或る六月と爪痕の新芽

空吹 四季

或る六月と爪痕の新芽

 美術科 1-A 昼休み

 高校へ入学してから二ヶ月が過ぎ、六月。クラスに馴染むとまではいかないものの、当たり障りの無い立ち位置を守り続けている学校生活。黒い絵画を描く女子ーー鷹野撫子とは、それなりに会話をする仲になった。彼女も僕と同様、僕が赤い絵画を好んで描くことを気にしていたらしい。度々話す機会を重ねていく中、百合と同じ大学に彼女の姉と兄(双子らしい)が在籍していることを知った。ただ僕は、特に百合のことを話すことはないけれど。

「撫子、居る?」

 梅雨に珍しく晴れた、ある日の昼休み。購買へ向かうべく教室のドアを開けようと手を掛けた瞬間、引き戸が勢いよく開いて金髪の女子生徒が顔を出し、そう言い放った。少しだけ、耳が痛い。

「あぁ、キミさぁ、鷹野撫子って居たら呼んでくれないかなぁ?」

 金髪女子生徒は、耳の痛みに眉間が寄っていると思しき僕に対して、片手を立てて謝罪ともお願いとも取れる仕草をしながら声を掛けてきた。制服の色を見る限り、普通科の生徒だ。何の用事かは知らないけれど、中学時の同級生が同じ高校の別クラスに居るだなんてざらにあるし、そんな感じなのだろうと勝手に解釈して教室を振り返る。すると、撫子がおたおたと小走りにやってきた。

「えっと、グレちゃん……あの、どうしたの……?」

「お昼買ってきたからさぁ、屋上行こうよ。まだ食べてないでしょ?」

「え……あ、うん……。でも、私……あの。あ……」

 二人の女子の会話を耳にしながら、改めて購買へと向かおうと踏み出そうとすれば、ツンと袖を引かれて、また僕は教室を振り返る。

「あの、ね、百田くん……私、お弁当で……グレちゃ……友達がね、購買で二人分、パン買っちゃったって……だから、良かったら……お昼、一緒に……」

 袖を引いたのは撫子で、標準ステータスらしいおどおど状態で、彼女は何故か僕を昼食に誘ってくる。

「私、他に……仲良しの人って、居なくて……だから」

 ランチメイト症候群という言葉が頭をよぎる。そして、金髪女子生徒からの『断ったらどうなるか理解してるよな?』と汲み取れる視線が痛い。こんな連携プレイは、女子の特技で特権だと思う。

「分かった。取り敢えず、教室出よう」

 女子特有の陰湿さをひしひしと感じるけれど、教室の出入り口でもたついて注目される方が僕にとってはマイナスに思えて、返事をしながら半ば先導するように屋上へ歩みを進める。当たり障りの無い立ち位置が継続されてくれるかどうか、そんなことを考えながら。


 *


 屋上に出たのは初めてのことで、フェンスに近付いて思うのは、やはり、飛び降りたらどうなるんだろうということで。見下ろす世界は遠く、僕においでと誘ってくるから、たまらずそれへ背を向けた。百合を置いてはいけない。まだ死ぬつもりは無い。

