Code:XXII 蠱毒を抜けた者達

 爆薬を弄ぶ少女にとって、生きるための行為で最も身近で必要に駆られたのは、食事でも睡眠でもない。食べずとも人間は暫く生きることができる。眠らずとも人は暫く行動できる。効率を無視すれば、少女にとってそれらは可及的速やかに行う事ではなかった。と言うより、少女が知る効率化の方法内容は、全て害を振り払うことに関するものだけだった。

 だから少女は、食の重要性を知る前に銃の扱い方を知り、睡眠の必要性を理解する前に爆薬の扱い方を理解した。

 獣が知るは生きる術。蠱毒を脱した一匹の小さく未熟だった獣は、泥に汚れた牙を研磨され、新たな巣で己を生かす術を見出した。







「ふぁ……ぁ」

 塒から蓬の運転する車で移動した400分隊一行。各自指示された分かれた三人、その内の一人であるアリスは用意されていた椅子に腰かけ寛いでいた。小さな口で欠伸を一つ溢し、まるで子猫の様に体を伸ばす。その様を遠巻きに眺める職員達を一切気にも留めることなく、アリスは手持無沙汰な様子で持ち歩いていたナイフを回し弄んでいた。

「ひまぁ……アリス別にここで無駄な時間過ごしに来たわけじゃないんだけど」

「ごめんなさい、アリスちゃん。もうすぐ演習が始まるから、支度だけは済ませてもらえるかしら」

「準備はもう終わってるよ、リトリシア。蓬に言われてたしアリスはちゃんとやってるもん」

「そうなのね。指示通り前もって準備を済ませてるなんて流石ね、アリスちゃん」

「にへへー」

 アリスの背後から一人の女性の影。朗らかな笑みと柔らかな声色で金の髪を撫でる黒髪の女性の名はリトリシア。ウロボロス工作部隊の統括級者であり、アリスがまだウロボロスに身を寄せていた間に工作技術発展の手助けをした張本人。過去に行われた大規模作戦である『ICO包囲殲滅作戦』においても当時の統括級者達と共に、破壊工作によってICOを壊滅寸前まで追いやった当事者。そんな彼女は、人懐こく笑うアリスに微笑みを返し、前方に集まる新人達を見やった。

「時間も頃合いでしょう。アリスちゃん、始めますよ」

「はーい」

 リトリシアの言葉に応え、アリスは椅子から立ち上がる。ぴょん、と軽やかに跳ね、手に持ったナイフを太腿のホルスターに収納し、一つ伸びをした。

 それを見ていた新人達は、それぞれが訝し気な表情や困惑した表情をアリスへと向けている。理由は単純。彼女の様な年端もいかぬ少女が、何故このウロボロスにおける最高指揮官相当の人物と親し気に会話し、更にはまるで教官の立ち位置に居る様な振る舞いをしているからだ。

 当然、彼女のような齢十五歳の少女が戦場に立つ事自体はこの時世には特に珍しくも無い。大規模な文明は蝕みの果てに崩れ、その名残であるコミュニティが何とか保たれている世界では、老若男女問わず戦場に立つ必要性に駆られる事は往々にして存在する。少年兵なぞ、倫理に問われる段階はとうに過ぎている。

 しかし、少女が上等の立場、それも一国に近しい規模のコミュニティを統括する組織の軍部でその地位に立っているとなれば話は別だ。ただの少女でありながらその状況に身を置けるという事は、並々ならぬ何かを持った異常な存在だとも言える。

「全員集合したようですね。なら早速ウロボロス工作部隊での実地工作演習を始めましょう。私は軍事参謀局特殊工作課を任されているリトリシアです。これから貴方達の指導への管轄する統括者級という事を覚えておくように。そして此度の演習では、我々ウロボロスと関係の深い人物にも指導をお願いしています。挨拶を」

「こんにちは! アリスはアリスって名前で色々やってるよ。今日は新人の人に工作の指導してって言われたから来たけど、弱かったら即切るからよろしくね。ぶっちゃけ大した期待はしてないけど、頑張って着いて来てねー」

「口が過ぎますよ、蓬さんに報告しようかしら」

「ダメー!」

 朗らかな笑みで新人達に鋭い一言を浴びせる少女に、一同は絶句した。まさかと予想していた者は少なくないが、本当に指導側の人間であったこと。そしてそんな少女が嘲りと見て問題ない様な発言を無邪気に発したことに。

