8
「久しぶりに来たな」
「そうかよ」
不貞腐れる浩介を連れてやって来たのは紀伊さんが借りているマンションだった。考え事をしている双葉は置いといて、出来る限り浩介に話しかける。
アリスと有村は浩介の自宅に残ってもらい、紀伊さんが出てくるように工作をしている。成功するかしないかは置いておいて、何も掴めなかった場合の保険である。
そんな二人と別れてやってきた紀伊さんの住んでいたマンション。合鍵は浩介が持っていたのでそれを使用することで決まった。
僅かな手がかりを手に入れるための行動だ。もし何も手に入らなくても出来ることが少ない今の状況では、道は選べないのだ。
「引っ越しの手伝い以来か」
「地獄を思い出させるのは止めてくれ」
不貞腐れていた浩介の顔が青くなる。
引っ越し時に色々あったせいでトラウマになっているのだ。こうして考えれば浩介のトラウマスイッチはかなり多い。その大半が紀伊さんにあり、女性関連である。それにも関わらず女性にモテたいと願望を抱くところは、浩介の強さなのだろう。俺ならば当の昔に心が折れていることだろう。
男に走られたらそれはそれで困った事態なのでお気楽な浩介が凄くありがたい。そのままで居てくれと望むほどには……
「はぁ」
「なんだよ。辛気臭い顔でため息なんて」
「浩介が浩介で良かったよ」
「なんだよ本当によぉ」
少し嬉しそうにバンバンと背中を叩いてくる。どうやら通常運転に戻ったようだ。
これならば、問題はないだろう。
「さぁて。チャッチャと仕事終わらせますかね」
「そうだな」
双葉を伴い、エレベーターに乗って紀伊さんの部屋がある階まで移動。そこから部屋を目指し、扉の前に立つ。
「待ちなさい」
鍵を使おうとする浩介を双葉が止め、インターフォンを鳴らした。
紀伊さんの住んでいた部屋。紀伊さんが自宅に戻り、誰も居ないはずなのに、インターフォンを押した双葉の行動に俺たちは首を傾げる。
返事なんてあるはずが無い。そんなことを思っていると……
『 はーい』
中から声が聞こえた。女性の声だ。
しかし、表札には紀伊さんの名前が書いている。自宅に戻ってなかったのかと浩介に視線を向けるが首を横に振っていた。
意味の分からない状況は、扉が開くと共に開示される。
「なんでしょうか?」
それは、見知らぬ女性であった。
紀伊さんの知り合いには何人か心当たりがあるが、その誰とも合わない。
知り合い全てを知っている訳では無いし、大学で仲良くなった人かもしれないが、能面のような表情をする女性と仲良くしている紀伊さんをまるで想像出来ない。
「こちら、三笠紀伊さんの部屋で間違いないかしら? 」
「分かりません」
分かりませんってなんだよ!
そんな声を上げようとするのを、双葉が向ける無言の視線で押し留める。
ここは自分に任せろと言いたげな背中に浩介を一歩下がらせて任せることにした。恐らく、こんな展開があるかもしれないと頭を巡らせていたのだろうから。
「表札には、そう書いてあるわ。合鍵もあるわよ。試してもいいかしら?」
「…………何の用ですか?」
「紀伊さんが忘れ物をしたそうなの。それを取りに来たわ」
「本人は?」
「自宅から出たくないそうよ。だから、弟である浩介と来たの。中に入れてくれるかしら?」
堂々と虚実と真実を混ぜた言葉を並べていく。
俺たちは忘れ物なんて取りに来てはいない。紀伊さんだって自宅からどころか部屋からすら出てこないで顔すら合わせていない。
それでも、堂々とした立ち振る舞いからは嘘がまるで見えてこない。
移動中に何度もシミュレートしたのだろう。淀むことがまるで無く。即座に返答している。
数秒ほど睨み合うと、女性は背中を向けた。
「中へどうぞ。ですが、忘れ物を見つけ次第お引き取りください」
「ええ。そうさせてもらうわ」
笑みを浮かべ、率先して中へと足を踏み入れる双葉。
俺たちは、あるはずの無い忘れ物とあって欲しい紀伊さんを助ける手がかりを探すための一歩を踏み出したのであった。
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