第27話 いいとこのお坊ちゃん

 ペルグの現在の正式名称は、ロムリカ帝国属州トラキヤという。ヒルカニアや現地の人間からすると舌を噛みそうな呼び名だが、帝国の支配者たちはこの名をペルグに押しつけた。かといって、現地の人々がすなおに従うかというとそうでもなく、支配層に反発する人々は、国も町も旧来の名前で呼んでいる。


 属国の支配と反発の気配は、呼び名だけでなく町の姿にも表れていた。伝統的な土壁の民家と、西洋風の飾りたてられた石造家屋が隣り合って建ち、細い通りを埋め尽くしている。不自然さをおぼえる光景でありながら、どこか芸術的でもあった。


 奇妙な町を、別の意味で奇妙な四人が行く。彼らはしばらく歩いたのち、ペルグ王国時代の名残が強い大通りにやってきた。屋台と露店がそこかしこで開かれ、客寄せの声が交差する。マークーの屋台通りを想起させる道には、肌も髪も目の色も違う人々が行き交う。馴染みのある言語から、まったく知らない言語までもが飛び交っていた。

 ペルグ伝統の飾り物オヤを飾っている店で、昼食になりそうなものを買うことにした。


「これ、美味いぞー」

 と、デミルがやけに推すので、現地の言葉で「ギョズレメ」という料理を四人ともが買った。パンより薄い生地に、肉やチーズをたっぷり乗せたものだ。代金はデミルが出すと言って譲らないので、『そういうこと』になりそうである。


「ああ。これ、前に師匠せんせいが教えてくれたやつだ。懐かしい」


 あつあつのチーズを相手に苦闘しているルーを見ながら、イゼットは呟く。陽気な傭兵が彼の言葉をすぐさま拾って、目を開いた。


「先生? なんのだ?」

「なんのって……まあ、色々ですね」


 適当に答えを濁したイゼットは、傭兵の手もとを指さして「具が落ちそうですよ」と指摘する。おっと、と呟いた彼は、勢いよくギョズレメにかぶりついた。太い紐でまとめられた黒髪が、馬の尻尾のように揺れる。


 自分の食事を減らしながら、イゼットはデミルの方をなんとなくながめた。戦争屋というだけあって、戦で鍛えられた彼の体躯はたくましい。顎の端から唇の右端にかけて走る傷が特に目立つが、それ以外にも傷跡は見つけられた。衣服は色あせてつぎはぎだらけだが、耳には銀色の小さな飾りが光っている。おしゃれ目的ではなく、魔よけのためなのだろう。


 イゼットは、ふと視線を感じ、目を瞬いた。まず、デミルの陰からこちらをにらんでいるアンダに気づく。それから、ほかならぬデミル自身が、彼をじっと見つめていたのだとわかった。視線がぶつかる。ため息をこらえて、問いかけた。


「俺の顔になにかついてますか」

「いんや」


 デミルはかぶりを振ったのち、ギョズレメの最後のひとかけを頬ばった。のみこんでから、にやりと笑う。


「こんな状況じゃなきゃ、おまえと戦ってみてーなって思っただけさ」

「……は?」


 予想だにしていなかった答えをもらったイゼットは、うわずった声を上げた。


「また始まった」


 呆けている若者と楽しげな傭兵をよそに、クルク族の少年がため息をつく。デミルはそれが聞こえなかったのか、聞こえていて無視しているのか、軽やかにイゼットの槍を指さした。


「それ、相当使いこんでるだろう。武器の扱いに慣れていて、手入れもきちんとしてる。歩くときも用心深くまわりを見てる。人とすれ違ったときの避け方も見てたが、なかなかどうして滑らかだ」


 若者は瞠目する。答えが返せないでいるうちに、デミルが口の端を持ちあげた。


「そーいう奴は大抵、強い」


 ひたすら陽気だった瞳に、雷光が走る。

 その目つきは、たとえるならば――猛獣、だろうか。


 イゼットは息をのんだ。食べるのに必死だったはずのルーまでが、デミルの方に顔を向けた。アンダは、我関せずといったふうに通行人をながめている。


「俺はなぁ、坊ちゃん。強い奴と戦うのが大好きなんだ。三度の飯よりなんとやらって言葉があるが、まさにそれだな」


 彼は恍惚こうこつと呟いて、背の大剣に手をかける。変わぬ態度のはずなのだが、目つきが別人のようだ。

 明るい色の瞳が、血に飢えた者の相貌を映す。イゼットは静かに瞼を下ろして、上げた。


「……光栄ですが、あなたと戦うことはできません。いえ、あなたに限ったことではないですが」


 右半身が鈍く痛んだ。なるべく顔に出さないようにしたが、デミルはなにかに気づいたらしい。小さく見える眼が、少しだけ右に動いた。


「わけありか?」

「そうですね」

「じゃ、その『わけ』がなくなったら受けてくれるか」

「確約はできません。気分次第です」

「あっはっは! いいねえ、楽しみにしておこう」


 冷淡な返答をどう取ったのか、デミルはすがすがしいほど高く笑い、若者の肩を叩いた。叩かれた方は顔をしかめる。二重に痛い。しかし事情を知らぬ相手に文句を言うわけにもいかず、結局黙ったままでいた。


