第25話 片牙の鳥は荒れ狂う

 少年は、相変わらずイゼットに背を向けて立っている。クルク族であるという彼は、年齢不相応の冷たさをまとってルーと対峙していた。ルーはルーで刺々しく応戦している。イゼットの知らない彼女がそこにいた。


「おれがどこにいようとおれの勝手だ」

「それはそうですね。では、追及しないでおきましょう。ですが、いきなりこんなことをした理由くらいは説明してください。関係のない他人を危険にさらしたんです。勝手だとは言わせませんよ」


 怒っている。かなり怒っている。アハルの食堂で荒くれ者を言い負かしたとき以上だ。少年はすぐには答えなかった。代わりに小さく舌打ちをしたようだった。イゼットが驚く間もなく、彼はうなる。


「おまえがどうするか、見ようと思ったからだ」


 少年の背中があるのでルーの表情は見えない。しかし、眉をひそめているであろうことはわかる。


「どういう意味です」

「説明しなきゃだめか」


 ルーは、言葉に詰まったようだった。その間に、少年が初めて少し身じろぎをする。


「まあ、アグニヤのできそこないの割には動けるんだな、って思った」

「――知ってるんですか? 他の氏族のことなのに」

「ヒルカニアやペルグの同族には知られた話だ。ジャワーフの子どもの『白い娘』。『とお奉納ほうのう』に失敗した落ちこぼれ。それがよくも、こんなところをうろついてられるな」


 またしても答えはない。ただ、イゼットにはわかった。なにかに耐えるように呼吸する彼女の気配が。とはいえ口を挟むどころでもない。それを許さぬ空気が、小道に充満している。なんの意味もなく馬たちの方を見ると、いななくこともなく、おびえていた。


「そのとおりです」


 ようやっと、泣くようにルーが答えた。


「『十の奉納』は確かに失敗しました。両親や兄弟にたくさん迷惑をかけてしまいました。でも、昔のことを引きずっててもしょうがないですから。そのためにここにいるんです。ここにいるのは通過儀礼の一環で、意味もなく放浪してるわけじゃないですよ」


 無理に笑っているのだろう。空気が伝わってきた。

 イゼットは間に入る隙をうかがっていた。だが、その目に突然、見慣れぬ顔が映りこむ。少年が振り向いて、イゼットの方を見たのだ。


「おれは、そういうの、大っきらいなんだ」


 イゼットは一瞬反応して、槍をにぎりしめてしまった。


「あの儀式がどういう意味を持つものか、知らないわけじゃないだろ? それなのに、前向きなふりして自分がしでかしたことから目をそらす。にこにこして表面ばっかり良い格好をする――」


 そこまで聞いて初めて、彼はルーに言ったのだと気がつく。

 だが、気がついたとき、少年の姿はそこになかった。


 かすかな気配を拾った若者は、転がるように後退した。身を守るために槍を構えようとしたが、その前に、胸のあたりに重いものが叩きつけられた。息が詰まった。苦痛をおぼえたときには、体は後方に吹っ飛んでいる。


 とっさに受け身を取った。空気とかすれた音が吐き出された。喉はひりひり痛んで、心臓が脈打つたびに胸が痛みを訴える。それでもイゼットは、自分が自分の身を守ったのだとわかっていた。あと少し動くのが遅かったら、あと数歩距離が足りなかったら、頭をかち割られていたはずだ。


 動こうとしたイゼットは、しかしそれができなかった。


「――その上、生ぬるい町の人間に尻尾を振るのか。反吐へどが出る」


 少年の声がすぐそばで響いた。

 少女の悲鳴が聞こえると同時、喉を強く圧迫されて、イゼットはあえいだ。少年の一見細い腕が首に押し当てられているのだ。


 腕が痛い。息ができない。――このままだと、死ぬ。

 直感したイゼットはもがこうとするが、上手くいかない。少年が上にいるからだ。華奢きゃしゃな外見からは想像もつかない力で、彼はイゼットをおさえつけていた。


「やめろ! その人は関係ないだろ!!」

「悔しいなら来てみればいい。おまえが来るより、おれがこいつの首折る方が早いと思うけど」


 少年は恐ろしいことを淡々と言う。少し力が強くなった。

 体じゅうが悲鳴を上げて、頭の中がかすんでくる。いくら口を開けても空気が入ってこない。

 まともな言葉にならない思考を、頭の中で何度も弾けさせる。

 そのとき、イゼットの中に浮かんだのは、燃える柱と、涙にぬれた夜色の瞳と、忘れもしない声。


『約束、忘れたら許しませんから』


 まだ、果たしていない約束。


『力を貸してください』


 果たさなくてはいけない。


「……ざけるな」


 少年が、連れによく似た目を見開くのを、彼は見た。そこになんの感慨も抱かず、イゼットは腕を持ちあげる。褐色の腕をつかむ。動揺したのだろうか、今までびくともしなかったそれが、わずかにずれた。