 それをわかっていてか、リトリシアは僅かに視線を全体に渡らせると、手に持っていたファイルを脇に挟み込み再度口を開いた。

「貴方達がこれから行うのは爆発物や化学物質などを用いる作戦を想定した模擬演習、屋内外それぞれにおける陣地作成演習、そして実際に爆発物を実用可能品としてそれぞれが作成できるように指導します。勿論、工作作戦時に想定される対人戦の為の演習も行います。彼女、アリスには爆発物の作成とそれを用いた工作、そして対人格闘戦の指導を任せています。各人、彼女を幼い少女だと見る認識は今この瞬間に捨て、一人の兵士として見るように。また、彼女の機嫌を損ねれば身の保証は出来かねますので」

「だってー、みんなちゃんと言うこと聞いてね?」

「まぁ言葉を並べても信憑性にはなりません。そうですね……前列の貴方、前へ」

「私、ですか?」

「はい」

 リトリシアが指したのは一人の男性兵。屈強とは言わずとも鍛えられた肉体と程々に高い背丈はアリスと比較すれば頭数個分の差がある。その男性を前へと連れてくると、傍にあったテーブルの上に置かれていたナイフを一つと、複数の小型爆薬と思しき物体を手渡した。

「あの、これは……?」

「今から対面しての一対一の近接戦闘を行ってもらいます。貴方には今渡したナイフと爆薬を用いて彼女に一度でも攻撃を当てる任を課します。爆薬はごく小規模の物を、ナイフは勿論真剣。アリスには素手で貴方と同じ爆薬を少ない数持たせています。理解しましたか?」

「それは危険じゃ――――」

「舐めないでよね。今はアリスは万全の状態じゃないけど、まともに戦場に立った事も無い新人に負ける訳ないじゃん。あ、単純な筋量なら勝ってるとか言ったら殺すよ? そんな見たらわかることで誇る様な浅いプライドがあるなら、どうせすぐに死ぬから」

「……ッ!」

「無駄話はそこまで。では他の方は少し離れて見ていてください。爆発は大したことが無いとはいえ、万が一があっては困るので」

 リトリシアの指示に従い、他の新人達は対峙した二人を囲う様な形に輪を作る。リトリシアも少し下がると、アリスと男性兵の両者の準備が出来たのを確認する。

「では、模擬戦闘開始!」

 号令と共に、男性兵が駆け出す。ナイフを順手に持ち、基礎的な姿勢を保ちながら即座に間合いを詰める。

「シッ!」

 横薙ぎ。背丈の低いアリスに対しての攻撃として、男性兵はコンパクトで低い振りによる胴体への切り込みを行った。良くも悪くも基本動作を忠実に守り、可もなく不可もなく、無難な攻撃をアリスに振るう。

 それに対しアリスは、若干嗤いの表情を浮かべ、男性兵が接近するのを眺めていた。

「セイッ!」

 ナイフが薙がれる。速度を以て振るわれたそれは、少女の胴を狙い――――。

「おそ……」

 そして空を切った。

「は?」

「こっち」

 疑問の言葉を溢した男性兵の背面から少女の声。振り返る間も無く、背中に衝撃を受けた男性兵は前方に向けていた重心も相まってつんのめる様に姿勢を崩す。空いていた片手を地面に着き、何とか無防備な状態から復帰しようとした瞬間、彼の腹部下の地面が爆発する。

「ガッ……!? あっつ!」

「お粗末だね、弱いと死ぬんだよ?」

 爆発による熱で胴に着ていた軍用ベスト越しにでも感じた熱に悶え転がる男性兵。それを逃さないアリスは男性の顔面目掛けて足を振るった。まるでボールを蹴る様なその動きは、真っ直ぐに男性兵の額に吸い込まれ、鈍い音を響かせた。

「イッ……!」

「早く立ち上がって、殺すよ」

「ッ!」

 挑発的な発言を発しながら二撃目と足を退かしたアリス。その言葉に激昂した男性兵は、闇雲とも言える様子でナイフをアリスの居る方へと薙ぎ払った。当然アリスは即座に後退し、空を切ったナイフを握り締め男性兵は立ち上がる。

