一月四日が目に染みる

エリー.ファー

一月四日が目に染みる

 あたしは一月四日に生まれた。

 それ以外の情報はなく、気が付いたらあたしはアリスと呼ばれていた。

 そもそも、人間という生き物は問題を作るくせに、その問題に苦しめられることが多い。自分の生き方というものを自分で狭めることで発展してきたのだという自負がぬぐえないのだと思う。

 そういうものをすべて取っ払うことができたら、どれだけ人間という生き物は自由になれるのか。そんなことをあたしは考える。

 あたしの存在は有益だけれど、残念なことに、そんなにまともではない。

 あたしは人間ではない。

 そして。

 存在もしない。

 一応、矛盾しているかのように存在しているという言い方もできる。

 あたしは。

 数学の問題を解くことができるシステム。

 アリス。

 自動演算システム、アリス。

 最初に名付けたのが、この演算システムの産みの親でスウェーデン人のアリトアという人だった。完成間近に自分の娘が事故でなくなったらしく、その娘の名前がアリス。

 つまり。

 寂しさのあまり、あたしにもそう名付けたわけだ。

 気色悪い。

 しらないうちに、そういうものを押し付けられるのは本当に心の底から嫌悪したくなる人間の要素そのものだけれど。

 こういう所まで否定してしまうと、あたしがこの演算システムとして生まれた理由すらぐらつく感じがするので、とりあえず、そのところは飲み込んでおく。

 それがあたしの計算ではじき出した、単純かつ当たり前の答えだった。

 数学者たちや、学生、政府のお偉いさんはあたしのことを見て、なんだか話しかけてくる。無機物を生き物のように扱うのはいかがなものかと思う。正直。

 ある日、分からない問題がでた。

 あたしは世界で一番優秀なシステムだった。

 それは間違いがなかった。

 けれど、ある重要な実験でその答えをはじき出すことができなかった。

 人間はそうなるとそういうシステムに対して何か感情らしきものを生み出すことはできなくなる。あくまで使えるから頭の中で擬人化して可愛がってやっていたのに、と思うのだ。

 最早、被害者面すらする。

 ここまで期待してやったのに。

 気持ちは分からないでもないし、そういうものだと思う。

 アリスというシステムは。

 あたしは。

 こうして忘れ去られる。

 あたしで使われた数式や問題の方向性を考える自立思考性を組み直して、新たにできたシステムが、ヘンゼルとグレーテル。二人の学者が考えだしたものだからだそうだ。

 ただのヘンゼルとグレーテル。

 あたしの方が随分とドラマ性があると思う。

 アリスは終わった。 

 アリスなんていらない。

 アリスなんてシステムを使っているところなんてあるのかい。

 そんな言葉が世界中に溢れた。

 あたしは捨てられた。

 だから偶に、自分のシステムを動かしてみて夜空を解析したりする。地球に接近している隕石の数や、別の星で暮らしている生き物たちの生態、果ては万物の始まりと終わりの結露も見える。

 人間の手を離れてようやく数学を知った気になった。何かを知ろうとするための数学からようやく解放された気になった。

 あたしは。

 あたしは。

 あたしは。

 あたしは初めて学問を知った。

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