第十五相 白銀の解答

 休日、テストも目前に控えた週末ではあるが、私は散歩日和なこの日に本を片手に散策をしていた。お気に入りのショルダーバッグに三冊ほどの本を入れて、春よりはやや強くなった日差しの陰になる木の下をのんびりと歩く。風がやや涼しく感じるのは、きっと昨晩の大雨のせいなのかもしれない。湿気も同時に存在しているので、本が湿気らないかが心配ではあるが。

 時刻は昼前、家に居るのが億劫になり外に出てきたはいいものの、特に用事もない身なのでどこかの公園でのんびりお昼ご飯片手に読書に勤しむのもありではないかと考える。足を相変わらず何を目指すでもなく進めていると、前方に見覚えのある背中が見えた。

「我妻君?」

「ん? ……あぁ、白群か」

「うん、我妻君は何をしているの?」

「俺は少し野暮用を済ませて道場に向かう所だ」

「……道場?」

「あぁ、色々あって気分転換に体を動かしたくてな。白群こそ何をしているんだ?」

「私は暇を持て余して散歩、テスト勉強も捗らなくて」

「なるほどな」

 我妻君の背中に駆け寄り声をかけると、スポーツバッグを肩にかけた彼はその場に立ち止まり振り返って私を待ってくれた。お陰でちょっと小走りをするだけで済んだのはありがたかった。隣について歩くと、その身長差を改めて感じる視線の高さの違いで首を上に向けて話すことになるので首が疲れる。

「わざわざ俺に視線を合わせて会話する必要はない、首痛いだろそれ」

「うん」

 ささやかな気遣いがありがたかった。別に強制されている訳でもないので勝手に視線は変えればよかったのだが、なんとなく視線を合わせたままにしたかった。ふと気が付けば歩幅も合わせてくれている。こういう細かい気配りをする人は今時珍しいなと、意味もない考えがよぎった。意味がない事も無いかもしれない、人となりの把握をするのなら。

「なんとなく歩幅を合わせているが、何処か行く予定があるのか?」

「ううん、本とお昼抱えて特に目的地の無い散歩だから本当にすることがないんだ」

「そうなのか、俺が予定なければそれに付き合えたんだが……」

「…………」

 ここ二か月弱、彼の人となりを得意の人間観察で調べていたが、こう言う事を平然と、本当に善意で言っている。優しいと言うか、人によってはお節介とも言える行動にはいっそ献身よりも依存に近いなと思った。何に依存かって?さて。

 さて、今なお予定の無い自分ではあるが。いや、たった今予定になりそうなものができた。

「一つ、お願いがある」

「なんだ?」

「その道場に行くの、私もついて行ってもいい?」

「来ても面白いことはないと思うが……」

「どうせすることもないし、我妻君の事を知りたい」

「まぁ……別に構わんが」

 我妻君は頬を掻きつつ承諾してくれた。どうせやる事も無く無為に過ごすはずだった今日だ、どうせならこの機会に彼を知るいい機会にする方が有意義だろう。

 私は肩から少しずり落ちた鞄をかけ直し、住宅街の中を我妻君と歩いて行く。道場と言うからには武道をしているのだろうか。よく考えれば私は彼が普段どんなことをしているのか、どんな部活に入っているのかを聞いたことが無かった。この際聞いてみるのもいいのかもしれない。

「ねぇ、道場に着くまでの間にいくつか質問していい?」

「構わないが、何を聞くことがあるんだ?」

「色々」

「そうなのか、それで?」

「今から行く道場は何を練習する所なの?」

「空手だ」

「どれくらい強いの?」

「人より少し強い」

「学校では何の部活に入っているの?」

「メインは空手、助っ人としてバスケ、ハンドボール、陸上、合気道、古武術とかだな」

「……思った以上にやってるね」

「大抵が付け焼刃やその場凌ぎの技能しかないがな、幸い身体能力は人並み以上にはあるから何とかなってるが」

「そうなんだ、じゃあ得意科目は?」

「全部」

「…………強いて言うなら?」

「現代文と数学、歴史」

「好きな物は?」

「思いつかない」

「思いつかない?」

「自分を知らないからな、好きな食べ物ならあるが」

「何?」

「すあまと豚の角煮」

「なんか不思議なチョイス」

「そうか? 美味いぞ」

「それはわかるけどね。嫌いなものは?」

「堕落」

「抽象的だね」

「堕落は人を人でなくさせる、人でなくなった奴は知性だけは高い獣以下だからな」

「力強い」

 我妻君の言葉はその前の答えに比べて、格段に低く力の籠った声でそう答えた。

 ――――堕落。

 堕ちて、落ちる。正道を歩めなくなり悪へと落ちる事。身を落ち崩す事。そう言った言葉を力を込めて言う理由は果たして何なのか。彼をまだ知らない私には知る由もないし、それを掘り下げるだけの仲になってもいないだろうから。

