プロローグ その二 傷口と魔法

マリサは、戸惑っていた。

伝説の勇者をもてなす大役を果たす為に、ここ一年間色々な勉強をしてきたのだけれど、言われていた勇者とは大きく異なっていたからだ。

どう見ても勇者は女性で、しかもマリサと同じくらいの年齢に見えた。

背は明らかに男性の平均と同じくらいはあるものの、体つきは華奢で腕も細い。その腕も男性特有の筋肉というよりも、マリサと同じ様な感じに見えた。顔には髭が全くなく、皮膚は色白で、きめの細かい透き通る肌をしていた。これほどの肌は女性でもいないのではと思うぐらいだった。

髪は男性の留め方をしているが、ストレートの黒髪は光沢が見えるほどの見事な手入れがされていた。


「こちらのお部屋でございます。」


愛が通された部屋は20畳ぐらいの大きな部屋で、窓が大きく開かれていて日当たりが良かった。そこから眩しいくらいの太陽の光が部屋の片隅に降り注ぎ、先程の部屋と打って変わって、とても明るい部屋だった。家具は見るからに年代物だけれども、手入れの行き届いた使い心地の良さそうな感じがした。

この部屋は、階段を何十段も登り、入りくだった迷路の様な廊下を何度も曲がってやっとたどり着いた。ここは、最初の部屋からは、かなり遠くに位置していた。

明るいこの部屋に来たことにより、愛は気分が良くなってきた。


「ありがとうございます。素敵な部屋ですね。」


先程まで、マリサの後を付いてくるのが精一杯だった勇者は、この部屋に入った途端に雰囲気が変わって満面の笑みを浮かべながら挨拶をした。思わずマリサも満面に笑みを浮かべていた。

初めて声を聞いたマリサは、女性ではと思っていた疑念から確信に変わり、そして、この女性が伝説の勇者だなんて、とても信じられなかった。

けれど、驚きは顔には一切出さず、今まで勉強して来たスキリルを実行した。

顔には満面の笑みを浮かべて。


「ありがとうございます。

早速ですが、お茶でもお持ちしましょうか?」

「あー、はい、お願いしますね。

そう言えば、喉が渇いているわ。」

「かしこまりました。

すぐにお持ちしますね。」


そう言うとマリサは、すぐにお茶の準備をする為に、部屋を後にした。

一人残された愛は窓に近寄り、外の景色を見ることにした。何らかの情報を得られると思ったからだった。


「すごーい。」


誰も居ないのに、独り言を愛は言っていた。

外に広がる景色は、今まで見たことのない様な素晴らしいものだった。

砂浜が限りなく右側前方に見えており、少なくても数キロは続いていた。海はエメラルドグリーンの色に近く、透明度が高そうな感じがした。漁船らしき船が多数漁をしており、船の上では人が忙しそうに動いていた。波の音が微かに聞こえ、心地の良いリズムを繰り返していた。

