ガス
「囲め!」
刑事局長の命令で部下の刑事と警官は被疑者が逃げた方向に移動した。蒸気が噴出した事で視界が悪いが、互いの位置を把握しつつ整然と移動し、ある者は剣を抜き。ある者は魔法を放とうと用意していた。
「ん?」
そんな中、剣を抜いて被疑者が逃げた方向へ先回りしようとしていた警官の目の前に何かの影が現れた。
(洗剤!?小賢し真似を)
警官は被疑者が放り投げただけだと思い、何の気なしに洗剤のボトルを弾き返そうと手を触れた。
「っ!痛っ!」
手の甲に貼り付いたので、何が起きたのか確かめようとボトルの方を見た。
(凍ってる?)
蒸気が噴出する前も十分暖かかったのに、手に貼り付く程ビッシリと霜に覆われていたボトルに目を奪われるていると、突然ボトルの蓋が爆発し中身が飛び散った。
「うわあぁ!」
「わっ!」
近くに居る刑事も液体を腕に少量かぶった。
「なんだ?漂白剤か?」
鼻腔を突く塩素臭で、腕に着いた液体が塩素系漂白剤だと判ったが、それにしても臭いがキツかった。
「ゲッフォ!オォ……」
頭から塩素を浴びた警官が咳き込み、その場にうつ伏せになった。
「レオ!無事か!?」
警官は呼び掛けに反応せず、嘔吐すると身体を痙攣させ意識を失った。
「
刑事は周囲に知らせるために叫んだ。
彼等は知らなかったが、漂白剤で使われる次亜塩素酸ナトリウムは、酸性の物に当たると一気に猛毒の塩素ガスが発生する。コッチの世界出身の被疑者は、ランドリールームに追い詰められた後、刑事局長達が入ってくるまでの間に塩素ガスを用意していた。
半分まで漂白剤が入ったボトルを魔法で凍らし、その後、水道水を少量入れた後に水道水も凍らせ、最期に酸性の洗剤をボトルに充填してから洗剤も凍らせる。
毒ガスを発生させるバイナリー兵器型の化学砲弾と同じ原理の物を作り、相手がソレに触れると今度は魔法で固体化した漂白剤と洗剤が一瞬で液体に戻るように調整されていた。
しかし、そんな事が有ったことを知らない他の刑事に向け、塩素ガス爆弾と化した洗剤のボトルが投げられ、その刑事は剣でボトルを斬り落としたことで上半身に塩素ガスを浴びた。
「全員下がれ!」
刑事局長の命令で、無事だった3人は距離を置いた。
「スタニスワフ、2人やられた!」
「水を掛けて塩素を流せ!それから上に引っ張り出せ!」
刑事局長の視界の端で、被疑者が天井付近に設けられた窓を開け、地上によじ登ろうとしているのが見えた。
「俺は奴を殺る!」
駆け出した刑事局長は剣を振り、窓から身を乗り出し逃げる寸前の被疑者の左足を
『もしもし?』
目的地の駅に到着し、公衆電話でジェシーを呼び出した。
「バーグだ。ニナとヤンとカニンガムの店に向かう途中だが来るか?」
耳が良いので、頭頂部の耳に受話器の受話口を当てる必要が無いが、軽く野球帽越しに音が出る部分を当てがいつつ会話していた。
『今から?判った、すぐ行くわ』
「……」
30年ぶりに電話でジェシーを呼び出したが、懐かしさよりも奇妙な感覚に囚われた。異世界での30年間がまるで白昼夢だった気がしたフランツは会話が終わった後も受話器を暫く眺めていた。
(未練はないと思ったがな……)
邪念を払い受話器を置くと、フランツはニナとヤンが待つ改札の方へ向かおうとした。
「ん?」
急に背後の公衆電話が鳴りだし、フランツは振り向いた。
周囲には誰もおらず、3台並んだ内の真ん中。さっきまでフランツが使っていたのが鳴り出したのだ。
「まさかな」
試しに受話器を取り、フランツは再び受話口を頭に着けた。
『バーグさん、少しお願いが有ります』
声の主が例の魔王ロキの部下だったので、フランツは通話が切れないようにそっと受話器を公衆電話の筐体の上に置きその場を後にした。
『マンハッタンでニューヨーク市警の……ってちょっと!?バーグさん!』
通話の相手が居ないことに相手が気付いたが、既にフランツは階段を駆け上がり改札を出ようとしていた。
「ぎゃあああぁぁぁぁ!」
叫び声が聞こえてきたので、車の中で雑誌を読んでいたFBIのウィルソン捜査官は顔を上げ、周囲を見渡した。
「決着ついたんかね?」
「どうだか?」
『毒に2人やられた、手を貸してくれ』
警察無線から緊迫したやり取りが聴こえて来るが、ギブソン捜査官は動こうとしなかった。
「毒って言ってるが、どっから出したんだ?」
ギブソン捜査官からしたら、変な相手に手を出して痛い目を見る事だけは避けたかった。