「動きはゆっくり判断は遅い、大したことない爆発に驚いて、転んだ後のリカバリーも用意してない。なんで貴方が倒れた時爆破が起きたかわかる? 君が飛び込んでくる前にアリスの後ろに爆薬をそこに設置したからだよ。どうせ直線に突っ込んでくるのがわかってるなら、その勢いを利用して転ばせれば自滅するからね」

 まるで小馬鹿にしたような――――否、正しく小馬鹿にした声色と表情で男性兵を見下ろすアリス。口元に運んだ手はそれでも弧を描く口元を隠しきれていなかった。

「無様だねー、こんな女の子に言い様に手玉に取られて馬鹿にされる大人なんてかっこわるー。蓬が此処に居たら呆れて何も言わなくなりそ。変態医者が居たら罵詈雑言の嵐だね」

「……このッ!」

「はい、そこまで。これほどあっけなく負ければ、最早彼女への不信は無いでしょう。屈強な男性が力任せに挑んでも、経験の豊富な少女に搦め手含めた方法で弄ばれた。敢えて言いませんでしたが、彼女は先日足を捩じ切る様に骨折し急速な治療をした病み上がりです。それがどういう意味となるのか、わかりますか? 此処に居る貴方達にも他人事ではありません」

 冷ややかに告げられる事実に、誰もが口を噤む。重症とも言える怪我を負って急速回復の後に日を置かず、それでも新人達の中でも大きい男性をいとも容易く弄んだ少女の力量を、荒々しくも示された彼ら彼女らに言葉を紡ぐそれだけの行為はとても重々しく感じられた。

「どんな相手であっても現状を見誤ればこうして負けるのです。特に工作を担う我々が誤った認識のままの行動を行えば、どんな被害が出るかもわかりません。今はその認識を改めさせるためにあえてこうしました。どうか貴方達は、この光景を見て学習してくれることを願います。そしてアリスちゃん」

「なーに?」

「不必要な挑発、後で蓬さんに報告します」

「なんでー!? やだやだ! 怒られる!」

「先程も注意を促したはずです。それでもなお続けたので、残念ながら報告対象です。もう少しマイルドに」

「ぶー……やだなぁ、怖いんだもん蓬」

「これを機に改めるようにしてくださいね。ちゃんと反省すればご褒美が出ます」

「なにくれるの?」

「最近流行りと聞く和風菓子とライオンのぬいぐるみです。確か両方ともお好きでしたよね?」

「すき! じゃあ気を付ける!」

「お説教は確定ですけれどね」

「あぅ……」

「さて、彼女の相手ご苦労様でした。一旦貴方は傍の治療班で身体チェックを受けてきてください。問題無ければ処置が終わり次第復帰を」

「……はい」

 隣でいやいやと不満を溢すアリスを横目に、リトリシアは項垂れるように地面に座り込む男性兵にそう告げる。男性兵はそれに力無く返事をし、指示した方へと歩いて行った。

「では、他の方はこれからスケジュールに沿って演習を始めます。疑問点や質問などがあれば、側にいる職員の誰か、あるいは私かアリスへと声をかけてください。勝手な行動は慎む様に。理解して頂けたのなら返事を」

「――――はいっ!」

 リトリシアの言葉に、少し離れていた新人達は姿勢を正し返事を返す。それを確認したリトリシアは、アリスの背に手を添えながら、新人達を引き連れ演習場所へと移動を開始した。











 彼女は拐かされ、蠱毒を生き延びた。毒壺の如きあの地獄で死なずにいるためには、共にその身を連れ出され殺しを詰め込まされた隣人を殺しながら生きる術を知る他なかった。

 静かに誰にも悟られず。それを全うすれば自分は生き延び、誰かは死ぬ――――否、殺す。何度も何度も、何度も、刃を振るったかと思えば引き金を引く時もあり、身を蝕む毒を流し込むこともあれば苦痛の限りを与えたこともあった。

 望まない世界の景色は次第に彼女の視界を曇らせ、そして色褪せさせた。精神は摩耗し、擦り切れかけたそれを繋ぎ止めるために、尽くを殺した。そして逃げた。奇しくもそれは彼女が属する分隊の仲間と同じように。

 そして走った先に居たのは、彼女の運命における幸の終幕ピリオドだった。薬の耐性の高さからモルモット同然の扱いを受け、しかし最低限の人としての扱いを受けた彼女は、失った自分の肉体の補填を身に付け、冷たい機械に掬い上げられた。

