九十九本は……」


 シャルロットが詰まると、アーサーが代わりに答えた。


「何度生まれ変わっても……あなたを愛する、だったかな」


 それを聞いたダニエルは小さく頷き、照れくさそうに笑った。






 この後、宴会場にてホテルの完成パーティが盛大に執り行われた。アーサーやリン・ユーを含めた五十名の招待客からは拍手が沸き起こった。

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