「やっぱ口じゃないか?」
ウィルソン捜査官はそう言ったが、狼男の様に相手が毒を持った吸血鬼や悪魔の類じゃないかと、ギブソン捜査官も心配していた。
「やっぱ神経毒かな?」
「まあ、有機リン系は無いだろうね……。いや待てよ、バーグ警部が言ってた異世界は変なネオナチとか居るらしいから、マッドな博士が造ったサイボーグならワンチャン……」
ギブソン捜査官はウィルソン捜査官が読んでいた雑誌を丸めて頭を叩き始めた。
「そんなのコッチに来られたら堪るかよ」
「ああー……あー」
地上に出た被疑者は地面を履い進み、植え込みに身体を隠そうとしていた。
「何処へ行く?」
声がしたので振り向くと、刑事局長が剣を抜き後ろから歩いてきた。
「うっ……うわああ!」
被疑者が隠していた小さいボトルを刑事局長に投げたが、刑事局長は難なく避け、被疑者の左腕を剣の腹で思いっ切り叩いた。
「へ?」
鈍い衝撃音がし、被疑者は何が起きたのか判らなかった様子だったが、すぐに叫び声を上げた。
「あー!ああああー!」
完全に上腕部分の骨が砕かれ、遅れて痛みが襲ってきた。
しかし、刑事局長はすぐさま左腕も同様に剣を使いへし折り、残っていた被疑者の左足を踏み潰し逃げられない様にした。
「お前が女の子にしてきた事に比べれば大した事は無いだろ?」
刑事局長は被疑者顔を執拗に殴りつけた。
「お前がイカれてるって事はジュリアに聞いてたが、冷凍庫に在った物を見た時は流石にゾッとしたぞ。この変態野郎が」
「彼女達を見たのか?」
被疑者の顔は腫れ上がっていたが、それでも笑いだした事が判り、刑事局長は鼻面を踏みつけた。
「何がおかしいんだ?」
被疑者の冷蔵庫には人間の心臓が幾つも入っていた。状況からして誘拐されていた少女達の物ではないかとFBIは判断したと、刑事局長は聞いていた。
「可愛かったろ?12人の小さい妖精は」
刑事局長は剣を構え、被疑者の首を刎ねた。
「遅かったわね」
カニンガム巡査部長が副業でしているバーに入ると何時もの席にジェシーが座っていた。
「真っ直ぐ来たさ」
ジェシーが早くて当たり前だった。ジェシーが住んでいるのは同じ建物の4階なのだ。
「ビール3つ頂戴」
ヤンがカニンガム巡査部長の奥さんに手で合図し飲み物の注文を始めた。
「後、フレンチフライとソーセージ、それにミートパイを頼む」
「はーい」
フランツが慣れた様子で追加注文をした。
「30年ぶりだからな」
何処か機嫌がいい様子のフランツをニナがにやけ顔で眺めていた。
「すみません」
「ん?」
バイトのウエイトレスが4人の所に来た。
「バーグさんって人に電話です」
ウエイトレスはバーの隅に有る公衆電話を指さした。
「そうか、ありがとう」
チップを5ドル渡し、フランツは公衆電話に向かった。
生前のバーグ警部を知っていたウエイトレスは首を傾げつつも、空いた席に残った皿とコップを下げる仕事に戻った。
「なんだ?」
厄介事を押し付けられると判っていたので、フランツは開口一番高圧的な態度で電話に出た。
「連絡ですよ。6時間前、連続少女誘拐事件の犯人が逃げました」
「……それで?」
6時間経っても何も連絡が無い所から、FBIが対応しているか、所轄の警察署で対応できている物だとフランツは思った。
「5分前にその犯人が死んだのですが、魔法を使っていました」
フランツはチラリとニナとヤンの様子を見た。
「奴も元転生者か?」
転生者なら前世の戻りたい時間に戻ることが出来る。それはフランツも異世界で話に聞いていた。
「はい、そうでした。丁度、あなたが転移した直前に意識が戻って来た様です。それで、魔法を使い病院から逃げ出し、自宅アパートに戻った所をニューヨーク市警に包囲され、殺されました」
「ニューヨーク市警が?FBIはどうした?」
カニンガム巡査部長が帰ってきたのか、バーで仕事をする時のシャツを着た格好で奥から出てくるのが見えた。雰囲気から制服を着ている警官が応援に行っていないのが判った。
「門前払いです。ギブソンさんとウィルソンさんが現場に出向きましたが今も近付けていません」
「誰が指揮を?」
FBIを蚊帳の外にするなど、あり得なかった。誰が裏で糸を引いたか気になった。
「刑事局長です。彼が警察委員会から指示されていました」
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