「蒸しあっつ……」

 僕に続いた金髪女子生徒は、空を仰ぎながら言う。遅れて、如何にも体力のなさそうな撫子が呼吸も荒くやってきた。

「……は、グレちゃん……よく、平気……だよ、ね……」

「そりゃあ陸上部だしねぃ」

 各々適当に座り込み、何故だか揃って空を見上げる。蒼い。百合の好きな、空の色。

「へぃ、ゆー。焼きそばパンとフルーツサンドとコロッケパンから選んでいいよ。あと、ハイこれ」

 ぼんやりと視線を空へ向けていたら、金髪女子生徒がずいとビニール袋を手渡してきた。随分と中身の数が多い。後から差し出されたのはいちご牛乳だった。

「ありがとう。……じゃあ、フルーツサンドで。ふたつあるし」

「毎度ォ。350円ツケておく」

「……奢りじゃないんだね……グレちゃん……」

「もちのろんだよォ、人生甘くないんだからねぃ」

 女子二人はくすくすと笑い、めいめい昼食を広げていく。フルーツサンドの封を切ったら、金髪女子生徒からウェットティッシュを手渡された。これが女子力というものなのだろうか。黙礼をして受け取って手を拭き、パンを齧る。懐かしいような、不思議な食感。350円は、後で撫子に預ければ問題はないだろうと思っておく。そんな撫子は、小さな弁当箱の彩り良いメニューに箸をつけていた。一方の金髪女子生徒は、コロッケパンへ豪快に齧り付き、珈琲牛乳を啜っている。

「グレちゃん……燃費が良くないの、知ってるけど……やけ食い、だよね。それ……」

 撫子が箸を置き、もごもごとそんなことを言う。三口でコロッケパンを食べ切った金髪女子生徒は、珈琲牛乳のパックを握り潰した。

「……食べ終わったら、話すから」

 果たして、僕は同席していて良いのだろうか。


「まぁね、まずは自己紹介だぁね。ボクは西園。西園グレーテル。キミは?」

 全員が食事を終えたタイミングで、金髪女子生徒が口火を切った。ボクっ娘なのはさておき、名前を聞いて、金髪なのは海外の血が入っているからだろうと察することが出来た。手短に名乗り返す。

「百田有留」

「ほぅ。お噂はかねがねって感じだけど、会ったのは初めてだねぃ、うりゅークン」

「……はい?」

「百田百合さんの弟クンでしょォ? ボクの従兄が同じ大学でねぃ、よくよく連んでー……いや、愚痴りあってる? まあ知り合いで、キミの話も出るとか出ないとかナントカかんとか」

 愚痴りあっているらしい内容も気にはなるけれど、その相手の弟の話を従兄妹間でしないでほしい。しても構わない気はするけれど、そんな関わり、僕はあまり知りたくなかった。

「西園さんは情報通。有留覚えた」

 某所で流行りの言い回しで、取り敢えずそう返しておく。百合を問い詰めたい。そんなこと、出来ない。

「それで、ね……グレちゃん。何か、あったの……?」

 へらりとした笑みを浮かべていたグレーテルの表情が、撫子の言葉で一気に強張った。

「何か、ね。……何かあったよ、ありまくりだよ! 毎回毎回髪染めろとか先公に言われてさァ、地毛だって言ってんじゃんよ、あとは何? バカなの、バカだよねぃ、通学バスの中で平気でエンコー話するバカばっかなんだよ普通科のメスどもはさァ! イライラしてイライラして片っ端から蹴り殺してやりたい気分になってもおかしくないよねボク間違ってないよねバカ大ッ嫌い‼︎」


 病的。そう感じざるを得ない独白。屋上からの叫びは、そのバカの中の何人へ届いたのだろう。否、届いてなんていないのだろう。グレーテルにとってのバカが普通科の女子生徒達のマジョリティであり、こんなヒステリーを起こすグレーテルこそがマイノリティとして足蹴にされるのが現実というものだ……と、思う。

「我慢、してるよ。ボク偉いよね? ね、撫子、ボク偉いよね……?」

撫子は何も言わず、グレーテルの頭を撫でる。


 そして、無情な予鈴が響いた。

「ゴメン。ありがと……百田クンも」

「グレちゃん……あの」

「ボク、もうちょっとココに居て、落ち着いたら帰るよ。どうせ不良扱いだし。二人はさ、行かなきゃ」

 無理矢理作ったような笑みで、グレーテルは僕と撫子の背中を押す。後ろ髪を引かれている様子の撫子の、置きっ放しの弁当箱と手首を掴み、教室へ戻ろうと判断して、動く。それがきっと、グレーテルの望みだ。僕だって、彼女の立場だったらそうしてほしいだろうから。

 ああ、当たり障り無い立ち位置が少し遠のく。

 だって。


(君は彼女に似ている)

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