「ふざけるな。誰が、おまえなんかに、殺されてやるかよ」


 少年が厚い唇を震わせる。なにか言おうとして、結局言えずに、ただうめいた。


「おまえ……」

「だいたい、さっきから黙って聞いていれば、勝手なことばかり……。そりゃ俺だって、ルーのことをそんなにたくさん、知ってるわけじゃないよ。それでも一緒に旅をして、いろんな面を見てきてる。でも、君はそうじゃないだろ」


 力が、せめぎ合う。幼くも端正な顔が、はじめて歪んだ。

 イゼットは頑固な少年をにらみつけ、歯を食いしばる。


「同族だからって、なんでも知ってると思うな。知る努力もしないで、言葉を振りかざすな!」


 せめぎ合いが終わる。若者の手が少年の腕を払いのけた。

 頭に血が昇ったのだろうか。少年は、太い眉を吊り上げ、顔をまっ赤にして、彼らの言語でなにかを叫んだ。

 イゼットに飛びつこうとした彼を、しかし流暢りゅうちょうなペルグ語が止めた。


「いー加減にしろ、アンダ」


 緊迫の現場にそぐわないのほほんとした制止の言葉に、少年の動きが止まる。その隙にイゼットは体を引きずってその場を離れた。追いすがろうとする少年を、後ろから伸びてきた手がとどめる。肉刺まめと傷とで岩のようになっている手は、少年の襟首をむんずとつかんで持ち上げた。


「今のおまえは、菓子が欲しくて駄々こねる七歳児以下だ。すっこみやがれ」

「うるさい! 離せデミル!」

「嫌でーす。俺、殺人犯と一緒に行動したくねえもん」


 少年はばたばた暴れるが、彼をつかんだ手――もとい男は、まったく動じない。口笛でも吹きはじめそうな表情だったが、ルーとイゼットをじゅんりにみると、少しだけ目もとをひきしめた。


「うちの連れが騒がせたな。代わってお詫び申しあげる」


 男は真剣に謝罪し――ているのだが、誠実さに欠けているように思えるのは、なぜなのか。

 ともかくイゼットは、そしてルーも、突然のちんにゅうしゃに対してすぐに返事ができなかった。


 それでも男は気にした様子がない。子猫の襟首をつまんでいるかのような態度で、少年――アンダが落ちつくのを待っているようだった。

 その様子を見ているうちに、イゼットは少しずつ落ちつきを取り戻した。とりあえず、立ちあがろうとするが、景色が歪んでふらついた。


「おいおい。大丈夫か?」

「す、すみませ……」

「声もまともに出てねえじゃんよ。無理すんな。も少し寝てろ」


 結局、イゼットは中途半端にしゃがみこんで息を整える。そこへルーが駆けつけた。彼女はイゼットに少し声をかけてから、剣呑な目で男と少年を見上げた。

 男は、もともと細めのまなこをさらに細くしてから、ぶら下げている少年をにらみつける。


「ったく。やりすぎだぜー、アンダくん」

「おまえにだけは言われたくない」

「俺は仕事以外で人殺さねえもーん。ましてや、こんな善良そうな坊ちゃんを手にかけるなんてとんでもない」


 少年はむっつりと黙りこんでしまった。そうしていると、よくしゃべる男とは対照的だ。

 ルーも彼らの間の抜けたやり取りで怒りを削がれたのか、不満げな表情ながら初めて男に話しかける。


「あの……あなたは何者で、彼とはどういう関係なんですか?」

「ん? ああ、そうさな。素性明かさねえのは不公平さな」


 男はなおも少年を持ちあげたまま、どこか不敵に口の端を持ちあげた。


「俺はデミル。戦争屋やったり用心棒やったりしてる。で、こっちはアンダってんだ。俺も詳しくは知らねえが、ヒルカニアとペルグの南部国境あたりで拾って以降、旅の連れさ。――氏族うんぬんは、嬢ちゃんの方が詳しいだろ?」


「ええ、まあ。そうかもしれません」ルーはぶすっとした様子で、それでも丁寧に答える。その頃になってようやくアンダは暴れるのをやめたが、デミルは彼から手を離さなかった。



(補足)

戦争屋……作中では、戦に好んで参加する傭兵のことを指します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る