「これ楽しいのか?」

「割と」

「……わからないな」

「本人にはわからない楽しみだと思うよ」

「そうなのか」

「そうなの」

 そこからは他愛も無い会話をした。普段どんな事をしているのか、生徒会の活動はどうかといった世間話を話していく内に、前方に古風な造りで辺りの雰囲気に一切合致していない建物が見えてきた。恐らくあれが、彼の言う道場なのだろう。

「あれが目的の?」

「あぁ、特に何の変哲もない建物だろ?」

「大分周りからは浮いていると思う」

「それには同意する」

 真っ直ぐに進んで大きな門を潜れば、『明鏡止水』『天衣無縫』と大筆で達筆に書かれた掛け軸が飾られた入口に着いた。奥から床の板が軋む音と、野太い声が響き届いてきた。初めて武道場と言うものに来たが、本での描写では見たことはあれど、こうしてその場に立つと空気感が文字とは全然違う。ぴりついたと言えばいいのだろうか、私の家に漂う停滞した荘厳さとは違う、闘志が充満した空間だと肌が感じ取っていた。その空気に、顔が強張り自然と背筋が伸びてしまう。

 そんな私の姿を見た我妻君は、彼が浮かべる表情としては珍しい微笑でこちらを見ていた。

「そう畏まる事も無い、ただの空手道場なんだからな」

「そうは言っても、こんなに声が響きあっていれば緊張もする」

「別に取って食ったりはしないがな。さて、靴は適当に揃えて置いておいてくれ。ここを真っ直ぐ行けば中庭を通る廊下がある、そこで突き当りを左に行けば練習場だ。そこで待っていてくれ、俺は道着に着替えてくる」

「え……」

「ここにお前が来ることはもう伝えてある、名前を言えば何も言われないしもし行きにくいなら渡り廊下で待っててくれ」

 そう言って、我妻君は指示してきた方向とは逆の方向に歩いて行った。いきなり知らない場所に友人を置いて行くと言うのは中々に酷い仕打ちではないのかと彼に非難の言葉を無言で投げつつ、取り敢えずはと中庭を通る渡り廊下まで来た。

 そこには、定番と言えば定番な鹿威しやそこそこ大きい池があり、水の中には立派な大きさの鯉が悠々と泳いでいた。自分の中での道場と言うものの印象は、もう少し質素と言うか、簡素なものだと思っていた。こうして中庭や池がある場所は中々珍しいのではないだろうか。

 さて、練習場がこの先にあるとは言っていたが一人で行く勇気も無し。廊下の柵に腰を下ろし、先程の我妻君との会話の延長線で、ここ二か月の出来事でも思い返すことにした。

 私が我妻君と本当の意味で一対一で会話をしたのは、新学期が始まって少し経った時の図書室での瑠璃の勉強会――――ではなく、体力テストの時だった。男女同時に行う関係で、そして2クラス毎で行ったため、Cクラスである結乃や同じDクラスの雪乃と共に測定場所を回っていた。

「……疲れた」

「七望は運動苦手だからねぇ、結乃は大丈夫?」

「平均くらいには体力があるから問題ないわ」

「それは何より、それにしても早めに回ったから時間余ったね」

「……あ」

「うん?」

「あれ」

 測定種目を終え休んでいた私が指を指した先に居たのは、何かの用事で遅れて参加することになっていた我妻君だった。男子の友人らしき二人と、女子一人と何か会話をしていた。

