従者の願い事

さくらねこ

従者の願い事

「本来ならば貴様のような卑しいものが従者になどなれぬ。されど、姫様のお達しだ。選ばれた以上はしっかりと仕えるのだぞ」

 ショースを履き、チュニックの上からプールポワンを着た、いかにも貴族という格好をした初老の男が少年を連れていた。歩いているのは綺麗な絨毯のひかれた立派な屋敷、いや、城というべきだろうか。少年は物珍しそうに飾られている壺や彫刻、ランプなどの装飾を見ていた。男はため息をつきながら、「なぜ、姫様はこのようなものを従者にしたのか分からぬ」と言った。

 この男は自分の孫でも従者に推薦したが、だめだったのだろう。男の小言に少年はうんざりという顔をしていた。

 この公国の姫はまだ年端もゆかぬ子供であるが、とても可愛らしかった。とても優しく、行儀作法に通じ、貴族、民関係なくたいそう愛されていた。

 貴族の子息たちはある程度の歳になると、従者や侍女をつける。侍女は貴族の生活の世話をし、従者は主を守ることはもちろん、常に側に仕えて主の望みを叶えるのである。姫には侍女はたくさんついているが、従者をもつのは初めてだった。姫の従者探しは難航していた。姫は普段は温厚であるが、このときばかりは我儘で、従者の候補を端から切って捨てた。

 ある日、姫が外遊にて公立公園に行ったとき、風で帽子が飛ばされ高い木の先に引っかかった。大人たちはなんとか帽子を取ろうとしたが、登り切ることができず、誰も取れなかった。その様子を見ていた少年は姫の元へかけつけた。

「是非私に任せてください。もし、取れたときは無礼ながら一つだけ願いを叶えてください。もし、私が落ちたとしても心配には及びません」

 姫が頷くと、少年は木を登り始めた。少年はとても身軽で、木をすいすいと登っていった。もう少しで帽子に手が届くというところで、強い風が吹いた。

 少年は気がついたときには地面に寝ており、姫がその顔を心配そうに見ていた。その瞳は琥珀のように美しく、少し潤んでおり、なおのこと輝いていた。少年は笑いながら、「心配には及びませんと言ったではないですか」と言って、姫に帽子を渡した。

 姫は空いていた従者に少年を抜擢した。しかし、これは少年のお願いではない。


 姫が十六の歳になった頃、姫はとても美しく成長し、その評判は各国に広まっていた。公爵は自慢の姫の婿探しをしていた。公爵にとって姫は一人娘であり、跡取りでもあるため、嫁に出すわけにはいかない。いずれの貴族の子息と娶せようかと悩んでいると、姫は突然、従者と結婚すると言い出した。これに激怒した公爵は従者を呼び出し、酷い体罰を与えたうえに、城から出ていくように宣告した。

 姫は泣いた。

「従者は私の側に常にいる者。私は愛する人を従者にしたかった。だから、あなたが現れるまで、決めることができなかったのです。私の我儘のせいで、あなたを辛い目に合わせてしまいました。それでも私はあなたを愛しています。帽子を取ってくれたときのように、従者となっても、あなたはずっと優しかった。私の心はあなた以外には揺れ動きません」

 そう言って、姫は従者の傷の手当をしようと、従者の服を脱がせた。しかし、従者の体に傷はひとつもなかったのである。少年は寂しそうな顔で姫に告げた

「私は普通の人間ではありません。こんな傷などすぐに治ってしまう吸血鬼なのです」

 姫はまっすぐ従者の顔を見た。

「父上はあなたに酷い仕打ちをしました。その力があれば、あなたは反抗できたはずなのにしなかった。人間でも悪いことをする人がたくさんいます。あなたは吸血鬼でも正しいことができる人だと思っています。だから……」

 姫と従者は唇を合わせた。

「今の口づけは結婚の証。誰も私達の思いだけは離すことはできません」

 姫はそう言って微笑んだ。

「姫様、私はお城を出ます。必ず……必ず、もう一度、姫様のお側に参ります! それまでお元気で」

 従者はそう言って、城から出ていってしまった。姫は涙を流した。従者とは二度と出会うことはできまいと。


 従者が城を出てから一年後、血縁が途切れた貴族の土地を巡って、他の貴族の間で争いが起きていた。公国はその中でも最大の戦力を持っていたが、他の貴族は同盟を組んで、これに当たった。戦争は長期化し、悲惨なものとなり、その土地だけに収まらず、公国にまで及んだ。城には暗雲が立ち込め、公爵は生気を失ったかのように老け込んだ。

 ついに、公都まで戦場になり、民たちが恐怖に打ち震えていたとき、城の門に一人の男子が立ちふさがった。

「ここを通ろうとするものは、冥界へと誘ってやろう。それでもかかってくるものはいるか」

 それを聞いて、兵たちは気が触れたものが現れたと笑った。男子は着の身着のままで武器さえ持っていない。守兵が次々と逃げていく。ただ、姫だけがその者の言葉を聞いて元気を取り戻したようだった。

「あの人が約束どおり帰ってきたのだわ」

 姫は走った。

 兵が城門へ押しかけると、従者は手を振るった。すると、宵闇よりなお暗い闇が立ち込め、巻き込まれた兵たちは次々と意識を失っていった。怯んだ他の兵士たちは我先にと逃げ帰っていった。

 姫は城門を飛び出し、従者を抱きしめた。

「遅くなり申し訳ありません。約束通りお側に参りました」

 従者がそう言うと、姫は泣きながら頷いた。

 城からその様子を見ていた公爵は激怒した。

「奴を殺せ。奴は悪魔か何かに違いない。心臓を銀の槍で突くのだ。決して、娘に傷を負わせてはならぬぞ」

 その命令は確実に実行された。倒れていく従者を姫は受け止めた。

「なぜ、こんなことに。でも大丈夫。あなたの傷はすぐに良くなるもの。治ったら、私はあなたとどこへでも行きます」

 姫は従者を抱えて、そう言った。

「心臓を銀の槍で突かれました。これでは吸血鬼でも助かることはないでしょう。約束を守れぬことをお許しください」

 従者は自分に残された時間が僅かであるかのようにつぶやいた。

「いやです。死んではなりません。私はまだ、帽子をとってもらったときのあなたの願いを叶えていないのです」

 姫はそう言って、懐かしんでいるような顔をした。

「いいえ、叶えていただいております。私の願いは、あなたを得ること。私はあなたに恋をした。だから、どうしても、あなたの心が欲しかったのです」

 二人の顔が穏やかになる。

「では、私達の願いは一緒だったのですね。なおさら、あなただけ死なせるわけにはいきません」

 姫はそう言って、近くの剣を拾った。

「姫様、それだけはなりません。たったひとつだけ助かる方法があります……姫様の血を私にください。その代わり……姫様は人ではなくなってしまいます」

 絞り出したような声で従者は姫に告げた。

「なんてこと。そんな簡単なことで、あなたと私は結ばれるのですね。もっと早く言ってくれれば、いくらでも血など与えたものを」

 従者はぽかんと口を開け、目をつむり、そして笑った。従者が姫の首筋に牙を立てる。姫の思いが流れ込んでいくかのように従者はみるみる回復し、それを見た姫と従者はもう一度抱き合った。これからの長い道のりを楽しみにするかのように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

従者の願い事 さくらねこ @hitomebore1982

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