Ⅱ-7 旅の夜と、思い出

 

 真っ暗な闇の中。誰かが大声で叫んでいるのが聞こえる。だが、どうにも身体が起き上がらない。とてつもなく、眠い。そんな自分を無視して、その声は段々と、近づいてくる。随分と近いところで何か叫んでいるが、何と言っているのか、はっきりしない。カゲロウは、身体を動かせない分、なんとか耳に神経を集中させようとした、その瞬間だった。


「カゲロウ!!起きなさい!!」


突然、はっきりと自分の名前を耳元で大声で呼ばれた。その次の瞬間、自分の身体が寝たままの状態で一瞬持ち上げられたかと思うと、強烈な勢いで床に叩きつけられた。そして、その衝撃で、猛烈な勢いの咳が出た。


「おお!気が付いたぞ!」


誰かが言った。次の瞬間、周りで拍手が巻き起こった。カゲロウは、目が霞んでよく見えなかったが、何故か、自分が、どこかの床に寝かされていて、その様子を大勢の人が取り囲んで見ていたと言う事を理解した。


「カゲロウ、ダイジョウブか?」

「イきてるか?」


両隣りで、聞き慣れた声がした。カタカケとカンザシが、驚きと心配が入り混じった様子の顔で、カゲロウを見ていた。二人の横には、AEDが置かれていた。

カゲロウは、ゆっくり身体を起こした。その瞬間、コンピュータで言うセーフモード状態にあった頭に次第に血が回って行き、徐々に自分の身に何が起きたのかを思い出した。


「……俺、海に落ちたの?」


その次の瞬間、突然、頬に強烈な一撃を、カゲロウは叩きこまれた。それに反応して、辺りがざわついた。


「痛って!!」

「痛いで済むんだからありがたく思いなさいよ!バカ!!」


今度は頭に、もう一発、一撃を叩きこまれた。


「ま、まぁまぁ先生ってば、落ち着いて……」


オキゴンドウが、動揺した様子で、声の主を止めた。


「和……?」


カゲロウは、声の主のいる方を見た。そこにいたのは和だった。目も頬も真っ赤にして、身体を小刻みに震わせている。彼女が、相当な怒りの感情を持っていることが、その姿からは読み取れた。

カゲロウは、和のその姿を見た瞬間に一気に目が覚める感覚がした。さっきまでの酒の酔いはどこへやら、視界も、意識も、とてつもなくはっきりしている。


「あ……、あぁ、その……ごめん」


カゲロウは、恐怖と、自分の不甲斐なさに対する謝罪の両方の気持ちを込めて、ただ一言、そう言った。


「……勝手にいなくなったりしないでよ」


和はそう言うとゆっくりとカゲロウに近寄った。それから、カゲロウに思いきり、抱きついた。そして、その瞬間、空には大きな花火が打ち上がった。一人の男の生還を祝うかのように。そして、男を救うべく動いた者たちの健闘を称えるかのように。



 カゲロウは、船内の医務室に寝かされ、船が接岸した後は、念のため付近の病院に搬送されることになった。が、特に問題は見られなかった為、すぐにホテルへと戻る事が出来た。医務室と病院では、それぞれ救助隊や医師が、和とフウチョウ達に対して、救命活動に協力した事と、処置に対する感謝の言葉を贈った。

病院からホテルに戻るまでの間、カゲロウと和は一言も言葉を交わさなかった。とても、気まずい空気が漂っていた。

ホテルの部屋に戻ると、和は真っ先にベッドに飛び込み、カゲロウに背を向けて横になった。カゲロウは、その姿を呆然と見ていた。


「ワレワレもネよう」

「そうしよう」

「ツカれた。おやすみ」


カタカケとカンザシは、そそくさと、自分の部屋へ行ってしまったかと思うと、ドアを閉めてしまった。

カゲロウと、和と、沈黙が、部屋に残された。


「……なぁ、まだ怒ってる?」


カゲロウは、ゆっくりと、恐る恐る和に近づきながら訊いた。和は、何も答えなかった。


「いや、ホントに悪かった。調子こいて飲み過ぎた挙句に死にかけて、お前に助けて貰って、なんて礼を言ったらいいか……この前ぶっ倒れた時もそうだし、今回も、お前がいなかったら今頃どうなってたか……だからその、ホントにごめん。ありがとう。この通りだ」


カゲロウは、和の寝ているベッドの隣の床に膝をついて、目一杯、頭を下げた。それから更に、続けた。


「その……たまには思いきり羽を伸ばしたかったのもそうだけど……どうしても、気になる事があって……でもその事考えるとなんかモヤモヤしちまって……とりあえず考えないようにして料理と酒を味わう事に集中しようと思ってるうちについつい……」