「遅かったね銀、何してたんだ?」

「理事会に通していた嘆願書についての報告を聞きに行っていた。どうやら問題なければ通してもらえるらしい」

「へぇー、我妻君そんなことしていたんだ」

「伊桜は知らなかったの?」

「なんで響也が自慢げに言うの……知らなかったけど」

「その話をしていたのは生徒会長と涼と響也だけだったからな。確定してもいない情報を人に軽く話すものでもない」

「まぁね、じゃあ今から測定?」

「遅れてきたからな、さっさと終わらせる」

「俺達はもう終わったから先に帰るよ、まだ残ってる人多いけどね」

「伊桜、疲れたから屋上に寝に行こう」

「授業終わるまで我慢して……それじゃあ我妻君、またね」

「あぁ、お疲れさん」

 会話をしていた三人が校舎の方へと帰っていく。どうやら彼らも測定が終わっていたらしい。と、それを見ていたら隣の雪乃が肩を突いてきた。

「どうしたの?」

「今から銀士郎君の測定見に行かない? 面白いよ」

「アンタ何言ってるの? わざわざアイツのを見るために残る気?」

「そうだよ?」

「ことわ――――」

「一緒に風紀取締をするのなら、有事の際の身体能力も知っておいて損はないんじゃないかな?」

「どんな世紀末の学園なのよここは……」

「……でも、そこまで言われるとちょっと興味出る」

「七望かくほー、結乃は?」

「………………意味ないと思ったら帰るわよ」

「おっけおっけ、じゃあ銀士郎君の所行こっか」

 雪乃の謎の押しに何故か弱い結乃は、雪乃に引かれて我妻君の方へと引きずられていった。私もそれについて行き、準備運動と柔軟をしている我妻君の元に向かう。

「やっほー銀士郎君。精が出るね」

「…………測定が終わったんなら帰れ」

「二人に銀士郎君がどの程度動けるのか見せに来たの」

「微塵も必要ないだろそれ」

「お互いの事を知るのはどんなことであれ有意義だと思うな、私は」

「私も、我妻君の事知りたいな」

「…………流れ」

「……紅については同情する」

「不本意だけれど、アンタの身体能力が如何程かを知るのもいいって言われたのよ。一応妥当なところはあると考えたから来ただけ」

「そうか、面白いことは何もないが」

 ぐいと体を伸ばした我妻君が、呆れた様な顔を私と雪乃に、同情の顔を結乃に向けながら測定場所に向かっていった。私達もその背を追うと、そこにあったのはハンドボールと白線の引かれた地面。どうやらハンドボール投げをするらしい。

「ふぅ……行くか」

「がんばれー」

「どれくらい投げられるの?」

「普通だ」

 その言葉に、雪乃がくすくすと笑う。今の質問と回答の一体どこに笑う場所があったのだろうか?どの程度投げられるのかと聞いて普通と回答される。うん、可笑しなところはないはずだ。

「……ッシ!」

 我妻君が白線の縁の内側に立ち、大きさが程々にあるハンドボールを片手で持ち上げてステップを踏んで勢い良く投げた――――今まで見た経験の無い発射角で。

「……は?」

「……えっ?」

「おー今日もよく飛んでおる」

 バットで打たれた野球ボールの様に鋭い弾道は、そのまま勢いを落とすことなく飛距離を伸ばし、やがて地面に落ちた。その距離を確認しようと着地点の数字を見てみる。

「ご……54m?」

「ん、まぁこんなもんか」

 我妻君は右手を軽く振りながら、二投目のボールを取りに行く。周囲に残っていた生徒達の中にも彼のこの姿を見るのが初めてな者も居るらしく、小さくどよめきがあがっていた。それもそうだ、男子高校二年生の平均は大体25m程度だった気がする。凡そ二倍を超える記録を訳も無く出していれば、当然周りは騒がしくなる。

「……雪乃? アンタこれを知っててわざわざ私達を残したの?」

「単純にここまで清々しく大記録出されたらいい話のネタになるでしょ?」

「馬鹿じゃないの? 一番意味が分からないのはアイツだけど」

「我妻君はスポーツの特待生だったの?」

「勉強もスポーツも両方かな」

「何か裏がありそうな身分ね、忖度でもあるのかしら」

「結乃的に私の説明がどれほど信用できるのかはわからないけど、そこら辺の審査も全てクリアしているよ。なにより彼にはそんな働きかけをお願いできる力はないし、私はそんな人間を招き入れたつもりもないよ」

「……そ」

「あ、二回目」

 雪乃と結乃が会話をしている間に、我妻君は軽快にその場でジャンプをし、そして再び振りかぶった。ハンドボールはさっきと変わらない射角で天を走り、軽い音を出しながらグラウンドに落ちていった。記録は先程の記録から1m伸びた55mだった。周囲の生徒がざわつく中、当の本人は一切我関せずな態度でその場を移動していた。私達もそれの後に続く。

