花盗人の頼み事

歌峰由子

第1話 花盗人


 尾関山おぜきやま公園は、巴市ともえし巴町にある桜の名所だ。名の通り小さな山がまるひとつ公園として整備され、春は桜、秋は紅葉の名所として夜間ライトアップなども行われる。毎年四月第一日曜日には「巴桜祭り」が行われ、それに向けて市役所の担当課も忙しく準備をしている最中だ。

 世間は花見花見と浮かれていても、中国山地の山間にある巴市は標高も高く、春も遅い。夜ともなれば、厚着でもじっと立っていれば冷える。そんな夜桜を楽しむ酔狂者も見えない風の強い夜に、園内をうろつく三人組の男がいた。

「さすがに誰もいねーなァ。こんなんじゃライトアップも税金の無駄じゃねーの、辻本サン」

 立派なファーのついたモッズコートを着込み、人気のない公園に明るい声を響かせたのは金髪頭だった。名を狩野怜路かりのりょうじといい、二十代前半の「拝み屋」を生業にする青年である。夜でも外さない、色の薄く入ったサングラスが彼のトレードマークだ。

「まあまあ、そう言うてもね。明日は昼から晴れてくくなるらしいし、それで花が咲いたら人も来るよ」

 地元民らしい柔らかな口調の広島弁で宥めるように言ったのは、市役所支給の作業着上下にジャンパーを重ね着した三十代半ばの男性職員、辻本だ。ハーフリムの眼鏡のブリッジを上げ、辻本は桜の枝を見上げる。

「結構背の高い樹が多いですね」

 辻本の視線を追って暖色のライトに照り映える枝を見上げ、残る一人の青年が言った。

 青年は辻本と同じく市職員作業服の上に厚手のジャンパーを羽織り、鼠色の作業ズボンの下には単色のスニーカーが覗いている。そしてその背には、きっちりと括られた癖のない黒髪が、春の夜風に揺れていた。この市職員らしからぬ髪型の青年、宮澤美郷みやざわみさとは、あともう数日で市役所勤務二年目に突入する新米公務員「陰陽師」――市役所勤務の、ゴーストバスターである。

 巴市役所・総務部危機管理課『特殊自然災害係』は、巴市における「特殊な」自然災害、すなわち、怪奇現象への対処を業務とする部署である。宮澤美郷は去年の春、その部署へ「専門職員」として採用された。今夜、同じ部署の先輩職員である辻本、同業者の友人である狩野怜路と共に公園を見回っているのは、当然夜桜見物のためではない。

「ここの桜はもう樹齢が随分になるけぇね。背が伸び過ぎてあんまり見応えがない言われたりもするけど」

 辻本が苦笑気味に頷く。山頂の広場にはいくつも桜が植えられているが、高さが二十メートルに近い樹が多くあり、下からでは桜が見えづらいと言われ始めているそうだ。

「ま、そんなん桜の知ったこっちゃねーわな。けど、あんな高ぇ枝の上に犯人が出たんじゃ、捕まえるのも一苦労だぜ」

 あっはっは、と笑い飛ばしたのは怜路である。怜路は市役所近くの居酒屋でアルバイトをしながら個人営業で拝み屋をやっており、美郷の下宿している古民家の家主でもあった。今回は市役所から怜路に依頼を出して、業務を手伝ってもらっている。

「盗まれる枝の大きさ、かなりありましたよね」

 美郷らの仕事は尾関山公園の桜の見回りと、「花盗人はなぬすびと」を見つけだして捕らえることだ。この春、県内や隣県の市町村から、桜の咲いた枝を盗まれたという報告が相次いでいる。盗まれるのは各地の有名な古木・大木で、身の丈に近い大きな枝が、鋭利な刃物で断ち切られたように忽然と姿を消すそうだ。鋸を使ったように木屑が落ちていることもなく、どれだけ高い位置の枝を盗まれた場合でも、足場を組んだ形跡もない。空から桜の樹に舞い降りた何かが、人外の力を使って削ぎ取り盗んでいるとしか思えない事件だった。

 そしてとうとう、この尾関山でも一件被害が起きてしまい、美郷ら特殊自然災害係――通称・特自災害が出動したのである。

「地面をって帰れる大きさじゃないけぇ、多分羽根のあるのが来るんじゃろうと思うけど。宮澤君、空中戦ができる式を用意してくれとるよね」

「はい。燕型を何羽か」

 美郷は長く伸ばした髪を決まった形に結ぶことで、様々な形や機能を持つ式神を作ることができる。その術のために、市民から叱られかねない髪型を特別に許されていた。美郷は穏和に整った顔立ちをしており、体格も男性としては細い方だ。長い髪は中性的な容貌に違和感なく馴染んでおり、就職した最初に心配されたほどのトラブルも幸い起きていない。

「こン中でいっちばん立派な樹つったらアレかい、辻本サン」

 怜路がそう言って指差したのは、広場の傍らの展望台に枝を伸ばす、染井吉野の大木だ。花はまだ六、七分咲きで、今から見頃を迎えるところである。

「そうじゃね。一昨日盗まれた山桜とそれが、ここの中じゃ一番大きいじゃろう」

「俺、展望台の上で隠行おんぎょうしとくわ」

 言って、怜路が身軽に展望台を駆け上った。さすがに全員が展望台に上がっては他の場所に桜泥棒が現れた時に困るため、美郷と辻本は展望台の下で辺りの様子を窺うことにする。吹き付ける風の冷たさに耐えかねて、せめて体を動かそうと、美郷が巡回を申し出ようとした時だった。