「カゲロウくんさ、ホントにバカだよね」


突然、和が口を開いた。そして、ゆっくりと起き上がると、床に突っ伏しているカゲロウを見た。


「ま、しょーがないか」


和は一言そう言うと、ベッドに腰掛け、カゲロウに隣に来るように目配せをした。カゲロウは戸惑ったが、今はとにかく、旅行券の恩があったこれまで以上に和の言う事を聞いたほうが良い気がして、その隣に、これまた恐る恐る腰かけた。


「目瞑って」

「え?」

「いいから早く」

「は、はい」


カゲロウは、言われるままに目を瞑った。

一瞬、ふわっと良い香りが、自分の前を漂った気がした。そして、次の瞬間、右の頬に何か柔らかい物が当たる感触がした。カゲロウは、思わず目と口を皿のように丸く大きく開いて、和の方を見た。が、その時には和は既に、ベッドの上で横になっていた。カゲロウは、開いた口がふさがらなかった。何が起きたのか、確証はないが、限りなく正解に近い答えが、自分の頭の中では出ている。

カゲロウは、そんな必要はないとわかっていながらも、思わず辺りを見回した。そして、自分たち以外誰もいないと分かったのを確認して一つ安堵のため息をついた瞬間、誰かの視線を感じて後ろを振り返った。


「カゲロウ」


カタカケとカンザシが、隣の部屋に続く通路の出入り口からひょっこりと顔を出して、覗いていた。


「お、おう、なんだおめーら、寝たんじゃなかったのか」


カゲロウは、精一杯冷静を取り繕って二人に言った。


「……イッショにネてもいい?」

「あ?」


二人は、枕を胸元に抱えながら、カゲロウに近寄って来た。

そんなフウチョウ達の様子を見て、カゲロウは、またしても自分の不甲斐なさを悔やんだ。


「……いいけど、イビキ、うっせーかもよ?」

「ベツにいい」

「そのトキはカゲロウのハナとクチをフサぐ」

「殺す気かよ」

「シにたくなかったらワレワレをぐっすりネかせろ」

「へいへい」


カゲロウは苦笑いして、二人を自分のベッドに招き入れた。



 翌朝、四人が目覚めたのは昼前だった。四人にはもう一日、このリゾートで過ごす時間があったが、まだ昨日の身体に疲れが残っているような感覚があり、なかなか部屋の外に出て行く気にならず、各々が眠い目を擦りながらダラダラと過ごしていた。そんな時、部屋の内線電話が鳴った。カゲロウは、ベッドに寝転がったまま内線電話の受話器を取った。

電話をかけてきたのは、フロントだった。カゲロウ達と面会をしたいと言う客が来ているので、ロビーまで来て欲しいと言う事だった。

カゲロウ達は、重い体を持ち上げて、ロビーまで降りて行った。


「あ!カゲロウさん!カンちゃん、カケちゃん!和先生!」


元気な声が、ロビーに響き渡った。出入り口の近くで、オキゴンドウが、カゲロウ達に向かって手を振っていた。


「ゴンちゃん!」


カタカケとカンザシが、真っ先にオキゴンドウの方へ飛んで行った。


「どうしたんだ、わざわざホテルまで……」


カゲロウが、オキゴンドウに訊いた。


「今日は私、お仕事がお休みなんです。せっかくのお休みだし、皆さんがまだこのリゾートにいるうちに、とっておきの場所に案内させてほしいなと思って!」


オキゴンドウがそう言うと、カタカケとカンザシはさっきまでのだらけた様子は何処へやら、ぴょんびょんと飛び跳ねた。


「とっておきのバショ?」

「どんなバショだ?」

「来ればわかるよ!きっと気に入ると思う!」


フウチョウ達は、目を輝かせた。そして、カゲロウの服の裾を引っ張った。


「イこう、カゲロウ」

「ゴンちゃんのとっておきのバショ、イこう」



 オキゴンドウに連れられて、カゲロウ達はビーチの方へ歩いて行った。そして、しばらくビーチを歩き続けると、海水浴場からだいぶ離れたところに、岩礁があった。


「到着です!」


岩礁のあちこちで、何かが光っているのが見えた。色とりどりの貝殻が、そこらじゅうに散らばっている。そして、貝殻に混ざって、真珠も散らばっている。遠目に見ると、まるで岩礁が輝いているかのようだった。


「どう?綺麗でしょ!」


オキゴンドウが、貝殻と真珠を拾い上げて、フウチョウ達に見せた。


「キレイだ」

「クロくない」

「シロい」

「でもキレイだ」


二人は、真珠に興味津々だった。


「これ、真珠って言ってね。黒いのもあるらしいよ。私はまだここでは見つけたことないけど……」


オキゴンドウがそう言うと、フウチョウ達はお互いに顔を見合わせて頷いた。


「サガそう」

「うん、サガそう」


そう言うと二人は、地面を食い入るように見つめながら、岩礁の上を歩き回り始めた。


「なんか、悪いな。昨夜俺の事助けて貰った上に、アイツらの為にここまで案内して貰って……」


カゲロウは、頭を掻きながらオキゴンドウに言った。


「いえ。気にしないでください。私も、あの子達に助けてもらいましたから、そのお礼です。お二人もよかったら、ここの真珠とか貝殻とか、持って行ってください。旅の思い出になればと思います」


