くらげ
よううとおいち
第1話
黄金色に晒された木々が影を為し、咲き誇る桜からは上品に花々が零れていました。
自身が為した影に身を重ねていく、花吹雪の絢爛たる姿といったら思わず息を呑むほどで、緩急もさることながら美しい事この上なく、しかしその一方、コンクリートに鏤められた桜色の絨毯を踏み散らす連中、そしてそいつらの一様に提げている黒い紙袋や、頗る滑稽な闊歩の様は言うまでもなく、呪わしいほどに清々しいその面持ちは、ぼくをして不快ならしむる要因に他なりませんでした。
髪の色まで揃えちゃって、わざわざ有象無象に成り果てるつもりかよ。そう頬杖を突くと、大学の図書館の窓から行事に参加する茶髪の量産品を見下ろして、窓っぺりに付いた花びらに憂鬱を載せた後、指でそれを弾き落としてやりました。舞い落ちていく様を目で追っていくと、懐かしい顔がちらほらと。
ああはなりたくないものだ。そう思ってはみるものの、大した考えがあるわけではなく、未だに漠然とした夢、とも言えないような曖昧な憧憬しか引っ提げていないぼくは、現状に面白みを見出せず、また意義も同様に見出せず、その旨を両親に伝えたところ、退学はいけない、どうしてもと言うならば休学なさいとの言葉を貰って、進級と同時に手続きをしてしまおうと、大学に足を運んだのでした。休学には、担任を務める教授との面談が必要とされていて、その待ち合わせまで暇ができてしまったから、どこで時間を潰そうかと考えた挙句、こんな行事ごとがあるとは思ってもいなかったぼくは、知っている奴らと顔を合わせないようにと図書館に逃げ込んだのです。大学ってのは遊ぶためにあるんだろうなんてことを言うやつらばかりだったから、図書館で出くわすことはないと思ったのでした。
ちっぽけなヴァニティに因る底上げの意識もあったに違いありません。
一叢の薄くなるのを待ちましたが、このままでは待ち合わせに間に合いそうになかったため、諦めて図書館を後に、ぼくは教授の待つ研究室へと向かいました。髭を蓄えた教授はいつものように柔らかく、休学理由を「他大学の受験」としていた彼に、どういった分野に進みたいのかを尋ね、「物理学のほうへ」だなんて、昔夢見たことを口にしてみると、教授は大きく笑っていました。
実は、ガラクタみたいな人生を送りたくないだけなんです、とでも言えれば楽なのでしょう。しかし元来、保身に命を懸けるような男だから、そんなことはできませんでした。
細かく尋ねられたため、「理論物理学ですかね」と歯を見せて答えると、教授は大きく息を吐き、「理論物理は、哲学に通ずるところがありますね。文学に還ってくるのも良いでしょう」とだけ言って、休学願に印を押してくれました。最後に、「休学というのは二年までしかできないから、そこのところは覚えておくように」と念を押すような口調で以て教授はぼくに別れを告げてくれました。
別に、他にどこか行きたい学校があるわけではありませんでした。ただ、オリエンテーリングの時、ぼくの自己紹介を聞いたある教授が、「君はU高校卒なんだね。私もなんだ。中学はどこだい? なんだって、中学も同じだ。私も中学から受験をした身でね。うんうん、ははは、よろしくよろしく。家も近いなんて驚きだよ。しかし、あれだね。あの高校を出たひとがここに来るなんて珍しいね、まあでも、文転したのなら色々あったのかもしれないね」と言ってきたことがはじまりでした。
それには、なんだこの小さい大人はと薄笑いを浮かべることもできたのかもしれませんが、当時のぼくにはそれはできなかったようでした。ぼくはあのとき、こいつがどんな大学を出ているんだと、後に教授紹介のパンフレットを見て、出身大学に京都大学と記されているのを見て、げんなりしたのです。
それだけならまだしも、また別の日の英語の授業で指名された時、使役動詞のすべてをぼくが答えたら、クラス中から絶賛されてしまいました。それを機に、ぼくはまったくここに来る気がなくなってしまったのでした。入学してから夏までの、ふつうの大学生みたいな、飲み会でお世辞よろしくルックスを褒めあったり、言い寄り言い寄られたり、互いにカマをかけ合うようにしながら近付いたりするような青々しい時間も、今となっては懐かしく、それどころか手の届かぬ所にあり、大学ってのは学ぶために在るものだろう、社会に出るまでに設けられた最後の遊ぶチャンスなんかじゃあないさ、それなら大学なんて行って意味があるか、遊びと学びを両立ってのはイイが、ここんところは遊びしかしてねえやつらしかいないだろう、もっとイイトコいったほうがいいなあ、ふつうの人生はつまんないさ……などなど、捻じ曲がった上昇志向で武装を始めてしまったぼくは、だらだらとして休学も二年目に入り、大学のやつらよりも不健康にモラトリアムを満喫しているような身分に陥っていたのでした。
くらげ よううとおいち @youu_toichi
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