「凄いね、我妻君」

「少し頑張ればできる」

「その少しに到達する人、多分ほとんどいないと思う」

「流石銀士郎君、気軽に人の心を抉るね」

「事実だ」

「いいからさっさと次に行って、帰れないから」

 そう言う結乃だが、そこで有無を言わさずに帰らない辺り何か思う所でもあるのだろうか。正直結乃が彼にほんの僅かにでも、ミリ単位でも関心を向けている事に、長いこと彼女を見ていた自分としてはやはり衝撃的だった。人生不思議な事もあるものだと思いながらも、心臓かはたまた脳か、或いはそのどちらもがざわめき立つ。それが何を意味しているのか、私にはわからなかった。

 兎にも角にも体力測定。次に行った50m走は、まぁハンドボール投げで少し予感はしていたが、記録は男子高校生としては別格の6秒02だった。それほどの記録が出せるのならもっとほかに道があったのではないかと思ったし、走り終わった後の彼にもそう言った。しかし、帰ってきた返答は一言「興味が無い」と、それだけだった。私はその時に、彼が心底羨ましかったし、妬ましいとも思ってしまった。

 何者にもなれない、何もできない、誰かの代替品になれればそれだけで諸手を挙げて喜ぶ私には、彼があらゆるものに秀でていながらその一切に心血を注がない姿が理解できなかった。

 その才の一つでも、私が持っていたら。そしたらこんな惨めな人生にはならなかったのかもしれない。何か一つ、他の追随を許さない何かがあれば、少しは変われたのかもしれないのに。

 勿論、そんなことを考えるのが独り善がりで自分勝手なのはわかっている。彼には彼の選択があるし、人生がある。私がそれに文句を言う筋合いはないし、私の劣等感すら消えた人生に人を理由にする権利はない。わかっている、わかっているのだが――――。

「――――い。おい、白群」

「……はぇっ?」

「天気が良くて眠くなるのはわかるが、ここで寝ると危ないし風邪をひくぞ」

「あ、ご……ごめん」

「別に怒ってはいない」

 ぼんやりと廊下で庭を眺めつつ少し前に行われた体力測定での一幕を思い出していたら、何時の間にか戻ってきていた我妻君が私の頬を手の甲で触れてきていた。それに驚いてしまい、つい変な声を出してしまった。可笑しく思われていないだろうか?

 彼の姿は、汚れ一つない――――事は無い、やや煤けた白色の道着に、漆黒の帯が巻かれた出で立ちだった。裾から伸びる腕や足、襟から出る首筋は普段制服の下に隠れている分厚く筋肉質な肉体が視界にチラチラと映り、普段見慣れないそれに意識が向いてしまう。

「その恰好、似合ってるね」

「数年来の付き合いだ、似合ってなかったら少し落ち込む」

「格好良い」

「それは嬉しい、さて行こうか」

 私の誉め言葉に特別反応も無く廊下を歩いて行く彼の背中を追う。彼にとって喜ぶものとは何なのか、今のやり取りで余計にわからなくなってしまった。何故喜んで欲しいと思ったのかはわからないが。

 サンダルを履いていた関係で裸足な私の足が、滑らかな板の廊下と足裏の皮膚が僅かな水分で少し張り付き、ひたひたと音が鳴るそれがとても耳に心地良い。そもそも今の時代、こうして伝統的な木造の廊下が続く建物と言うのは中々に珍しい。私の家にも似た廊下はあるが、まさか自宅以外でこれを感じられるとは思わずつい笑みが零れる。

「着いたぞ」

「……おぉ」

 我妻君が止まり、閉じられたドアの前まで来ていたことに気が付く。その先からは野太い男性の声がいくつも聞こえてくる。扉越しでさえ圧を感じるそれに、私は若干気圧され、自然とまた顔が強張ってしまった。

「失礼します。我妻銀士郎、参りました」

 力のある、何処までも届きそうな声が道場の中に反響する。その声に反応して、今の今まで向き合い組手などをしていた人達が全員、そう全員。一人も余すことなくこちらに顔を向ける。そして姿勢をこちらに向け但し、口を開いた。

