けものフレンズ2:re

東雲 裕二

序章 あたたかいひ

***


「ヌイちゃんは奇跡って信じる?」白衣の女性が穏やかに語りかける。


 白を基調とした部屋。部屋の入り口には白のショルダーバッグつ掛けられた背の高いポールハンガーがあった。部屋の一画には天井から分厚い水色のカーテンで仕切られていた。壁面には日に焼けた木製の本棚が寸分違わず設置され、灰色の背表紙のファイルが隙間なく収まっていた。本棚の反対の壁には白のカーテンが両脇に取り付けられた開かれた窓があり暖かい暖かい日差しが差し込む、エボニーの机の上を日差しが照らす。机の上にはローマ数字の置き時計、ラウンド型の卓上ミラー、スケッチブック、様々な濃さの軸色が緑の鉛筆、消しゴム、練り消し、羽箒、繰り出し式の小型ナイフ、皿に乗ったジャパリまんが一個。ギイギイと軋む回転椅子に女性は座りながら身をよじり、違う濃さの鉛筆に取り替えた。


「キセキ?」問いかけられたパイプ椅子に座った少女は頭の上の耳を動かす。手には食べかけのジャパリまんが一個。「ご主人、キセキってなんです?」


「はは、そこからか」女性は少女に笑顔を見せる。鉛筆でスケッチブックに描くのを止めて顎に押し当てた。「なんて説明すればいいんだろう。……そうだ、ヌイちゃんはこんな事が起きたらいいなって思うことはあるかな?」


「起きたらいいこと……」少女ははぐっと一口ジャパリまんを頬張る。うーん、うーん、と考えながら体を振り子のように左右に動かた。パイプ椅子のフレームの間から垂れ落ちた銀毛の尻尾が体に合わせてだんだんと大きく揺れ動く。「そうだ、ジャパリまんがたくさん降ってくる!」


「えっ?」女性は目を丸くした。


「だって、だってご主人。ピカってなって、ゴロゴローって大きな音がして、お水がばしゃーって降って」雨が降ってくることを想像したであろう少女は両手で大好きなジャパリまんを持ちながら体をぶるぶると震わせた。「でもでも、お水がジャパリまんだったら、ぱくぱくーと食べれて、ぶるぶるーってしなくて、あのフレンズの子とおいしーってできます!」


 女性は少女の言葉を聞くとゆっくりと立ち上がって近づき、少女の頭に片手を乗せる。指の間から銀毛が覗かせ、撫でる手の腕に合わせて銀毛が輝やいた。撫でられた少女は耳と尻尾を幾度と上下に動かした。


「ドクター、パーク巡回ノ時間デス」機械合成音と共にピンク色の小型動物をあしらったロボットが部屋に入ってきた。


「もうそんな時間?」女性は机の置き時計に目をやる。「ああ、途中になちゃった」


「そういえばご主人、何をしてたの?」最後のひとかけのジャパリまんを頬張り、手で口元を隠しながらもぐもぐと咀嚼した。


「これ?」抱えるようにして持っていたスケッチブックを少女に見せた。「スケッチよ。ヌイちゃんのスケッチ。ほら、フレンズってカメラを向けられるのは苦手でしょ。あの子の怪我の経過も記憶に残したいのだけどカメラが使えないから絵で残そうと思って。その練習よ」

 途中のために濃淡や毛色は薄く描かれたままだったが、楽しそうに笑う少女がスケッチブックに鉛筆で描かれていた。少女は首を傾げながら何度も眺めた。どうやら自分が描かれているとまだ出来ないと気がついた女性は机にある卓上ミラーを手に持ちスケッチブックの横に並べる。少女はスケッチブック、鏡と何度も往復して眺める。


「あっ、わたしだ、わたしだ!」ぶんぶんと音が聞こえるように尻尾を振りながら歓声をあげた。


「めっ」女性は静かに手を勢いのない手刀打ちのようにして少女の頭に軽くのせた。「ここは病室なんだからそんなに騒いではダメよ」


 少女は先ほどと打って変わってしゅんと肩を下げた。尻尾も力なく垂れ下がる。


「ご、ごめんなさい」


「……スケッチが完成したらあげるから、そこまで落ち込まないの」

 その言葉に少女は目を輝かせ、キラキラと笑う。おもわず声を出しそうになったのだろう、はっ、両手で口元を隠した。尻尾はゆっくりと大きく揺れ動いた。


「ドクター、パーク巡回ノ時間デス」ロボットが再び機械合成音を発した。


「さ、ヌイちゃんお仕事、お仕事」女性は手にしたスケッチを閉じて机に置く。


 笑顔の少女はぱたぱたとポールハンガーにかけられたショルダーバッグを背伸びしながら手にとって、たすき掛けのようにした。ショルダーバッグには赤の十字マークと灰色の布であしらわれたイエイヌという文字が不揃いの縫い目でつけられていた。


「ヌイちゃん、ラッキービーストも忘れないでね」女性はうーんと声を出して背伸びした。「いつもの巡回コースよ。あの子の様子を見たらすぐにミニスクで追いかけるから。あと医療センター内では走っちゃダメよ」


 少女はラッキービーストと呼ばれたピンク色のロボットを丁寧に抱きかかえると部屋からぱたぱたと出て行った。


「ほんと、ヌイちゃんはキラキラ輝いているわね。私のキララって名前よりよっぽど輝いているわ」


 女性は自分の名前をつぶやきため息をついた。机の上にあったジャパリまんがあった皿を手に取り、分厚い水色のカーテーンで仕切られた一画に足を向ける。

 

 低い唸り声が仕切られたカーテン越しに聞こえた。それは強い拒絶を感じさせる。


「アムちゃん、入るわよ」穏やかな声色で話しかけ、ゆっくりとカーテンを開けた。


 カーテンの奥には二台のベッドがあった。一方は整えられた白いシーツが施された空のベッド、もう一方には先ほどの唸り声の主が体を丸めた体制で女性を睨んでいた。長い金毛に、斑らの模様。眉間には深い皺を寄せ、鋭い眼は明らかに敵意が込められていた。つり上がった口からには鋭い牙が見えた。その手足には包帯が巻かれており、血が滲んでいた。


 女性は視線を外して敵意がないことを行動で伝える。ベッドの脇に備えられたサイドテーブルに皿に乗ったジャパリまんを置いた。


「ヌイちゃんがね、まだ一緒に食べられないからって一個残してくれたのよ。いい子よね、本当に」そして目を細めて笑う。「まだフレンズになったばかりで困惑しているのも理解しているわ。その怪我の原因も。私たちを信用していないのも」


 空いたベッドの縁に女性はゆっくりと腰を下ろした。そしてゆっくりと、静かに語りかける。


「奇跡って起こらないから奇跡なの。でも、フレンズというありえないことが存在している。それって、何か意味があるから存在していると思うの。私はそれがみんなで仲良く笑っていられることだと思うのよ」


 窓から暖かい風が入りこみ、カーテンを揺らした。


 ***

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