 そうして、彼女は音無き死へとなった。








 特殊工作課演習場から少し離れたエリア、演習場に集まっている他の課に比べ若干人が少ないそこで、400分隊で主に長距離狙撃と暗殺任務を請け負っている李雨が、拙い様子でスナイパーライフルを構える新人職員の傍で手を添え指導をしていた。人受けのいい笑顔で優しい声色のまま、李雨はゆっくりと手を取り構えの姿勢を作らせる。

「そう……姿勢は低く、引き金には基本通り標的が見えていない状態の時は指を離しておく。姿勢の維持は経験を積んで慣れるとして、銃の手ブレを少しでも抑制するためにバイポッドが無い時は重心をどこに置くか決めたら迷わないように」

「は、はい」

「観測手の言葉は場合によっては聞き取りずらい場合や声が発せない場合もある。バディが出来たらプライベートチャンネルを繋げられるインカムやハンドサインを作っておくように。他の人達も、今の話を忘れないようにね。スナイパーにとって忍耐と正確さは何よりも必要なもの。特に正確さは射撃における正確さも、情報伝達における正確さも。肝に銘じておくように、ね」

 射撃準備姿勢のままいる今指導をしていた新人へ、理解したかの確認のための視線を送る。それに対し、新人兵はわたわたと忙しない様子で視線を泳がせ、照れの感情に見える返事をした。

 対して李雨は、慣れていると言わんばかりに関心をすぐ別へと移す。各々が同一の銃を構えていても、癖や身体的な要素から構え方は様々だ。そこから悪癖を正しながらそれぞれに合うであろう姿勢や射撃までのプロセスのアドバイスを行うのが、今回李雨に課せられた仕事だ。

 一通り見回り、暫く自由射撃を行わせひと段落ついた所で、演習場入口から一人の男が李雨の傍へとやってきた。

「よぉお嬢ちゃん、相変わらずのっぺりした笑顔張り付けているな?」

「ここは貴方の喫煙場所じゃないわ、ウェスト。用がないならここに居ても邪魔よ」

 突然かけられた言葉に、李雨は酷く面倒臭そうな表情を一瞬浮かべてから笑顔を作る。声のした方へ顔を向ければ、そこに居たのは白髪交じりの妙齢の男。皺がうっすらと刻まれた顔は、歳に似合わない子供っぽい笑みを浮かべていた。

「全くつれないな、珍しく長居していると聞いて仕事の合間に新人の面倒見についでに来たんだ。自由射撃中なら会話の一つもいいだろう?」

「仕事中よウェスト。そう言う貴方は給料泥棒かしら?」

「馬鹿言え、新兵の基礎訓練見てきて休憩時間になったから遊びに来たんだよ。今年は骨のあるのが多くて楽しいぜぇ?」

「そう、私は直接の関係が無いから興味が無いわね」

「冷たいねぇ……ま、お前さんらしくていいがな。カルミアの坊主は居ねぇのか?」

 視線をぐるりと辺りに回す男、ウェストの笑い交じりの言葉に、李雨は苦い顔を浮かべる。

「私をあのクソ男の同伴みたいに言わないで頂戴。アイツなら医療課で嫌味吐いてるわよ」

「相変わらずだな。まぁ都合がいいからいいがな」

「都合?」

「あぁ」

 ぽつりと溢したウェストの言葉に、李雨は意図の読めない声色で疑問を投げる。

 都合がいい。つまりはあの狡猾で嫌味と非人間という概念を煮詰め圧縮したような男に聞かれたくない話、あるいは知られたくない何かがあるのだろう。この人が多くも視線が雑多に行きかう状況で接触してきたという事は、重要度が高いのだろうと予想することができる。李雨はウェストに向けていた視線を前方に向ける。

「話しなら蓬にすればいいじゃない。私は一介の傭兵、分隊員の一人。正式な話はウロボロスから経由を――――」

「その蓬とウロボロスが話の軸で問題なんだ」

「……どういう事?」

 視線を動かすことなく、しかしウェストの言葉に李雨はすぐの理解が出来なかった。

「先日のスカイブルーの一件は当然覚えているな?」

「まぁ」

「その事後処理に俺も参加したんだが、ちょいと気になることがあった」

「気になること?」

「あの施設な、地下に大型の決壊水採集場があるんだ。最も大体が採集され尽くしてて空みたいなもんだがな」

「へぇ」

「アリスちゃんが提供してくれた音響探査マップとEMPエリアが消えて使えるようになったデジタルマップを比較してたらな、その採集場の更に下層に正体不明の空洞があったんだ」