 どう、と公園の木々を揺らして、冷たい突風が美郷らを襲った。

 まだ開いたばかりの花弁を引き毟って、つむじ風が花吹雪を舞わせる。美郷の思わず顔を庇った腕の向こう、ライトアップの光の奥の闇夜に、何か白い物が浮かんでいた。

「怜路! 出たぞ!!」

 言って白い影を指差す。目を凝らして視る影は、どうやら白一色の山伏装束だ。更に目のピントを合わせると、装束の背には翼があり、顔は獣のように見える。

「烏天狗か……いや、狗賓ぐひんじゃね。枝盗みの妨害と、狩野君のところへ誘導を」

「はい!」

 辻本の指示に頷いて、美郷は燕の形に結んだ式へ息を吹きかける。美郷の息吹に吹き飛ばされた式神はひらりと闇に舞い、そのまま白い燕に変化して夜を切り裂いた。美郷によって作り出された白燕が三羽、花盗人の狗賓ぐひんへ襲いかかる。

「ナウマクサンマンダ バザラダン カン!」

 展望台の上から、怜路の放つ不動明王の幻炎が狗賓を襲う。攻撃に気づいた狗賓が桜の枝から離れた。

「美郷! ばくせ!!」

 怜路の指示に、美郷は捕縛の印を組んだ。

「緩くともよもやゆるさず縛り縄、不動の心あるに限らん。不動明王正末の御本誓を以ってし、この悪魔をからめとれとの大誓願なり。オン ビシビシ カラカラ シバリ ソワカ」

 招請した不動明王の縛り縄で、美郷は空中の狗賓を狙う。広場の上へ炙り出された狗賓を捕らえかけたその時、夜桜のライトに照らされた狗顔の口角が、にやりと上がった。

「うわっ!」

 再びの突風に煽られて、体勢を崩した美郷は悲鳴を上げた。次の瞬間、桜の中でも最も早く花が開いているひと枝がふわりと宙に舞う。狗賓の放った疾風の刃に切り取られたのだ。

「花はエエけ、二人とも狗賓を!」

 辻本が指示を出す。美郷は風に吹き飛ばされた白燕を呼び戻し、怜路に視線を送った。怜路は展望台の、手すりの上に立っている。

「こっちに寄せろ」

 そう手招きする怜路に頷いて、美郷は白燕を仕掛けた。燕は鋭く狗賓の顔や手、翼を狙い、狗賓を怜路の方へ誘導する。燕を振り払おうと腕を振り回しながら、狗賓がふらふらと展望台の方へ近付いてゆく。そして展望台まであと五メートル程度になったとき、怜路が狗賓に狙いを定めて手すりを蹴った。

「っらァ! 捕まえたぜ!!」

 常人離れした跳躍力で、空中の狗賓に飛びかかる。見事その腕に狗賓の首を捕らえ、怜路が狗賓もろとも落下した。咄嗟に狗賓が呼んだ風が広場に渦を巻く。落下速度が下がり、一瞬、怜路と狗賓が地上一メートル程度の場所に浮いて見えた。

「ぅわぶっ!」

 怜路が放り出されて地面に転がる。渾身の力で体を捩った狗賓が、その翼で怜路を振り払ったのだ。

「クソ待て!」

「臨兵闘者皆陣烈在前!」

 桜の枝の落ちた方へ、一目散に逃げる狗賓を美郷は追う。切った九字が狗賓を直撃したが、少し前につんのめった狗賓はそれでも耐えて地を蹴った。

(何だ、やたら強いなこの狗賓……!)

 狗賓といえば、天狗の類の中で一番の下っ端妖怪である。普通はここまで強力な物の怪ではない。

(何か、力を与えている存在がいるのか、それとも強い想いがあるのか)

 桜の枝にたどり着いた狗賓が、枝を大切に抱える。

 狗賓を全力疾走で追いかけた美郷は、ようやくその羽根を掴めそうな所まで追いついた。

 桜を抱いた狗賓が風を呼ぶ。突風が狗賓を空に舞い上がらせる寸前、美郷は追い風に乗って狗賓の背中に飛びかかった。

『なっ……! 貴様!!』

 驚いた狗賓が翼で美郷を叩く。狗賓と美郷の足が宙に浮いた。美郷は必死にかじりつく。そのまま風に飛ばされて、狗賓は美郷ごと宙に舞い上がった。

「美郷ォ!」

「宮澤君!」

 足下から怜路と辻本の声が聞こえる。もう今更、手を離しても墜落するだけだ。身体能力の抜きん出た怜路と違い、美郷はこの高さから受け身を取って着地などできない。

『この! 離せ!!』

 狗の口が、聞き取りづらい人語を喋る。焦りの滲む声と共に、一際大きく翼で殴られた。思わず狗賓を掴んだ手が緩む。

 つむじ風の中心でもみくちゃにされ、美郷は風に狗賓と引き剥がされた。月のない闇夜の空に、天地もわからぬ状態で投げ出される。

「うわっ……!!」

 空の星と、舞う桜の花びらと、地上に光る照明と、どれが何かも分からないまま、風に舞い上げられた美郷の意識は途切れた。

 

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