鱗が咲く

琴月

サイレントエンドロール

 水中、息を吸う。

 海の中でしか息ができないなんて、羊水で守られていないと生きられないみたいじゃないか。君の隣に居るためには声が邪魔だった。抑えがきかない想いは暴力に等しい。溢れる声がすべて伝えてしまうから。

 私は君への想いを対価に声を捨てた。


 君の懸けた魔法。

「ハウ、あなたはきっと後悔するでしょう」

 それでも、私は戻れない。瘡蓋を見つけては、嬉しさが後悔を吸収する。傷口を塩水で漬け込んで、染み出た液体にどんな名前を付けよう。ずっと加速するもっとは、とどまるところを知らない。

 投げ入れた人生観。噂についた尾ひれは私のもの。最初から存在しない嘘だった。私は結局、同じ結末を辿る。


 苦しいほど飽和した色彩。

 右足を上げて地面を踏む。続けて左足で地面を蹴りあげる。慣れない感覚。この繰り返しが難しい。酷く重い足取り。数十分かけてたった数メートルの移動。

 鉛のように動かしずらい体を引き摺って、どうにか堤防にたどり着いた。疲れ果てて膝を抱える。飛び出した世界が窮屈な箱庭だったと気が付いたのは早かった。


 青い海に焦がれたから、青い空に溺れたの。声を捨てても息をしようとする。毒を塗った唇が本当を求めるように。逃げるための靴を壊して囚われたいと思うように。

 喋られないからこそ、私の話をきいてくれる。都合のいいように勝手に解釈して、明確な悪意を曖昧に濁す。自分で選び取ったはずなのに、人形で居ることが一番似合っているなんて笑える。目の前にある海が遠く感じた。

 私が失ったのは声ではなかった。私が本当に喪ったのは――。


 空を泳いで海中散歩。あなたがいない片隅を渡る。雲の合間の月はちらちら光る砂浜を連想させて、いつも私を哀しくさせた。

 話しかけられないまま、消えていく。泡と溶け出したこの身がラブレターだ。深く潜った私の意志の中に、少しは君もいるかもしれない。

 空に浮かんで、海に閉じ込められた。


 熱を帯びた指先でナイフを手に取る。これで心臓をひとつき。鼓動が止まったくらいで騒ぐ必要ない。みんな大袈裟で過保護だ。そんなやわにできていたら、私はもうとっくに腐敗している。

 捧げた恋心は散らされてしまったのに、奪われた想いは君の元で、今も夢を謳っているから。

「もう一度、助けて」

 偽りの言葉を吐いても今さら癒えない。転がる輪郭をビー玉に詰め込み、両の手でしっかり握りしめる。胸に埋め込みたいと冗談で釘を刺し、嘲笑。

 王子様は策略家だった。渇いた心で私の恋を叫ばないで。私の願いを叶えるために、使い古されたワンフレーズになってよ。

 切り取った四角に響く透明な歌。君の優しさなら偽善でも構わない。本当に、心からそう思った。


 あの日のように泳げないこと、知っている。海月の毒と戯れる残滓は、灰を被ることすらできなくなった。

 水面に請う。波紋が広がり靴が攫われた。硝子のようなそこに頬を強くぶつける。滲んだ赤色が取り囲む先に、私も連れて行ってくれないか。

 蒼く昏い水底。臆病な声が深い明日へ導く。

「だから、言ったでしょう」

 温度が消えていく。割れた貝殻。汚れたペットボトル。打ち上げられた人魚。帰る場所は触れられる距離にある。

 くしゃくしゃで色褪せた時刻表。痕跡を指でなぞる。増やした魚。減っていく酸素。憂いを帯びた熱が離れていく。停留所に落書きをして、私は何を待っていたのだろう。

 溺れたまま憧れていれば、忘れられない景色で満足できた。君に逢わなければよかったなんて、幸せを知った私が言ってはいけない。

 感傷。痛みが溶けて逝く。揺れる、回る、視界。白波に逆らい境界を漂う。臆病な私が泣きそうな顔で、君を祓った。


 そして、夜が朝になる直前、明日はもうここにあった。

 呼吸が続くのは当然で、泣き声だって鮮明だ。空気を読んだ海猫。錆びた潮の香り。絡まった藻屑が鎖みたいに私を地上に縛り付ける。

 月を喰らった暴君は漣に呑み込まれて、いつかまた舞い戻ってくる。それまでは目を閉じて走馬灯を見続けよう。

「おやすみなさい」

 できるなら夢に浸かる浅い眠りを。

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鱗が咲く 琴月 @usaginoyume

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