左側は森で、清涼感に溢れており、小鳥の鳴き声が無数に聞こえて来ていた。

太陽は高く昇っており、昼頃だと判断できた。

景色を堪能しながら、ここは何処だろうと思ったけれど、明らかに日本ではない事だけは判断できた。

ふと窓枠を見ると、慣れしたしんだアルミ製の枠ではなかった。それは木枠から成っており、窓もガラスが使われてなくて雨戸の様な感じだった。

どこかのヨーロッパの古いお城に来たのかと思った。


今は気分が良くなってきているけれど、愛はかなり疲労していた。いごごちがよさそうな椅子がちょうどあったので、ひとまず座った。


ふと気がつくと、誰かが部屋のドアをノックしているのが聞こえた。

いつのまにか愛は、うたた寝していたのだった。



「はい、どうぞ」


愛はそう答えてテーブルに手を伸ばして立とうとしたら、少し痛みが指先に走った。

牛刀をそこに置いたのを忘れていたのだった。寝起きで、うっかりしていた。

ほんの少しだったけれど、血が少し出てきた

人差し指の内側だったので、親指で押さえて取り敢えず止血をした。


マリサがお茶と、お菓子らしき物を持って部屋に入って来た。

テーブルの上に置くと、紅茶をティーポットからティーカップに注いでくれた。


「紅茶でございます。

こちらの菓子は、焼き菓子でございます。

どうぞお召し上がりください。」


愛の目の前で紅茶を入れてくれた時、覚えのある香りがした。


「いい香り。

この香りと色からすると、たぶんアッサムね」


マリサは少し驚いた。

色と、ほんのりと香る匂いだけで、数ある紅茶の種類の中でズバリと当てたのだから。


「はい、仰る通りでございます。

少しお疲れのご様子でしたので、甘みのあるアッサムを選びました。」

「ありがとうございます。

今の私には、この紅茶がピッタリです。」


マリサはそれを聞いてニッコリと笑った。


愛は、馴染みのある飲み物が出されたので、少し嬉しくなった。

早速一口飲むと、懐かしい味が口一杯にひろがった。でも、ほんの少しだけ違う味がした。

焼き菓子の方を見ると、サブレの様な感じだったけれど、少し違うかなとも思った。

手にとって一口だけ食べてみた

甘すぎて、そして硬かった

煎餅の様に硬く、甘いだけの焼き菓子だった。

この甘味料は、独特な香りと味だったので、蜂蜜だとすぐに分かった。

お腹が空いていたので、この硬いお菓子を何とか美味しく食べようと思った。

ふと、コーヒーに浸して食べる硬いビスコッティを思い出した。


「この焼き菓子は、蜂蜜を使っていますね。

少し私には硬くて甘いので、乱暴ですが焼き菓子を紅茶に浸して食べる事を許して下さいね」


そう言うと愛は、焼き菓子をティーカップの中の紅茶に浸して食べた。


マリサはビックリして、一部始終を食い入る様に見ていた。


「思っていた以上に相性がいいわ」


そう言うと、彼女は二枚目を紅茶の中に浸して食べ始めた。


マリサも、このお菓子は硬すぎると思っていた。この食べ方だと柔らかくなって美味しく食べれるし、しかも、蜂蜜の単調な味がアッサムの濃厚な味と相性がいいのではと思った。

ふと、彼女の焼き菓子を持つ手から、ほんの僅かだけれども血の跡が見えた。

もしかしたら怪我をしていると思った。


「あのう、橘愛様。

もしかして人差し指、怪我をしていませんか?」

「あ、これ。大丈夫よ。

一時間ぐらいしたら血は止まるから。

それより、そのフルネイムで呼ばれるのは慣れてなくて。

マリサと同じくらいの年で同性だから、私を呼ぶ時は名前の愛だけでいいわ」


マリサは目を、パチクリさせた。

やはり橘愛様が女性だったことに加え、聞き慣れない言葉が彼女から聞こえてきた。

そして、自分の事を名前で呼んでくれと言った。

ここに来る前に王子から、勇者の要望は出来るだけするようにと指示があったのだけれども、名前で呼ぶのは気が引けた。

それと、マリサの知らない言葉を使っていた。怪我の治療をしながら言葉の意味を説明をしてもらおうと思った。

治療は、マリサの得意な魔法が使えるので。


「怪我の治療を私にさせてもらえますか?」

「え!

これくらいのキズ、バンソウコウがあればそれで済むんだけれど」


マリサは、また聞き慣れない言葉を愛が話したので、バンソウコウの言葉の意味を直ぐに訪ねた。


「愛・・・。

名前だけ言うのは、ぎこちなくて申し訳ありません。

それで、バンソウコウとなる物は何でございましょうか?」


今度は愛が目をパチクリさせ、動きが一瞬止まった。

マリサがバンソウコウを知らないのは、彼女にとって驚きだった。

ここは過去の世界なのか、或いは異世界なのか、愛には分からなかった

怪我の治療のやり方で、ある程度文明のレベルが分かるので、頼んで確かめてみようと思った。


「バンソウコウは、小さな怪我をした時に傷口を守る包帯みたいな物ね。

ここにそれがないのでしたら、マリサに治療をお願いするわ」

「分かりました。

小さな包帯をバンソウコウと呼ぶんですね」

「えーと、それに近いわ」


そう言うと愛は、怪我をした左手をマリサに見せた。怪我の状態を見て、包帯を持って来ると思っていた。

ところがマリサは、いきなり怪我の箇所に手をかざした。怪我の箇所がむず痒くなり、暖かさを感じた。そして、それは直ぐに終わった。


「はい、治療は終わりました」

「え!!」


愛は、怪我をした手をよく見ようと、目に近づけた。


「治っている、

しかも、傷口が綺麗に塞がっている。

どうして?」

「治癒の魔法を使ったのですが?」

「治癒の魔法?」

「はい、そうです」


愛は呆気にとられ口が少し開いた。

そして、しばらくの間は動くことが出来なかった。

































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