オキゴンドウは、懸命に黒真珠を探すフウチョウ達を横目で見ながら、カゲロウと和に言った。


「あった!」

「ゴンちゃん!クロいの、ミつけた!」


遠くで、フウチョウ達が叫ぶ声がした。三人は、フウチョウ達に駆け寄った。

二人が見つめる先には、一枚の貝殻があった。そして、その上には、二つの黒真珠が、綺麗に並んで乗っかっていた。


「ホントだ!しかも二つも!ラッキーだね!滅多に見つからないのに!」

「なんだか、カンちゃんとカケちゃんみたいだね」


和が、笑いながら言った。


「その下の貝殻はカゲロウくんかな」

「あ?なんでだよ」

「二人の尻に敷かれてる」

「おい」


和とカゲロウのやり取りに、オキゴンドウは思わず噴き出した。


「あんたまで笑う事ねーだろ」

「ご、ごめんなさい。でも、ちょっと面白くって」


そう言いながら笑うオキゴンドウに、カタカケとカンザシが、それぞれ黒真珠を持って近づいた。


「ゴンちゃん」

「なに?」

「コレ、モラってもいい?」

「うん、いいよ。ここにある真珠とか貝殻、二人にプレゼントするつもりで連れてきたんだし」

「そうなのか」

「うん。ちょっと貸して」


オキゴンドウは、二人から黒真珠を借りると、周りの他の真珠と、貝殻をいくつか拾い集めた。そして、服のポケットから小さなキリと、細い紐を取り出し、貝殻と真珠一つ一つに小さく穴を空けて、そこに紐を通して行った。

間もなくして、オキゴンドウによるお手製の、天然の真珠と貝殻のブレスレットが、二人分、出来上がった。


「はい!これで完成!」


オキゴンドウは、フウチョウ達の腕に、完成したブレスレットを着けてやった。


「これで、私達はいつかきっとまた会える」


オキゴンドウがそう言うのを聞いて、フウチョウ達は、ブレスレットを不思議そうに眺めた。


「そうなのか?」

「うん。そうなるようにお願いしながら、作ったんだもん」

「ホントにまたアえるのか?」

「会えるよ。だって、昨夜だって、二人がカゲロウさんを助けたいって一生懸命お願いしながら頑張ったから、カゲロウさんが助かったんだよ。思い続けてれば、願い事は、きっと叶うよ。ね?」


和は、突然オキゴンドウに同意を求められたので、少し戸惑ったが、でも、そうかもしれないと思い、頷いた。


「そうか。ダイジにする」

「ワレワレもゴンちゃんにまたアえるようにおネガイする」

「ありがとう」


フウチョウ達と、オキゴンドウの三人は、お互いに、固い握手を交わした。


 それからカゲロウ達は、リゾートでの残りの時間を目一杯、楽しんだ。温水プールでウォータースライダーを滑ったり、温泉に浸かったりした。その日のディナーは、ホテルのレストランで摂ることになったが、和は、カゲロウに酒を飲むことを固く禁じた。カゲロウは、自分には逆らう余地がないとわかっていた。しかし、もう、酒を飲まなくてもいいくらいに、心は晴れやかになっていた。そして、部屋に戻ると、四人はすぐに、眠りについた。



 翌朝、四人はリウキウエリアから発つために、再び飛行機に乗ることになった。

行きの時と同じように、席は窓側ではなかった。そして、フウチョウ達を挟むようにして、カゲロウと和が座った。フウチョウ達は、行きの時のように緊張する様子がないどころか、離陸して機体が安定する頃には、眠ってしまっていた。


「盛りだくさんだったし、やっぱ疲れたんだろうな」


カゲロウは、安らかな寝顔の二人を見て、和に言った。が、和からの返事はなかった。彼女もまた、眠ってしまっていたからだ。


「あら、お客様……」


聞き覚えのある声が、カゲロウの横からした。そこにいたのは、行きの飛行機の時に、フウチョウ達に窓の外の景色を見せてくれた、客室乗務員のリョコウバトだった。


「おお、あの時のCAさん。あの時はどうも、コイツらがお世話になりました」

「やはりそうでしたか。少し日焼けされてたので、一瞬印象が違って見えたのですけれど。これからお帰りですか?」

「ええ、そうですよ」

「ご旅行はいかがでしたか?」

「色んなことがありましたけど、最高に楽しめました。明日からの仕事もまた元気に頑張れそうっすね」


カゲロウは、そう言いながら、隣で安らかに寝息を立てているフウチョウ達と、その奥にいる和を見た。


「それは良かったです。またご旅行される際には、是非、ジャパリ航空をご利用くださいね。ご搭乗、ありがとうございます」


リョコウバトは、笑顔で一礼をすると、カゲロウの前から去って行った。







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