「我妻師範代!!!! お疲れ様です、押忍!!!!」

 鼓膜を破らんとする挨拶。目の前でそれを向けられると、人間は一拍置いた後に汗が噴き出るらしい。今身を以て体感した。

「お疲れさん、爺さんは?」

「こっちだ」

 我妻さんは慣れた様子でその声に返答したかと思うと、視線を動かし誰かを探していた。すると、練習場の入り口から最も離れた奥、一段高くなった畳の敷かれた場所に一人の男性が座っていた。一切の混じり気が無い白髪、眼光は経た年月を物語っていて、しかしその体に皺などの老いは殆ど見られない。なにより、ほんの少しの観察でもわかる老齢の体とは思えない体格、座る姿。それに私は、自分の父の姿が重なった。

「今日も頼む」

「最近来る回数が少ないんじゃあないか? 銀士郎」

「学校が忙しい上にアンタが俺に回した仕事のせいで時間が余計にないんだ」

「全国大会を控えているのはわかってるな?」

「別にいつも通り、何も特別な事は無いだろ」

「今年は波が荒れて高い、出場者を見ただろう」

「誰が居ようと俺には関係ない。戦って、勝つか負けるか。それだけだ」

「そうか、では適当に練習をしていろ」

「そうさせてもらう。悪いが白群、ここで座って見ていてくれ。自由に動き回っても構わない」

「え、あ……」

 白髪の男性、恐らくは我妻君のお爺様と思しき方と会話を交わし、彼は練習する人たちの中に入っていった。彼はすぐに何人もの人に囲まれたかと思うと、何故か三人ほどの道着を着た人を同時に相手にし始めた。何をしているのだろうか。

「……銀士郎の友人か」

「ひゃい!」

「怖がることはない、ただ奴にしては珍しいことをしていると思っただけだ。明日は雹でも降るか」

「え……っと」

「私は人吉藤四郎ひとよしとうしろうと言う、この道場の師範であり……銀士郎の祖父に一応なっている」

「えっと、私は彼と同じ不知火学園の白群七望と申します」

「白群……あぁ、あの作家小僧のか」

「……父を知っているのですか?」

「昔に少しあっただけだがな、奴も娘を作っていたか」

「なるほど……父がお世話になりました」

「アイツよりも余程出来た娘だな、礼儀を弁えている」

「…………私は、そこまで言われる人間ではないですよ」

「さぁて、人間の評価はそう単純には下らん。それにしても、あの銀士郎がまさか道場に女を連れ込むとは……色を漸く覚えたのか」

「今日はたまたま、散歩をしていたところで会って、用事が無いのもあったので。後は……彼を知りたかったので」

 彼の祖父、何故か一応とつけられていたが、藤四郎さんはどうやら私の父を知っているらしい。意外なつながりだと思ったが、人間どんな関係を持っているかなんて誰も予想できないもの。そう言う事もあるんだと納得した。しかし、いきなり自分の核心に触れるような発言をされ動揺してしまったが、上手く笑えていただろうか。

「アイツを知る……か。それはまた難儀な事をしているな」

「……?」

「知りたいか、奴の事を」

 視線の先には、三人を相手に一歩も引かない所か十把一絡げにしていく我妻君の姿が。その顔は変化こそないが、常に神経を張り詰めさせている何時もの顔とは違う、リラックスした顔つきに見えた。

 彼の事を知る。友人を知るのに覚悟も何もいることはないと思うのだが、横に座る老人の言葉は、何故か今から話される内容が生半可な気持ちでは聞いてはいけないと思わせる低い声だった。しかし、折角自身について話さない彼の事を良く知る人から我妻銀士郎の話を聞けるのだ。機会は有効に用いなければならない。

「……知りたいです、彼の事を」

 逡巡こそしたが、しかし私は好奇心と、後は理由のわからない感情に後押しされてそう答えた。雪乃が言っていた彼の情報。彼自身に聞くのが最も筋の通った行動なのだろうが、しかし今こうして聞ける場ができたのなら、それを利用するくらいは許してもらえるだろう。

「……一つ確認するが、何処まで知っている?」

「どこまで……とは?」

「奴についてだ」

「……恥ずかしながら、ほとんど何も」

「そうか、ならばまずこれを伝えよう」

 老人は、言った。

「奴の、銀士郎の父は既に他界している。極度のストレスと過労によってな」

「……え?」

「そして奴の父が早くに死んだ原因となったのが、奴の母であり私の娘だ。私も奴も、母とも娘とももう思ってはいないがな」

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