「それって蓬が下りた場所かしら。それがどうかした?」

「どうもこうもない。あのエリアは蓬以外未調査にも関わらず、奴は即刻爆破して埋没させるよう指示した。ご丁寧に艾からも指示を出す様にしてな。そうしてその現場を知ってるのは蓬のみで地下は埋められ、調査も何もできないまま。説明も無く未調査を許し独断で方針を決めたその性急さが俺には解せない。あの二人が関わってるのがキナ臭くてな、お嬢ちゃんは何か知らねぇかと」

「知らないわね、そもそも蓬の方針に私は何も文句は無いわ。蓬なら致命的なミスも感情的短絡さも期待できないもの」

「それが問題だろ。偶発的な致命さや感情的な行動が期待できないという事は、それが明確な意図や意思を以て起こされた事に逆説として立つことができるだろう。つまりあの埋没させた行為にはアイツら個人の思惑によって周知される事を嫌ったからだ。自分達の上の存在であるウロボロスにすらな。それに邪推をするなってのは無理な話だと思わないか?」

 シッ、と音を立てライターを使い煙草に火を点けるウェスト。紫煙を空に漂わせながら遠くに視線を向けるその横顔を、李雨は目の端で見る。そして、目を伏せ、溜め息を吐いた。

「はぁ……何を言うかと思えば。そういうの込みで私達――――少なくとも私は蓬について行ってる。貴方達に蓬が刃を向けるかはわからないけれど、フリーの傭兵なんて本来そういうもの、キナ臭くて上等だし共有できていない事情なんてあって然るべきよ。それを踏まえて私は付き合ってるんだから。ウロボロスについては勝手にして頂戴、巻き込まれさえなければ気にする事は無いわ」

「……ならいいがな。だが覚えておくといい、李雨」

「……」

「信頼と盲信は別だ。お前があれをどう見てるのかも、お前達がどういう関係性を築いているかもわからん。だが、明らかにここ半年のウロボロス、蓬と艾は何か腹に抱えている。目的が共通しているのか別なのかまでは分からんがな。努々忘れるな」

「頭の端に置いておくわ」

「そうか、なら俺は持ち場に残る。二人によろしく言っておいてくれ」

「わかったわ」

 そう言い残し、ウェストはその場を後にする。後に残された李雨は、側にあった弾薬庫に腰を下ろし、懐からカルミア謹製の煙草をくわえ火を点ける。むせ返る様な濃度の煙を、李雨はリラックスした顔で眺める。

「……暇ね」

 とん、と灰を地面に落とす。

 わかっている。崇拝も盲信もしているつもりはないが、一個人を不条理に信じるのは危ういという事を。それでも信じ付き従うのは、壊れた自分を掬い上げてくれたから。カルミアが人の形を保つ型を作ったのなら、蓬はそれによって保たれた李雨という存在をより堅牢に補強しながら保管してくれていることになる。そういう恩がある以上、自分は彼女を信じたいと思ってやまない。

 しかし、あの行動の不自然さも同時に理解している。単独での情報獲得、その後の共有が成されないまま。数々の難を抜けた自身の感覚が、おかしいと言っている。

 ウロボロスもそうだ。何かに追われている様に急いた作戦の数々。今までの年間作戦受注数に比べ速いペースで増えており、作戦内容も生体系の研究をメインにしていた研究所やICOに関係すると思われる場所が大半を占め、危険性も高い物ばかり。そしてその作戦の目的は殲滅よりも情報の獲得。常にそうではないとは言え、積み重なった疑念は決して小さくない。

「まあ……考えても仕方が無いことかしらね」

 疑念は湧く、不信がない訳でもない。だが、それでも李雨とアリスの二人を慈しむあの眼に偽りはない。それを無碍に振り払うほど、李雨は純情でも無かった。だから、これからも明確な出来事が無い限り袂を分かつ事も無いだろうと李雨は考えている。

 小さく微笑んだ李雨は、腰掛けていた弾薬庫から立ち上がり、発射音が発せられる射撃場へと向かった。

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