 全員がギョズレメを食べ終えた頃、デミルがまたイゼットの方を見る。


「で、坊ちゃんたちは、これからどこに行くんだ?」

「……西の方です」


 国の名前を言うと間違いなく食いつかれるので、ぼかして答えた。追及が始まる前に、彼はため息をつくふりをする。


「それと、その坊ちゃんっていうのはやめていただけませんか? 普通に呼び捨てでいいですから」

「おーそうか。悪かったよ、イゼット」


 思いのほかあっさりと訂正したデミルはしかし、次の言葉でイゼットを凍りつかせた。


「でもさ、実際のところ『坊ちゃん』だろ? 違うのか?」

「……はあ?」

「どういうことですか?」


 戦争屋に疑問をぶつけたのは、クルク族の少年と少女だった。二人の目は流れるようにイゼットの方へ動く。彼が返答に窮していると、さらにデミルが言葉を重ねた。


「食べ方が妙にきれいだし、言葉づかいもどこぞの貴族みたいにお上品。だから上流階級の人間じゃねーかって思っただけさ。違ったらすまんけど」

「……いえ」


 若者は、降参とばかりにかぶりを振る。視界の端でルーが唖然としていることに気づきつつ、デミルから目を離さなかった。


「間違ってはいないけれど正しくもない、というところです。今の俺は、実質、家との繋がりを切った状態なので」

「ふうん。勘当かんどうでもされたか?」

「実態はそうかもしれません」


 イゼットは、やわらかく整った相貌に自嘲の笑みを刻む。そこへ「表向きは?」と訊かれた。少し考えてから、日に焼けた人さし指を立てる。


「貴族の人間が、祭司になるために俗世との縁を切ることがありますよね。あれと似たようなものです」


 淡々とした説明を三人はそれぞれの表情で聞いていた。その終わり、ルーがおずおずと左手を挙げる。


「えー……と、それじゃあつまり、元々は良家の人ってことですか」

「まあ、そうだね」

「なんで言ってくれなかったんですか!」


 少女の白い頬がふくらむ。イゼットは返事に困って頭をかいた。教えなくてもいいと思ったから、などと言ったらよけいに怒られそうだ。助けを求めるように男二人へ目を向けたが、あてにならないことは明らかだった。デミルは二人のやり取りを楽しんでいるようで、アンダはうるさそうに耳をふさいでいる。


「ルーちゃんはなにも聞いてなかったのか?」

「ヒルカニアのアフワーズ出身ってところまでは聞いてました!」


 いきどおったままの勢いで、ルーは男を振り返る。彼は気のない相槌を打ったが、直後に目を見開いた。イゼットが「しまった」と思ったときには、もう遅い。


「アフワーズのいい家っつったら、領主のとこくらいじゃないか」

「領主っていったら、そりゃ偉いだろうね」

「ただ領主が偉いだけじゃないぞー。確かその家、宮廷書記官とか宰相とか将軍とかを代々輩出してたはず。ペルグ人の俺でも知ってるくらい有名だし」


 よく知っている、などと感心している余裕はない。イゼットは恐る恐る、連れの方を振り返った。彼女は目と口を開き切って固まっている。彼女を一瞥いちべつしたアンダが、自分の連れにそっけなく問うた。


「つまり?」

「イゼットのお家は、ヒルカニアで一、二を争う超名門」

「それは驚き」


 少年と男は、淡々と言葉を交わす。一方、若者と少女の間には、気まずい空気が流れていた。それを打ち消したのは、少女の叫び声だ。


「な、ん、で! 言ってくれなかったんですかー!」

「ご、ごめんって! 本当にごめん!!」


 振りかざされた拳を、若者は一生懸命受けとめる。それでも攻撃はやまなかった。


 そこまで気にするとは思わなかった――と言ったら、さらに怒られそうである。なので、イゼットは、ひたすら謝ることにした。


 彼らのやり取りをひとしきり楽しんだデミルが、怒ったルーをなだめるまで、しばらくかかった。

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